鬼頭恭一/作品一覧

(2018.2.13現在)


★ 鎮魂歌 (レクイエム)〜正宏君の英魂に捧ぐ〜 (1942)

 (13小節/1分)

昭和15年(1940年)4月、鬼頭恭一は田園調布の親族・佐藤家に居候を始め、東京音楽学校 作曲科入学を目指して勉強を重ねていた。翌16年12月、日本は米英と開戦。17年2月にはビルマ方面に従軍していた従兄・正宏の戦死が伝えられる。恭一はただちに鎮魂歌 (レクイエム)を作曲し、故人に捧げた。アダージョ・グラチオーソ (優美にゆっくりと)と記された、楽器指定のない16小節のコラール 風小品。自筆譜は現在、靖国神社・遊就館に所蔵されている。

★ アレグレット イ短調 (作曲年不詳)

 (186小節/4分)

2015年7月発見曲。同年7月21日、東京藝術大学奏楽堂において渡辺健二のピアノにより戦後初演。
a-b-aの三部形式 からなるピアノ独奏曲。イ短調の生き生きとした印象的な主題で始まる。このテーマは短い経過部を挟んで何度も執拗に繰り返され、一転、中間部 (トリオ)では、8分の6拍子・ニ長調の美しい舞曲が登場する。大好きだったショパンのメロディや欧州のコントルダンス 風のリズムなどから、恭一の西欧音楽に対する強烈な憧れが伺える。やがて冒頭のイ短調の主題に戻り、テンポを変えながら曲は一気に終りを告げる。

★ アレグレット ハ長調 (「昭和19年7月6日、築城航空隊にて」の記述あり)

 (66小節/2分40秒)

2015年7月発見曲。同年7月21日、東京藝術大学奏楽堂において澤和樹のヴァィオリン、渡辺健二のピアノにより戦後初演。
昭和18年10月に海軍航空機操縦士の試験に合格していた恭一は、同年12月10日学徒出陣し、呉・三重で訓練を重ねたあと、九州・築城航空隊に転勤となった。ここで約1年の時を過ごす事になる。この「アレグレット ハ長調」は訓練の合間の休憩時間や休日に、小学校のベビーオルガンなどを使って作曲された、独奏楽器とピアノのための小品である。「アレグレット イ短調」と同様にa-b-aの三部形式で書かれているが、自筆譜には独奏楽器の指定がなく、2015年7月の藝大初演以降専らヴァイオリンで演奏されて来た。音域的にはヴィオラやチェロなど他の弦楽器 、木管楽器でも演奏出来る。曲は和音のさざめきが美しいピアノに乗って、独奏楽器が柔らかな主題を奏し始める。Dolce und sotto voce (柔らかく、そして そっと声をひそめて) と、イタリア語とドイツ語がなぜか混在して書かれているのが謎。中間部に短調の行進曲風な旋律が表れるが、やがて冒頭の平和な主題に戻り、静かに曲は終わる。

★ 無題 (女子學徒挺身隊の歌)

 (20小節/1分)

2015年7月発見曲。依頼を受け作曲されたと推測される、歌と伴奏によるシンプルな小品。
同年12月15日、名古屋パストラーレ合奏団特別演奏会「鬼頭恭一 メモリアルコンサート」において、メロディのみが演奏され (指揮/岡崎隆)、2017年11月23日、東京藝術大学音楽学部内第2ホールにおいて、薮内俊弥・山下裕賀の歌、松岡あさひのピアノにより戦後初演された。
鬼頭の音楽ノートに記載されていた草稿の段階と思われる譜面から、浄書譜が作成された。繰返し記号の記述から歌詞は4番まであったと推測されるが、未発見。
この作品が生まれた経緯、作曲された当時所属していた旧築城航空隊周辺での演奏記録などについて現在、東京藝大音楽学部大学史史料室が引き続き調査中である。

「女子學徒挺身隊の歌」歌詞 (作詞者不詳)

神州無窮の天地と 栄える國の女子學徒

大詔畏みて 祖國の難に敢然と

いざ立て我ら 挺身隊


★ 歌曲「雨」(1944)


「皇紀2604 (註/昭和19) 年10月30日〜11月3日作曲完成」という書き込みあり。 (67小節/5分)鬼頭恭一の代表作。自筆譜は現在、靖国神社・遊就館に所蔵。昭和19年秋、婦人雑誌に掲載された「雨」と題された和歌山県の女性の詩をもとに作曲に着手、わずか4日間で完成した。曲は静かに雨が降る故郷の情景から始まる。そこへ、愛する人が戦死し遺骨が帰って来たという知らせが届く。遺品を前に涙に暮れる女性。ふと外に目をやると、雨は静かに変わりなく降り続いている。生前この「雨」の紹介に全力を尽した恭一の弟・哲夫は「雨」は兄の反戦への精一杯の意思表示、と証言している。「生と死を貫くシンフォニー」や「カルメンのような人間臭いオペラ」を書くことを願っていた恭一の、その萌芽と言える「悲劇的和音」「ハーモニーの進行」「劇性」が、この5分の小品の中に込められている。1975年9月、築城で鬼頭から譜面を預かった讃井智恵子の依頼を受け、同月22日、恭一の妹・佐藤明子のピアノ、三宅悦子のソプラノにより初の録音が行われた。2015年7月恭一の母校藝大で永井和子のメゾ・ソプラノ、森裕子のピアノにより試演がなされ、同8月11日には名古屋・宗次ホール において成田七香のソプラノ、重左恵里のピアノにより公開初演された。その後も名古屋・東京を中心に再演を重ねている。


「雨」 詩/清水史子  曲/鬼頭恭一

たちばなの 眞白き花に はつ夏の 小雨けむりて

たちばなの ゆかしきかをり ふるさとに 匂へるあした

わたつみの 潮の香こめて ますらをの かたみ届きぬ

大君の 御名となへつ ほほゑみて 南に散りし

ますらをの かたみとゞきぬ   

かずかずの かたみの品に 在りし日の おもかげ偲び

とこしへの いさをたゝへて 文机に ひとりしよれば

たちばなの 紀伊の國辺に ひねもすの 小雨けむりぬ

(註) 恭一は作曲にあたり、最後の歌詞を「はつ夏の 小雨けむりぬ」に変更している。


★ 惜別の譜 (1945、讃井智恵子作曲/鬼頭恭一編曲)

 (16小節/1分15秒)

昭和20年4月、恭一は築城で奇跡的な再会を果たす。その人物は東京音楽学校選科時代の同期生・讃井智恵子であった。彼女は同科を1年ほどでやめ故郷・門司へ帰郷、その後築城に疎開し航空隊で事務生として働いていた。讃井の疎開先にピアノがあると聞いた恭一はその後日曜日ごとに訪れ、一日中ピアノを弾くようになった。恭一の情熱に刺激を受けた讃井は、自らも作曲を試みるようになった。「惜別の譜」は讃井が作曲した旋律を恭一が四部合唱に編曲したもので、自筆譜には5月17日と記されている。鎮魂歌と同様な16小節のコラ−ル風作品である。なお作品完成直後、恭一は特攻訓練のため山形への転勤を命じられ、この「惜別の譜」が彼の最後の作品となった。
1975年9月23日、名古屋で行われた「鬼頭さんを偲ぶ会」において讃井智恵子のエレクトーンにより戦後初演が行われ、2015年12月15日、名古屋パストラーレ合奏団特別演奏会「鬼頭恭一 メモリアルコンサート」において永井和子のソプラノ、森裕子のピアノ、名古屋パストラーレ合奏団 (指揮/岡崎隆)により再演された。


(讃井 智恵子)



(惜別の譜/歌詞)

人の命の さだめなら

蕾のうちに 散ろうとも

我が身のなどて 惜しむらん

祖国に春の 来るものを