日本の作曲家たち/9  平尾貴四男

                            (1907〜 53)
                    (写真提供/音楽の世界社=以下同じ)  2019.4.8 改訂


 1939年の東宝映画に「ロッパの頬白先生」(阿部豊=演出/古川緑波=主演) という作品がある。
内田百聞の随筆を原作とした72分ほどのこの映画は、喜劇役者・古川緑波が清貧な大学教授を演じるペ−ソス溢れる佳篇なのだが、実はこの映画の真の魅力は、その音楽にあるのだ。タイトルロールで流れるフルートを基調とした旋律の、何と清しい事だろう!! そう、この映画の音楽を担当している人物こそ、平尾貴四男なのである。他にも、近代箏曲の伝説の巨匠・宮城道雄が名曲「みだれ」を演奏する場面など、まことに貴重な映像も含まれている。

 平尾貴四男は1907 (明治40) 年、東京・日本橋で化粧品業を営む家庭の四男として生まれた。裕福な家庭環境で育ち、幼い頃から慶應幼稚舎・普通部とエリート・コースを歩み、父の意向から大学では医科を選択したが、やがて独文科に移った。ピアノやソルフェージュ・作曲も学んでいた平尾は、作曲の師・大沼哲 (陸軍軍楽隊) らの影響もあり、徐々に音楽の道に進む決心を固めて行く。大学卒業後、大沼の夫人の関係から出会った、当時東京音楽学校でピアノを学んでいた戸沢妙子を配偶者に迎えることで、平尾は父からフランス留学の許しを得る。以後1931年から5年間にわたってヴェルサイユに居を構え、スコラ・カントルムとセザール・フランク音楽学校でリオンクールに作曲学、ベルトランに対位法、そしてクリューネルにフルートを学んだ。また指揮法の勉強にも励み、1936年帰国後はローゼンシュトックに師事した。パリ留学中に作曲した「古代旋法による緩徐調 (古代讃歌) 」を翌年の第1回新響邦人作品コンクールに提出し、深井史郎「パロディ的な4楽章」、紅文也「俗謡に基く交響的エチュード」、荻原利次「交響組曲・三つの世界」と共に見事入賞した。「古代旋法による緩徐調 (古代讃歌) 」は、冒頭から雅楽を連想させる4度和音を基調とした神秘的な弦楽器が美しく、そこに木管のメロディや和声にフランス印象派的手法が巧みに取り入れられ、古代日本の「荘厳の美」を醸し出す事に成功している。
 翌1938年の同第2回コンクールにも「楽劇・隅田川」が、須賀田礒太郎「交響的舞曲」、小船幸次郎「祭りの頃」、山田和男「若者のうたへる歌」、荻原利次「日本風舞曲」と共に2年連続して入賞し、最も注目される作曲家の一人として、一躍注目されるようになって行く。1938年、日本放送協会から「国民詩曲」の作曲を委嘱され、藤井清水が採譜した民謡をもとに「機織唄による変奏曲 (俚謡による変奏曲)」を作曲、放送初演の他、小船幸次郎の指揮によりイタリア・ヨーロッパでも演奏された。

 平尾は作曲と同時に学んでいたフルート演奏を通じて、当時起っていた日本楽器の改造運動にも関わった。
彼が尺八の改良楽器として考案された「オークラロ」のために作曲したのは、改造運動を積極的に押し進めていた宮城道雄との交流がきっかけであったと言われている。1938年、オークラロ四重奏曲「種蒔唄」を皮切りに、1940年の「フリュート組曲」、翌41年の「フルート・ソナチネ」に至るまで、平尾のこの新楽器への作曲は続いた。冒頭に記した映画「ロッパの頬白先生」は、まさにこの時期に産み出された訳である。

   フルートを演奏する平尾貴四男

 1942年、平尾は日本音楽文化協会第1回管弦楽作品発表会において大規模な作品を発表する。
それは「おんたまを故山に迎ふ」(バリトン、ソプラノ、管弦楽/三好達治・詩) という名のカンタータで、大東亜戦争開戦直後、次々と伝えられる大戦果に浮かれていた世相のなかで、戦いの死者に捧げる鎮魂歌を書いた事は柴田南雄が語っているように、平尾の真摯な性格が表れている、と言えよう。なおNHK交響楽団で永く首席フルート奏者を勤めた宮本明恭によれば、この「おんたまを故山に迎ふ」はたいそう充実した内容を持った傑作という事である。同年、平尾は管弦楽作品の代表作とも言える「砧」を作曲した。この「砧」も柴田南雄によれば、やはり日本的な悲哀と怨霊を主題としたものだというが、冒頭の低弦といい木管の動きといい、ドビュッシーの「海」を連想させる、紛れもなくフランス近代音楽手法を基調とした作品である。
 大戦中、音楽家組織の中堅として統制団体の役職を担っていた平尾に与えられた仕事は、主に放送用の小編成のための作曲であった。相次ぐ空襲の合間にも平尾はその作曲の手を休めなかった。 1945年7月、平尾のもとにも遂に召集令状が舞い込む。遺書をしたため、平尾が従軍した部隊が九州に移動して間もなく、終戦を迎えた。
「文化の最大の危機」と平尾自身が語っていた (1947/世界日報) 戦争が終り、1946年に発足した日本現代音楽協会に参加し、第一回定期演奏会 (東京音楽学校奏楽堂) で初演した「ヴァイオリン・ソナタ」が好評を得た。1947年には国立音楽大学教授に就任。1948年7月、平尾は安部幸明高田三郎、貴島清彦らと共に作曲グルーブ「地人会」を結成し、室内楽を中心に活発な作曲活動を展開した。
「地人会の結成に就いて」と題した平尾の文章から、彼の今後の作曲活動に向けた並々ならぬ思いを感ずる事ができる。 
少し引用してみよう。

 「二十世紀になってから、音楽は描写能力と表現手段の拡充において長足の進歩をとげた。多調主義、ポリ・リズム等の新たな手法が開拓せられた。しかし、これらは人の心の真実によって裏づけられていなければ、音楽的には無意味である。今世紀の音楽は果たして、前世紀の音楽に比べて心の真実によって貫かれ盛り上げられているであろうか。いいかえれば、音楽的論理性と抒情性において大いなる進歩の跡があったろうか。もし現代音楽の欠陥がこの抒情性と論理性の欠乏にありとすれば、われわれの不敵な願いは、この欠陥を充たすことにあるのである。それは心に自ずから咲き出ずる花としての音楽をその本質にかえす努力なのである。
 しかし、いかに立派な言葉をつらねても、結局創作運動は作品による勝負である。且つわれわれは、言葉による思考にも訓練さされてないし、文字による表現はいたって不得手である。それゆえこれらの言葉に拘泥しないでわれわれがこれから創り出す音楽によって批判されたいと思う。もろんこの運動を、火筒から打ち出されて、一瞬にして闇空を焼きこがし、また次の瞬間に忽然として跡もなく消え失せる花火としたいとは思わない。仄かに燃えつづける聖火のように、永く継続したいと思うので、最初から華々しい企てをもって世を瞠若 (?) たらしめなくとも、永い目をもって我々の運動の成り行きを見護っていただきたいと思う」



  地人会のメンバー  地人会 第3回ポスター
 左より貴島清彦、高田三郎平尾貴四男、安部幸明、島岡譲、小林福子。



 ところが最も脂が乗り切り、まさにこれからと言う40代半ば、平尾は病に侵されてしまう。
1953年1月、慶應病院に入院した平尾は、カルテから自身のただならぬ病状を知り、一言こう呟いたという。
 
 「何も悪いことをしていないのに、なぜ僕が? 」

 その後入退院を繰り返し、同年12月15日、遂に帰らぬ人となった。享年僅か46歳であった。

       (本文中では敬称を略させていただいておりますが、悪しからずご了承ください )

 平尾貴四男/管弦楽作品一覧表


      (自宅のピアノの前でくつろぐ平尾貴四男)



 私どもでは現在、関係各方面のご指導をいただきながら、平尾氏の管弦楽曲の研究及び浄書譜作成の準備を進めております。
まず1935年の「古代旋法による緩徐調 (古代讃歌) 」楽劇「隅田川」(共に新響邦人作品コンクール入選作)の、浄書譜作成を目指しています。
平尾貴四男氏の室内楽作品はこれまで、NHK交響楽団フルート奏者の宮本明恭氏や、平尾氏の四女・はるなさんらによってたびたび演奏されて来ましたが、その管弦楽曲は代表作「砧」をはじめとして、残念ながらあまり知られていないのが現状です。
 フランス音楽の手法と日本的なものの融合を、最も美しいかたちで産み出した平尾貴四男氏の管弦楽作品の現代における再演を目指し、私は作曲者の意図を少しでも伝え得る浄書演奏譜の作成に、積極的に取組ませていただきたいと願っております。
平尾氏の音楽に関心を持たれている方からの情報を、心よりお待ちしています。

                            (2013.2 岡崎 隆)


上記の文章を執筆するにあたり、下記の資料を参考にさせていただきました。

「現代日本の作曲家4/平尾貴四男」 (音楽の世界社 発行/ クリティーク80編・著)
「日本の作曲20世紀」〜平尾貴四男 (音楽の友社=刊/ 小宮多美江・著)
「日本の管弦楽作品表1912〜1992」(日本交響楽振興財団=刊/楢崎洋子 編・著)
レコード「日本の管弦楽作品1914-1942」解説 (「砧」収録=ビクター/VX-116〜8)
CD「芥川也寸志の世界4〜日本の交響作品展」解説 (「古代讃歌」収録=FONTEC/FOCD-3246)

写真等の資料の引用、情報の提供等をいただきました音楽の世界社・小宮多美江様、平尾はるな様、宮本明恭様に、心より御礼申し上げます。 (2007.5 岡崎隆)

」 平尾貴四男/コンサート情報


生誕100周年を記念し、下記の室内楽作品コンサートが開催されました。

「日本の心を西洋音楽技法を使って表現した作曲家」

 平尾貴四男生誕百年記念演奏会

(画像提供/インターミューズ・トーキョウ)

■ 日時 : 2007年7月22日(日) 14:00開演
■ 会場 : 東京文化会館 小ホール
■ チケット : 全席自由:\5,000
■ プログラム
 平尾貴四男:
1. ヴァイオリンとピアノのためのソナタ(1947)
2. 子守唄 (1945)
3. オーボエ・ソナタ(1951)
4. フルートとピアノのためのソナチネ (1941)
5. フルート三重奏曲 (1949)
6. 木管五重奏曲(1950)  
■ 出演 千々岩 英一 (ヴァイオリン/1,2)、平尾 はるな (ピアノ/1〜5)、辻 功 (オーボエ/3,6)、 野口 龍 (フルート/4)
      倉田 優 (フルート/6)、

■ 主催 平尾貴四男記念生涯教育センター
■ 問い合せ  (株)インターミューズ・トーキョウ TEL: 03-3475-6870
営業時間: 10:00〜18:00


( おことわり) このホームページに記載されている文章等を、無断でプリントアウトしたり、転載・引用しないでください。
お問合せはメールでお願いします。


「日本の作曲家」のページ
楽譜作成工房「ひなあられ」のページ


  パストラーレのホームページへもどる