シリーズ「日本の作曲家たち」

  (2021.10.8 更新)

 このページでは、主に戦前を中心に活躍した日本の作曲家を、管弦楽曲を中心に、順次取り上げてまいります。(このページは常時、頻繁に書き換えております) 私共では現在、演奏用楽譜のない作品の浄書フルスコア・パート譜の作成について、その復活・再演を目指し、現著作権者・関係者の方の許諾を頂きながら行なっています。

 私どもの「日本の作曲家たち」浄書譜作成は営利が目的ではなく、今日不当に忘れられている主に1930〜40年代を中心とした日本の管弦楽作品の数々を何とか現代に復活させたい、という一個人の素朴な願いが原点になっています。これまで多くの作曲家ご遺族、学校法人、著作権者の方々のご協力をいただきながら、50曲を超える作品の浄書譜の作成をしてまいりました。そのうち何曲かは半世紀ぶりに再演あるいはCD化され、現代の聴衆の皆さんに新たな感動を与えています。
 
 (譜面についてのお問合せはこちら )

第1回 橋本 國彦   第2回 山田 一雄

第3回 須賀田礒太郎   第4回 尾崎 宗吉

第5回 金井喜久子  第6回 高田 三郎

第7回 大澤 壽人  第8回 安部 幸明

第 9 回 平尾貴四男  第10回 鬼頭 恭一

第11回 小山 清茂   第12回 川島 博

第13回 清水 脩   第14回 芥川也寸志


第15回 近衛秀麿   第16回 信時潔

第17回 貴志康一


 今後の掲載予定作曲家

 

失われた響きを求めて〜戦前の日本のオーケストラ作品を聴きたい!!


 街角に「旅の夜風」や「純情二重奏」が流れていた1930年代の浅草・・・・。
当時の日本は、現代では考えられないほどオーケストラ曲の作曲が盛んでした。その要因としてまず考えられるのは、多分に国策的な意味合いもあったと思われますが、「チェレプニン賞」「ワインガルトナー賞」など、作曲公募が盛んに行なわれたことが挙げられます。
これが作曲家たちの創作意欲を高め、結果的に数多くの管弦楽作品が産み出されたのです。

 ところが今日、残念な事にそれらの作品のほとんどが、完全に忘れ去られようとしています。
時代も作曲家たちにとって逆境でした。日本全体が迫りくる戦争のうねりに巻き込まれる中、国威発揚的な作品以外はほとんど発表の場もなく、作品はどんどん政治的要素が色濃くなっていったのです。そのことが結果的に、戦後の再演の道を閉ざすことになりました。

 戦後、日本のオーケストラ曲は、いわゆる「現代音楽」的先鋭さを追い求める作品が主流となって行きましたが、戦前のオーケストラ作品には、まだ後期ロマン派的な美しいメロディやハーモニーを持ったもの、民謡など日本のメロディーを用いた親しみやすい内容のものが少なくありません。 

 数年前、指揮者・小松一彦氏のご努力により、貴志康一のオーケストラ作品が立続けにビクターからCD化されたことがありました。珍しもの好きの私は、貴志の交響曲「仏陀」のCDを購入してみました。「日本の管弦楽曲なんて、どうせ大した事ないに決まってる・・・」
そう思いこんでいた私でしたが、これまで全く耳にしたことのない美しい響き・斬新な内容に正直、驚かされました。また貴志のオーケストラ伴奏付き歌曲の日本的情緒あふれる繊細さに、心からの感動を覚えました。そこにはアメリカナイズされた現代の日本人が、知らない間に失ってしまった、古き日本人の美しい「感性」がいっぱいに滲み出ており、以後私は、この時代のオーケストラ作品について、大いに興味を持つようになったのです。

 その後私は、日本交響楽振興財団が刊行する「日本の管弦楽作品表」という書物を入手しました。ここには1912年から92年までに作曲された日本の管弦楽作品がほとんど網羅されており、戦前だけに区切っても、わが国には膨大な管弦楽曲が作曲されてきた歴史があることが一目で分かります。私はこれら埋もれてしまっている多くの作品を「実際にこの耳で聴きたい!!」と、心から思いました。

 これらの作品を聴くためにはまず、演奏のための正確な楽譜が欠かせません。
しかし、現在パート譜すら存在しない作品が多く、またパート譜が残されているものでも、手書きの見にくいものがほとんどというのが、悲しい現実です。
 そこで私は演奏譜の現存しない作品について、楽譜作成ソフトでオーケストラ用のパート譜を作ろう、と決心しました。実は私の本業はコントラバス奏者なのですが、趣味で手書きの時代からパート譜の作成を手がけていました。私が自分で楽譜を作るようになったのは、演奏現場では余りにも見にくい、酷い楽譜が多い事に対する不満があったからです。自分の腕以外の原因 (見にくい譜面)で、うまく演奏出来ないことほど、プレイヤーにとって悔しい事はありません。
 現在ではコンピュータ楽譜作成ソフトの最高峰といわれるFINALEを使い、楽譜の作成を行なっています。

 パート譜を作るためには何よりもまず、作曲家のご遺族や現在の権利者の方々の許諾をいただかなければなりません。
私はそうした情報を日本近代音楽館 (現・明治学院大学図書館付属日本近代音楽館) に出向いて教えてもらい、何人かのご遺族に直接手紙を書き、パート譜作成の許諾をいただきました。そして本業の傍ら10曲以上の管弦楽曲の楽譜を完成し、著作権者のご了解を得て私の在籍していたオーケストラにも寄贈しました。しかし・・・誰も知らない・聴いたこともないような作品たちが実際に演奏される可能性はゼロに近く、そこが私の悩みでもありました。

 そこで私はこのホーム・ページに、私のささやかな活動を掲載させていただくことにしました。
するとまだ数は少ないのですが、徐々に演奏者の方やオーケストラなどから問い合わせをいただくようになり、嬉しい事に、実際に演奏するための楽譜作成を依頼されるようにもなりました。
 中でも2002年2月に行なわれた神奈川フィルハーモニー管弦楽団・特別演奏会須賀田礒太郎の世界」のための楽譜の一部を作らせていただいたことは、私の一生の想い出となる、素晴らしい体験でした。50年近くもの長い間、栃木県の田舎町の蔵の中に埋もれていた須賀田礒太郎の管弦楽作品の数々は、間違いなく現代の聴衆にみずみずしい感動をもたらしたのです。
私はこのコンサートのリハーサルを通じて、須賀田氏のご遺族の皆さんや、指揮を担当された貴志康一のCDでおなじみの小松一彦氏から、いろいろ貴重なお話を伺うことができました。
「戦前の作曲家の、埋もれてしまっている管弦楽作品の演奏譜作り」という甚大なテーマに、少しためらいを抱きかけていた私は、この体験によって、これからもこの作業をずっと続けて行こう、という思いを新たにしたのです。
 須賀田氏の交響詩「横浜」の譜面を手にしながら、指揮者の小松氏がポツンと言われたひとこと
「横浜の人々は、素晴らしい財産を手に入れましたね・・・」
また、須賀田氏のご遺族のお言葉
「演奏会場に須賀田の気というか、何か目に見えないものを感ずる事ができました・・・」
が、私は忘れられません。

 このページでは、そんな忘れられた作曲家たちを順次発掘し、御紹介してまいりたいと思います。日本の戦前の作曲家についての情報もお待ちしております。

 戦前の邦人作品に興味を持っておられる方のお問い合せも大歓迎です。
(メール (pasAma.medias.ne.jp /「A」をアットマークに変えて下さい。) でお寄せください。 

 なおこのページを掲載するにあたり、私のささやかな活動に対して、いろいろと助言・御指導くださいました財団法人・日本近代音楽館をはじめ、数多くの皆様に、心よりお礼申し上げます。 (楽譜作成工房「ひなあられ」 岡崎 隆)

 

                       
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