日本の作曲家たち/11  小山 清茂

                        (1914〜2009)  写真提供/小山淑子 様
                                             (2021.10.8 改訂)

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  作曲家・小山清茂

 
1914 (大正3)年、長野県更級郡信里村(現・長野市)字村山 に生まれる。
長野師範学校での音楽の授業における師のピアノを聴き、長野・東京で教職に就いた後も音楽の研鑽を重ね、1945年、「管弦楽のための信濃囃子」が第14 回音楽コンクール作曲部門において第1位に入賞、その後代表作となる「管弦楽のための木挽歌」(1957)など数々の作品を発表、戦後を代表する作曲家としての地位を築き上げた。2009年、95歳で他界。
小山の作品からは故郷長野の自然、素朴で温和な人情味が感じられ、日本古来の伝統音楽や民謡を用い西洋音楽として構築する手法は、独自の魅力を産み出している。

小山清茂/管弦楽曲一覧


           

       (1950 (昭和25) 年に結成された作曲家集団「白涛 (はくとう) 会」メンバーとともに
       写真後列左より小山清茂, 渡辺茂, 平井康三郎, 前列左より山本直忠, 金井喜久子, 石井五郎) 


ピアノと管弦楽のための「うぶすな」(1985)、5月に長野で再演

小山作品の上演に積極的に取り組んでおられるオーケストラ・ソノーレ長野が第35回定期演奏会 (2018年5月27日、長野市芸術館メインホール)で、ピアノと管弦楽のための「うぶすな」を取り上げられます。 (詳しくは同オーケストラのHPをご覧ください)
「うぶすな」は1985 (昭和60)年2月7日に作曲完成し、同4月7日に芥川也寸志指揮する新交響楽団により東京文化会館で初演されました。
小山氏独特の民俗的でダイナミックな迫力あふれる作品です。
なおこのコンサートでは、私ども楽譜作成工房「ひなあられ」が作成した浄書譜が使用されます。



 小山清茂の代表作/管弦楽のための「木挽歌」(1957)


 2012年6月14日、広島・平和公園にほど近いアステールプラザ大ホールにおいて、小山清茂の代表作「管弦楽のための木挽歌 (こびきうた) 」が、山下一史/広島交響楽団によって上演された。この演奏会は筆者も聴かせていただき、マエストロ、小山令夫人と共に拙いレクチャーまでつとめさせていただいたのだが、この「木挽歌」が日本のすべての管弦楽曲を代表する名作であることを、あらためて実感した。

 何という分かりやすさ、親しみやすさであろう!!


日本民謡を管弦楽に取り入れた作曲家は、確かにそれまでにも数多くいた。
しかし、小山のこの「木挽歌」ほど、洒落っ気がありながら決して「下品」に堕さず、民衆の心からの喜びを表現し尽した作品を、私は他に知らない。

 曲はまず弦楽器のスル・ポンティチェロ (弓を駒の近くで弾く奏法)で始まる。
意表をついた響き、これは山奥深くで働く木こりの、ノコギリの音を巧みに表している。平均律12音すべての音を用いて奏されるその音から、何と多くのイマジネーションを掻き立てられる事だろう。木こりは静かに民謡風の主題を歌い出す。このチェロの用い方が、また絶品だ。絶対音感を持たなかった小山は、民謡を録音したテープを、回転数が自由に変えられるテープレコーダで再生し、ピアノでひとつひとつの音を確かめながら楽譜に記して行ったという。
何と地道な作業だろうか。
この箇所を聴いて、「日本人で良かった」としみじみ思うのは、決して筆者だけではあるまい。

 木こりの民謡はやがて村に伝わり、華やかな盆踊りで次々に歌い手を替えながら歌われる。
冒頭のいかにも日本の夏祭りを想像させる太鼓の響きは、小山が故郷で幼少期を過ごした家のすぐ隣の神社から毎日のように聞こえていた神楽太鼓から来ているということだ。ピッコロ ( 粋な若衆を連想させる) によるお囃子を受け、オーボエが木こりの歌の変形をメゾ・フォルテで歌い出す。その歌は弦楽器のあいの手につづき一座全員で歌われる。続く歌い手はアルト・サックスだ。彼はオーボエより、世の中の酸いも甘いも体験したかのような歌いまわしだ。
続いてフルートとクラリネットによる二重唱に「ハラ ドッコラ ヨッコラ ドッコイショ」みたいな「あいの手」が入る。この部分の不協和音を巧みに織りまぜたオーケストレーションには、思わず笑ってしまいそうになる。 続いて・・・・ああっ! やめとけばいいのに、酔っ払いの中年オヤジ・トロンボーンが「俺にも歌わせろっ」という感じで登場。盆踊りはついにクライマックスを迎える。

 木挽歌はやがて都会にも伝わり、街角では出前持ちが自転車をこぎながら歌っている。ハープ、チェレスタ、弦楽器のせかせかした5拍子は都会の喧噪だろうか?
そして木挽歌を奏でる楽器が次々に増えて行き、ついには町全体が木こりの歌で覆われる。このユニゾンもまことに効果的・感動的である。
曲はフォルティッシシモで壮大なエンディングかっ? と思いきや、チェロとバスによるハーモニックスに乗り、バス・クラリネットが静かに最初の「うた」を奏でるのだ。この部分、私には「老いた木こりが自らの人生を振り返っている情景」のように聞こえてならない。

 「わしが山奥で歌っていた「うた」が、村のみんなや、ついには町の衆までにも歌ってもらえるようになった
  ・・・ああ、いい人生だったなあ」

そんなふうに述懐しているのでは、と勝手に思い込み、私は一人涙していた。
ところが小山令夫人の淑子さんに訊ねたところ、「別にそんな意味は特にない」のだそうだ (!) 
しかしながら、いろいろな情景が浮かび、様々な感情が沸き上って来る曲こそ本当の名曲なのではないか、と私は思う。

     J- Classic Libraries  ポスター

画像提供/広島交響楽団 (クリックで拡大します)

 「(ゲネプロ・本番と) 2回も「木挽歌」が聴けて、本当に嬉しかったです」
 遠路東京から駆け付けられた小山淑子さんの笑顔が、今も忘れられない。
 淑子さんはオーケストラの演奏のあいだ、清茂氏の写真をずっと舞台の方に向けておられた。

 この「木挽歌」は、少し前まで高田三郎「山形民謡によるバラード」と共に、音楽鑑賞教材になっていた。そのように決定した当時の文部省の担当者の見識に、心から敬意を表したい気持ちだ。
広島での演奏会の際、小山淑子さんから面白いエピソードを伺った。
「木挽歌」が鑑賞教材となった頃小山氏のお孫さんが、音楽室の壁に、ペートーヴェンやモーツァルトなどポートレートのすぐ隣に、おじいちゃん (小山清茂氏!) の写真が貼られているのを見つけたのだ。
子どもたちが騒ぎ出した。
「あれーっ、このおっちゃん、見た事あるでー」
「さっき、道路で自転車こいではった人やっ!」
お孫さんは恥ずかしさで、顔を真っ赤にしたという。

 現在、この「木挽歌」を子供たちが 聴く機会は、限りなく少なくなってしまっている。
 (聴いたらさぞ喜ぶと思うのに・・・・)
この素晴らしい「木挽歌」を、私たち大人は子や孫世代に広く伝えて行くべきだ、と心から思う。

 余談になるが、実は私自身も名古屋フィル時代に、一度だけこの「木挽歌」を演奏したことがある。
(1982年6月23日/名古屋フィルハーモニー交響楽団第87回定期演奏会 指揮/外山雄三) 
外山氏が音楽監督に就任されたばかりの頃で、日本の作品の上演機会を増やして行こうという思いがあったればこそのプロだったのではと今になり思う。
今回久しぶりにこの「木挽歌」を聴き、30年前に名フィルで演奏した際、盆踊りの主題を楽しそうに吹いていた当時のメムバーの顔を思い出して、チョッピリだが胸を熱くした。
                  ( 一部敬称略  2012.6.16  岡崎 隆 )


 管弦楽のための「もぐら追い」(1984) 浄書譜完成 !!



 楽譜作成工房「ひなあられ」では小山氏ゆかりの長野のアマチュアオーケストラからのご依頼を受け、1984年に作曲された管弦楽のための「もぐら追い」 の浄書譜を完成致しました。(編成/ 2-2-2-2, 4-2-3-0, ツケ板, Cow-bell, Glocken, Pencil-case, G. C. Str. )
 3分ほどの小品ですが、ユーモラスで素朴な曲調はたいそう魅力的で、「私の死後はお経をあげるより、私の作品を演奏してくれ」と語っておられたという小山氏の笑顔が浮かぶような佳曲です。
 作成を依頼して下さったオーケストラのご了承をいただき、このたび拙HPで取り上げさせていただきました。
この「もぐら追い」についてのお問合せはメールでお願いします。

 このページは今後さらに加筆の予定です。


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