日本の作曲家たち/16  信時潔


     
 
              (1887〜1965)

              (写真提供/信時裕子)

   (2019.4.8改訂)

 信時潔/知られざる傑作 「絃楽四部合奏」(1920〜22)


 2013年3月頃、私のもとに一冊の楽譜と音源が届いた。
「海ゆかば」で著名な作曲家・信時潔がベルリンに留学していた1920〜22 (大正9〜11) 年頃に作曲した「絃楽四部合奏」という作品だ。
この譜面を見ながら2月に演奏されたというライブ音源を聴いた時、信時潔という作曲家に対する私の先入観は、見事なまでに打ち砕かれてしまった。そこにあったのは「質実剛健なる大和男子」という従来のイメージとは懸け離れた、20世紀初頭の西洋音楽爛熟期エッセンスに満ちた作品だったからである。


 信時潔 / その生涯


 信時潔 (のぶとき きよし) は、山田耕筰 ( 信時より1歳年上で没年が同じ) と共に、わが国作曲界の先駆的存在である。
1887 (明治20) 年12月29日、信時潔は大阪北教会の牧師・吉岡弘毅の三男として生まれた。
1898 (明治31) 年、大阪北教会四長老の一人・信時義政の養子となる。
幼少期からプロテスタント教会の讃美歌などに親しんでいた信時は音楽への指向を固め、1905 (明治38) 年、東京音楽学校予科に入学する。
1906 (明治39) 年、東京音楽学校器楽部に進み、チェロと作曲をハインリッヒ・ウェルクマイスターに、指揮法をアウグスト・ユンケルに、対位法と和声をルドルフ・ロイテルに学んだ。1910 (明治43) 年、研究科 (現在の大学院) へと進み、1915 (大正4) 年、卒業後ただちに助教授となる。1920 (大正9) 年、念願であったドイツ留学を果たしゲオルク・シューマンに師事。1922 (大正11) 年に帰国後は母校・東京音楽学校教授に任ぜられ、チェロと作曲を教えた。 チェロの主な門下生には小澤弘 (のちの新響首席/我が国チェロ界のパイオニア)、呉泰次郎 (後に作曲家に転じた)、作曲では細川碧、下総皖一、橋本國彦 、長谷川良夫などの逸材を指導、1932 (昭和7) 年本科作曲部創設にあたり教授の座を辞し講師となった後も高田三郎、大中恩らを教えた。


 「海ゆかば」


「悲しいな・・・・」
 今年91歳になる私の母に「海ゆかば」について訊ねた時、真っ先に発せられた言葉だ。
戦死者の遺骨が村に返って来るたび、この「海ゆかば」が歌われ、寺の和尚さんは大泣きしていたという。

 1937 (昭和12) 年10月、信時は日本放送協会の委嘱を受け、大伴家持の万葉集の詩に曲をつけた「海ゆかば」を作曲した。
この作品は國民精神総動員強化週間の放送の主題曲として発表され、次の月には國民歌謡としても放送された。
1942年3月、真珠湾特別攻撃隊の戦死者報道のバックにこの「海ゆかば」が流されて以来、この作品は鎮魂曲の意味合いを強めて行く。
1943年、國民皆唱運動で必唱歌曲に指定されてからは、「海ゆかば」は「第二の國歌」とまで言われるほど日本人にとり身近な作品となって行った。
母が呟いた一言が、戦時中この作品に対し日本人が等しく持っていた思いをストレートに伝えてくれたのである。

信時は「海ゆかば」の他にも、緊迫した時局を反映したタイトルの作品をいくつか書いている。 主だったものを挙げてみたい。 

 合唱曲「明治天皇御製 道・玉・孝・をりにふれて」、「紀元二千六百年頒歌」、国民歌謡「國こぞる」「國に誓ふ」
 合唱曲「興亜奉公の歌」、「やまとには (國見の歌)」

 支那事変勃発後、日本のあらゆる文化メディアは「聖戦遂行」に向け動員されるようになった。
「愛國行進曲」(見よ東海の空明けて・・・) がレコード会社間で競作となったり(音楽学校作曲科主任だった橋本國彦のピクター盤名アレンジは、今聴いてもまことに素晴らしい) 、「紀元二千六百年」(金鶏輝く日本の・・・) の曲が広く公募されたりと、まさに戦争一色だったのである。
 信時の作品も、タイトルはそうした時局を反映したものばかりのように見えるが、他の勇猛果敢な作品と比べたとき、何かが違う。そう、「根本的な何か」が違うのだ。これは信時が幼少時に讃美歌に親しみ、その音世界をルーツとしていたことと、決して無縁とは言えないだろう。信時の作品からは国家の非常時という短期的な情勢を超えた、古代神話の時代にまで遡る日本人のルーツや根源にまで迫るものが感じられるのだ。
「海ゆかば」と、バッハなどの宗教作品のコラールとの近似性はよく指摘されるところだが、「君が代」が洋楽的なハーモニーを拒絶しているのに対し、「海ゆかば」は、まさにハーモニーの美しさによる精神性の発露の最上例と言って良い名作である。曲最後に響くハ長調の純正和音の、なんと心に響く事だろう。
 敗戦以後、「海ゆかば」は戦時機会音楽としてずっと封じられて来た。私も両親はじめ多くの先輩世代の方々から、この名曲と戦時中の辛い体験との切っても切り離せない思いをずっと聞かされて来たこともあり、そうしたイメージを拭い去る事は難しい。
願わくば「海ゆかば」の芸術作品としての素晴らしさを、未来の世代には是非伝えて行っていただきたいと思う。

 1995年に信時潔・没後30年を記念しビクター・エンターティメントからリリースされた「信時潔/歌曲集」(VICC-5052) のボーナス・トラックとして、昭和14年録音の「海ゆかば」が収められている (日本ビクター混声合唱団、日本ビクター管弦楽団)。貧しい録音から伝わって来る「当時の空気」や、「あの頃の日本人が確かに持っていた日本語による歌唱の美しさ」に、思わず襟を正してしまう。このような歌唱は、こんにちでは絶対に不可能だろう。
芸術作品はその誕生した時代と決して無縁ではなく、戦時中の日本人の大多数は皆、何がしかの思いを持ちつつも、「国のため」「家族のため」と信じ、「今この時」を懸命に生きて来た。それは戦時中の映画を見ればひしひしと感じられる。(「いちばん美しく」/1944 黒澤明監督、「歓呼の町」/1944 木下恵介監督、「父ありき」/1942 小津安二郎監督 ) など、国家による強い検閲があった事を差引いても、そこに見られる戦時中の日本人のひたむきさ、美しさはどうだろう。 
敗戦後乱造された退廃的な映画との落差は、凄まじいばかりだ。

 なお新保祐司の名著「信時潔」によれば、松竹映画「父ありき」の最後に「海ゆかば」が流れるシーンがあったが、戦後GHQの検閲によりカットされたという。
この事実が知られる事となったのは、終戦間際満州に侵攻したソヴィエト軍に接収された映画フィルムの中に同作品があり、平成11年の上映会で確認され大騒ぎとなったからだ、という。現在では千円足らずで怪しげなDVDが入手出来る「父ありき」だが (小津作品の著作権論争は、その後どうなったのだろう? ) 、夜汽車の中で亡き父 (笠智衆) を偲ぶ、寂しげな息子 (佐野周二) の横顔・・・確かにこの場面で何も音がないのは不自然で、もしここに「海ゆかば」が流れたらどんなにか感動的だったろう、と想像させられる。
 小津作品ほどポピュラーではなかったためか、「海ゆかば」がカットされずに済んだ戦前映画も存在する。それは1944年の東宝映画「音楽大進軍」だ。伊豆の旧・小湧園グランドホテル (中学の修学旅行で行った! ) と思われる建物の前で、傷病兵たちを慰問する音楽会の最後に「海ゆかば」が流れるのだ。(指揮は恐らく服部良一)



「海道東征」



 1940 (昭和15) 年、日本文化中央連盟の委嘱を受け、信時は交声曲 (カンタータ) 「海道東征」を作曲、同年11月26日日比谷公会堂で開催された「皇紀二千六百年奉祝芸能祭制定の演奏会」において初演された。「海道東征」は、詩聖・北原白秋が古代神話の世界を題材に書き下ろした詩に、信時が曲をつけた演奏時間50分にも及ぶ作品である。この大作の初演に向けては、東京音楽学校の総力を挙げて取り組まれた。名テナー・木下保の指揮のもと、合唱団には声楽専攻だけでなく器楽の学生までもが、かり出されたのである。

 この初演に合唱団の一員として参加した高田三郎氏夫人・留奈子さんは、当時のことを懐かしそうに語って下さった。
「音校ったって、戦時中は皆勇ましい「軍歌」一辺倒ですよ。でも、信時先生の曲は格調がありました。木下 (保) 先生の指揮のもと、演奏に参加している誰もが皆「芸術作品を演奏している喜び」に浸る事が出来ました。」
 この高田留奈子さんの証言は、信時氏の音楽の本質を語る上で、重要なものといえる。

 「海道東往」レコード広告 (東京音楽学校/同聲会報より)

 「海道東征」は初演後も東京、大阪ほか日本各地で上演されたほか、遠く満州でも演奏された。戦後も1962 (昭和37) 年1月に大阪で、また日本の作品の蘇演をライフワークとしていた作曲家・芥川也寸志の遺志を継ぐオーケストラ・ニッポニカにより2003年2月に再演され、CDリリースもなされた。
 この作品がもしただの「御用音楽」に過ぎないものだったとしたら、他の多くの作品群と同様、戦後再演の道は完全に閉ざされていたことだろう。
1962 (昭和37) 年の大阪での再演は、当時民間放送の東京支社に勤務していた阪田寛夫の尽力による。阪田は旧制中学三年の1940 (昭和15) 年に、初演後間もなく行われた大阪での「海道東征」を中之島の朝日会館で聴き、壮絶なまでの感動を得ていた。結果、阪田は再演はおろか、曲名をそのままタイトルにした「海道東征」という小説を記すほど、この作品にのめり込んだのである。
真に人の「こころ」を打つ芸術作品は、必ずこのような殉教師的な人物が現れ、後世に伝えられて行くものなのかも知れない。
メンデルスゾーンが忘れ去られていたバッハの「マタイ受難曲」を甦らせたように・・・・

 なお信時は公職追放の悪夢に染まる事もなく、戦後も東京音楽学校の講師を勤めていたが、1954 (昭和29) 年その職を辞し、以後は求められるままに自伝的文章や合唱曲、ピアノ曲、社歌 (169曲 ! )、校歌 (892曲 !! ) などの作曲を続けた。
1962 (昭和37) 年、久々の「海道東征」再演の練習を見届け、

「関係者が好意的なのは嬉しかった。「海道東征」は今後も残ると思ふ。これは年来の信念だが、今日の通演でそれが少しも動揺しなかった事は満足だ」

という言葉を残した3年後の1965 (昭和40) 年8月1日、心筋梗塞により静かにその生涯を閉じた。享年77歳であった。

  (画像使用許諾/日本伝統文化振興財団)


 2008 (平成20) 年、 6枚組CD「SP音源復刻盤 信時潔作品集成」がリリースされ、平成20年度 (第63回) 文化庁芸術祭大賞を受賞した。
同集成には信時のSP時代のほとんどの録音が校歌・社歌の類いに至るまで作曲年代順に収録され、孫にあたる信時裕子さんによる懇切丁寧な作品解説と年譜が記されている。 「小手先の虚飾や感覚的な響きを嫌い、音楽そのものに語らせる」信時の手法は、その生涯を通じ終始一貫していた事を、この集成で改めて確認することができるのだ。
 しかし、よくこのような仔細漏らさぬ全集が現代に刊行出来たものだ、と私は驚きを禁じ得ない。信時裕子さんは長く日本近代音楽館職員として地道な仕事に携って来られ、私も本当にいろいろとお世話になった。 解説冒頭に収録された畑中良輔氏による「私的 信時潔 小論」は、信時の風貌や「なりふり構わぬ」無造作ないでたち、そして練習の合間に発した掛け声の大きさで合唱団をあっけにとらせたエピソードなど、作曲家の人間像を実にリアルに表しており、これ以上ないほど面白い。 収録曲の録音はいずれも当時の空気を伝えるもので、私など幼き日に、戦前に建てられた小学校の中で遊んだ「茶色い風景」まで思い出してしまった。
 さあ、今一度このCDで、往時の美しい日本人の息づかいを聴いてみようではないか !

  最後に蛇足だが、意外な発見をひとつ。CDの一枚目最後に収録された「皇后陛下御誕辰奉祝歌」のメロディ、童謡「とんぼのめがね」(とんぼのめがねは みずいろめがね・・・) とソックリなのに驚いた。童謡の作曲者・平井康三郎は信時門下・・・師の作品啓蒙を意図したのか? あるいはただ単に頭に残っていたメロディを、自らの創作と思い込んだのだろうか。 
 また、久々に聴きなおしてみた「海道東征」第3章「御船出」、音の動きといいオーケストレーションといい、何度聴いてもワーグナーの「さまよえるオランダ人」を連想してまう。
 なお2005年にリリースされた「海ゆかばのすべて」に収録されている、チェロとピアノのための「海ゆかば」(編曲、ピアノ=高木東六) を演奏している、戦前のチェリスト・倉田高の演奏が本当に素晴らしい。名チェリスト・ 倉田澄子さんの父君としてその名を知ってはいたが、実際に録音を聴いたのは初めてだった。
こんな実力のあるチェリストが、戦前の日本にもいたのだ・・・何かとても嬉しくなった。
他にもし倉田高氏の録音が残されているのなら、是非聴いてみたいものである。



                                           (一部敬称略/2013.7.5 改訂  岡崎 隆)


        (この文章は今後も加筆の予定です。)


以下の書物、CDを参考にさせていただきました。

「信時潔」新保祐治・著 (構想社・刊/2005.7)
「信時潔/歌曲集」CD (ビクター・エンターティメント/VICC-5052/1995.6) 解説
「日本の洋楽 1923〜1944)」日本の作曲家」 (ロームミュージックファンデーションSPレコード復刻CD集) 解説
「日本の作曲家/近現代音楽人名事典」(日刊アソシエーツ・刊/2008.6)
「SP音源復刻盤/信時潔 作品集成」(日本伝統文化振興財団・刊/2008.11) 解説
「生誕125年 信時潔とその系譜」演奏会小冊子 (洋楽文化史研究会「信時潔とその系譜」演奏会実行委員会/2012.11.23)
「海ゆかばのすべて」CD (キングレコード/KICG-3228/2005.6) 解説

Special Thanks : Ms. Nobutoki Yuko  Mr. Saito Ichiro




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