日本の作曲家たち/17 貴志 康一

                     (2016.4.25 /更新)

                


                     (1909 〜 37)
        
              (写真提供/甲南学園貴志康一記念室/以下同じ)



貴志康一「ヴァイオリン・ソナタ」の浄書譜が出版されました。(2017.4.25)

 譜例はこちら

★貴志康一の代表作「日本組曲」、「日本スケッチ」浄書スコア出版 ! (2016.4)

ともにお問合せは 甲南学園貴志康一記念室」(TEL 0797-31-0551) まで



 神戸・甲南学園貴志康一記念室のご依頼を受け、私ども楽譜作成工房「ひなあられ」が作成した貴志康一の「ヴァイオリン・ソナタ」、管弦楽曲「日本組曲」、「日本スケッチ」の浄書スコアが発売されました。(価格= 「ヴァイオリン・ソナタ」1,000円、「日本組曲」2,000円、「日本スケッチ」=3,000円)
 「日本組曲」は日本を紹介する映画「鏡」のために作曲した音楽を組曲にまとめたもので、1934年3月29日、作曲者指揮するウーファ交響楽団により初演されました。「春雨」「祈り」「道頓掘」「淀の唄」「花見」「戦死」の6曲からなり、「道頓掘」「花見」の2曲は、貴志がベルリン・フィルを指揮した録音が残されています。 
 
 また「日本スケッチ」「市場」「夜曲」「面」「祭り」の4曲から成り。1934年11月18日、作曲者指揮するベルリン・フィルによる「日曜コンサート」(フィルハーモニー楽堂) において、全曲の初演が行われました。これも同オーケストラによる録音が残されています。

 今回の浄書にあたっては、従来の手書きパート譜にあったいくつかのミスが改訂されています。

  (リンクのある曲名をクリックいただければ、浄書譜の見本をご覧いただけます)


                                     (楽譜作成工房「ひなあられ」 岡崎隆)
 
 貴志康一の楽譜についてのお問合せは甲南学園貴志康一記念室」(TEL 0797-31-0551) まで。

   (このページは順次、書込みが続けられています)


  貴志康一の管弦楽作品一覧 / 私見 & ディスコグラフィー (2014.8)



 貴志康一音楽の伝導にその生涯を捧げられた故・小松一彦先生に、このページを捧げます。


 夭逝の作曲家・貴志康一についてはこれまで多くの方々が論じられ、現在もインターネットのブログ等で熱く語られ続けています。貴志に関する著作も、作曲者に対する敬慕の念が溢れる「貴志康一 よみがえる夭逝の天才」(日下徳一 2001)、驚異的な取材力・分析力に圧倒される「貴志康一 永遠の青年作曲家」(毛利眞人 2006)、貴志音楽を文化論的視点からアナリーゼ(楽曲分析) に至るまで多様に論じた「貴志康一と音楽の現代」(梶野絵奈、長木誠司、H.ゴチェフスキ 2011) と3册を数え、CDも管弦楽曲では交響曲「仏陀」「日本スケッチ」「天の岩戸」など、ほとんどの作品の録音がなされました。また貴志自身がベルリン・フィルを指揮した歴史的録音も、バスカとの13曲の歌曲集を含むその全てがCD化されています。

 このような現況の中、これまで忘れられた作曲家の研究と紹介を中心にして来た当HPで、なぜ今「貴志康一」なのか・・・ひょっとしたらそう思われる方もいらっしゃるかも知れません。ここで私が、仮に新たな「貴志康一」論を無理して書いたとしても、「蛇足」以上になり得ない事は明らかです。

 私はこれまで貴志康一の自筆譜を一オーケストラプレイヤーの視点で眺め、演奏のための浄書譜を実際に作成し、プロフェッショナルのオーケストラに演奏していただく機会を与えていただきました。また貴志音楽の紹介にその人生を捧げられた故・小松一彦氏からも、本当に多くの啓示をいただきました。貴志康一の音楽をこれからも少しでも多くの人々に聴いて欲しい、そして戦前の日本にこのような夭逝の天才作曲家がいたのだ、という事を語り継いで欲しい、という思いは人一倍持っているつもりです。
 そこで、
「貴志康一は作曲にあたり、どのように譜面を書いたのだろう・・・またオーケストラの現場では、これまでどのような楽譜で演奏されて来たのだろう」
という辺りから、記してみようと思ったのです。
 拙い記述から、貴志の作曲法の秘密のほんの一端でも感じていただければ嬉しく思います。
私は作曲が専門ではないため、あまり立ち入った事や大それた事は書けません。また「貴志康一と私」みたいな文章が延々と続くかも知れませんが、その部分はどうぞ読み飛ばしてください。

 ところで、ひょっとしたら不遜な言い方になるかも知れませんが、私と貴志との間に最近とみに不思議な縁のようなものを感ずるのです。
そのあたりのエピソードも、読んでくださる皆様が不快に思われない程度に紹介させていただきたいと思います。
                                                (2014.4  岡崎隆)

 愛器ストラディヴァリウスを奏でる貴志康一 (撮影= 中山岩太 /「中山岩太の会」許諾画像)


 

 私と貴志康一との出会い


 あれは今から25年も前、1987年の事でした。音楽雑誌にたいそう珍しいCDリリースの記事が掲載されました。

貴志康一没後50周年記念コンサート 交響曲「仏陀」ライブCD発売 !

 当時私は日本の作曲家にはほとんど関心もなく、貴志についても全く知りませんでした。ただCDショップ店頭で実際に手に取った「仏陀」CDは、とてもインパクトがありました。奈良の大仏が「デーン」とプリントされていたのです。私事でまことに恐縮ながら、私の連れ合いは奈良の出身で、大仏殿にも何度か足を運んだことがありました。
「奈良の大仏を交響曲にしたら、どんな感じなんやろ?」 (いきなり関西弁) そんな気持ちと、持ち前の「珍しもの好き」からさっそく購入、仕事の予定があった今は無き名古屋・池下の厚生年金会館へと向かいました。ゲネプロまでの時間つぶしに駐車場でCDをカーオーディオのスロットに差し入れました。
・・・・・驚きました。

 なんと親しみやすい、美しい音楽 !

 それまで私は日本の作曲家の作品は「分かりにくく」「ひとりよがりで」「つまらない」もの、と信じていました。
オバケの出て来るような不協和音とツンのめりそうな変拍子に満ちたいわゆる「ゲンダイオンガク」を、オケで何度も弾かされて来たせいかも知れません。
 ところがこの「仏陀」は違いました。荘厳な序奏のあと、ちゃんと明解な第一主題があり、対照的に第二主題で美しいメロデーが現れる。溢れるような日本情緒に、思わずメマイがしそうでした。短調で呈示されたメロデーが長調に転ずる時の開放感の、何という心地よさでしょう!
 (後になり指揮の小松先生も「ここが一番好き」と言っておられました。)
ロシアの作曲家・カリンニコフの交響曲第1番第1楽章の第2主題のチェロで演奏される美しいメロデーを、ふと思い出しました。
第3楽章は、まさにデュカ「魔法使い」のパロディ。(先日の大阪フィルでのリハーサルの時も、この部分でオケの中から笑い声が起りました)
その他にも、この作品の魅力について書き始めたら切りがありません。こんなに分かりやすく親しみやすい、しかも音楽性を保ったシンフォニーが1930年代の日本で生まれていた事に、私は胸が熱くなりました。
「仏陀」CDは好評で、「ヴァイオリン協奏曲」「日本スケッチ」CDが続いてリリースされ、翌年には何と貴志がベルリン・フィルを指揮した自作自演盤まで店頭に並び、私は漏らす事なく購入したのです。
 恵まれた家庭に生まれ幼少の頃からヴァイオリンを学び、ストラディヴァリウスを購入し話題を呼び、ベルリンに留学後は作曲・指揮に転じフルトヴェングラーに師事、多くの自作をベルリン・フィルで演奏、録音。帰国後は新交響楽団で「第九」を暗譜で指揮するほか来日したピアノの巨匠・ケンプの伴奏指揮をつとめるなど常に話題の中心にあり、明朗快活な性格は多くの人々に愛されながらも病魔に倒れ、僅か28歳でこの世を去ったこの作曲家について、私はどんどん引き込まれて行きました。


 伝導師・小松一彦氏との出会い、そして別れ


 交響曲「仏陀」CDがリリースされた直後、偶然にも小松一彦氏が私のオーケストラ・名古屋フィルに来演されました。愛知県大府市での演奏会でした。
ゲネプロのあとオケ仲間と食事に行ったところ、同じレストランに小松氏が事務局のスタッフと二人で座っていました。
「先生っ、貴志康一のCD、買って聴いてますよ」
それまで苦虫を噛み潰したようだった小松氏の顔が、ぱあっと明るくなりました。
「そう ! ・・・それはどうも、ありがとう」
小松氏は席から立ち上がり、私に握手を求めて来ました。
「ねえねえ、貴志康一って作曲家知ってる? この人さぁ、僕のCD買って聴いてくれてるんだってー」
スタッフに語りかける小松氏の笑顔を、今も忘れられません。思えばこれが小松氏と私の「日本の作曲家」を通した長い (今思えばあっという間の) お付き合いの始まりでした。
 
 その後小松氏とは神奈川フィル「須賀田礒太郎の世界」や、2005年には名古屋での「高田三郎作品によるひたすらないのち 愛知演奏会」、神戸合唱団/コッコネン「レクイエム」上演などでご一緒させていただいたのですが、高田三郎コンサートの時氏は私に1枚のCDをプレゼントしてくださいました。
それは貴志康一のバレエ音楽「天の岩戸」組曲 (大阪センチュリー交響楽団) でした。

「僕が康一 (小松氏は貴志康一を、いつもこう呼んでおられました) の作品を演奏するようになってから、もう20年以上になるんだよ。この「天の岩戸」で康一のオーケストラ作品は出尽くしたんだ・・・」

と語りながら、氏はCDにメッセージを記してくださいました。

   


 2009年3月31日、大阪シンフォニー・ホールで貴志康一生誕100年記念コンサートが行われ、私も家族と共に駆け付けました。
小松氏の20分にも及ぶレクチャーは、たいそう素晴らしいものでした。交響曲「仏陀」を本当に楽しそうに振るマエストロの横顔が、今も瞼の奥に浮かびます。
 同年11月、愛知県一宮市で行われた「一宮市民音楽会」で名古屋パストラーレ合奏団 を指揮されたコンサート (チャイコフスキー/弦楽セレナード、高田三郎/やまとのささげうた、水のいのち)が、私と小松氏との最後の一会でした。2か月後氏はニューイヤーコンサートのあと脳出血で倒れられ、3年間の闘病ののち静かに帰天されました。最後の病床では「仏陀」のCDが流され、氏がかつて「ここが一番好き」と言われた箇所で静かに息を引取られたとのことです。
 奇しくもその同じ頃、私は地元で高田三郎「水のいのち」の指揮を翌日に控え、小松氏が指揮された2005年のコンサートの録画を、勉強のため見ていました。曲の最後、水のいのちが天に昇ってゆく「のぼれ のぼりゆけ」の箇所で、氏の大きくリタルダンドする指揮が妙に印象に残り、翌日の演奏会ではそのように指揮しました。ところが後になって、私がビデオを見ていたまさにその同じ時間に氏が旅立たれた事を知り、体中の震えを抑えることができませんでした。 
 明石教会での小松氏の葬儀では強い雨が降りしきっていました。
それから半年後、甲南学園・貴志康一記念室から楽譜作成のお問い合わせをいただきました。

「先生、天国から糸を差し伸べてくださったのですね・・・」

私は疑いなく、そう思ったのです。


 忘れられぬ名曲「天の原」


 小松氏と初めてお話をさせていただいた直後だったと思います。わが名フィルでおそらくただ一度だけ、貴志作品が演奏されたことがあります。
それはオーケストラ伴奏付き歌曲「天の原」です。百人一首でも有名な阿部仲麿呂の「あまのはら ふりさけみれば かがなる みかさのやまに いでしつきかも」に貴志が曲を付けたものですが、その素晴らしい響きに、ステージの上で演奏しながら私は陶然としてしまいました。独唱は「「仏陀」CDでも同曲の歌唱をつとめておられた豊田喜代美さんでした。
しかしながらこの演奏がいつどこで、どんな指揮者で行われたかが、今私にはどうしても思い出せません。
最近名フィルの事務局の方に確かめてみたのですが、具体的な上演記録は残されていませんでした。ただ豊田喜代美さは定期演奏会でマーラーの交響曲第4番を上演した際、名フィルに来演されている事が判りました。ここからは想像になりますが「マラ4」のソプラノの出番は第4楽章のみ。そこでアンコールを何かという話になり、豊田さんから「天の原」が提案されたのではないか、と私は思っています。


 至福の「道頓堀」



 2005年2月13日、大阪・いずみホールで忘れられないコンサートがありました。
関西を代表する3名の作曲家の代表的な3曲を取り上げるというもので、プログラムは大栗裕「大阪俗謡による幻想曲」、貴志康一「日本スケッチ」、大澤壽人「神風協奏曲 (ピアノ協奏曲第3番)」(ピアノ/迫昭嘉、指揮/飯守泰次郎) の3曲。私は何としてもこのコンサートを聴きたいと思ったのですが、当日は午前中に中部国際空港 (セントレア) オープニングで、皇太子殿下ご臨席のもと、わがオーケストラが演奏する仕事が入っていました。大阪のコンサートは3時開演なので急げば間に合うのでは、とチケットを購入したのです。楽器の片づけもそこそこに電車に飛び乗り、いずみホールには開演15分後に何とか着きました。大栗先生には申し訳ないのですが今回は後半の2曲だけでもいい、と思っておりました。貴志作品の開演に間に合ったのは本当にラッキーでした。
 「日本スケッチ」「神風協奏曲」ともそれぞれに楽しめましたが、アンコールに演奏された「道頓堀」は本当に素晴らしい演奏でした。小松一彦氏は適格なアナリーゼと厳粛なタクトで作品を表現しますが、飯守氏は全く異なるアプローチで感覚的な表現力に優れ、まるで戦前の大阪の賑わいが目の前に現れたかのような幻覚すら覚えたのです。私はこの演奏を聴き、つくづく大阪の人々は幸せだなあと思いました。だって、私の故郷・名古屋には「栄」とか「今池」などという名のクラシック作品は皆無なのですから。
このアンコールが聴けただけでも、無理して大阪まで行って良かった ! と思いました。
改めて音楽の持つ力を感じさせられる、忘れ難いコンサートとなりました。

 なお演奏会終了後大阪駅に向かう環状線のなかで、豊かな白髪を束ねた気品豊かなおばあさんが座席にひっそりと一人で座っているのを見つけました。
私はその姿を、コンサートのロビーでも見かけていました。「貴志康一のご親族の方では? 」直感した私は、恐る恐る話しかけました。
「今日は貴志先生の素晴らしい作品を聴かせていただき、ありがとうございました」
老婦人は静かに微笑まれました。
「今日は兄の作品をこうして演奏していただけ、嬉しかったです」
たったこれだけの会話でしたが、この老婦人が貴志康一の妹さんのあやさんだったのではないかと、後に記念室の方からお写真をいただいて思いました。

      妹・あや と (貴志康一記念室/提供)




 初めて貴志康一記念室を訪ねて


 2008年秋、長かったオーケストラ生活を卒業した私は、神戸の甲南学園・貴志康一記念室を訪れました。
オケの仕事の合間に、さまざまな日本の作曲家の譜面を作らせていただいて来た私にとり、貴志の譜面を見る事は長年の念願でした。あれだけ明解でよく鳴る作品の自筆譜は、いったいどのようなものなのだろう? ぜひ一度この目で確かめてみたかったのです。
 貴志康一記念室は、六甲山の東の麓にある甲南学園の一番奥のため、正門から約200mもの坂道・階段を登らねばなりません。
学園の方に「朝比奈先生が大フィルと共に記念室横のホールでコンサートをされた際も、ヴァイオリンの辻久子さんと共にこの階段を登られたのですか?」とお訊ねしたら、「特別な場合のみホールのすぐ横までタクシーで行けますよ」との事でした。
記念室に入ると、巨大な貴志の写真が私を見据えるかのように迎えてくれました。

「やぁ遅かったねえ、やっと来てくれたのかい?」

私の自意識が強すぎるのでしょうか、まるでそう言われているように感じました。

 

貴志康一記念室に入ると、この写真が出迎えてくれる。そのインパクトの強烈なこと!


 記念室では当時のスタッフの方が、たいそう親切に対応してくださいました。
私はさっそく、代表作である交響曲「仏陀」のスコアを見せてください、とお願いしました。
目の前に開げられたスコア (コピー) は、素晴らしいものでした。印刷浄書譜のように決して見やすくはありませんが、ポイントを抑えたレイアウト・貴志の息吹までもが伝わって来るような筆致に、胸が沸き立つのを覚えました。ところがページによっては1ページに1小節しか書かれていない箇所も多くあり、演奏の際指揮者は一体どうするのだろう?と要らぬ心配までしてしまいました。( 後日、貴志康一のスペシャリスト・小松一彦氏にその点をお訊ねしたところ、「あのページを次々にメクるのが、また楽しいんだよ!」とのことでした。)
続いて私は職業柄、オーケストラがどのようなパート譜を使用しているのか気になったので、そちらの閲覧もお願いしました。
パート譜は正直なところ、現在演奏に使用するにはいくつか改善の必要を感じました。
私は、日本の作曲家の作品の浄書をライフワークにしている事、そしてもし機会があれば将来貴志作品の浄書譜作成に携らせていただければ、こんな嬉しい事はない旨をお伝えし、記念室を後にしました。


「日本組曲」浄書譜作成の依頼を受けて


 それから5年の月日が流れた2013年。オーケストラ生活が終った後も、エキストラや日本の作曲家の楽譜作成等で細々と音楽の世界を立ち回っていた私のもとに、あるメールが届きました。
それは懐かしい貴志康一記念室からのものでした。

「貴志作品を今後ますます演奏していただくために、楽譜の浄書を進めたいと思っています。一度お会いできませんか?」

私は一にも二にもなくお引き受けしました。
話し合いの結果、「日本組曲」全6曲の浄書をさせていただくことになりました。記念室からは後日、重い譜面の束が届きました。
「日本組曲」の自筆譜は、かつて見た「仏陀」よりも見にくいものでした。
ドイツ語による表記は造詣のない私にはほとんど判読不能で、また演奏機会の多い「道頓堀」ほか何曲かは貴志自身の筆、他はドイツ人の手によるものという事で、このドイツ人の方が書き方が慣れ過ぎているためか見にくく、ページによっては演奏している楽器しか表記されておらず (これを「楽譜の最適化」といいます)、またその記載がすごく達筆なため、判読が難しかったのです。
 ただ幸いなことに、自筆コピーと共にこれまで使われて来た手書きによる全てのパート譜のコピーが添えられていました。その筆致は私がオケ時代何度も見た同じ業者によるもので、この存在がとても助かりました。難しいドイツ語表記も、多くを判読してくれていたのです。
もし送られて来たのが自筆譜だけだったら、私には到底、完成度の高い浄書譜は作れなかったと思います。

 手書きパート譜をもとにした入力作業は、流れるように進めることが出来ました。その理由のひとつとして、貴志のオーケストレーションの場合ユニゾンや同じ音の動きを何度も繰り返すというパターンが多く、結果的にコピペ (コピー&ペースト) がフル活用出来たこと、また同じフレーズを2度で重ねるパターンも多用されており、しまいにはスコアを見ずに想像で打込み、後の見直しで「あー、康一君もやっぱりこうしてたのね」などと、実に無礼な作業過程が多くあったことも白状しなければなりません。余談ですが、かつて指揮者・山本直純氏が「ユニゾンこそ、オーケストレーション最上の姿 ! 」と語っておられましたが、貴志音楽の明解さ・インパクトの強さは、まさにユニゾン+スパイスの極上のハーモニーなのかも・・・と音符を打込みながら再認識した次第です。そう言えばかつて頼まれて作ったリスト「ハンガリー狂詩曲第2番」やチャイコフスキー「花のワルツ」も、コピペのオンパレードでした。

 2014年2月、「日本組曲」の浄書譜は完成し、3月に「道頓堀」のみが交響曲「仏陀」と共に大阪フィルにより演奏されました。今回は日本舞踊の伴奏として演奏されたこともあり、ぜひ聴きたかった (見たかった) のですが本番日が都合が悪く、事前の練習に立ち会うため西成区の大フィル練習場に伺いました。
今回の指揮はかつて名フィルで何度もご一緒したマエストロ・高関健氏。
最初の練習の1コマ後に氏とお話したのですが、「貴志康一はオーケストラの書き方を完全にマスターしていますね」と言われ、何か自分の事のように嬉しくなりました。また氏は私の浄書譜から何点もミスを見つけてくださり、あらためて氏のスコア・リーディングの細かさに驚嘆しました。
 帰宅後ただちに見直し作業にかかり、判読の難しかったドイツ語表記も名古屋日独協会のベテランの方の本当に親切なアドヴァイスをいただき、邦訳を加えた改訂スコア・パート譜を完成する事が出来ました。「道頓堀」の華やかなテーマの箇所に「ラッパを高く上げて!」と記入されていることや、「戦死」の重々しい鎮魂の響きのあと、突如「君が代」が弦楽器にフォルティッシシモで現れる箇所で「大きな弓を使って!」と表記されていることが分った時など、妙に感動しました。

 3月9日、「道頓堀」は、やはり新浄書譜が完成した貴志康一の代表作=交響曲「仏陀」と共に、大阪フェスティバルホールで行われた「志賀山千歳+大阪フィル」公演で演奏されました。貴志の伝記を初めて書かれた日下徳一先生によれば

「オーケストラもお客さんも、乗り乗りの演奏でしたよ」

ということで、伺えなかった事が返す返すも残念でした。

 浄書させていただいた「日本組曲」は2016年4月、甲南学園貴志康一記念室から出版されました。(3,000円)
このスコアをご覧いただき、今後多くのオーケストラでぜひ演奏していただきたい、と今私は心より願っています。
その時は私も必ず駆け付けたいと思っています。楽譜作成の間いっぱいいっぱい対話した貴志と、再び会えるのですから。


「日本スケッチ」浄書スコア発売

 代表作「日本組曲」に続き、私共ではふたたび貴志康一記念室の委嘱を受け、「日本スケッチ」(1933 ?) 全4曲の演奏用浄書譜を完成、2016年4月に出版されました。(2,000円)
この作品にもこれまで手書きのパート譜が存在し、演奏に大いなる貢献を果たして来ました。しかし改めて自筆 (代筆?) スコアと見比べたとき、細かい部分で記載の異なる部分が何箇所か発見されました。また従来の譜面に記載が見送られていた判読の難しいドイツ語表記等も、名古屋日独協会のご協力をいただいて全て解読しております。何より演奏者が演奏しやすい、信頼に足る譜面作成を目標に作成致しました。
 「日本組曲」と共に、この「日本スケッチ」も、新たに演奏してくださる団体が名乗りでてくださる事を、心より願っています。

楽譜のお問合せは甲南学園貴志康一記念室まで
                         (2016.4  岡崎 隆)

 〜 このページは今後随時書込みの予定です 〜 



上記の文章を記すにあたり、下記の資料を参考にさせていただきました。

(文献)
「貴志康一 よみがえる夭逝の天才」(日下徳一 2001)
「貴志康一 永遠の青年作曲家」(毛利眞人 2006)
「貴志康一と音楽の現代」(梶野絵奈、長木誠司、H.ゴチェフスキ 2011)

(小冊子、雑誌)
「貴志康一の生涯」 (都島区役所 2008)
「KOICHI KISHI 貴志康一」 (甲南学園 貴志康一記念室)
「甲南学園 by AERA」(朝日新聞社 2014)

(CD)
「貴志康一 幻の自作自演集」(貴志康一/ベルリンpo. Victor VICC-5011)、
「貴志康一 ヴァイオリン作品集」 (Vn. 木野雅之 ほか MITTENWALD MTWD-99013)
「バレエ音楽 天の岩戸」 (小松一彦/大阪センチュリーso.  Victor VICC-60426)
「貴志康一 交響曲「仏陀」」 (小松一彦/サンクトペテルスブルクso. Victor VICC-155)
「転生 貴志康一 作品集」(KK-Ushi KSHKO-1)
「交響組曲「日本スケッチ」「ヴァイオリン協奏曲」 (Vn. 数住岸子、小松一彦/東京都so.  Victor VICC-40)  各解説



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