おかざきたかし/創作童話集・2


「オバケの手」

「オバケのかなしみ」
「よろこびの歌」

「涙」
「花火」
「カマキリ先生」
「校長先生

「愛の夢」
「別れの曲」1  「別れの曲」2  「別れの曲」3
「トロイメライ」
「荒城の月」
「子猫のフー助」
「ドント・ウォーリー」
大草村の「じょうやとう」

「けんたのヴァイオリン」



「オバケの手」


                    さく/おかざきたかし


 ぼくは健太。知多南小学校の三年生だ。
じつは今、ぼくには、なやみがある。それはママが毎日のように「ヴァイオリンをならえ、ならえ」と、うるさいことだ。
ぼくはヴァイオリンなんて女がやるものだ、と思ってたから、トーゼン「いやだっ! 」とことわった。
だってぼくには、おっきなゆめがあるんだもの。それは、プロ野球の選手になることさ。
そう、ぜったい中日ドラゴンズに入るんだ。
 でも、ママは「健太がヴァイオリンならってくれないんなら、ママ家出する! 」
なんて言いだすんだ。ママが家にいなくなっては、ぼくもパパもちょっと・・・いやソートーこまる。
ぼくは、しかたなくヴァイオリンをならうことにした。
ママの、うれしそうな顔ったら!・・・
あんな笑顔、ぼくは生まれてはじめて見たぞぉ。

 こまかい雨がサラサラとふる日、ぼくはママにつれられ、はじめてヴァイオリンの先生の家に行った。
「やあ、こんにちわ !  はじめまして、ぼうや。よーく来たね」
先生はりっぱなひげを生やした、おでこの大きなおじさんだった。
 (スッゲーはくりょく・・・・)
ぼくは先生の顔を見て、おもわず大興寺のおまつりのときに見た、まっ赤なだるまを思い出した。
「さーて。じゃ、きょうのレッスンを始めようかな」
だるま先生は、ぼくの顔をまん丸い目でじいっと見つめたかと思うと、
いきなりものすごい声で、
「オバケーッ」
と言うじゃないか !
「キャアーーーッ」
ぼくは先生が、どうかしてしまったかと思った。
「ハハハ … さ、先生と同じかっこうをしてごらん」
見ると、だるま先生は両手をダラリと前に出して、オバケのかっこうをつづけている。
「ええっ?」
ぼくは、きつねにつままれたようなきもちで、先生とおなじように、両手を前にさしだした。
「よーし。じゃ、その手の形のままで、この弓をもってごらん」
ぼくはこのとき、生まれて初めてヴァイオリンの弓にふれたんだ … そう、先生と同じ『オバケの手』で。
「そう、そうだ。ヴァイオリンの『弓をもつ手はオバケの手』。これを、まずさいしょに、よくおぼえておきたまえ」
おもしろい先生だなあ・・・あとでわかったんだけど、『オバケの手』でヴァイオリンをひけば、手によぶんな力がかからなくて、いい音がするらしいんだ。
 やがてだるま先生はケースから、ピカピカのヴァイオリンをとりだした。
「さあ、これを君のあごにはさんでごらん」
軽そうに見えるヴァイオリンも、あごのところに持ってくると、けっこう重い。
 ( こんなもの、ひけっこないや )
「ウン、初めてにしては、なかなかいいかまえだ。じゃその弓をゆっくりと、動かしてごらん」
ぼくはおそるおそる弓を動かしてみた、そのしゅんかん…
 ギギキッ、グェッ、グワァッ!!
と、ものすごい音がした。
ぼくは、目のまえがマックラになった。
「いいぞっ! やっぱり男の子だなぁ。力強い、りっぱな音だ」
だるま先生はニコニコと、ほほえんでいる。
ぼくは、なさけなくなってきた。
ああ、こんなイヤな音のする楽器と、これからずうっとつきあってかなきゃならないのか …。
 ぼくが一生けんめいギコギコやっていると、長いかみの毛をした女の子が、へやの中にはいって来た。
女の子は、ぼくの音を聞いて、クスッと笑った。
 ( こらっ笑うな ! 、こっちは初めてなんだからっ )
ぼくは、女の子をにらみつけた。
「よーし、今日は、このくらいにしておこう」
ぼくはホッとして、いすの上にすわり込んだ。あごの間には、なにかがハサまったようなかんじだし、手はひんまがっていたいし、もうさんざんだ。
 先生は、長いかみの女の子にむかって言った。
「じゃこんどは恵里ちゃん、ひいてみようか」
「はいっ」
「あ、健太君も聞いていきたまえ」
「ええ、ぜひうかがっていきましょう。ね、健太」
ママのことばに、やっとこの場からにげられると信じていたぼくは、思わずガクッとなった。

 女の子は、ぼくのよりずっと大きなヴァイオリンを、サッとあごにはさんだ。
その動きがみょうに決まってて、 カッコいい。
 だるま先生が、静かにピアノをひきはじめた。よく見ると、女の子はもうちゃんと『オバケの手』をして待っている。

 ( ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ )

 ( なんて、きれいな音なんだろう … )
女の子の『オバケの手』は、まるで弓と一つになったみたいに、しっかりとヴァイオリンの弦に吸いついている。
小きざみにゆれている女の子の左手の動きが、ぼくの心の中に、小さなさざ波のように、つたわってくる気がした。
「恵里ちゃん。ずいぶん練習したね!」
「はいっ、ありがとうございます」
「今日の『テャァァースのめいそう曲』はかんぺき、『カンペキの毋』だ!」
「プッ、」
だるま先生のことばに、ママは大笑いしている。何がそんなにおかしいのかな?
「健太くん、恵里ちゃんのヴァイオリンはどうだった?」
だるま先生が、きいてきた。
「ウン … とっても、じょーず … 」
「『お上手でした』、でしょっ」
ママが、ぼくのおしりをポンッとたたいた。
「ハハハ…君もがんばれば、きっと恵里ちゃんみたいに、うまくひけるようになるよ」
「ホントッ?、先生っ」
「ああ、本当だとも」
 だるま先生は、まあるい目をほそめながら、やさしくほほえんだ。

 早いものさ。もうあれから四十年 … 僕は今日もすっかりスリ切れたケースからヴァイオリンを取り出す。
目の前には今日はじめてやって来た男の子が、緊張した表情で僕の前に立っている。
僕はおもむろに両手を前にダラリと出すと、いつものように大きな声で、
「オバケーッ」
とやった。
「キャッ」
男の子は、びっくりして僕の前を飛びのいた。その目のかがやきは四十年前の僕と同じさ。
「ははは … ごめんごめん。じゃ、先生と同じ手をしてごらん」
「えっ?」
「『弓をもつ手はオバケの手』なのさ。よく覚えといてね ! そう、そう、その調子」
男の子に話しかけながら、僕はふと壁にかけてある古ぼけた写真に目をやった。
そこには、だるま先生と恵里お姉ちゃんが、ニコニコと微笑んでいる。
(恵里姉ちゃん … )
僕が初めてだるま先生の家に行って、ヴァィオリンを習い始めてから、ちょうど一年後のことだ。あの伊勢湾台風が、恵里姉ちゃんを天国に連れて行ってしまったんだ …。
それを知った時、僕は一晩じゅう泣き明かした。優しかった恵里姉ちゃん … あの美しいヴァイオリンの音がもう二度と聞けないのが、僕にはたまらなく淋しかった。そしてそのことが、僕をヴァイオリンの道に進む決心をさせたんだ。
 僕は写真の二人の笑顔を、あらためてじっと見つめた。
恵里姉ちゃん、今ごろ天国でだるま先生と一緒に、バッハのドッペル・コンチェルト弾いているのかな。
ああ、いつの日か僕も『オバケの手』で、一緒に合奏したいなぁ … と思いながら。

                       (2003.6.22)

「オバケのかなしみ」


 ( あーん、エンエン、オバケはつらい… )
 ( あーん、エンエン、オバケはかなし… )
二人のオバケが、天じょう裏で、悲しそうに歌っていました。
「おい、オバケその1よ」
「ん、何だ?、オバケその2」
「おれはもう、オバケとしての生きがいが、見つからなくなってしまったよ」
オバケその2は、プッと噴き出しました。
「笑ってる場合じゃないだろ! 人間に怖がられなくなったオバケなんて、もうオバケとは言えないんだからっ」
そうどなると、オバケその1は、ぶるぶるっと体をふるわせました。
「そうだな…この家の連中は、最初からおれたちのこと、相手にしてくれないもんな」
「そう、特に健太のやつなんか、この頃はおれの顔見たらアカンベーするんだ。もう、おれのオバケとしてのプライド、ずたずたさ」
オバケその1は、よよよ…と泣き始めました。
「どうすれば人間たちが、昔のように僕たちのこと、 怖がってくれるようになるかなぁ」
オバケたちは、深いため息をつきました。

「おい、ニュースだ、ビッグニュース!」
次の日、オバケその2が大声をあげながら、天井うらに、かけ込んで来ました。
「今夜、いとこの良太が泊りにくるって」
「ほ、ほんとうかっ」
オバケその1の顔が、ぱあっと明るくなりました。
「よおーし、じゃ今夜は、がんばろう!」
二人のオバケは、固く手を握りあいました。

その夜、良太が眠そうに目をこすりながら、
トイレの扉を開けた、その時です。
「オバケーー」
「ギャアアアッ!」
良太は大きく尻もちをつくと、一もくさんに、部屋の方へ逃げ出しました。
「おいっ、やったなあ!」
「うん、やった!。あんなに怖がってくれて…ああ、生きてて良かった!」
「ん?」
オバケたちは顔を見合わせると、「ハハハ…」と嬉しそうに笑いました。

「おい、どうしたんだ良太」
「あ、健ちゃん…で、でた、オ、オバケが」
「なあんだ、オバケかぁ」
「ええっ…け、健ちゃん、怖くないの?」
「べぇつに。テレビゲームのエイリアンの方が、ずうっと怖いさ」
 そのとき、天井うらから、楽しそうな歌声が聞こえてきました。
「ほら、オバケたち、あんなに喜んでるぜ。良ちゃんが、怖がってあげたもんから」
「だって…僕、本当に怖かったんだもん」
 ( あははは、エヘヘヘ、オバケはゆかい… )
 ( あははは、エヘヘヘ、オバケはたのし… )


「よろこびの歌」


♪ふろいでーしぇーねる、げったーふんけん、とふとーらーせー、いーじおうむ♪
「おっ、またおじいちゃんの『ふろいで』がはじまったぞ」
「きょうはのどの調子、いいみたいね」
パパとママが、うれしそうに話してる。
でも…おとなが、あんな大っきな声あげて、おふろで歌ってるなんて…僕何か、やだなぁ。
「あー、いい気持ちじゃ」
おじいちゃんが、真っ赤な顔で出て来た。
「ねえおじいちゃん、よく『ふろいで』って曲、歌ってるけど、あれ、おふろの曲なの?」
「ハハハ…あれはベートーベンという人が作曲した、『第九交響曲』という、とーっても有名な曲さ。
あのな健太、『ふろいで』というのは、『よろこび』という意味なのじゃよ」
「へえー」」
「おじいちゃん、十二月にオーケストラと一緒に『第九』を歌うことになったのよね」
「ああ、まるで夢のようじゃ。健太もコンサート、聴きに来るんじゃぞ」
「えっ…」
僕、コンサートなんて行きたくないよお。
でも・・・一人で留守番してカップラーメン食べるの、もっといやだし。
あーあ、仕方ないなあ。

それから三ヶ月後、僕はパパとママと一緒に、初めてオーケストラのコンサートに行った。
「健太、ほらおじいちゃん、あそこあそこ」
あっほんとだ。はしっこの方に、いたいた。
 指揮者の人が登場し、演奏が始まった。
でも僕は、だんだんたいくつになって、いつの間にか眠ってしまった。
 とつぜんオーケストラが、ものすごい音を出した。
ビックリして目をさますと、やがて低い音の楽器が、聴いた事のあるメロディーを演奏しはじめた。
あっ、おじいちゃんがいつも歌ってる、『ふろいで』じゃん!
 やがてコーラスの人たちも、大きな声で『ふろいで』を歌い始めた。
おじいちゃんも、みんなといっしょに大きな口をあけて、歌ってる。
すごい一生けんめい。
それにすごい迫力!僕は、胸の中がだんだん熱くなって来て、おもわず、両手をグッとにぎりしめた。
コンサートのあと、僕はパパとママといっしょに、おじいちゃんに会いに行った。
「おじいちゃん、とってもカッコ良かったよ」
「やあ健太!。たいくつじゃなかったかい」
「うん…とちゅうは、ずっと寝てたけど」
「ハハハハ…そうじゃろ、そうじゃろ」
おじいちゃんは大きな声で笑うと、
「あー、これで良い年が迎えられそうじゃ」
とうれしそうに言いました。

  
               

 「涙」



 お地蔵さまの縁日で有名な大草村に、トヨとヨンボという、二人の若者がおりました。
トヨは働き者で、朝早くからお日さまが伊勢の山並みの向こうに落ちるまで、毎日小さな畑で一生懸命働いておりました。
一方のヨンボはといえば、働くことが大嫌い。毎日村人たちと、賭け事に明け暮れていたのです。
 でも、二人は大の仲良しでした。
ある日のこと、トヨは、道ばたに苦しそうにうずくまっているおばあさんを見つけました。
「おばあ、どうしただ」
「あ、ああトヨ… 胸が急に苦しうなってな」
「そりゃ大変だ」
トヨはおばあさんをヒョイと肩に背負うと、スタコラサッサと歩き始めました。
「すぐ、お医者へ連れてってやるでな」
「す、すまねえなぁ…、実はお前が来る少し前に、ヨンボのやつが通りかかったんじゃが、約束があるとかゆうて、行ってしまった…」
「あいつはきっと、バクチで忙しいんだろ」
「トヨ、お前は本当に優しい男じゃなあ…」
おばあさんはトヨの背で、ポロポロと涙を流し始めました。その涙はトヨの広い背中にポタポタとこぼれ落ちました。
「ああ…おばあの涙は温かくって、気持ちいいわい」
「トヨ! お、おめえ、この汚いばばあの涙を、気持ちいいって、言ってくれるのか」
「ああ、おら涙が大好きだ。『辛い時の涙だって、いつか嬉しい涙に変わるんだよ』って、おっ母がよく言ってたし… それにな」
「それに?」
「涙ってのは、うそのない、本当の人間の心のあらわれだと、おら思うんだ」
「そ、…そう、その通りじゃ」
おばあさんはトヨの肩の上で、何度も何度も大きくうなずきました。

 月日のたつのは何と早い事でしょう。あんなに若くて元気だったトヨとヨンボも、すっかり年を取り、そして何と、全く同じ日に死を迎えたのです。
あの世に向う一本道を、ふたりは落ち着かない様子で歩いていました。
「おいトヨ、わしらはこれから一体、どこへ行くことになるんじゃろ」
「そりゃ極楽か地獄か、のどっちかさ」
「ああ、もっと良い事をしとくんだった」
ヨンボは、ブルッと体を震わせました。
しばらくするとふたりは、道が二つに分かれている場所にさしかかりました。
「お、お地蔵様!」
なんとそこには、トヨが毎日拝んでいた大草のお地蔵様が待っておられたのです。
「トヨさん、お待ちしていましたよ」
お地蔵様の横から、若く美しい女の人がニッコリと微笑みました。
「あ、あなたは?」
「お忘れですか。いつか私が道ばたで苦しんでる時に助けていただいた、ほら、あの」
「お、おばあ!」
トヨは、女の人を改めて見つめ直しました。
「そんなに見ないで。こちらの世では、皆いちばん美しかった頃の姿になれるのですよ」
横で、ヨンボがモジモジしながら言いました。
「へへへ…、あ、あのー、お地蔵様ぁ」
「おや、あなたは誰でしたっけ、確か一度もお参りに来られた事ありませでしたよ、ね」
お地蔵様が、ウインクしながら言いました。
「はっ、これからはもう毎日、そりゃあ、しっかりと、拝ませていただきますんで」
「これからっていわれてもねぇ…」
お地蔵様は袖から、何やら取り出しました。
「あっ、そ、それはケータイ電話!」
「そうですよ。こちらの世も、グローバルな時代を迎えてますのでね。今からあなたを迎えに来てくれる方に、連絡を取りますから」
えー、二、五、九番と」
「えっ…ひょっとして、ジ、ゴ、ク?」
「ピンポーン!」
お地蔵様が明るく叫ぶと同時に、ヨンボはその場にヘタッとしゃがみこんでしまいました。
「ヨンボとやら、心配はいりません。そなたは確かに、いったん地獄の入り口まで行かねばなりませんが、そこで閻魔様の取り調べを受け、悪人で無い事がハッキリすれば、またここまで戻ってこられるのです」
「え、閻魔様の取り調べって」
「ああ、浄玻璃の鏡という、生きていた頃の行ない全てを写し出す鏡を、閻魔様がご覧になるのですよ」
「ああ、もうだめだっ」
ヨンボは頭を抱え込みました。
「大丈夫だヨンボ、お前は何も悪い事はしていない。取り調べが終ってお前が帰って来るまで、おらここでちゃんと待っているから」
トヨが言いました。
 その時です。地面の下の方からズシン、ズシンと物凄い物音が響いて来たかと思うと、天をつくような赤鬼が姿を現しました。
鬼は、ヨンボの方をジロリと睨み付けました。
「さーあヨンボとやら、わしと一緒に行こう」
「い、いやだ。いやだあぁぁぁぁ」
ヨンボはその場から、逃げ出そうとしました。
「ええい、往生際の悪いやつめ」
赤鬼は、あっという間にヨンボをひっつかむと、その分厚い背中に背負いました。
「さあ行こう、楽しい地獄、愉快な地獄へー」
赤鬼は歌いながらヨンボを背に、今来た道を、帰りはじめました。
「ヨンボーォォォ、待っているからなぁ」
そう叫ぶトヨの横で、お地蔵様と女の人が、静かに何度も、うなずいておりました。
「ト、トヨぉぉぉ」
ヨンボの目からはポロポロと大粒の涙があふれ、赤鬼の背中にこぼれ落ちました。
「うへぇっ、気持ち悪い」
赤鬼が叫びました。
「何言ってんだ、流したくって流してる涙じゃねえんだっ。あのな、涙ってのにはな、うそやいつわりが無いんだぞ!」
ヨンボは、もうどうでもなれと怒鳴りました。
「なるほど… 涙にはうそが無い、か」
赤鬼は、なぜか感心したようにうなずきました。
「ま、今のはトヨがいつも言ってたことなんだけど、さ」
ヨンボは照れくさくなって、言いました。
「そうか。ヨンボとやら、そのトヨとは良い友達だったのか?」
「ああ、今だって、そしてこれからもずーっと友達。永遠に親友さっ」
赤鬼は大きくうなずきました。
「なーるほど。わしも青鬼という親友がいるから、こんな辛い仕事でも毎日元気にやっておれる。友達ってのは、いいもんだよな」
赤鬼の思いがけぬ優しい言葉に、ヨンボは恐さが和らいで行くのを感じていました。
「閻魔様には、わしからもよく申し上げておこう。こいつはうそのない涙を流せる、友達を大切にするいい奴です、とな」
ヨンボは赤鬼の肩を、ぐっと抱きしめました。


「花火」


パ・パ・パパパパハ・・・ドドドゥーーーン
「わあぁぁぁ、きれいぃっ」
「たっまやぁぁぁーーー」
きょうは皆が待ちに待った、年にいちどの大花火大会の日。 赤、青、黄色の花火たちが夜空いっぱいに、咲きみだれています。
「ばあちゃんっ、ほら、ほらっ」
背中におんぶされている真弓が、小さな指をのばして叫びました。
でも富士子さんは、じっとだまって、花火を見つめています。
「・・・ばあちゃん、泣いてんの?」
手をつないでいた建太が、ビックリしたように聞きました。
「ああ・・・ごめん、ごめんな」
富士子さんは、あわてて涙を手のひらでふくと、ニッコリと言いました。
「ばあちゃんなぁ、花火見ててつい、むかしむかーしのことを、思い出しちゃったのさ」
「へえーっ、むかしむかーしって、ばあちゃんが、こどもだったころ?」
「そうさ。ばあちゃんがまだ、真弓くらいのときのことさ」
そう言うと富士子さんは、遠くを見つめるような目になりました。

パ・パ・パパパパハ・・・ドドドゥーーーン
「わあー・・・・き・れ・い 」
ふじ子は、うれしそうに叫びました。
でも、ふじ子が手をつないでいる、おかあさんの目からは、大粒の涙がこぼれ落ちている
ではありませんか。
 ( どうして、あんなきれいなものを見てるの に、おかあさん、泣いてんだろ? )
「ああ、清治は、だいじょうぶじゃろうか。あの火に、のみこまれてるのでは・・・」
おかあさんが、そうつぶやいたときです。
「コラーお前ら、早く防空ごうに入らんかっ」
おじいさんの大きな声が、うしろの方から聞こえました。おかあさんはあわててふじ子の手をぐいっとひっぱると、かけだしました。
「やだ、やだー。ふじ子、まだ花火見たい」
「ふじ子!」
おかあさんは、ビックリするほど大きな声で叫びました。
「あれは、花火なんかじゃないの・・・名古屋が、名古屋の町が燃えているのよっ」

パ・パ・パパパパハ・・・ドドドゥーーーン
「それで、それで清治さんっていう人は、大丈夫だったの?」
建太が、心配そうに聞きました。
「・・・・・・」
富士子さんは何も答えず、静かに首を振りました。
その時です。建太のすんだひとみに、花火がぱあっと映りました。
富士子さんは建太の両目を、じいっと見つめました。
「きれいじゃ・・・わしがこれまで見たどの花火よりも、ずっと、ずうっときれいな花火じゃ」
富士子さんは、建太の肩をしっかりと抱きかかえると、うれしそうに言いました。

     

「カマキリ先生」


「こらっ、だれだー廊下走っとるのはっ!」
物凄いどなり声に、健太、章二、円太郎の悪ガキ三人組は思わず、立ちすくみました。
「ゲッ、カマキリだ」
見ると、職員室の窓から片桐先生が、ものすごい迫力でこちらを睨みつけています。
「なんだ、お前たちか。教室の掃除はもう済んだのか? よし、今から見にいく」
( シマッタ! )
健太は心の中で叫びました。当番をさぼって、今まで体育館の裏で遊んでいたのがバレてしまう・・・。
「何だこりゃ・・・ホコリがいっぱいたまっとるだないかっ、オラオラッ」
教室にたまったホコリを、片桐先生は指ですくうと、健太たちの目の前に突きつけました。
「やっぱりお前たち、掃除さぼったな。先生は決められた事を守らない奴は大嫌いだ。
わしがいいと言うまで、三人で朝礼台で立っとれっ!」
健太たち三人は運動場の朝礼台の上に立たされました。
下校する子供たちが皆、健太たちをひやかしていきます。
たまらず章二がしくしくと泣き出しました。やがて円太郎もしゃくりあげ始めました。
でも健太は ( 泣くもんかっ! )と、ひとり頑張っていました。
健太たちの影がすっかり長くなった頃、片桐先生がやってきました。
「よーし、もう帰ってよろしい。これからはちゃんと決められた事は守るんだぞ」
三人ともコックリとうなずきました。
先生は健太の肩をそっと抱きました。その時、健太はハッと思いました。
( とうちゃんとおんなじ臭いだ・・・)

「おい、大変だ!、大事件だ!」
次の朝、円太郎が血相を変えて教室に飛び込んできました。
「どうしたんだよ、そんなにあわてちゃって」
「あのな、ゆうべカマキリが車にはねられて、大けがしたんだって」
「エエッ!」

「よう、健太じゃないか」
病室に入ると、片桐先生は思ったより元気そうでした。
でもその顔は青白く、胸には白い包帯がぐるぐる巻にされ、見るからに痛々しそうでした。
何よりも、いつも教壇から見下ろしている先生を、今日は自分が見下ろしている事に、健太はとても不思議な感じがしました。
「いやー、先生車と相撲取ってしまってなぁ・・・ちょっとお酒飲んで気持ちが大きくなっていたのがいかんかったようだな。
肋骨を三本も折ってしまったよ」
先生はつとめて元気さうにしゃべろうとしているのが、健太にもよく分かりました。
「でもなぁ・・・まさかお前が真っ先に見舞にきてくれるとはなぁ・・・いつも叱ってばっかりだのに」
そう言うと、先生は静かに笑いました。
「先生・・・だって」
「ん?」
「僕、先生が学校にいないと、何か寂しいんだ・・・まるで、とうちゃんがいなくなった時と同じような気がして」
健太の言葉に、先生はハッとしました。
「そう言えば健太のとうちゃんは、たしか去年・・・」
あとの言葉が続きませんでした。先生は顔をそっと反対側に向けると、そのまま黙りこくってしまいました。
健太にはその肩が小刻みに震えているように見えました。

 数ヵ月後、片桐先生は退院し、学校に戻って来ました。
でも先生は以前とは比べ物にならない位もの静かになり、健太たちをほとんど叱らなくなっていました。
それが健太はなぜか面白くありませんでした。
「よーし」
ある日、健太はある決心をしました。円太郎たちと相談し、職員室の前まで来ると、三人で一気に物凄い勢いで廊下を駆け出しました。
「こらーっ、誰だっ」
懐かしい声が、職員室の中から響いてきました。
「すみませーん!」
「ごめんなさぁーい」
健太たちは明るく叫びました。


「校長先生」


「校長せんせーい、お元気でーっ」
「さようならぁーっ」
 今日は校長先生の退任式の日です。
校門のまわりには、先生方や子供たちが全員集まって、ちぎれるように手を振っています。
校長先生は、両手に抱えきれないほど一杯の花束を手にして、ゆっくりゆっくりとおじぎをくり返しながら
「皆な、みんな・・・・ありがとう」
校長先生は、通い慣れた校舎を何度も何度も振り返りながら、つぶやきました。
( 房江、ふさえ・・・とうとうこの日が来たよ。お前の言葉だけを支えに、ここまで何とか無事やって来れたんだ。
本当にありがとうな。)
校長先生は、五年前の悲しい別れの日のことを、いつしか思い出していました。
 
「片桐さん、片桐さん!
先生が病室の方へ至急、来て下さいって」
「あ、はいっ」
突然の看護婦さんの呼び出しに、病室へ駆け込むと、校長先生の目には顔一杯に汗をかいて、苦し気に悶える奥様の姿が飛び込んで来ました。
「房枝、ふさえっ・・・しっかりするんだ」
「あ、あなた・・・」
荒い息づかいのなかで、校長先生の奥様は先生の手をぎゅっと握り締めながら言いました。
「とうとう私も、神様からお迎えが来たみたい・・・」
「何を言っているんだっ。まだまだ、大丈夫だ。気をしっかりと持つんだ」
「あなた・・・・私たちにはとうとう子供が恵まれませんでしたわね・・・」
「そ、そんなこと・・・」
「でも、でもあなたには学校に何百人もの子供達がいるのですもの・・・私がいなくなっても、退任の日まで、どうか立派に勤めてくださいね」
校長先生は、返す言葉もなく、ただ奥様の手をにぎり返すばかりでした。 

 数日後のある日・・・校長先生は、雨に濡れる家の庭を、一人ボンヤリと見つめていました。
( ♪あおーぎ見る やしの木揺れてー・・・)
校長先生の口から、退任した小学校の校歌が知らず知らずのうちに流れて来ました。
「いかん、もうわしは校長ではないんだ・・」
先生は気を取り直すように立ち上がりました。
( しかし、何か心にポッカリと穴が空いたようだなあ・・・ )
その時です。玄関のチャイムがなり、何かドサッという、大きな音が聞こえました。
( 何だろう・・・ )
玄関に向かった校長先生は、アッと驚きました。
手紙のいっぱい詰まった物凄く大きな袋が、二つも届けられているではありませんか。
「こ、これ全部私あてですか?」
「そうですよ。アー、大変だった」
若い郵便屋さんはそう言うと、ニッと笑いました。
「こんなに、一体何だろう・・・」
袋の中を見ると、どの手紙にも「校長先生へ」と書かれていました。
先生はその一通一通をゆっくりと、丹念に読み初めました。
(先生、先生はいつも朝校門の前で、登校してくる私たちに「おはようっ」て声を掛けてくださいましたね。
ちゃんと挨拶できなくてごめんなさい。今では私も小学校の先生になって、同じように子供達に「おはようっ」て声を掛けています )
「そうかそうか・・・」
校長先生は、思わずその目を細めました。
しばらくすると、袋の中に、ひときわ大きな封筒が目に入りました。
「おうっ、健次郎からだ」
健次郎は、校長先生が初めて先生になった時の子供でした。
( 先生!とうとう退職の日を迎えられたそうですね。今ごろはきっと、お庭でも見ながらボーッとされてるのではないですか? )
ズボシだなぁ・・・・先生は頭をポリポリと掻きました。
( 僕が先生に教えていただいていた頃は、いろいろと問題を起こして、何度先生に叱られたかわかりません。、本当に申し訳なく思っています )
まったく、あんなにいろいろと問題をおこす生徒はいなかった・・・・先生は新任の頃を懐かしく思い出しました。
( 僕が庄司と大喧嘩して、二人とも校庭の朝礼台に立たされたことを先生、覚えていらっしゃいますか? )
そう言えば、そんなこともあったなぁ・・・
( その時僕は思ったのです。こんな高い台の上に乗って、全校生徒の前で偉そうなことを言うなんて、何とカッコ良い仕事だろう!
よし、僕は大きくなったら絶対校長先生になるんだ、とこの時決心したのです。)
おやおや・・・・
( 残念ながらまだ校長先生にはなれそうもありませんが、今ぼくはあるアマチュア・オーケストラの指揮者をしています。
大勢の前でイイカッコをしたい、という願いはどうやら子供の頃から変わっていないようです )
ヘエー、あいつがオーケストラの指揮者ねえ・・・世の中間違っとる・・いや、世の中面白いもんだ・・・校長先生はフフッと笑いました。
( 実は校長先生のご退職を知り、僕は今度の定期演奏会で、ハイドンの交響曲第五十五番を取り上げる事にしました。
この曲は先生にピッタリの曲です。ぜひ聴きに来てください。)
ピッタリって、どういうことだろ?
先生は書棚の音楽辞典を取りました。そしてハイドンの項を調べるうち、思わず「アアッ」と声を上げました。
「ハイドン/交響曲第五十五番。 
第二楽章の主題が、まるで校長先生が生徒を叱っているように聞こえるところから、「校長先生」というニックネームで親しまれている」
そういうことだったのか・・・・先生は大きな声で笑いました。
そして、そっとつぶやきました。
「健次郎、ありがとう・・・」
先生は仏壇の写真をそっと手に取りました。
額の中で先生の奥様が優しく微笑んでいました。
先生は写真にそっと語りかけました。
「あの腕白坊主の健次郎が指揮者だってさ! お前も見たいだろう? 一緒に連れて行ってやるからな」


「愛の夢」


(いったい、どのくらい眠ってしまったのかしら・・・・)
気がつくとおばあさんは、ふわふわとした真っ白なわたの上に立っていました。
ふと前を見ると、5年前に亡くなったはずのおじいさんが、大きく手を振っているのが見えました。
「あ、あなたっ」
「おぅ・・・ふ、房枝 ! 」
おじいさんとおばあさんは、お互いをじっと見つめ合いました。
「・・・・待っていてくださったんですね」
うん、うんとおじいさんは、その首を何度も何度も振りました。
握り締めた両手の上には、おばあさんの涙のしずくがいっぱいに落ちて、二人の顔を写しています。
 ( ワン、ワン! )
足元で小犬が走り回っています。
「おおコロ、お前も待っててくれたのかい」
おばあさんは小犬を抱き上げました。
「ところで、真由美は大きくなったろうな」
おじいさんが尋ねました。
「ええ。私がここに来てしまったことで、さぞ悲しんでるんじゃないかしら・・・」
おばあさんはうつむきました。
「そうだな・・・。じゃ、ちょっと真由美の様子を見てみようじゃないか」
そう言うとおじいさんは、足元の白いモコモコを両手で「ええいっ」とかき分けました。
「あっ」
はるか下の方に、おばあさんの住んでいた家が、まるでマッチ箱のように見えています。
「・・・・ピアノの音が聞こえる。 『愛の夢』だわ、私の好きだった・・・」
「ほう」
「あの子ったら・・・・・」
おばあさんの肩をそうっと抱きながら、おじいさんがポツリと言いました。
「真由美はきっと、お前のことを思いながら弾いているんだ。・・・・・
よかったなぁ、あんなに優しい子に育ってくれて」
二人は、おでこをくっつけるようにしながら、小さな家をじっと見つめました。

「ねえ、おかあさん。今ごろおばあちゃん、どこでどうしているのかしら」
真由美は『愛の夢』を弾く手を、そっと止めて言いました。
「そうね・・・きっと天国でおじいちゃんと会って、いろんなお話してるんじゃないかな」
その時です。窓の外が急にぱあっと明るくなりました。
「あら、お日様がでてきたわ」
「わあ嬉しい。どこかに出かけようかしら」
真由美はサーッとカーテンを開けました。
「あっ」
「え、どうしたの」
「いま、雲の切れ間から、おじいちゃんとおばあちゃんの笑顔が、見えたような気がした」
「まさかぁ」
おかあさんが笑いながら言いました。
「・・・でも、きっと真由美のことを、二人でいつまでも見守っていてくれるわよ」
「そう・・・そうだよねっ」
おかあさんはそうっと真由美の肩に手をかけると、一緒に小さな青空を、じっと見上げました。


「別れの曲」1


「このピアノです。よろしくお願いします」
おばあさんが、小さく頭を下げました。
「へい、かしこまりました。おいっ健太、ピアノの下に、毛布かますぞっ」
運送屋の雄二さんは、アルバイトの健太と一緒に、古ぼけたピアノに手をかけました。
 その時です。
「おじいちゃんのピアノ、持ってっちゃイヤァーッ!」
 するどい声が、部屋中に響き渡りました。
見ると、おばあさんの後ろに隠れるようにしていた小さな女の子が、目に涙を浮かべながら、二人をにらみつけているではありませんか。
雄二さんと健太はビックリして、顔を見合わせました。
おばあさんは女の子の肩に優しく手を置くと、淋しそうに言いました。
「優香ちゃん。おじいちゃんはね、天国に行ってしまったので、もうこのピアノを弾く事が出来ないの・・・。
だから、誰かこのピアノを弾いてくれる人を、おじさんたちに頼んで、探してもらいましょう、ね」
女の子はイヤイヤと言うように、小さな首を振りました。
雄二さんは困ったような顔をして、頭をかいています。
「あのう・・・このピアノは?」
健太が聞きました。
「・・・はい、私の主人が音楽が好きで、よく弾いていたのでございます。
でも・・・今は誰も弾く者がおりません。
それに、ピアノを見るたびに、主人の事を思い出しますし」
「そういう訳だったのですか・・・」
健太は体をかがめると、女の子の目をじいっと見つめながら言いました。
「優香ちゃん。じゃお兄さんが、このピアノのお別れ会をしてあげよう」
キョトンとしている女の子にウインクすると、健太はピアノのふたを開け、鍵盤の上にゆっくりとその両手を滑らせ始めました。
「あっ、おじいちゃんの曲!」
女の子が、瞳を輝かせながら叫びました。
おばあさんの顔も、みるみるうちに、ぱあっと明るくなりました。
「『別れの曲』! あの人がいちばん好きだった・・・」
おばあさんの頬に、大粒の涙がこぼれ落ちました。
やがて健太の両手は、最後の美しい和音を、静かに奏でていました。
「ありがとうございました・・・主人もどんなにか喜んでいることでしょう」
「お兄ちゃん、ピアノ上手ねっ」
女の子がニッコリと言いました。
「へえ、お前ピアノ弾けるんだ。いいなー」
雄二さんが腕を組み、感心しています。
やがてトラックの荷台の上に、おじいさんのピアノが毛布にくるまれ、乗せられました。
「ピアノさん、さようならーっ。
 お兄ちゃん、さようならーっ」
そっと頭を下げるおばあさんの横で、女の子はいつまでも、いつまでも小さな手を振っていました。


「別れの曲」2


「ええっ・・・ウソ、ウソでしょう?」
「ほんとなの。あと一週間で健太君、北海道に行ってしまうのよ」
「そ、そんなぁ」
真由美は目の前が真っ暗になりそうでした。
健太君が、この学校にいなくなるなんて・・いつもクラスのみんなを笑わせ、人気者だった健太君が・・。
「ねえ真由美、私たちの手で健太君の送別会、やってあげましょうよ! あなたピアノ上手だから、何か弾いてくれない? 
私たち、真由美のピアノにあわせて歌うから」
「・・・わかったわ」
「じゃ私、送別会の会場に音楽室が借りられるように、先生にお願いして来るっ」
恵里はそう言うと、職員室の方に向かって走り出しました。

 一週間後、花やかに飾り付けられた音楽室で、健太の送別会が盛大に行なわれました。
「おい、よせよっ。ンもう、カッコ悪いなぁ」
テレ屋の健太は、しきりに頭をかいています。
送別会も終わりに近くなって来たと思われるころ、とつぜんピアノの音とともに、美しい歌声が、部屋いっぱいに響きわたりました。
( ♪ 去りゆく君に、胸いっぱいの思いをこめて・・・♪ )
 それはショパンの『別れの曲』でした。
それまではしゃいでいたクラス全員がシーンとなり、その美しい歌声に聞き入りました。
やがて、どこからともなく、すすり泣きの声が聞こえ始め、しだいに教室いっぱいに、ひろがって行きました。
『別れの曲』が終わると、先生がそおっと立ちあがりました。
「真由美たちの『別れの曲』聞いて、先生もジンとしてしまいました。
健太とは、今日でお別れなのですが、こんな心暖まる送別会を、クラスで自主的に開いてくれた。その事が先生はとっても嬉しい! 
なぜなら、みんなが健太のことを、大切な友達だと思ってくれていた事が、今日本当によく分かったからです。
 君たちはこれからの長い人生の中で、きっとまた今日のような悲しい別れを体験する事でしょう。
でもね、別れの悲しみが多いという事は、それだけまた出会いの喜びも多い、という事なのですよ。
これからの人生、どうかみんな、さまざまな出会いと別れを経験してください。
人は出会いと別れをくりかえすたびに大人になって行くものだ、と先生は思います。
健太も、今日は悲しいけれど、また北海道で、新しい出会いが待っているんだからね。 頑張れよっ!」
大きな拍手が、部屋いっぱいにおこりました。
「みんな、みんな、ありがとう。オレ、今日の事、一生忘れないよ・・・」
「何言ってんだい、健太らしくねえぞーっ」
「北海道へ着いたら、手紙くれよなっ」
必死で涙をこらえる健太の両手を、クラス全員が次々と、暖かく握りしめました。


「別れの曲」3


(・・・・・・・・・)
「あれ?、誰が弾いてるんだろう」
学校から帰ってきた健太は、応接間から聞こえて来る、たどたどしいピアノの音に、思わず耳をそばだてました。
「おじいちゃん!」
「おう健太か。アーア、見つかってしまったのう。
おじいちゃん皆に内緒で練習していたのじゃが・・・・しかしやっぱり、ピアノっていうのは難しいものだわい」
「一体何、弾いてたの?」
「うん、ショパンの『別れの曲』さ」
「ずいぶん静かで、きれいな感じの曲だったけど」
健太がそう言うと、おじいちゃんは顔をくしゃくしゃにして、健太を抱き上げました。
「そうか、きれいだったか! よしよしっ。
実はな健太、おじいちゃんにはこの『別れの曲』に、忘れられない思い出があるのさ」
「へえー」
「それはね・・・・」
おじいさんは、静かに語り出しました。

「今からもう五十年以上も前、太平洋戦争も終りに近い頃のことじゃ。
まだ国民学校を出たばかりのわしは、九州の陸軍航空隊のすぐ近くにあった、おじさんの食堂の手伝いをしておったんだ。
このおじさんというのが、ずいぶんハイカラな人でな。
自分では弾けもしないくせに、店の隅っこに、その頃としては珍しく一台のピアノを置いていたのさ。
 そんな店にやって来るお客さんの中に、新治郎さんという若い兵隊さんがいた。
この人がな、とーってもピアノが上手でな。『おい新治郎、何か一曲弾いてくれよ』と、よくほかの兵隊さんに、せがまれておった。
 最初はいつも勇ましい軍歌じゃ。
『見よ東海のー』とか『金鵄輝く日本のー』とか、店の中はいつも大合唱さ。」
「なに?、それ」
「ハハハ、健太に言っても分からないよな。
でも軍歌のあとは決まって、『荒城の月』や『さくらさくら』みたいな、しっとりとした曲に変わるんだ。
兵隊さんたちは皆、目に涙を浮かべながら聞いていたなぁ・・・。
最後は『湖畔の宿』とか、『別れのブルース』なんて、女々しいからという理由だけで、演奏禁止になっていた流行歌まで飛び出す始末さ。
でも、上官の人たちも見て見ぬふりをしておった。・・・きっと皆、特攻の兵隊さんたちだったから、大目に見ていたんだろうなぁ」
「『とっこう』・・・って?」
「ああ、飛行機に積めるだけの爆弾を積んで、敵の軍艦に体当りする部隊のことさ」
「ええっ・・・、そ、そんなことしたら、兵隊さん、みんな死んじゃうじゃない」
「そうさ・・・そこまで当時の日本は追い詰められていたんだ。皆『お国のため』と純粋に信じて、出撃していったんだよ」
「・・・・・・・」
「ある日、新治郎さんがたった一人で食堂にやってきたんだ。
そして『すみませんが、ピアノを弾かせていただけませんか』と言う。
でも、いつもの陽気な新治郎さんと違う、何か思い詰めたような様子だった。
 ピアノの前に座った新治郎さんは、まるで何かに取りつかれたように弾き始めた。
最初はゆっくりと、そしてだんだん嵐のように荒れ狂って・・・わしは今まで、あんな物凄い音楽を聴いたことがなかった。
その曲が、ショパンの『別れの曲』だったんじゃ。
弾き終わると、新治郎さんは静かにピアノの蓋を閉めながら、
『ありがとうございました・・・・これでもう、何も思い残すことはありません』って言うじゃないか。
『思い残すことないって、あんた・・・』
とおじさんが言うと、新治郎さんは、
『実は私は明日、この曲の作曲者に会いに行くことになったのです・・・本当は音楽学校の卒業演奏会で、この曲を弾くつもりだったのですが・・・
でも、今日が僕の人生の卒業式のつもりで、思う存分弾かせていただきましたから』って・・・。
その言葉で、わしらはすべての事情が分かったのじゃ。
店を出ていく新治郎さんのうしろ姿に、おじさんと二人でただ手を合わせるのが精一杯だった」
「そ、それで・・・新治郎さんは?」
「それきり、もう二度と店に姿を表わすことはなかったのじゃ・・・」
おじいさんの目には、いつしか大粒の涙があふれていました。
「おじいちゃん・・・・」
健太も胸がいっぱいになって、ようやくつぶやきました。
「新治郎さん、天国でショパンに会えたかなあ・・・」
「ああ、きっと『別れの曲』のレッスンを、してもらっていることだろうね」
おじいさんは気を取り直すようにそう言うと、ピアノの蓋を閉め、ニッコリと微笑みました。



「トロイメライ」


 ( ブォーン、ブゥォォォォーン・・・ ××スーパー、ただいま半期に一度の大バーゲン・セール、開催中!・・・・×××× )
 ああっ、また飛んで来た・・・・お願いーっ、こっちに来ないでっ!
「ウギャァァァァー、アーン、アンアン」
 だめだ・・・・せっかく寝付いてくれたと思ったのに・・・
 ウーンっ、もうっ!
私は、アルミサッシで真四角にくくられた窓にダダダッと駆けよると、いつものように両手をセスナの方角に向け、照準を合わせる。
( バババッ、ドギューン、バヒューンッ・・ )
ハハハッ、落ちるはず、ないよね・・・・。
ああ、あの憎っくきセスナが墜落してくれたら・・・と心から願う私って、ヤッパ異常? だよね・・・たぶん。
でも、あのセスナのパイロット、うら若き母親が赤ちゃんを寝かせるのに、どんなに苦労しているか、おそらく九十九パーセント知らない、と思う。
・・・でなきゃ、日曜日の朝早くから、あんなモノスッゴイ音を、下界にふりまいたりするもンかっ。
「アーン、ァンァン・・・ウギャァァァァー」
ああ・・・今日も、このバタリー式ニワトリ小屋のような空間で、この泣き声と、一日つきあうのかぁ・・・
 これが私の運命なのよね、きっと。
じいっと、わが息子の泣きざまを見つめる。
スッゴク一生懸命泣いてる・・・何というパワー!
ヨーシヨシ、あなたはまだ一人では生きて行けないんだ。この私が守ってあげるよっ、たとえ地獄の底までも!
でも・・・でもやっぱ、早く寝てくれないかなぁ。
(♪・・・・・・・・・・・・・・・・・♪ )
あ、ピアノの音が聞こえる。 どこかの部屋で、練習してるんだ。
・・「トロイメライ」か・・懐かしいなぁ。
私もセーラー服着て、学校の音楽室であの曲を一生懸命練習してた時代があったっけ・・
あの頃は純粋で、何ごとにも一生懸命だったなぁ・・・
そう、わが息子よ。今の、あなたの泣きざまと同じように。
(♪・・・・・・・・・・・・・・・・・♪ )
あらら?・・・いつの間にか寝ちゃった。
・・・なんて、何て、かわいい顔してるの。とても真似できない微笑みをたたえて。
ああ・・・・、あなたの寝顔見てるとママ、泣きたくなるくらい幸せだわ。
「トロイメライ」って・・・・たしか、「夢」という意味だっけ。
そう、大人も子供も、素晴らしい夢が見たいから、毎日必ず眠りにつくのよね、きっと。
私、音楽の事はよくわかんない。
けど・・・この曲を聞いていると、きっと赤ちゃんの美しい寝顔をじいっと見つめてて、泣きたくなるほどの幸せを感じた人が作った曲なんだなって、いま私、体じゅうで分かるの!
・・・おやすみ、おやすみ坊や・・・・・



「荒城の月」



「おい留さん、もうその位にしとけよ」
「まぁまぁ・・・これっきりだって」
留さんは欠け茶わんの酒を一気に飲みました。
「今俺の楽しみは、これしかネンだから」
青いテントにあいた無数の小さな穴からは、冷たい北風が容赦なく吹き込んで来ます。
「寒いなあ・・・もう十一月か」
留さんはテントを出ると、空を見上げました。
汚れきった都会の空には、星一つありません。
ただ、濁ったダイダイ色の満月だけが、寂しそうに留さんの姿を照らしています。
「ああ、満月だ・・・」
留さんはいつしか、遠く過ぎ去った宝物のような日々を思い出していました。

「おい留、とうちゃんと一緒に、城山まで月見に行こうや」
「うんっ!」
留吉はとうちゃんが大好きでした。仕事もろくにせず、いつも朝から酒ばかり飲んでいるようなとうちゃんでしたが、
機嫌の良い時には留吉にいろいろと面白い話をしてくれたり、また留吉に悩みごとがあったりすると、いつも自分の事のように心配してくれたのです。
とうちゃんは留吉の手をしっかりと握ると、満月に明るく照らされた夜道を、元気よく歩き出しました。
「なんていい月だ・・・・よーし留、今日もとうちゃんと一緒に、歌を歌っていこう」
「うんっ・・・何歌おうか?」
「そりゃ、いつもの『荒城の月』さ」
「さんせーいっ」

♪ はるこぅおーろーのー はなのえーんーーー 

静まりかえった暗い夜道に、とうちゃんと留吉の歌声が響き渡りました。
二人の歌声は、それはそれはきれいに調和して、留吉はいつも、とっても良い気分になるのでした。
そんな二人を故郷の月はいつも必ず、優しく照らしてくれていたのでした。

「あれからもう、四十年になるのか・・・」
留さんはふと、我に帰りました。
「とうちゃんはあの五年後に亡くなってしまったけど、最後まで俺のことを可愛がってくれた。
それに比べて、この俺は・・・ああ」
留さんの頬に、大粒の涙がこぼれ落ちました。
そしてその涙の向う側に、とつぜん故郷に残してきた、可愛いわが子の顔が浮かびました。
見上げると、うるんだダイダイ色の満月が、留さんの姿を冷たく照らしておりました。
「健太・・・けんたよぉっ!」
そう叫んだかと思うと、留さんは青いテントの中にかけ戻り、たった一つのバッグをひっ掴んで、一気に走り出しました。
「お、おい留さんっ!、どうしたんだっ」
引き裂くような声を背に、留さんの足は故郷へ続く駅へ、駅へと向うのでした。


「子猫のフー助」


「ニャーーー、・・・けんにゃー、・・・おいけんたっ」
とつぜんの声に、健太はひっくり返りそうになりました。
「おいフー助っ ! ・・・お前猫のくせに、なんで人間の言葉がしゃべれるんだ」
フー助は、フフフッと鼻で笑うと言いました。
「神様がウルトラ・パワーをくれたんニャ。『健太を助けてやれ』って」
「ええっ・・・うっそー」
健太はフー助の大きな目を、あらためてじいっと見つめなおしました。
「ところで、どうしてそんなにションボリしてるんニャ?」
「うん・・・じつは学校で、ススムの奴が僕のこと、いじめるんだ」
「なんでだニャ?」
「僕、こないだ体の調子が悪くって、教室でおもらししちゃったんだ。それからはススムのやつ、ずーっとそのことをバカにして、仲間外れにするんだ」
「人の弱みにつけこんでいじめる奴は許せニャー。よーし、僕にまかせておきニャッ」
フー助はそう言い残すと、タタッと走り出しました。

 その夜、ススムの家に忍び込んだフー助は、眠っているススムの耳もとで、思いっきりのどをゴロゴロッと鳴らすと、重々しい声で言いました。
「こりゃススムっ。わしは地獄の『ゴロニャン大魔王』じゃ。おミャー、学校で健太をいじめて、仲間はずれにしとるというだニャーきゃ」
「ウウゥーン」
ススムは苦しそうに体を動かしました。
「あしたは健太も遊びの仲間にさそうのじゃ。さもニャーと、おミャーは地獄に落ちるぞ。 いいニャ!」
ススムはひたいにいっぱい汗をかいて、ブルブルッとふるえています。
( あーあ、おもらししてるニャー )
フー助はくすっと笑うと、窓からタタッと飛び降りました。

「健太、きょう学校はどうだったニャ?」
次の日、フー助が聞きました。
「うん。どういうわけかススムが、一緒に遊ぼうって言ってきたんだ」
「そりゃ良かったニャー」
「いつも俺に必ず『ションベンたれー』って言うのに、今日は全然言わなかった・・・・
それにススムのやつ、『健太と遊んでやらないと、おれ地獄に落ちるから』なんて、訳分かんないこと言ってたなぁ」
( ゴロゴロッ )とフー助がのどを鳴らしました。
「あれっフー助、どうしてしゃべらないの?・・・ああそうか、きっとウルトラ・パワーの賞味期限が切れたんだな」
健太がそう言うと、フー助は「ニャー」と嬉しそうに鳴き、長い尾を力一杯振りました。


「ドント・ウォーリー」


(アテンション・プリーズ… )
空港のロビーは、今まさに飛行機に乗りこもうという人たちで、あふれかえっています。
「気をつけてね …」
ルミ子さんは真由美の両手を、ぎゅっと、にぎりしめました。
「だぁいじょーぶ、おかあさん! 何たってジェームスが、ついてるんだから」
真由美は、横にいる金髪の大男に、いたずらっぽくウインクしました。
「でも、アメリカ人は皆、ピストル持って歩いとるっていうじゃないか」
横から、菊江おばさんが口を出しました。
「ノー、ソレ誤解デス。ドント・ウォーリー」
「え、何? 『道頓堀』?」
「やだ、おばさん。彼は『ドント・ウォーリー』、心配するなって言ったのよ」
「なーんだ、そうだったのかい」
菊江さんは、ケラケラ笑いながら言いました。
「真由美を、どうかよろしくお願いしますね」
ルミ子さんは、ジェームスに向って頭を下げました。
「ハ、ドーモ、ドーモ」
ジェームスもつられて、長い身体をきゅうくつそうに折り曲げ、おじぎをしています。
「じゃ、行ってきまーぁす!」
こぼれるような笑顔とともに、二人の姿は搭乗口の向こうに、消えて行きました。
「行ってしまった… 」
ルミ子さんが、ポツリとつぶやきました。
「あんたも、これからは寂しくなるねぇ」
菊江さんが心配そうに、ルミ子さんの顔を、のぞき込みました。
「いいえ、真由美が心から好きになれる人が見つかったんですもの。こんな嬉しいことないわ … 私、ちっとも寂しくないわよ」

 (パチッ… )
家に帰りついたルミ子さんは、そっと電灯のスイッチをつけました。
部屋の中は、信じられないほど、しぃんと静まり返っています。
ルミ子さんはゆっくりと仏壇の前に座りました。そこには、ルミ子さんよりずっと若い男の人の写真が、静かに微笑んでいました。
七年前に亡くなった、ルミ子さんのご主人の卓也さんです。
「あなた… 真由美、行ってしまいましたよ。アメリカへ。とても幸せそうな顔して」
 卓也さんの写真が「ウン、ウン」とうなずいているように見えました。
「あなた、これでよかったんですよね…」
(ポツ、ポツポツ…、ポツポツポツ…… )
「あらいやだ、雨かしら」
ルミ子さんはあわてて、縁側に干してあった洗濯物を取り入れようと、立ち上がりました。
「 真由美がお嫁に行ってしまったら、二人で、この縁側でお庭のお花でも見ながら、いっばい、いっぱいお話をして過ごしましょうねって、言ってましたのにね…」
洗濯物をたたみながら、ルミ子さんの目からは、いつしか大粒の涙があふれていました。
「もう今夜は、早く寝てしまおう…」
そうつぶやいて起き上がろうとした、その時です。
とつぜんズキーンという鋭い痛みが、ルミ子さんの胸を走り抜けました。
「う…、ど、どうしたのかしら」
あまりの痛みに、ルミ子さんは、ガクッと縁側に倒れ込みました。
「あなたっ…、真由美、た、助けて!」
しかし、ルミ子さんの声は誰にも届きません。
やがてルミ子さんは気を失ってしまいました。

「おかあさぁーん」
振り向くと、保育園のスモックを着たまゆみが、ニコニコ手を振っています。
「まゆみ!」
ルミ子さんは、大きな声で呼びました。
(ああ…ここは朝日公園だわ。お父さんと三人でよく遊びに来た、あの丘の上の… )
「おーい、まゆみィ。こっち、こっちー」
ルミ子さんにとって、とても懐かしい声が聞こえました。
見ると、ケーブルコースターの向う側で、卓也さんがけんめいに、手を振っているではありませんか。
「さあ、まゆみ。今日はぜったいこっちまで来るんだ。がんばれよっ」
卓也さんが、大きな声で言いました。
「… やだぁ、まゆみ、こわいっ」
(ああ、そうだわ。
このケーブルコースターに初めてまゆみが乗ったとき、途中で落っこっちゃって、それからは怖がって、二度と乗らなくなってしまったんだっけ… )
そう思い出したルミ子さんは、まゆみの手をぎゅっとにぎりしめると、言いました。
「だいじょうぶよ、まゆみ! おかあさんが最初に乗ってくから、あとから必ず来てね」
「う、うぅーん」
「さあ、行くわよっ」
ルミ子さんはコースターの座席に座ると、さあっと滑り出しました。
コースターのむこうで待っている卓也さんの顔が、みるみるうちに大きくなってきます。
「おう、まずお前が来たか!」
「あ、あなた … 」
ルミ子さんは、卓也さんの優しい笑顔を、じっと見つめました。
「さあ、次はまゆみの番だぞ」
まゆみはまだ、モジモジしています。
「まゆみ、さあ早く!」
「おとうさんもおかあさんも、こっちにいるのよっ。まゆみも早くおいでーっ」
まゆみは、ようやく滑り出しました。
(キュルキュル、キュルルル… )
「そうそうっ、その調子だ」
「がんばれー、もう少しよっ」
まゆみの、今にも泣き出しそうな顔が、だんだん近づいて来ました。
「よぉーしっ、ゴールだ!」
「えらいわ、まゆみっ。よく頑張ったわね」
ルミ子さんは、まゆみの小さなからだを、ぎゅうううっと抱きしめました。
「まゆみ、まゆみ、がんばったもん… 」
「そうよ、えらいわ、まゆみ!」
「まゆみ、いっしょうけんめい、がんばったんだもん。だから … 」
「え、だからなぁに?」
「おかあさんも、がんばって!」
「えっ 」
「胸の痛いのなんか、とんでけって言って! 」
「 … 」
横では卓也さんが、静かにうなずいています。
やがて二人の姿は、すうっと消えました。
「まゆみっ ! あなたっ! 」
その時、二人の声がハッキリと聞こえました。
「おかあさーん、がんばってーっ」
「ルミ子ーっ、負けるなー、がんばるんだ」

「 ルミ子さん、ルミ子さーんっ」
「ああ、目をさましたわ。よかった…」
ベッドに横たわるルミ子さんの横で、皆が歓声をあげました。
「こ、ここは?」
「病院よ。あんた心臓の病気で入院したのよ」
菊江さんが、大きな声でいいました。
「あの晩、一人で寂しくしてるんじゃないかと見に行ったら、あんた、部屋の中で倒れてるじゃない。
まー、本当にビックリしたわ」
「 … どうもすみません」
「あんたにもしものことがあったら、真由美ちゃん、どんなに心配することか…
そういえばあんた、真由美ちゃんの名前を、しきりに、つぶやいてたみたいだったけど」
菊江さんの言葉に、ルミ子さんはハッとしました。あれは夢だったのか…
でも夢の中でたしかに、私は二人に励まされていたんだ…。
「真由美ちゃん、あさってアメリカから帰ってくるそうだよ」
「えっ… 本当」
菊江さんの言葉に、ルミ子さんは、痛む胸が静かに、ときめくのを感じていました。

「おかあさん!」
「あぁ、まゆみ、真由美!」
二人は、しっかりと手を握りあいました。
「ごめんね、ごめんね、おかあさん。すぐ来てあげられなくて」
「何を言うんだい、この子は … 無理して来なくても、よかったのに」
その時です。真由美のすぐ横から、図太い毛むくじゃらの手が、ぬうっと伸びて来ました。
「ハーイ、マミー」
「ああ、ジェームスさんも来てくれたの。…すみません。ご心配をかけて」
ぎゅうっと握りしめたジェームスの手はとても温かく、ルミ子さんは思わず、卓也さんの手の温もりを思い出しました。
「あのね… おかあさん。私たち、これから日本で暮らそうっていうことに決めたの」
「えっ、何だって! …そ、そんなこと」
「ジェームスが言ってくれたの。おかあさん
一人を日本へ残しては、真由美も心配だろう、だったらいっそ、おかあさんのいる日本で、一緒に暮らそうじゃないかって」
真由美のことばに、ルミ子さんは大粒の涙をポロポロとこぼしました。
「お気持ちは、とっても嬉しいんだけど… それじゃ、ジェームスさんのご両親に、寂しい思いを、させてしまうじゃないの」
「それは心配ないわ! だってジェームスは五人兄弟だし、みなご両親の近くに住んでるから、ちーっとも、寂しくなんてないのよ」
「ソーソー、チーットモ、ネ」
ジェームスが、ニコニコうなずいています。
「まあ、なんて優しい旦那さんだこと」
菊江さんが、横から口をはさみました。
「でも、日本で暮らすの、大変よぉー」
「ミー日本大好キネ、日本語モ、チョコットダケド、シャベレル。ドント・ウォーリー!」
「え? … はぁーまた、『道頓堀』かい」
部屋いっぱいに明るい笑い声が満ちあふれました。


 大草村の「じょうやとう」

 むかしむかし、大草村という小さな村に、古ぼけた、ちいさな『じょうやとう』がありました。
え?『じょうやとう』を知らないって? そりゃ、そうですよね・・・・
『じょうやとう』というのは、まだ、でんきがはつめいされていなかったとおいむかしに、くらい夜みちを、あかるくてらすために、みたばたにたてられた、あかりのことだと思ってください。
 大草村の『じょうやとう』は、二百年いじょうもまえ、夜になるとただもうまっくらで、さみしかった村を何とかしようと、
まずしいなかから、みなでお金を出しあって作られたものということで、かわらぶきの土べいにかこまれた、それはそれはりっぱな、『じょうやとう』だったのです。

 朝です。
『じょうやとう』のあかりを、しだいにうばいとるように、ひがしの空から、まっかなお日さまが、きょうも、そのすがたをあらわしました。
 ( ああ、なんと明るいんだろう。 とてもぼくは、かなわないや・・・ )
『じょうやとう』は、お日さまのひかりを、まぶしそうに見つめました。
『じょうやとう』のまわりでは、おおくの小とりたちが、ピーヨ、ピョロロロと、口ぐちにさえずっています。
 そのときです。『じょうやとう』の上のほうから、げんきのよいかけごえが、きこえてきました。
 ( おっはよぉー、ジョーさん! )
 ( おおっ、そのキザな呼び声はっ・・ )
 それは、せいたかノッポの火の見やぐらでした。
『じょうやとう』のことを、いつも、「ジョーさん」などと、よんでいたのです。
 ( やあ、ヒーちゃん。おはよう )
 ( あのね・・・その『ヒーちゃん』っての、やめてくんないかなあ! )
 ( じゃ君も、僕のこと『ジョーさん』って、呼ばないでよっ )
 ( どうして?・・いいニックネームだと思う けどなあ )
そのときです。すぐとなりから、かわいらしい声が、きこえました。
 ( おはようございますっ、『じょうやとう』 さん 、火の見やぐらさん )
こえのぬしは、まっ赤な顔をした、まぁるいポストでした。
 ( やあ、ポーちゃん、おはよう! )
火の見やぐらが言いました。その声にポストはムウッとしながら、赤い顔をさらに赤くして言いました。
 ( 私の名前を、ちぢめてよばないでくださいっ )
 (おっはよーっ、ポスト君。)
 ( ああ『じょうやとう』さんは、しんしだなあ・・・ヒーちゃんと大ちがいだっ )
 ( なんだよっ! 君だって、おれのなまえを、
 ちぢめて、よんでるじゃないかよっ )
こんなちょうしで、ケンカばかりしていましたが、『じょうやとう』、火の見やぐら、丸ポストの三人は、じつはとってもなかよしだったのです。毎日、道をとおる人たちをながめながら、いつも「ああだの、こうだの」と、たわいもないうわさ話をすることを、何よりの楽しみにしていたのでした。
まあもちろんその話し声は、人間たちには、聞こえませんでしたがね・・・
 ( ジョーさん、そろそろ子どもたちが、がっこうに行くために、ここに、あつまってくるころですね )
 ( ああ、きょうはぜんいん、元気に顔を見せてくれるといいねっ )
 ( そういえば、おミニぼうは、かぜ、なおったのかなぁ・・ )
 いつもやさしい丸ポストが、心配そうに言いました。
 (おお、一番のりが、やってきましたぞ )
火の見やぐらが、村のおじぞうさまにつづく、こみちのほうを見ながら言いました。
 ( きょうは、だれかな? )
 ( ・・あれは三太郎だ。ガキだいしょうの )
『じょうやとう』たちは、クククッと笑いました。
「いっちばぁーんっ」
 三太郎は、かたにかけていたかばんを、いきおいよくポーイッとほうりだすと、すぐに火の見やぐらのてっぺんを、なめるように見つめました。そこには小さなカネと木づちが、ぶら下げてありました。火じがおこったことを、村じゅうに知らせるためのものです。
「フフフフフ・・・・」
三太郎は、かおじゅうに、ぶきみなわらいをうかべると、サッと、火の見やぐらのはしごに、手をかけました。
 ( お、おおっ・・・こやつ、まさか )
火の見やぐらがさけびました。
 ( 三太郎のやつ、君にのぼる気だっ )
 ( こ、こらっ。やめろ、やめろって )
でも三太郎は、あっというまに、火の見やぐらのてっぺんに、のぼりきってしまいました。
「あー、ゼッケーかな、ゼッケーかな 」
りょう足をバタバタさせながら、三太郎はとてもうれしそうです。
 ( こ、こらっ、ばたばたするなっ、く、くすぐったいって、ウヒャハハハ・・・ )
火の見やぐらが、おなかをよじって、くるしがっています。やがて三太郎は、ぶらさげてあった木づちを手にとると、大きくふりあげました。
「これ、いちど、たたきたかったんだ!」
 カーン、カァァン、かぁぁぁぁーーーんっ
ものすごい音が、村中に、ひびきわたりました。きんじょのいえからおとなたちが、ぱらぱらところがるように、とび出してきました。
「た、たいへんだぁー」
「かっ、かっ、火じはどこだ!」
おとなたちはひっしで、あちらこちらを見まわしています。でも、村のどこにも、けむりひとつ、出ているようすがありません。
「おっかしいなあ・・・・」
キョトーンとしていたおとなたちは、やがて、火の見やぐらの上で、とくいそうに、木づちをふりあげている三太郎を見つけました。
「おめぇ、そんなところで、なにしてんだ!」
「あっ、イッケネーッ」
カネの音が、三太郎のいたずらだと知ったおとなたちは、みなカンカンにおこっています。なかでも、よろずやのおじいさんなどは、うれきったトマトのように真っ赤になって、あたまのてっぺんからシユワンシュワンと、ゆげをあげていました。
「コラーッ、この、いたずらぼうず!」
三太郎はあっというまに、火の見やぐらから、ひきずりおろされました。
「アアーン。ご、ごめええーんっ」
「いまごろあやまったって、おそいわっ」
「こいつ、じぞう前の、三太郎じゃねえか」
「このガキゃあ、これまでにも、さんざんいたずらをやらかしてきた、ガキ大しょうだ」
「こないだも、おらのにわとりごやに、ネコを、ほうりこみやがっただ」
「きょうというきょうは、学校に行って、先生さに、言いつけてやるべっ」
火の見やぐらのまわりには、いつのまにか大ぜいの、人のわができていました。
「おい三太郎のやつ、何やらかしたんだ」
子供たちが口ぐちに、ささやきあっています。
「おめえ、さっきのカネの音、聞かなかったんか。三太郎はついに、あの火の見のカネを、ならしただぞっ」
「ゲーッ。ほ、ほんとかっ」
「すっげえ!、三太郎ッ、えらいぞっ」
子供たちのあいだから、大きな拍手が、おこりました。
おとなたちはそれを、キョトンとした顔で、見つめています。
『じょうやとう』が言いました。
 ( なあ、ヒーさんよ。子供たちは、君にぶら さがってるカネを、ならしたくてならしたくて、しかたなかったかったみたいだね )
 ( そうだったのかぁ・・でもこのカネは、村に火じがおきた時いがいには、けっしてたたいちゃ、いけないんだけどな )
 ( でも子供たち、あんなに、よろんでるじゃ ないですか )
火の見やぐらは、子供たちを見おろしました。
みな、ほっぺをまっ赤にしながら、ニコニコと手をたたいています。
 (あんなによろこんでくれるんだったら、いちど子供たちに、このカネを思うぞんぶん、たたかせてやりたいなぁ・・・ )
火の見やぐらのことばに、『じょうやとう』と丸ポストは、コックリとうなずきました。
もちろんそのようすは、人間たちには、わかりませんでしたがね。

 つぎの朝、『じょうやとう』の前には、いつものように子供たちがあつまっています。
「おーい。みんな、あつまったかー。じゃ、行くぞーっ」
かけごえのぬしは、三太郎でした。
きのうのことなど、何もなかったかのように、三太郎はニコニコと、子供たちの先とうに立っています。
そう、三太郎はなんと、つうがく団の、リーダーなのでした。
 ( 三太郎、ぜんぜん、おちこんでないや! )
 ( ああ、よかった、よかった )
『じょうやとう』は、ホッとむねをなでおろしました。
火の見やぐらと、丸ポストも、うれしそうにうなずきました。そして、だんだん小さくなってゆく子供たちを、皆でいつま
でも、ニコニコと見おくっていました。

 それから何年もの月日がながれました。
ある、くもった朝のことです。
 ガガガガ・・・ギギギギッ・・・・
ものすごい物音に眠りをうばわれた『じょうやとう』は、アアッとさけびました。
何ということでしょう。すぐとなりの火の見やぐらのまわりに、こうじのふくを着たおおぜいのおとなたちがあつまって、火花の出るきかいを手に、火の見やぐらを、今にもこわそうとしているでは、ありませんか。
 ギギギッ、ガガガガ、ヒューン・・・
 ( ヒ、ヒーちゃんっ )
『じょうやとう』は、大ごえでさけびました。
 ( ああ・・・ジョーさんっ、どうやらお別れのときが、きたみたい・・・ )
火の見やぐらが、くるしそうにうめきました。
 ( 火の見やぐらさんっ )
丸ポストも、悲しそうな声をあげました。
 ( に、人間たちが、もう、ぼくなんかいらないってと言うんだ・・・
ぼくがここに立っ ていなくても、火じがおきたことが、すぐにわかるきかいが、はつめいされたって、 
ち、ちょっとまえに、きいたような・・・ああっ、い、いたいーっ )
ヒューン・・・ガガガガッ、キーン・・・
 ( そ、そんなことっ! )
 ( ひ、火の見やぐらさぁーんっ! )
ドドドドッ、ギギギッ、ヒューンッ
 火の見やぐらは、みるみるうちに、バラバラにされて行きました。
『じょうやとう』と丸ポストは、そのようすを、じっと見まもるしかありませんでした。
 ( ジョーさんっ、ポーちゃんっ・・・
みじかい、あいだだったけど、ほんとうに、 たのしかったよ。 ど、どうか・・・)
ガガガガカガガガッ・・・ギュルルルルッ
 ( どうか・・・ぼ、ぼくのことを、い、いつ までも、わ、わす・・・ )
ギユーーーーーーン、ギュルルルゥォーン、火の見やぐらのこえは、それっきり、聞こえなくなってしまいました。
『じょうやとう』と丸ポストは、かなしみのあまり、からだじゅうからポロポロと、大つぶのなみだをながしました。
でもそれは、人間にはきっと、ゆうべふった、雨のつぶくらいにしか、見えなかったことでしょう。
火の見やぐらがきえさったあとの、ぽっかりとあいた青空を見あげながら、『じょうやとう』は、まるで体じゅうからしぼりだすように、言いました。 
 ( 人間というのは、じだいおくれで、いらなくなったものは、どんどんと、こわしてしまう、生きものらしい・・ )
 ( すると私たちも、いつかは、火の見やぐらさんのように・・・? )
丸ポストが、しんぱいそうに、言いました。
 ( なにを言う。君は、この僕より、ずうっとあとに、ここへきたんだ。
つぎにこわされるとしたら、この僕だろう )
 ( でも、でも・・・火の見やぐらさんは、
 私たちの中では、いちばん、若かったのに、こわされてしまいました )
丸ポストが、かなしそうに、言いました。
 ( なあ、丸ポスト君。そんな、いつおこるかわからないことを、あれこれ、しんぱいしていても、しかたないじゃないか。
 それより、僕たちは、このばしょにいられるかぎり、僕たちのしごとを、いっしょうけんめいすることが、いちばんたいせつなことだと、思わないか・・・ )
『じょうやとう』のことばに、まるポストは、コックリと、力なくうなずきました。
 ( それが・・・それがきっと、火の見やぐら くんの、ねがいでもあるんだ・・・ )

 火の見やぐらがこわされてから、ひと月くらいして、こんどは、見なれないトラックがやってきました。
トラックの中からパラパラと二、三人の男たちがとびだしたかと思うと、丸ポストのまわりの土を、ザクザクとほりはじめたではありませんか。
 ( ああっ、『じょうやとう』さん! こ、こんどは、わたしのばんだっ )
丸ポストが、かなしそうにさけびました。
 ( そ、そんな。なんで君がっ! )
やがて男たちは大きなかけ声とともに、丸ポストをトラックにつみこみました。
「さあてと。これを、はくぶつかんにはこんでいかなくっちゃ」
「そのあとは、あたしいポストをここへ、もってこなきゃなんねえしなっ」
「ああ、いそがしい、いそがしい!」
男たちは、ながれおちるあせをタオルでふきながら、大声で話しています。
 ( 丸ポストくん、君、これから、はくぶつかんへゆくんだね。
 よかった・・・こわされるんじゃなくって )
『じょうやとう』が、ホッとしたように言いました。
 ( いえ、いえ!・・・ここに、おれなくなるくらいなら、『じょうやとう』さんと、お別れしなくてはならないくらいなら、私は、こわされてしまったほうが、どんなに、よいことでしょう! )
丸ポストの、思いがけないことばに、『じょうやとう』は、ハラハラとなみだを、おとしました。
 ( 私はこの村が、そして『じょうやとう』さんが、大すきだったんです。
たとえお別れしても、けっして忘れません! )
 ( ま、丸ポスト君っ )
トラックは、丸ポストをのせて、いきおいよく、はしりだしました。
 ( さようなら・・・さよう・・な・・ら )
もうもうとあがる、土ぼこりを見つめながら、『じょうやとう』は、つぶやきました。
 ( ああ・・・とうとう、ひとりぼっちになってしまった ・・・ )

 まもなく、丸ポストのあったばしょに、ピカピカと光る、四かくいポストがやってきました。
しかし、このポストは、いつもブツブツと、もんくばかり言っています。
 (なんで、おれみたいな、さいしんしきのポストが、こんなドいなかに、こなきゃなんねえんだっ! )
そんなちょうしですから、『じょうやとう』は、このあたらしいポストと、お友だちになることは、ありませんでした。
( 火の見やぐらくんも、丸ポストくんも、みんな、いなくなってしまった・・
もうわし は、いつこわされたっていいんだ・・・ )
しかし人間たちは、いっこうに『じょうやとう』を、こわそうとはしなかったのです。
 また何年もの月日が、ながれました。
もう『じょうやとう』のことなど、村のだれもが、わすれてしまったかのようでした。
きれいだった土のかべもはげおち、かわらも、われたりなくなったりして、『じょうやとう』はボロボロの、みにくいすがたをさらしていたのです。
 ある朝、『じょうやとう』は、いつものように、火の見やぐらや丸ポストたちとの、たのしかったむかしの日びを、じっと目をとじながら、おもいだしていました。
ふと『じょうやとう』が目をあけると、いまはすっかり、きれいにほそうされた道の、ずっとむこうのほうから、一だいの黒い車が、こちらにむかってくるのが見えました。
車は『じょうやとう』の前に、静かにとまると、中から何人かの、せびろをきたおとなたちがおりてきました。
 ( なんだろう? この人たちは 。あまり、見かけない人たちだなあ ・・・ )
やがて、ひとりの男が口をひらきました。
「このあたりは、むかしながらの美しいたてものが、かず多くのこっているのう」
「はい、村長」
「まったくでございます」
村長とよばれた男は、やがて『じょうやとう』に目をやると、うれしそうに言いました。
「おお、この『じょうやとう』じゃ。・・・
よく今まで、こわされずに、のこっていてくれた。
わしが子供のころ毎日、この『じょうやとう』の前にあつまって、みんなで小学校にむかったものじゃ」
やがて村長は、まっ青にすんだ空を、まぶしそうに見あげました。
「むかしはここに、りっぱな火の見やぐらが、あったんじゃが・・・」
村長のことばをききながら、『じょうやとう』は、ふと思いました。
 ( ということは、わしはずっとむかし、この男を、毎日見ていたことになる・・・ )
また村長が、言いました。
「わしはこの大草村の、むかしながらの美しいすがたを、すこしでも多くの、今の子供たちに見せてやりたい、と思う。
この『じょうやとう』ができたとき、それまでまっくらだったこの村に明かりがついたとき、むかしの人びとは、どんなにうれしかったことだろう。
そんなきもちを、わしは、いまの子供たちに、つたえていきたいと思うのじゃ」
村長のことばに、ほかのおとなたちもみな、大きくうなずきました。
「よし、これからやくばにかえって、その話しあいをしよう。
 じゃ、みんな、行くぞ!」
そのことばに、『じょうやとう』は、ハッとしました。
なぜならばそれは、ずうっとむかし、つうがく団のリーダーとして、みんなにごうれいをかけていた、あの子供の声だった
からです。
「三太郎!」
『じょうやとう』は、走りさっていく車を、いつまでも見つめていました。

 何日かして・・・。
丸ポストが、『じょうやとう』のすぐよこの、まえとおなじばしょに、おなじトラックで、はこばれてきました。
 ( おおーいっ、『じょうやとう』さんっ )
 ( あ、ああっ、丸ポストくん! )
 ( 村長さんのおかげで、わたしは、またここに、おいてもらえることになりました。 
 私、とってもうれしくて、うれしくて・・)
 ( そ、そうか。ああ、よ、よかった・・・ )
『じょうやとう』は、大つぶのなみだを、ハラハラとおとしました。
もちろんそれは、人間たちには、わかりません。
ただきょうは、とてもいいてんきなので、ひょっとしたら、『じょうやとう』がぬれていることを、ふしぎにおもう人が、いたかもしれませんが・・。
 ( やっと、このいなかとも、おさらばさ! )
すぐとなりでは、四かくポストが、大よろこびしています。
 それからは、円太郎村長たちのどりょくで、小草村は、『れきしとぶんかのむら・おおくさ』
として、かずおおくの人たちが、おとずれるようになりました。
「わあっ、なんだ、このとうろうのオバケッ」
「なつかしいわねえ・・この丸いポスト」
きょうも、すっかりきれいになった『じょうやとう』や、まるポストをゆびさしながら、子供たちが、かん声をあげています。そのかわいらしい声を、『じょうやとう』と丸ポストは、うれしそうにきいていました。
( ああ・・・きょうの、この子供たちの声を、きみといっしょに、ききたかったなあ )
火の見やぐらがたっていたばしょの、すみきった青ぞらを見あげながら、『じょうやとう』は、そっとつぶやきました。



「けんたのヴァイオリン」


「けんたー、何してるの。もうレッスンの時間でしょっ」
 (いけねっ)
おかあさんの声に、けんたはあわててヴァイオリンのケースを抱きかかえました。
「もうじき発表会なんだから、ちゃんと練習しなきゃだめでしょっ・・・もう、毎日ゲームばっかりやってるんだから」
「だって・・・」
 (ヴァイオリンよりゲームの方が、ずうっとおもしろいんだもんっ)
あとのことばをグッとのみこむと、けんたは玄関に向かいダーッと走りだしました。
「レッスン終るころ、迎えに行くわね。
そのまま、ホームのおばあちゃんに会いに行きましょう」
「うん、わかった。行ってきまーす」

「おうおう、来てくれただかや」
けんたを見て、おばあちゃんは大きく手を広げました。
 (おばあちゃん、顔じゅう笑顔だらけだ)
けんたは、ホームにいるおばあちゃんが大好きでした。
「おばあちゃん、またお家帰って、いっしょにあそぼうっ」
「うんうん、遊ぼうねぇ」
おかあさんは、介護士のお兄さんとお話をしていました。
「おばあちゃんの様子は、どうでしょう」
「少し歩くのがつらそうですが、とてもお元気で、ここの人気者ですよ」
お兄さんが、笑顔で答えました。
その時です。
「ウーッ、ウウウーッ、オオーッ」
とつぜんうなり声に、けんたはギクリとしました。
「ああ、ゆきおさん、また『ふるさとの山』歌っとらっしるねー」
見ると、車いすにすわったおじいさんが、はずかしそうなほほえみを、しわだらけの顔に、しずかに浮かべていました。
「『ふるさとの山』って?」
「ゆきおさんが若いころ作曲して、昔はこの辺でも、よく歌われた曲みたいですよ。でも、あの曲を知っている人、今はもう、ほとんど、いないんじゃないかな」
「そうですか・・・」
「あの曲を、みなが歌ってくれてたころの事を、思い出されてるんでしょうね」
おかあさんは、大きくうなずきました。

 つぎの日、あかあさんはけんたのヴァイオリンの先生の家にいました。
「先生、こんどの発表会でみんなが練習した曲を、いま私の母がお世話になっているホームでも、演奏できないでしょうか?」
「それはよいお話ですけど・・・ホームの方が希望されるかどうか。お子さんたちのご都合もありますしね」
「そのような相談は、わたしがぜんぶ致します。実はホームの方に聞いてみたところ、ぜひ、と言われてるんです」
「あらあら、ずいぶん手回しのいいこと」
先生はにっこりとほほえみました。
「それで、あのー、演奏会の最後にこの曲を演奏できないかな、と思うのですけど」
おかあさんは、 古ぼけた譜面を取り出しました。
「『ふるさとの山』・・・この曲は?」
「ホームに入所されているおじいさんが、昔作られた曲で、いまも毎日のように歌っておられるそうです」
先生は譜面をじっと見つめ、静かに答えました。
「わかりました。子供たちで演奏できるように、アレンジしてみましょう」

それから半月がたちました。
発表会で、ぜんぜんうまく弾けなかったけんたは、ヴァイオリンをやめたい、と真剣に思うようになっていました。
「こんど、おばあちゃんのいるホームに、みなでヴァイオリン、弾きに行くんだからねっ」
おかあさんのことばに、けんたは思い切ったように答えました。
「ぼく、もうヴァイオリン弾きたくない」
「えっ・・・ど、どうして?」
「だって、だぁってー、ちっとも上手に弾けるようにならないし、弾いててもちっとも楽しくないしっ」
おかあさんは、けんたの丸い小さな顔を、ぢぃっと見つめました。その目には、涙が浮かんでいました。
おかあさんはぎゅうっとけんたを抱きしめました。
「ごめんね、ごめんねけんた。あなたがそんなにヴァイオリン弾く事がきらいだったなんて・・・・分ったわ。じゃ、ヴァイオリンやめてもいい」
「えっ、ほ、ほんと?」
「でもね、でもけんた。こんどのホームの演奏会、おばあちゃんがとっても楽しみにしているの。だから、それだけは出てちょうだい。それ終ったら、もうヴァイオリン弾かなくてもいいから」
おかあさんも泣いていました。けんたは何かとても悪い事をしたような気がして、体からふりしぼるように答えました。 「わかった、おばあちゃんのとこでは弾くから」  いよいよホームの大コンサートです。
部屋いっぱいに、色とりどりの飾りが張られ、おおぜいのおじいちゃん、おばあちゃんたちが、集まって来ました。 「わしの孫もヴァイオリン弾くんだでね」 けんたのおばあちゃんが、得意そうに話しています。 客席の真ん中には、車椅子にすわったゆきおさんが、何かぶつぶつと口を動かしています。 「はいっ、お待たせしました。今日はとてもかわいい音楽家の皆さんを、お招きしていますよー。どうぞっ!」
介護士のお兄さんに紹介され、けんたたち十人の子供たちが、舞台にあがりました。
「では最初の曲は、ボッケリーニのメヌエットです。お願いします」 ピアノの伴奏にのせて、ヴァイオリンの音色が部屋いっぱいに、ひびきわたりました。
 (けんた、がんばれ!) おかあさんは舞台の横で、手をにぎりしめています。
 (おうおう、けんた、上手になったのう) おばあちゃんはニコニコと目を細めています。
 ところが曲が進むにつれて、会場からザワザワと小さな声があがって来ました。 「なかなか、わしらの知ってる曲が、出てこんのう」 「わし、腰が痛なってまったで、失礼しようかしゃん」  (あまり喜ばれていないのかしら・・・) ヴァイオリンの先生、少しやきもきして来ました。プログラムはすすみ、いよいよ最後の曲を迎えました。 「それでは最後に、皆さんよくご存知の曲をお届けします」 前奏に続き、美しいメロディが奏でられました。 「あら、この曲、わし知っとるよ」 「若いころ、よく歌った曲だがやー」
車椅子のゆきおさんは、ビックリしたように大きな目を見開いています。 『ふるさとの 蒼き峰 連なりて・・・』 いつしか会場は、ヴァイオリンを打ち消すほどの大きく歌声が、響きわたりました。 けんたはその様子を、ヴァイオリンを弾きながらビックリしたように見つめていました。  (みんな、喜んでくれてるんだ) 曲が終ると、それまでの曲の何倍もの拍手が沸き起こりました。 「今演奏させていただいた曲の作曲者が、この会場におられます。椴山幸夫さんです!」 オオーッという声が、沸き起こりました。 ゆきおさんはゆっくりと車椅子から立ち上がり、照れくさそうなおじぎをしたかと思うと、舞台の子供たちの方に向かって、ヨロヨロと歩き始めました。
「ああっ、ゆきおさん、ずっと歩けなかったのに!」 介護士のお兄さんが目を丸くしています。 ゆきおさんは、ひとりひとりの子供たちに、細い手を差し伸べました。  (おじいちゃんの口が「ありがとう」って言ってる) けんたはジーンと胸が熱くなりました。それはこれまで全然感じた事のない、ふしぎな思いでした。
演奏会は大成功でした。 「おかあさん・・・」 「なあに? けんた」 「あのね、ほく、ぼく、ヴァイオリン」
「ああ、もうヴァイオリン、明日から弾かなくていいのよ」 「じゃなくってぇー」
「ええっ?」
「ぼくね、ぼく、ヴァイオリン弾くのを、やめるのをやめるっ」 そう言うとけんたは、ダダーッと自分の部屋に逃げ込みました。
「おやおや、変な子だわね」 おかあさんはそうつぶやくと、嬉しそうに、リンゴの皮を剥きはじめました。
                              (2012. 6)
おかざきたかし/創作童話のページ