信時潔の問題作 「絃楽四部合奏」 (1920)



 2013年初頭、私のもとに一冊の楽譜と音源が届いた。
「海ゆかば」で著名な作曲家・信時潔がベルリンに留学していた1920 (大正9) 年頃作曲した「絃楽四部合奏」という作品だ。
この譜面を見ながら録音を聴いた時、私の信時潔という作曲家に対する先入観は、見事なまでに打ち砕かれてしまった。
そこにあったのは「質実剛健なる大和男子」という従来の信時像とは懸け離れた、20世紀初頭の西洋音楽爛熟期エッセンスに満ちた問題作だったからである。
 
 2013年1月27日、この「絃楽四部合奏」は東京・西荻窪TORIA Gallery トリアギャラリーで開催された「WINDS CAFE 193 in 西荻窪
〜日本の弦楽四重奏を聴く! (企画/西耕一)」というコンサートで上演された。(演奏/オーケストラ・トリプティーク・カルテット) 私が聴いたのはこの時の音源である。 以下に私の全く勝手な試聴記を記させていただくことをお許し願いたい。

 曲の冒頭はアレグレット・モデラート。手折らば折れん・・・という感じの第一ヴァイオリンにより、いきなり溺々としたト短調のロマンティック極まりないメロデーが始まる。後期ロマン派そのもの、といった曲調だ。その主題が13小節目にセロに受け継がれ、21小節からはブルックナー「第8」終楽章みたいな音型が現れる。32小節でまず最初のクライマックスだ。それが落ち着くと、ドヴォルザーク「アメリカ」を連想させるセロの上昇音型ピチカートに乗リ、2つのヴァイオリンが「ラルゲット・カンタービレ」の第2主題を奏する。このメロデーも、得も言われぬ美しさだ。16部音符でそよぐ主題の変型も魅力的。主題の断片を各楽器が受け渡しあいつつ、対位法的な合の手も堂に入っており、聴き手を飽きさせない。
 やがて主題が短調に移行すると、73小節で2回目のクライマックスを迎える。このあたりの雰囲気・・・どこかで聴いたような気がする。
・・・ああ、シェーンベルクの「浄夜」じゃないか!!  
83小節からやや冗長な経過部を経て、セロのキザミに乗り第2ヴァイオリンに突如、長調の快活な主題が現れる。
実はこの主題、最初のテーマの変形なのだ。しかし、この快活さは古典派への回帰か、あるいはひょっとしたらバルト−ク風民俗的なものへの憧憬なのか? 
曲は小節ごとに長調と短調が目まぐるしく入れ替わり、111小節からはセロが本当に気持ちよさそうに第2主題を朗々と奏する。その裏では第一、第二ヴァイオリンの16分音符による至難な音程の跳躍バトルが・・・・このフレージング (スラーの付け方) では、さぞかし演奏しにくかったことだろう。ヴィオラは終始セロと同じリズムで3度上か下を、のどかに付き合っている、というのに。
 119小節に至り第2ヴァイオリンは16分音符から解放され、美しいメロデーを担当する。すると「メロデーは私の領分でしょ! 」とばかりに、第1ヴァイオリンが旋律の流れを奪い取る。次第に盛り上がる経過部、と言いたいところだが、ややゴチャゴチャしすぎて焦点がボケ気味と取れなくもない。そこで信時はユニゾンと見せかけつつ、ちゃんとスパイスとなる音を込めたリズムを全員で奏させ (133小節)、続く再現部への布石を打っている。143小節、ヴィオラに第2主題が現れると、すかさずセロが第1主題で応じ、2つの主題は静かに新たな再生を目指しはじめる。153小節にふたたび現れる冒頭主題の、何と懐かしく響く事だろう! ・・・だが、その主題はいくつかの変遷を遂げている。そう、少女はいつしか美しい乙女へと成長していたのだ。165小節、ヴィオラから始まる第1主題のフガートも巧みに書かれている。173小節は、またもやブルックナーだ。でもブルックナーに飽き足りない乙女はふたたび「浄夜」の世界を目指そうとする (184小節) 。しかし、続いて現れるのは清らかな「アメリカ」だ (188小節) 。主題のあと、16分音符で千々に乱れる第2ヴァイオリンとヴィオラをセロと第1ヴァイオリンが温かく包み込む (196小節) 。しかし・・・乙女が望んでいたのは、やはり「浄夜」への道だったのだ。204小節で最後のシェ−ンベルク的世界が披瀝される。長いフェルマータのあと、208小節/ラングサムで第1ヴァイオリンがニ短調で第1主題を回想し、それを他の楽器たちが優しく包み込みながら、曲はト短調のシンプルな和音のフェルマータで静かに終る。

 曲全体の構成がしっかりしており、2つの主題も魅力的でその提示、展開や対比も見事。それが初期のシェーンベルクを想起させる斬新な作曲法により、曲全体が非常に凝縮されたものとなっている印象を受けた。 このような明解な手法は、実はそれ以後の日本人作曲家が最も不得手としているもので、その点ではまさに「日本人離れした作品」と言える。 

 正直、最初聴いた時には、これがあの信時潔の手になるものとは到底信じられなかった。
信時は1920 (大正11) 年、33歳の時長年の念願叶ってドイツへの留学を果たした。ベルリンではゲオルク・シューマンに作曲を、またヴィリー・デッケルトにチェロを師事したが、レッスンの合間に現地の演奏家たちの合奏に加わり、室内楽を研究したと伝えられている。信時自身、ドイツで初めて聴いたのはバッハの曲であった。 以下に、信時の証言を引用しよう。

「初めてバッハの曲 (ロ短調ミサ) を聴いた時、冒頭の4小節に天門が開いたような思いがした。マタイ受難曲の初めの二重合唱、第一部終りの合唱、最後の合唱の深い感動は終生忘れられないだろう。ベートーヴェンについては余り多くてここでは書けないが、フィデリオの囚人の歌に名状し難い感動を覚えた」

 信時が最も感動し関心を持ったのはバッハ、ベートーヴェンからワーグナーに至るドイツ音楽の主流であった。しかし、彼が留学した1920年頃のベルリンの音楽事情はまさに百花繚乱であった。ワーグナーのトリスタン和音に始まり、スクリャービンの神秘和音、そしてマーラー、R.シュトラウスの華麗な管弦楽法やそのアンチテーゼとして、全盛期に「現代のバッハ」とまで賞賛されたヒンデミットやレーガーなど、未来の音楽についていろいろな作曲家があらゆる試行錯誤を重ねていた。ドビュッシー、ラヴェルらフランス印象派の音楽、また1911 (大正2) 年に初演され大混乱を巻き起こしたストラヴィンスキー「春の祭典」も、信時は当然耳にしていた事だろう。
 信時潔のピアノ曲をCDリリースしているピアニスト・花岡千春氏は、次のような興味深い記述をされている。

「意外な事であるが、信時はシェーンベルクの楽譜の収集者であり、自身は彼の作曲技法には異論を唱えながらも、研究は怠らなかった。
 時折、作品の中にシェーンベルク流の和音処理が垣間見える」


 しかしながら信時が関心を示したシェーンベルク作品は、彼が完全な12音技法で創作を始めるずっと前の、Op.9あたりまでだった。
信時はこうも言い残している

「R.シュトラウス、スクリャービン、シェーンベルクなど最先端の音楽も聴いているが、「表現強烈競争」と思える」

まことに興味深い発言だ。 畑中良輔によれば、信時は「(シェーンベルクやR.シュトラウスなどの) 新しい音楽の手法は勉強するが、それは自分の真実ではない」とハッキリ言い切っていた。畑中が信時の自宅を訪れた時シェーンベルクの楽譜があり、そこには赤鉛筆で感想やアナリーゼがビッシリ書き込まれていたということだ。


 こうした背景を調べて行くうちに、1920年という年になぜ信時がこの「絃楽四部合奏」を書いたのか、という背景が見えて来るような気がする。 同年、信時は他に4声フーガ「天の原」、合唱曲「あかがり」、独唱曲「小倉百人一首より」、ピアノ曲「自作主題による変奏曲」、「バラーデ」など、日本的なタイトルを含む作品群を生み出しており、現在その多くをCDで聴く事ができる。ヨーロッパのいろいろな作曲法を勉強し、ベルリンの音楽仲間と室内楽を共演するうち、自作のリクエストを受けることもあったろう。表立って口には出さないが、皆「日本人に西洋音楽が書けるはずはない」と思っていたのだ。 日本男子として高いプライドを持つ信時のこと、西洋人も真っ青になるような前衛的な曲を書いて鼻をあかせてやりたい、と思ったとしても決して不思議ではない。1930年代初頭ボストンに留学していた大澤壽人が、まさにそうだった。
 これはあくまで一個人の想像に過ぎないのだが、この「絃楽四部合奏」、ひょっとしたら信時の西洋音楽の現状に対する精一杯の挑戦だったのでは、と私には思えてならない。 なぜならこの曲には、信時音楽によく見られる「古代日本的な要素」が皆無だからだ。

「海ゆかば」「海道東征」からは想像もつかない信時の知られざる一面を、この作品はありありと伝えてくれる。
まさに「驚きの作品」である。なおこの作品の元譜は現在東京藝術大学附属図書館に所蔵されている。

                                    (一部敬称略/ 2013.7.5 改訂  岡崎 隆)


 なお前記の西荻窪での演奏会を聴いた30名ほどの聴衆の中に、指揮者・齊藤一郎がいた。
氏はこの作品にたいそう感銘を受け、「いつか自らのオーケストラで演奏したい」と思った、という。
そして2013年6月29日、名古屋市しらかわホールで行われる下記の演奏会で、信時潔「絃楽四部合奏」の弦楽合奏による演奏が実現した。
コントラバス・パートは私 (岡崎) が補筆させていただき、マエストロ・齊藤一郎氏が校正をされた。


セントラル愛知交響楽団
特別演奏会 
 〜高田三郎 生誕百年記念 高田三郎とゆかりの作曲家たち〜

6月29日 (土) 三井住友海上しらかわホール (名古屋・伏見) 14:30 開演


 信時 潔 絃楽四部合奏 (1920/ 弦楽合奏版=初演)

 高田三郎 2つの狂詩曲 (1945/1947)
 新実徳英 森は踊る
 安部幸明   チェロ協奏曲 ニ短調 作品4 (1938)

 指揮 齊藤一郎  管弦楽/セントラル愛知交響楽団  チェロ 石川祐支 (札幌交響楽団・首席奏者)