日本の作曲家たち/7  大澤壽人

        (2009. 11.27 更新)


          

              (1907 〜 53 )
        (写真提供=神戸女学院/神戸女学院所蔵資料「大澤壽人遺作コレクション」より)

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大澤壽人の室内楽CDリリース。

 大澤壽人はそのボストン留学時代 (1930年代初頭)を中心に、何曲かの室内楽作品を残している。これらはボストン音楽院やボストン交響楽団のメンバーにより演奏されたが、その後再演されたという記録は残っていない。
 以下に大澤の室内楽主要作品を記す。

弦楽四重奏曲 イ短調 (1933)
五重奏曲 (Fl. Vn. Va. Vc. P) (作曲年代不詳)
チェロ・ソナタ ト短調 (1932)
ピアノ五重奏曲 ハ短調 (1933)
ピアノ三重奏曲 ニ短調 (1932)

 2006年3月、兵庫県立芸術文化センターで連夜に亘り行われた大澤壽人コンサートに先立ち、マイハート弦楽四重奏団メンバーを中心に「ピアノ五重奏曲」「ピアノ三重奏曲」の2曲がレコーディングされた。ディレクターはヒストリカルCDの雄・オタケンレコードの太田憲志氏。2007年12月、ようやく正式リリースの運びとなった。2曲とももちろん世界初録音である。曲は大澤以外では書き得ないエスプリと天性の煌きとに溢れた独特なもので、時おり姿を表す日本的なメロディーの美しさも絶品。

「大澤壽人の室内楽/ピアノ五重奏曲、ピアノ三重奏曲」
 マイハート弦楽四重奏団 ( 辻井 淳、釋 伸司、沖田 孝司、雨田 一孝)、藤井 由美 (P)
 ライナー/片山 杜秀
 (MH.taso IE-3003 2,500円)


NAXOSより大澤壽人CD第2弾、ついにリリース!!

   (画像提供/ナクソス・ジャパン)


 大きな話題を呼んだ「神風協奏曲」を含む第1弾に続き、NAXOSから大澤壽人CDの第2弾が2007年12月、ついにリリースされた。
代理店が「アイヴィ」から「ナクソス・ジャパン」に代り、好評を続けていた「日本作曲家選輯」は一体どうなるのだろう・・・と気をもんでいたファンとしては、ひとまず一安心といったところだ。
 今回の収録目はパリ留学時代に作曲された「交響曲第2番」(1934)と「ピアノ協奏曲第2番」(1935)。
共に現地で初演され、大好評を得たという。大澤は帰国後の1936年に、自ら新交響楽団を指揮しこの2曲の本邦初演を行ったのだが、そのあまりにもモダンな音楽は、当時の日本の聴衆にはまったく理解されなかった。先にリリースされた「ピアノ協奏曲第3番」(神風)と交響曲第3番はその苦い体験から、大澤なりにより分かりやすく作られたものなのだが (それにしても交響曲第3番など、たいそう難解だ) 、今回の2曲は大澤が何の衒い無く、ありのままの自分を表出した作品と言える。それだけに期待も大きい。
 「大澤壽人の作品は分かりにくい」という声をしばしば耳にする。そうした方にこそ、このCDを是非聴いて欲しいと思う。
「分かりにくいけど、何か面白そう」と少しでも感じたら、もうシメたもの。大澤の音楽は、聴けば聴くほど曲に込められた「仕掛け」が発見され、何度も聴き続けるうちに、きっと貴方はまるでパンドラの箱を開けたかのように、大澤音楽の虜になっているに違いない。私はつい最近、関西フィルハーモニー管弦楽団による「交響曲第3番」の戦後初の演奏を聴いたのだが、これまでその良さが全く理解出来なかったこの交響曲を実際にナマで聴く事により、いかに数多くの創意工夫が込められているかという事が手に取るように判り、初めてこの作品を堪能することが出来た。しかし・・・当日の会場には、退屈をじっと耐える空気が少なからずあった事も、否めない事実である。でも、よく考えて欲しい。あのブルックナーの「交響曲第5番」でさえ、その初演が終った時、ホールの聴衆の約半分は姿を消していたというではないか。イージーな作品は論外として、真に卓越した芸術作品を堪能するためには、我々聴衆にはそれを理解しようとするある程度の努力は、当然必要とされるのだ。 当日の指揮を執っていた飯守泰次郎氏は演奏後、「この交響曲は旋律を拒絶し、オーケストレーションの様々な組合わせの妙をとことん追求した作品のように思います」と仰っていた。大澤音楽は、たった一度耳にしただけで堪能出来るレベルではないのかも知れない。
 なお今回のCDに収録された2曲の戦後初の演奏は2006年3月4日、大阪・いずみホールにおいて、オーケストラ・ニッポニカにより行なわれており (指揮:本名徹次、ピアノ:三輪郁)、交響曲第2番は本年 (2008年)、関西フィルにより再演される予定である。

 大澤壽人/ピアノ協奏曲第2番、交響曲第2番

  ニカテリーナ・サランツェバ (P)、ドミトリ・ヤブロンスキー/ロシアpo.
(NAXOS 8.570177J ) ライナー/片山 杜秀


 大澤壽人「ヴァイオリン小協奏曲」(To a Chinese Poem/1936) 
辻井 淳氏の独奏、神戸女学院オーケストラで演奏!!

 大澤壽人の「ヴァイオリン小協奏曲」(To a Chinese Poem/原題=「支那詩」) が、2007年12月4日に兵庫県立芸術文化センターで演奏された。ヴァイオリン独奏は、昨年3月同文化センターで大澤の室内楽作品を演奏し好評を得たマイハート弦楽四重奏団の第1ヴァイオリン奏者をつとめる辻井淳氏、そして伴奏は神戸女学院大学音楽学部オーケストラである。
 大澤壽人の協奏作品は他にコントラバス、トランペット、サキソフォン、ピアノのためのものがあるが、ヴァイオリンのために書かれた協奏曲はこれが唯一のもので、恐らく初演以来実に70年振りの再演になると思われる。
 曲は (アレグロ・モデラート-- アンダンテ--ラルゲット--プレスト・ノン・トロッポ) の3楽章から成る演奏時間約20分の作品で、中国の打楽器を取り入れるなど大澤壽人独特のウィットとエスプリに満ちており、中でも第3楽章の面白さは出色だ。
今回の再演をきっかけに、今後是非この優れたコンチェルティーノがいろいろな機会に演奏され、ひいてはレコーディングされることを、私は願ってやまない。(2008.1)

 神戸女学院大学 音楽学部 ’07定期演奏会

 12/4 (火) 18:15 開演
会 場   兵庫県立芸術文化センター 大ホール                        
 大澤壽人  : ヴァイオリン コンチェルティーノ

辻井 淳 (Vn.)、  中村 健/神戸女学院大学音楽学部オーケストラ


大澤壽人作品、相次いで上演。(2006.3)

1.大澤壽人交響作品個展
芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカ大阪公演

2006年3月4日、昨年2月の迫昭嘉のピアノ、飯守泰次郎指揮関西フィルハーモニー管弦楽団による「神風協奏曲」の名演の記憶も生々しい大阪・いずみホールにおいて、オーケストラ・ニッポニカによりオール大澤壽人作品の演奏会が行なわれた。そのプログラムは下記の通りである。

交響曲第2番
(1934) 
「さくらの声」(1935)
ピアノ協奏曲第2番(1935)
指揮:本名徹次  ピアノ:三輪郁  ソプラノ:腰越満美* 管弦楽:オーケストラ・ニッポニカ
3曲とも初演当時以来まったく再演されていなかった作品ばかりで、私も何としても聴きたかったのだが、残念ながら仕事の都合で果たせなかった。オーケストラ・ニッポニカによる邦人作品の演奏会の録音は、過去にもミッテンヴァルト・レーベルによりCD化されているので、是非この演奏会のライブ録音もCD化して欲しいと切に願う。


2.兵庫県立芸術文化センタースペシャルコンサート 

 2006年3月10日〜12日、新装なった西宮市の兵庫芸術文化センター小ホールにおいて、大澤壽人作品による演奏会が相次いで行なわれた。その詳細は下記の通りである。

「大澤壽人と室内楽」 2006年3月10日(金)


 曲目: ピアノ三重奏曲 (1933)、ピアノ五重奏曲 (1933)

  演奏:マイハート弦楽四重奏団
 辻井 淳(Vn)、釋 伸司(Vn)、沖田孝司(Va)雨田一孝(Vc)、
    藤井由美(Pf)

「大澤壽人、歌とピアノ」 2006年3月11日(土)

 出演:斉藤言子(ソプラノ)、荒田祐子(メゾソプラノ)
    山畑 誠(Pf)

「大澤壽人とその時代」 2006年3月12日(土)


(画像提供/兵庫県立芸術文化センター)

曲目:
 大澤壽人:路地よりの断章
 ガーシュウィン:パリのアメリカ人
 イベール:「ディヴェルティメント」から“ワルツ”“フィナーレ”
 大澤壽人:ピアノ協奏曲第3番「神風協奏曲」

指揮・芸術監督:佐渡 裕、ピアノ:迫 昭嘉、管弦楽:兵庫芸術文化センター管弦楽団


 なお10日の演奏会に先立ち、9日に同ホールにおいてピアノ三重奏曲ピアノ五重奏曲 のレコーディングが行なわれ、私は演奏用浄書譜を作成させていただいた関係から、その現場に立ち会わせていただいた。演奏はまことに純度の高いもので、やや難解かとも思われた両曲が、木製を基調とする小ホールの高い天井空間に見事に拡がった。 願わくば両曲とも是非ともCD化していただき、「時代を先取りし過ぎた天才作曲家・大澤壽人」の他に類を見ないモダニズム (当時流行した「ハイカラ」という言葉の方が当たっているかも) を、一人でも多くの方々に体験していただきたい、と思う。


大澤壽人のピアノ協奏曲第3番「神風」(1938) 、
          ついに上演 !!

               
              (画像提供/関西フィルハーモニー管弦楽団)

 先頃NAXOSからリリースされ、大いに話題を呼んだ大澤壽人の傑作・ピアノ協奏曲第3番「神風」(1938)が、2005年2月13日(日)、迫 昭嘉のピアノ、飯守泰次郎指揮関西フィルハーモニー管弦楽団により上演された。(3:00/大阪・いずみホール)
 このコンサートでは他に大栗裕の「大阪俗謡による幻想曲」、貴志康一の交響組曲「日本スケッチ」全4曲も上演され、情熱的で美しい演奏は満員の聴衆を魅了した。

 問い合わせ先 = kan-firu@fancy.ocn.ne.jp


私と作曲家・大澤壽人との出会い 

                        
                                  岡崎 隆      


 数年前のある日、私はケーブルテレビで放送され、ビデオに取りためておいた映画の数々を、久々の休日を利用し、次々に見ていた。その中に、1944年に制作された松竹映画「還って来た男」( 川島雄三監督、主演・佐野周二 ) という作品があった。
 映画の冒頭から、私はその音楽に強く惹かれた。何とモダンなセンスだろう… 同年代の他の日本映画によくある、暗い時局を反映した陳腐とも思われる勇ましさが皆無で、その音楽はあくまでもエレガントでユーモラス、洒落たセンスに満ちていたのである。
 映画のストーリーは、南方戦線から久々に帰国した青年が郷里の古都・京都で様々な女性たちと巻き起こす触れあいを中心としたものなのだが、重要な登場人物の一人である新聞配達をする健気な少年のテーマに、童謡「牛若丸」(京の五条の橋の上…) が使用されており、この童謡が少年の境遇や心理状態に併せて様々な形に編曲されていく見事さに、私は大いに唸らされてしまった。
 この音楽を担当している大澤壽人とは、一体どのような人物なのだろう? 私の興味はいやが上にも高まってきたのである。
 なお余談だが、この少年の父親はクラシックしか扱わない流行らないレコード店を営んでおり、当時のSPレコードを中心とした店頭風景を、画面のなかで十二分に堪能する事が出来る。
その店内には何と、当時ナチス・ドイツから迫害されアメリカに亡命していたはずのブルーノ・ワルターやユダヤ人作曲家マーラーのポスターが、ナチ御用達作曲家R.シュトラウスのものと同列に貼られていたり、敵国アメリカのトスカニーニ/NBCによる「運命」のSPを試聴するシーンがあったりして、「おいおい、大丈夫なの!」などと、要らぬ心配をしてしまう場面もある。
これは私の勘ぐりだが、かつてアメリカに留学したことのある大澤壽人が、当時の音楽に無知な検閲官を見越して、わざわざこんな危ない設定をしたのではないだろうか。
 大澤壽人/ピアノ協奏曲第3番「神風」他のCD
(提供/ミッテンヴァルト)
 
 この映画「還って来た男」の音楽の記憶が私の頭の中に残っていたある日、私はたまたま仕事で上京した折に、お茶の水のディスク・ユニオンというCDショップで偶然、日本の戦前の作曲家の作品のみを網羅したCDを見つけた。それはミッテンヴァルトというレーベルから発売された、オーケストラ・ニッポニカによる演奏 (MTWD-99011) で、その中に上記・大澤壽人のピアノ協奏曲第3番「神風」(1938) が入っていたのである。 私は思わぬ偶然に狂喜した。 曲は予想に違わぬユニークなもので、全曲を通して飛行機のプロペラ音をモチーフにした独奏ピアノの超絶テクニックが繰り広げられる。この複雑なピアノ・パートを鮮やかに弾きこなしいてる野平一郎の熱演には、心より拍手を送りたい。
 大澤壽人/ピアノ協奏曲第3番、交響曲第3番のCD
(画像提供/アイヴィ)

 なおこの協奏曲は後にNAXOSによる「日本作曲家撰輯」シリーズの一環として、ロシアの演奏家たちによる演奏のCDが発売された。このCDには世界初録音となる交響曲第3番 (1937) も収録されており、これもたいそう興味深い一枚だ。(NAXOS 8.557416J)

時代を先取りし過ぎた天才作曲家・大澤壽人 

 大澤壽人 (おおざわ・ひさと) は1907年、神戸に生まれた。父は神戸製鋼所の技師で、大澤は少年期よりオルガンや合唱に親しみ、関西学院中・高等部在学中にピアノを習い、また同校の音楽サークル活動を通して、音楽理論を半ば独学で習得した。同校卒業後大澤はただちにアメリカに渡り、ボストン大学・ニューイングランド大学で音楽理論を学んだ。
 アメリカ時代の大澤は、作曲の師からの推薦もあって自作演奏会を開いたり、ボストン交響楽団と親しい関係を持ち、同楽団を日本人として初めて指揮するなど、まさに順風満帆の活躍を示した。この時期の主な作品には数多くのピアノ独奏曲をはじめとして、チェロ・ソナタ (1932) やピアノ三重奏曲 (1932)、ピアノ五重奏曲 (1933) などの室内楽作品のほか、小交響曲や交響曲第1番、ピアノ協奏曲第1番、それに当時のボストン交響楽団の音楽監督で名コントラバス奏者でもあったクーセヴィッキーのために書かれたコントラバス協奏曲などが挙げられる。
 1934年、大澤は自らの作曲技法にさらに磨きをかけるべくパリに留学、エコール・ノルマルにおいてブーランジェやデュカス等錚々たる顔ぶれに師事し、交響曲第2番、ピアノ協奏曲第2番等の作品を自ら指揮し初演するなど、華々しい活動を繰り広げた。

 この頃の室内楽作品から伺う大澤の作風はまことに才気に溢れ、あたかも心の中から涌き出てきたそのままを、何の衒いもなく五線紙に書き綴ったかのような趣きがある。 (事実、大澤壽人の自筆譜はベートーヴェンのそれにも似て、本当に見にくい。)
意表をつく和音やグリッサンド、ユーモラスでどこか人を食ったリズム、日本的なメロディーを随所に取り混ぜながら、決してセンチメンタルに溺れたり深刻な気分に沈潜したりせず、その音楽からは近代フランス音楽を特徴づけるエスブリさえ感じさせられるのだ。大澤壽人の洗練されたセンスの良さ!! ・・・これらの特徴は、決して他の同時代の日本の作曲家の作品からは得られないものである。

 1936年、長らくの留学を終え帰国した大澤は、早速新交響楽団 (NHK交響楽団の前身)を指揮し、自作の演奏会を開いた。しかし大澤の当時としては余りにモダンな音楽は聴衆からほとんど理解されず、その評価は決して芳しいものではなかった。折しも時代は戦雲急を告げ
、大澤の洒落たセンスの音楽を楽しむ環境からは、どんどん遠ざかる状況となっていた。ここから大澤の苦悩が始まる。時局柄欧州での活動の可能性が困難となった大澤にとって、日本での音楽活動の道を探るほか、その道は無くなっていたのである。
彼は当初の斬新な作曲技法・大編成のオーケストレーションから、より一般に受け入れられやすいような保守的な技法やシンプルな編成にその活路を見い出そうとした。
 帰国後の彼の代表的な作品として、小オーケストラとヴァイオリンの為の小協奏曲「中国の詩に寄せて」(1936)、そして先にも触れたピアノ協奏曲第3番「神風」(1938) が挙げられる。「神風」協奏曲は、当時東京〜ロンドン間を最短飛行時間で飛び、日本の技術力を広く世界に知らしめ話題になった、朝日新聞のプロペラ機「神風号」の快挙に題材を得ている。ピアノパートには全曲を通し終始プロペラ音の模倣を思わせるテクニカルで分かりやすいフレーズを入れ、またジャズ音楽やイベールの「寄港地」を思わせるフランス的な雰囲気も折り込むなど、何とか一般に理解されるような努力のあとが見られる。
しかし時局はますます急迫し、大澤は自らの技法を、当時の社会が求める種類の音楽に活かす職人としての道を歩むしかなかった。紀元2600年を記念したカンタータやラジオ向けのセミ・クラシック音楽や川島雄三監督デビュー映画「還って来た男」(1944/松竹) をはじめとする映画音楽の作曲など、大澤は持ち前のバイタリティーで活躍を続けた。

 戦後、再び自由な創作活動の環境を得た大澤は、関西を中心に主にセミ・クラシックやポップスの分野での活動を開始する。自らのオーケストラを組織し、ラジオのレギュラー音楽番組を持ち、ジャズの要素をふんだんに取り入れたサキソフォーン協奏曲 (1947)、トランペ
ット協奏曲 (1950) 、ジャズ変奏曲 (1946)などの純器楽曲の分野から、数多くのポピュラー・ソング、映画音楽などに至るまで、それこそ求められるままに縦横無尽の作曲活動を行なったのである。その活動は、少しでも多くの聴衆に自らの音楽を楽しんで欲しい、という作曲家としての根源的な欲求によるものと、私には思われてならない。
 振り返れば6年間の海外留学を終え、「今の日本には自分の他に真の作曲家はいない」と豪語するほどの自信を持っていた大澤にとって世間の反応は本当に冷たいものであった。そうした現実に、おそらく大澤は強いショックを受けたことだろう。そして自らへの反省とともに、自分がそれまでに身に付けた技法を、如何にしたら一般大衆に理解してもらえるだろうかという点を、以後の作曲活動のなかで終始試行錯誤したのではなかろうか。
 一面、ポップスオーケストラのレパートリーに、かつてアメリカで出会ったシェーンベルクのピアノ作品の編曲をさり気なく取り入れるなどの所行は、大澤が真に求めたものを忘れまいとした証しなのかも知れない。
 また大澤は神戸女学院大学の教授を務めるなど、後進の指導にも情熱を注いだ。こうして想像を絶する多忙さのなかで、大澤は交響曲第4番の作曲に着手すべく、そのフルスコアの第1ページのタイトルを記した。しかし疲れ切った彼の身体は、彼にそれ以上の創作を許してはくれなかった。1953年10月、まだ46歳という若さで天才・大澤壽人は脳溢血のため、この世に別れを告げるのである。

 彼の死後、世間はあっという間に大澤を忘れた。いやそれは大澤に限らず、戦前を中心とした、ほとんどの日本の作曲家にとっても同じだったかも知れない。戦後の価値観の転換により、戦前の作品は時局に安易に乗った作品と見なされ、忘れられ、現在に至っている。
いま、多くの芸術作品が、その存亡の危機にある。幸い大澤の自筆譜は2006年8月、遺族から神戸女学院に寄贈され、今後の再演を目指して整理作業に入っていると聞く。
 今こそ私たちは大澤をはじめ、寸暇を惜しんで作曲にその身を捧げ尽した先人たちの業績を、客観的な視点で再評価しなければならないのではないだろうか。過去をきちんと知らなければ、充実した未来は決して約束されないのだから。

 かつてマーラーは言った。「将来、私の時代が必ず来る」
時代を先取りし過ぎた天才・大澤壽人に、果たしてこの言葉にあてはまる未来はあるのだろうか?
その回答を導き出すためには、まず一人でも多くの人々が、彼の音楽を虚心坦懐に聴いてみるしかないだろう。
                                                                             ( 2006.8 ) 


上記の文章を執筆するにあたり、下記の資料を参考にさせていただきました。

★ 大澤壽人/ピアノ協奏曲第3番変イ長調 「神風」自筆フルスコア/再版本
   (大澤壽文・編/ 解説・片山杜秀)
★ 大澤壽人/ピアノ協奏曲第3番変イ長調 、交響曲第3番 CD (NAXOS 8.557416) = 解説
(片山杜秀 著)
★ オーケストラ・ニッポニカ第1集 (MTWD-99011) = 解説
(片山杜秀 著)
                                     (敬称略)

 その後、私は縁あって大澤壽人の室内楽作品の演奏用浄書楽譜の作成に取組ませていただく事となりました。これまでにチェロ・ソナタ、ピアノ三重奏曲、ピアノ五重奏曲 の3曲の演奏譜を完成しております。いずれもアメリカに留学し、ボストン交響楽団と密接な関係を築き上げた1933年頃の作品で、若々しい才気に満ちており、既成の音楽様式とは全く異なった新しい音楽を作り上げたいという意欲が充溢しています。特にそのピアノ・パートは一つとしてまともな和音が無い程複雑な構造で書かれており、さぞや演奏家泣かせだったのでは、と想像してしまいます。
 なお現在は「ヴァイオリン小協奏曲」の浄書譜作成に取りかかっております。


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