日本の作曲家たち/8  安部幸明

                      (1911〜 2006)
 
              (写真提供/音楽の世界社=以下同じ) (2021.10.8 更新 )

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 作曲家・安部幸明


 安部幸明は1911年9月1日、広島県で軍人の家庭に生まれた。1917年東京・中野で小学校入学し、1924年東京府立第7中学校に入学。この頃からヴァイオリンに興味を持ち、音楽へ進む意志を固め始める。音楽学校への入学を熱望したが「ヴァイオリンではもう遅いからチェロをやれ」と薦められ、1年間の猛特訓を経て1929年、見事東京音楽学校 (現・東京藝術大学) チェロ科入学した。1931年、クラウス・プリングスハイム来日後は、級友である平井康三郎と共に和声のレッスンを受ける。

 作曲家への意志を固めた、若き日の安部幸明


 1933年本科を卒業後は研究科 (現在の大学院) 作曲部に進んだ。1935年、初の作品となる「弦楽四重奏曲第1番」を作曲・初演、同年日本現代作曲家連盟に入会する。
翌36年には「管弦楽のための主題と変奏曲」を作曲し、自ら初演の指揮をとった。また「管弦楽のための小組曲」を上海で初演する。1937年より4年間、指揮法をヨーゼフ・ローゼンシュトックに学んだ。この頃の級友に山田和男、金子登がいた。同年「弦楽四重奏曲第2番」を作曲・初演。1938年、当時の作曲家の一大登竜門であった「ワインガルトナー賞」にチェロ協奏曲が見事入賞し、一躍脚光を浴びる。しかしその初演には4年の月日を待たねばならなかった。この年、松尾みどりと結婚。
 1939年、当時の作曲家仲間の曲を中心に演奏する楽団「プロメテ」を尾崎宗吉らと結成、2回の演奏会に作品を発表する。1940年、紀元2600年奉祝記念演奏会のオーケストラにチェロ奏者として井上頼豊らと参加。これを最後に演奏活動を止めてしまう。
 1942年、チェロ協奏曲がようやく初演され、翌1943年には「弦楽四重奏曲第4番」作曲・初演。1944年召集を受け、海軍水兵として終戦まで応召する。1945年蒲田にて終戦を迎えた。

 戦後は劇場の作・編曲係を振り出しに放送のための劇伴・ラジオ歌謡から東京放送管弦楽団のクラシック放送のための指揮などを行なった。1947年、「ピアノと管弦楽のためのパストラール」、「弦楽四重奏曲第5番」を作曲・初演。1948年から6年間、宮内庁楽部洋楽指揮者を努めた。1949年、高田三郎平尾貴四男、貴島清彦らと共に作曲家グループ「地人会」を結成、1955年の第5回まで毎年作品を発表した。1950年、「弦楽四重奏曲第7番」を作曲・初演し、1953年には広島エリザベト音楽短期大学教授に就任、翌1954年秋、京都市立音楽短期大学に転じ、以後1977年まで努めた。

        地人会のメンバー
  左より貴島清彦、高田三郎平尾貴四男、安部幸明、島岡譲、小林福子。



1957年、管弦楽の代表作「交響曲第1番」を東京交響楽団定期演奏会で初演、毎日音楽賞・文部省芸術選奨を受ける。1960年には「交響曲第2番」を東京交響楽団で放送初演し、芸術祭奨励賞を受けた。同曲は翌年東京交響楽団定期演奏会で舞台初演される。また同年には1951年に作曲した「アルトサキソフォーンとピアノのための嬉遊曲」の管弦楽伴奏版を作曲、阪口新の独奏によってNHK国際放送で放送初演された。阪口はこの作品について「すべてのサキソフォーン奏者が取組むべき名曲」と絶賛し、以後同楽器奏者の貴重なレパートリーになっている。

 1965年、日本フィル委嘱で、これも代表作のひとつとなる「シンフォニエッタ」初演。2年後、レニングラード交響楽団によって再演された。1969年、京都市立音楽短期大学が4年制の芸術大学に移行すると共に、初代音楽学部長に就任。1977年に同大学を定年退職した後も、広島文化女子短期大学音楽科に5年間努め、その勤務の多忙さからか、1980年までの11年間は安部幸明の作曲の空白期となる。1981年、「弦楽四重奏曲第10番」を前作から実に25年ぶりに作曲。以後1992年の「弦楽四重奏曲第15番」に至るまで、弦楽四重奏は安部幸明の生涯を通じてのライフ・ワークとなった。


 安部幸明の作風を一言で言い表わすのは難しい。だが、その作品からまず感じられるのは「不必要な虚飾を排した、一本芯の通った構成感」である。
それまでの戦前の日本の作曲家によく見られた「構成力の欠如」という弱点がクリアされ、どれも良い意味での「シンプルさ、分かりやすさ」を持っている。
 安部幸明の作品には、戦後我が国作曲界の潮流の一つであったプロコフィエフ、ショスタコーヴィチらロシアの作曲家を範とした「新古典主義」的な香りも、確かに見られる。しかし彼の作風は、例えば林光の第1交響曲のような徹底したロシア的なものの模倣や、芥川也寸志のインテリジェントな調味料をまぶした簡潔さ、そして職人芸の極致とも言える外山雄三らのどれとも明らかに異なる。安部は新古典主義の技法に共感は示したが、そのプロパガンダ的な要素は徹底して嫌った。何よりも安部の作品には、自らがチェロ奏者として他の楽器と合奏する際の「喜び」の体験を作品の中に少しでも表出したい、という願望のようなものが感じられ、それがクラウス・プリングスハイムから徹底的に叩き込まれた和声学を下地として、見事に芸術作品として昇華している。一例を挙げよう。「交響曲第1番」に見られる、見事なまでの「簡潔の美」、そして「躍動感」!! 。

「プロメテ」時代の盟友・尾崎宗吉。若くして出征先・中国で客死した。


 一方安部は若い頃から、一般大衆の大部分が純音楽たるクラシックよりも、通俗的な流行歌の方を好んで歌い、涙を流すのはなぜだろうかという点について、盟友尾崎宗吉らと議論を重ねていた。安部は東京音楽学校で同期だった増永丈夫 (藤山一郎)の「酒は涙か溜息か」などの流行歌を歌う仲間の表情から、流行歌には人の心を揺り動かす「旋律の魅力」があるのでは、と感じ取っていたのだ。前記の「アルトサキソフォーンとピアノのための嬉遊曲」は、このような安部の確信から生まれた。自分には流行歌は書けないが、「お前の書いた曲、なかなか面白いな」と言われる事が何よりも喜びだったという安部の作品の中でも、この作品は最も簡潔で親しみやすい内容を持っている。例えば第2楽章冒頭で、サキソホンが奏でる旋律を聞いてみるがいい。何と心暖まるのどかな旋律だろう !! 一度耳にしたらもう忘れる事が出来ない、心からの「うた」がここにある。作曲者自身はこの箇所について「単なる鼻歌と思ってもらえば良い」などと、持ち前のユーモラスな物言いで半ば謙遜気味に述べているが、決して決して、そんな軽いものではない。
私たちはそこに尋常では無い、氏の鋭い才覚を感じるのである。

 前記のように安部幸明は、音楽の世界に政治的・思想的な要素を盛り込む事を何よりも嫌っていた。戦時中、母校・東京音楽学校作曲科主任教授だった橋本國彦をはじめ、多くの有能な作曲家たちが時局に迎合した作品を書く中、安部にはそのような類いの作品は見られない。だが広島生まれの安部にとって、原爆の惨禍に見舞われた故郷の事がずっと頭の中にあった。戦後創設された広島エリザベト音楽短期大学の教授に真先に就任した事についても安部は「故郷・広島のために何かをしなければ、という思いがあったから」だと、その自伝で述べている。
 のちに転じた京都芸大時代の60年代後半に巻き起こった学園紛争に際しても、音楽学部長の要職にあったがために、安部は様々な困難を体験した。「上の者ほど悪い、という風潮のためか、私の曲が演奏されても芸大生はまったく聴きに来ず、腹が立ちました。しかし今となっては懐かしい思い出です」と、氏は私への手紙に書いている。「音楽以外の雑事に煩わされる事なく、常に純粋なこころで私の作品を聴いてほしい」作曲家からの手紙は、まるでそう訴えているかのようであった。

 ところで最近、全15曲の弦楽四重奏曲や、名サキソフォン奏者・阪口新の教えを受けた冨岡和男の独奏による「アルトサキソフォーンとピアノのための嬉遊曲」のCDが発売され、また2004年1月には東京芸術劇場で「交響曲第1番」が上演されるなど、このところ安部幸明に対する再評価の動きが加速しているのは、まことに嬉しい限りだ。 

「安部幸明/室内楽作品集」CD (櫟音/LEKINE 発行)
収録曲=弦楽四重奏曲第8番 (1952)、アルトサキソフォーンとピアノのための嬉遊曲 (1951)、弦楽四重奏曲第14番 (1990)
 演奏=カルテット・カノーロ、冨岡和男 (A. Sax)、冨岡英子 (P.)



 その決定打となりそうなのが2007年3月、NAXOS「日本作曲家撰輯」シリーズからリリースされた「安部幸明管弦楽作品集」CDだ。
 
    (画像提供/アイヴィ)

交響曲 第1番 (1957)
シンフォニエッタ (1964)
アルト・サクソフォーンと管弦楽のためのディヴェルティメント (1951/1960)

(演奏/ドミトリ・ヤブロンスキー 指揮、ロシア・フィルハーモニー管弦楽団, アレクセイ・ヴォルコフ= Alt.sax )
 
 私はこのレコーディング・プランをNAXOS関係者から直接聞き、さっそく安部先生に連絡した。
「そうですか! ロシアのオケなら、ブラスの方も大丈夫でしょうな」・・・電話口の向こうから、弾んだ先生の声が帰って来た。どうやら安部先生はこれまで日本のオーケストラによるご自身の作品演奏では、ブラス・セクションのパワーに、若干の不満を持っていたようだ。そして2006年、ようやくCD音源が安部先生の許に届いた。それを聴いた安部先生は、こう漏らしておられたという。

「このCDを果たして、何人の人が聴いてくれるのかなあ・・・・」

 正規リリースを目前にした2006年12月28日、安部先生は95才の天寿を全うされ、静かに逝かれた。
2007年、待望のCDが店鋪に並んだ。私はただちに買い求め、包装のビニールシートを破る間も惜しいほど期待を持って聴いた。
交響曲第1番とシンフォニエッタは、ロシアのオーケストラならではの構成力溢れる、まずまずの演奏だった。ただ・・・安部芸術の中で、最も親しみやすく旋律的な魅力を持った「ディヴェルティメント」が冴えない。独奏のサキソフォンの音色・歌い回しが、予想通り日本の感性とは異質で、安部幸明がこの作品に込めたノスタルジックな魅力や哀愁が伝わって来ないのだ。ロシア・フィルもいつもより弦楽部がやや弱く、何よりオケの曲に対する共感が希薄に感じられる。(無理もないか・・・)
若き日に初演者の阪口新の夢見るように美しいソロを聴いてしまった筆者としては、是非近い将来に日本人奏者の手で、この名作だけは是非再録音を願いたい、というのが正直なところだ。しかしながら、これまで全くと言っていいほど忘れられていたこの作品を再び世に紹介したこのCDの意義が大きい事は、改めて言うまでもない。

 どうか一人でも多くの方々に、このCDを聴いていただきたいと心から願う。 それが天国の安部先生の、心からの願いなのだから。
(岡崎 隆)


 安部幸明/作曲者による自伝 (音楽の世界社・刊)
飾らないユーモラスな筆致で、読み物としても十二分に楽しめる一篇だ。

(安部幸明/自伝より)

★「ひところ12音技法というのが流行った。だがこの十二平均律は、その背後に純正調を抱いているから存在意義を抱いているのを銘記すべきで、その十二平均律そのものを基にするのは根無し草みたいなものだと思っている」
★「当時(戦時中)どこの学校でも、プロレタリアートがどうの、ブルジョアジーがどうのと論ずる者たち、それをアジるような先生もいた。音校も同様であった。でも今考えれば、要するに、生半可なエーカッコーにすぎなかっただろう。音楽を勉強できる自分自身がブルジョアジーの分野に属すると、兵役に服した時に痛切に感じた」



                  

 安部幸明の2作品、10月に広島で上演


 2013年10月24日 (木) アステールプラザ大ホール (広島) 18:45 開演

 安部幸明  アルトサキソフォーンと管弦楽のための嬉遊曲 (1951/60)
 安部幸明  交響曲第1番 (1957)

  (その他の演奏曲)
 芥川也寸志 弦楽のための三楽章
 大栗 裕  ヴァイオリン協奏曲


  指揮 秋山和慶  管弦楽 広島交響楽団  アルト・サキソフォン 須川展也  ヴァイオリン 高木和弘

 主催 広島交響楽団 082-532-3080


 安部幸明 チェロ協奏曲 ニ短調 作品4 (1938)


  名古屋で71年ぶりに再演 !! (詳しくはこちら )

  広島交響楽団特別演奏会で安部幸明「シンフォニエッタ」再演

 広島交響楽団創立50周年企画「故日本人作曲家のオーケストラ作品簿」演奏会のメインで、安部幸明「シンフォニエッタ」が久々に再演された。
安部幸明は広島出身で広島交響楽団の常任指揮者をつとめた事もある。

 演奏会の詳細は以下の通り。
  
 近衛 秀麿/越天楽 (1931)
 小山 清茂/管弦楽のための「木挽歌」(1957)
 芥川也寸志/交響管弦楽のための音楽 (1947)
 安部幸明/シンフォニエッタ (1964)


 指揮/山下 一史  オーケストラ/広島交響楽団
 2012年6月14日 (木) 18:45 〜  広島市・アステールプラザ大ホール
 主催/公益社団法人 広島交響楽協会、中国新聞社


安部幸明 「シンフォニエッタ」/雑感
 

安部幸明の代表作=「アルトサキソフォーンと管弦楽のための嬉遊曲」

追悼/安部幸明先生 (2006)



上記の文章を執筆するにあたり、下記の資料を参考にさせていただきました。

「現代日本の作曲家5/安部幸明」 (音楽の世界社 発行/小宮多美江・著)
「日本の作曲20世紀」(音楽の友社=刊/小宮多美江・著)
「くぬぎの音」(2004.10/櫟音くぬぎの会発行/発行人=田口富子)
「安部幸明/室内楽作品集」CD解説(櫟音/LEKINE 発行/田口富子・著)

写真等の資料の引用を快諾くださいました音楽の世界社・小宮多美江様、櫟音くぬぎの会の田口富子様に、心より御礼申し上げます。 (2005.10 岡崎隆)


安部幸明/管弦楽曲一覧

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