安部幸明 若き日の傑作 チェロ協奏曲ニ短調  作品4 (1938)



   紀元2600年奉祝記念演奏会オーケストラ/チェロの右から3番目が安部幸明


 安部幸明が27才の時に作曲し、ワンイガルトナー賞1等賞を受賞した注目作・チェロ協奏曲ニ短調についてご紹介します。 (2012.10)

 東京音楽学校研究科 (現在の大学院) 作曲部でクラウス・プリングスハイムから機能和声を徹底的に叩き込まれた安部幸明は、彼自身の言葉を借りれば「西洋音楽の和声システムが、霧が晴れたように理解出来るように」なっていた。

 1937年、研究科を卒業した安部は、わが国ドイツ・ロマン派風の代表的作曲家・諸井三郎が「チェロ協奏曲」を作曲したことを知る。この協奏曲はドイツで当地のソリスト、オーケストラにより初演された。諸井の快挙は、安部を大いに刺激したことだろう。
「音校でチェロを専攻している自分ならば、諸井とはまた違った作品が書けるはず」とおそらく確信したに違いない。安部はさっそく自らも「チェロ協奏曲」の作曲を開始した。意識したかどうかは不明だが、調は諸井と同じ「ニ短調」であった。ただ、この「ニ (D)」音は、弦楽器が最も鳴らしやすい音ということで、安部自身ひときわこだわりを持っていた音でもあった。
 こうして翌1938 (昭和13) 年、安部の「チェロ協奏曲」は完成、同年のワンイガルトナー賞1等賞を受賞した。そして新響団員のソリスト、作曲者自身の指揮で放送されることとなったが、放送局側が「独奏者に特別手当ては出さない」と言い出したため、初演が流れてしまう。この体験は安部に「自分には貧乏神が付いている。何か実現しようとしても、いつも邪魔が入るのだ」というトラウマを、終生もたらすことになった。
 4年後の1942 (昭和17) 年3月31日、日本音楽文化協会主催の演奏会で「チェロ協奏曲」はようやく初演の日を迎える。(チェロ独奏/小澤弘、山本直忠/新交響楽団=現・N響) 時すでに大平洋戦争突入直後。日本は戦争一色になっており、文化協会自体も戦争遂行に協力する団体として2年前に設立されたものであった。 安部自身「戦争とは全く関係のないこの協奏曲が、よくこの時期に初演出来たものだ」と自伝で語っている。なおこの協奏曲が受賞した「ワインガルトナー賞」は、戦前来日したドイツの名指揮者・フェリックス・ワインガルトナー (1863〜1942) の名を冠したもので、日本作曲界の振興を願い1937 (昭和12) 年に設立された。同様なものにA.チェレプニン賞 (1936) がある。なおワインガルトナーは離日の際、日本の芸術家たちに次のようなメッセージを残した。

「常に日本なるものに留まり、日本なるもののみを作れ」・・・

安部はこのメッセージに強く反発した。


「べつに日本人が西洋流儀で、西洋風に作曲したっていいじゃないか」

という訳である。たしかに安部の作品全般を見渡しても、特に1950〜60年代の管弦楽曲などには、日本的な曲調は皆無ではないが、著しく少ない。しかしこの「チェロ協奏曲」には、日本的な音階・メロディーが頻繁に見られる。受賞を狙ってこのような構成にしたのでは、という穿った見方も出来ようが、第3楽章の「越後獅子」を連想させる曲調・リズムなど実に楽しく、この作品の魅力を大いに高めている。またチェロ独奏部は、華やかな技巧を開示するというよりは常にオーケストラと対話し、寄り添い、共に感興を高めてゆくという趣きになっている。安部がのちに15曲の弦楽四重奏の作曲などを通じて終生追い求めた「合奏の楽しさ」の萌芽が27歳のこのコンチェルトに既に伺える事が、まことに興味深い。なお3楽章とも独奏チェロのソロ (カデンツァ) から始まる構成になっており、この楽器のしみじみとした音色を味わう事ができる。

 (第1楽章) アンダンテ・モデラート〜アレグロ ニ短調。
 序奏を伴うソナタ形式。ホルンとファゴットによる4小節の哀愁を帯びたコラールの後、独奏チェロがモノローグ風のカデンツァを奏で始める。コラールの9小節間の変形を経て、16小節よりアレグロの印象的な第1主題がオーケストラに現れる。この主題はチェロにより繰り返され、リズムや楽器の組合わせで様々に展開して行く。46小節 (練習番号3) でイ短調に転じた第1主題がフル・オーケストラでクライマックスを迎えると、54小節のアウフタクトからホ長調に転ずるが、すぐに基調であるニ短調に戻り、76小節 (練習番号5) でチェロとオーボエに優美な第2主題 (ヘ長調) が現れる。しかしこれも僅か11小節で打ち切られ、第1主題の断片が不安な気分を宿しつつ現れる。これに抗するようにチェロが第2主題の断片を積み重ねると、オーケストラも次第に呼応し、ついには様々な楽器が高らかに第2主題を奏する。それに対し、チェロはクロマティクな動きで答えて行く。140小節(練習番号10) で第1主題の断片がニ長調で現れ、やがて第2主題も絡んで様々な展開を続けた後ニ短調に転じ (173小節)、チェロが第1主題をしみじみと振返り、187小節 (練習番号15) に至り第1主題がイ短調で高らかに、続いて209小節から第2主題が優しく綿々と再現される。哀愁を帯びた序奏のコラールが再び現れ (254小節)、第1主題のフレーズを基調としたピュウ・アレグロの、僅か8小節のコーダで曲を閉じる。このアッサリとした潔さは、安部音楽に共通する特色と言える。

 (第2楽章) インテルメッツォ (間奏曲) ニ短調。
 序奏とa-b-aの主部からなる間奏曲である。オーケストラの8分音符の強奏に続き、独奏チェロが日本民謡風の主題を朗々と奏する。11小節からイ長調に転ずるのだが、チェロが奏する第1主題の何と伸びやかで健康的な事だろう。内省的な情感の暴露を嫌い、生涯、高雅な緩叙楽章の創作を目指した安部の原点がここにある。41小節からこの主題が3連符で変奏曲風に展開した後、59小節からイ短調に転じ、ホルンにワルツの第2主題が現れる。日本音楽に存在しない「3拍子」に、巧みに日本音階的な音の動きを織りまぜながら展開するこの部分は、不思議な魅力を持っている。117小節に至り第1主題が再現し、楽器を代えながら繰り返されるのだが、主題に絡まるチェロの伸びやかで幸せな情感が素晴らしい。

 (第3楽章) リゾルート〜アレグロ ニ短調。
 5小節の短い序奏を伴うソナタ形式。冒頭はまたもや独奏チェロのモノローグで、ティンパニのトレモロを伴う民衆の「木挽歌」を連想させる主題である。6小節目からフルートに現れるアレグロのフレーズ (B♭, D, B♭, A) からは、誰もが「日本」を連想させられることだろう。祭りの場が次第に盛り上がり、民衆のざわめきを思わせるフルオーケストラのシンコペーションに続いて、いよいよ主役のチェロが登場する (17小節目) 。 16分音符を基調とした快活な第1主題で、一度耳にしたら忘れられない魅力を持っている。「越後獅子」のような曲芸を表しているのだろうか。時折発せられる木管による「合の手」も粋の極みだ。主題は手をかえ品をかえて進み、56小節では第1楽章の主題が一瞬顔を見せたりもする。安部一流のユーモアである。85小節 (練習番号4) でイ長調の第2主題が断片的に現れるが、すぐ消え去り、従来の繰り返しが続くのか? と思わせたのも束の間、109小節にクラリネットが第2主題の全容を堂々と奏し、チェロに引き継がれる。しかしこの部分は僅か19小節で打ち切られ、129小節 (練習番号7) からはイ短調に転じ、チェロは再び第1主題を奏する。169小節でニ短調に戻ると、チェロに第1楽章の第2主題が現れ2本のオーボエにより繰り返される。チェロが曲冒頭のモノローグを懐かしく振返る(189小節) と、これに呼応するかのように管楽器群が曲冒頭のコラールをしみじみと奏でる。ティンパニーのトレモロを伴う木管群のクレッシェンドに導かれ、チェロを先頭にアレグロの再現部になだれ込む(204小節)。 曲全体の統一感を熟慮した、見事な構成である。236小節に至りオーケストラ全員が交互にクロマティクな動きに参加し、曲はコーダへと一直線に突き進んで行く。終結部の潔さも、安部ならではのもの。

 このチェロ協奏曲の自筆フルスコアは現在、明治学院大学図書館内の日本近代音楽館に保管されている。1942年の初演以後は全く演奏されていないようだが、このほど演奏用浄書スコア・パート譜が楽譜作成工房「ひなあられ」により完成し、2013年6月29日、初演以来実に71年ぶりに再演された。ソリストの石川祐支さん、齋藤一郎さん指揮するセントラル愛知交響楽団双方とも作品への敬愛の念が伝わる素晴らしい演奏で、会場いっぱいの聴衆を沸せた。 なお演奏会の詳細は次のとおり。

セントラル愛知交響楽団特別演奏会 
〜高田三郎 生誕百年記念 高田三郎とゆかりの作曲家たち〜

 2013年6月29日 (土) 三井住友海上しらかわホール (名古屋・伏見) 

 信時 潔 「絃楽四部合奏」 (1920/ 弦楽合奏版・初演)
 高田三郎 2つの狂詩曲「木曽節」「追分」 (1945/6)
 新実徳英 森は踊る (2003)

 安部幸明   チェロ協奏曲 ニ短調 作品4 (1938)

 指揮 齋藤一郎  管弦楽/セントラル愛知交響楽団  チェロ 石川祐支 (札幌交響楽団・首席奏者)




                                  (2013.7.3 岡崎隆)