8月のひとりごと

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04/08/31(火)   

昨夜の台風は相当なものだった。夜分に外でガシャーンと嫌な音がした。自転車が倒れたのかと思ったら,朝起きてみたら道路に樋の様な物体が2本並んで落ちていた。しばらく離れたところにまた1本。どのお宅の樋なのだろうと見回すと,あれま,うちの棟のてっぺんを覆っていた板金だった。お隣のフェンスを壊すことなく,うちの車にぶつかることなく,通行人にもいなくてほんとに不幸中の幸いだった。建築会社に連絡したら,もう補償期間は過ぎているので実費で直すしかないとのこと。日を改め主人は屋根に登るつもりらしい。前回もザイルを腰に蒔き天窓から出て私が2階で確保して作業したのだが,危ないよね。うーん,保険はちゃんと降りるかな?


04/08/28(土)   

屋久島の写真が届いた。私も早くHPを立ち上げなければと焦っていると,黒島の写真交換会のCD焼き付けで一瞬データをなくしてしまった。あせることあせること。やっと見つかってさて立ち上げようとするがTOPから入れない。ここからリンクをはって見よう。

屋久島ツアー

どうやらソフトの具合が良くないようだ。(追)だましだまし,なんとかリンク貼れました。


04/08/21(土)   

屋久島は台風の影響で島から出られず,予定が一日延びた。ちゃんとした装備も心構えもしていなかったので縄文杉までは行けなかったが,車で行けるところからちょっと入ればすぐ苔むした原生林だったし,巨大な屋久杉も何本も見ることができたので充分だった。また,いつか行きたいと思う。学生時代のワンゲル仲間は多少太く逞しくなっていたが,何年経っても昔のままだった。私は来年の幹事になった。小さい山と温泉があって,美味しい物が食べられるところを捜さなきゃ。写真をたくさん撮ったがうまくまとまるだろうか?近く旅行の顛末をUPしよう。

午前中は3人でプール。午後から美容院。夜はレイトショーで華氏911。全編ドキュメンタリーなのだが,「大統領の陰謀2」と名付けても良いかも。これが,次の大統領選に影響するのは必至だろう。もう少し日本での公開が早かったら参院選にも影響が出たかもしれない。自衛隊を早くイラクから引き上げて欲しいと改めて思う。


04/08/16(月)   

今日は休暇を取っていたが,打ち合わせすることがあって職場に出かけた。用事が終わってすぐ帰宅する予定だったが,ちょうどプールの清掃日だったので,しかたなくみんなといっしょにデッキブラシを持つ。ジャージーを膝までたくし上げ,麦わら帽子,首にはタオル。山崎まさよしの新曲のPVはプール掃除。歌に合わせて,デッキブラシで拍子をとったり楽器のマネをしたり楽しそうなPVだ。しかし,私たちはそんな楽しいはずがない。1時間あまりかけてやっと終わった。

帰りにCDショップに寄り元ちとせのライブアルバムを買う。声がかすれたり歌詞を間違えたりしているところがあるが,補って余りある唯一無二の歌のうまさだ。ライブ盤とは思えないほどクリアな音だった。あざやかな赤い衣装のジャケットもいい。日本中に強烈な印象を残し,あっさり消えてしまった。今頃どうしているのだろう。

奄美ではないが,同じ鹿児島県の屋久島に行く。息子1がせっかく帰省したが,母は3日間留守にするのでよろしく。


04/08/14(土)   

お盆である。息子2の友達から電話があった。大阪から帰省しているのだがTくんは居るかと。居りませんがな。我が家の息子たちは二人ともまだ帰ってませんがなお盆なのに。という私も実家にご無沙汰している。昨夜私が習字にいっている間に富山の実家の母から2回も電話があったと主人が言う。折り返し電話をしてみると,母はそんな電話していないと言い張る。狐につままれた気分だった。声だけは若々しいがもう相当悪くなっているみたいだ。主人が心配して里帰りを薦める。

お盆に家族が集まるというのは,我が家に限らずだんだん崩れて来ているようだ。集まって何をするでもない。お墓参りをし,ごちそうを食べてテレビを見ながら他愛もない話をする。ただそれだけのことだけど実はとても大切なことかもしれない。

実家といえば,なんとあの山崎まさよしが近く映画のロケに来るという。高岡。戦禍を免れた小さな城下町。古い商家の街並み千保川,瑞龍寺,大仏さん,古城公園,氷見線に乗って雨晴の海岸に足を伸ばすのも良い。ロケーションには事欠かないだろう。私はこの町の高校に3年間通った。主人は学生時代の半分をここで過ごした。清水町の古い下宿は昔,芸者の置屋だったとかで風情があった。一階にはピアノがぽつんと置いてあって,時々大家さんの娘さんが帰省したときに弾いていたそうだ。よく聞いたら高校の合唱部の先輩で東京の音大に行った人だった。城跡の公園には石垣やお堀が残っている。スイレンの咲くお堀端を広小路側に少し入ったところに,土蔵を改装した「椿や」という喫茶店があって,棟方志功の版画が何点か掛けてあった。まだ,あるかな?思い出の糸は際限がなく,取り留めなく複雑にからまる。

山崎まさよしでない方が良かったな。私の大切な二つの物がいっしょになると互いに壊れそうで怖い。願わくば良い映画になりますように。ぱんぱん。


04/08/11(水)   

 

さらさらのブロンド,青みがかった灰色の瞳,繊細ではにかみやながらもうちに秘めた情熱を持った青年はいったい誰?晩年のいかめしい髭じいさんとは似ても似つかぬ20歳の頃のJOHANNES BRAHMS。

このころ,シューマン夫妻と出会い,シューマンにその才能を認められ音楽界に大きな足跡を残すことになる。生涯のあこがれの人クララ・シューマンとは14歳も歳が離れている。年表を見たらびっくり。ブラームスの父が結婚したのは24歳でその時,母は41歳!この子にしてこの父あり。しかし,ブラームスは生涯独身を通し,クララが亡くなった後1年を待たずに後を追うように亡くなった。ロマンチックやのお。

昨晩プールに行く途中でカーラジオをつけたら,なじんだ旋律。あれ,ベートーベンだったけ?いや,ちがう。展開は似ているけど,ベートーベンはこんなに甘くない。もしかして,ブラームス?今日番組表で確かめたら,やはり,ブラームスだった。ごそごそとラックを調べたら同じ曲があった。ピアノ協奏曲第2番だった。

私が好きなのは晩年のピアノ小品集。中でもクララが「灰色の真珠」と絶賛したと伝えられる第1番は,物淋しく甘い旋律に胸が締め付けられる。


04/08/09(月)   

私がそそっかしいのは生まれつきだが,最近は自分でもあきれるぐらいひどい。仕事中は緊張しているし,周りにきびしい目がたくさんあるのでそうでもないのだが,いったん仕事を離れると「心ここにあらず」の時間が多い。つまり,ぼーっとしているのだ。電車を間違えたり,乗り過ごすことは毎度のこと。レジでおつりだけ受け取って買った物を置いてくる。テニススクールで他の人のペットボトルを飲む。胸のあたりがいつもと違うと思ったらブラジャーをつけていない。顔が赤くなったり青くなったり,まるで信号だ。

しかししかし,今日はほんとに取り返しのつかないことをしてしまった。庭がまた草に占領されて来たので主人を送り出した後草取りをした。えらいでしょ。まず。外回りの草と柵からはみだしているつるバラの枝を始末する。次に陽の当たっていない西側から草取りを始める。出窓の下にはいつのまにかぶっといブドウが生えている。植えたものではない。いつのまにか生えてきたのだ。これが,今年はいちだんと枝を伸ばし,出窓だけでなく,そばの健気なバラにまでつるを巻き付けているではないか。かわいそうにブドウのせいで葉っぱがほとんどなく,ひょろっと首を長くして先っぽにちょこっと付いているだけだ。これは,もうだめだね。主人がなんかいうかもしれないけれど,ここんところで切っておいた方が秋に新しい枝が出てくるだろうとまん中当たりでちょっきんと切りましたとさ。

やっと芝生は芝生らしくなり,草はなくなり,地面が見えてきたのでバラに水をやっていた。今年はちょっと元気がないな。でも去年植えたアイスバーグがしっかり根付いている。あれこれはなんだろう。出窓の前で手が止まる。もしや私が頼んで買って貰ったつるピースではないか!ああ,だから,あんなに枝がひょろっとしていたんだ。その芯の枝を,これから一番伸びる枝を真ん中で切ってしまったのだ。出窓から2階のバルコニーまでつるピースで飾るという壮大な計画がこれで終わりだ。

それから,ずっと落ち込んでいる。きっと,これは,もう1本苗を買ってもらえということなのかとか,場所を替えて植えろということなのかと自分の心に折り合いをつけようとする。これは心理学で言うところの葛藤と合理化(自分の失敗を自己欺瞞的に正当化すること。 イソップの「狐とブドウ」の話が合理化の典型例。)に他ならない。失敗を失敗として受容しよう。

さて,今回は自分に降りかかって初めて自分の愚かさ加減を自覚したわけだが,もしかして,周りの人に自分で思ってる以上に迷惑をかけたり嫌な思いをさせているのかもしれない。恐ろしいことだ。「馬鹿は死ななきゃ治らない」と言うことわざは,ほんとは「自分が死ぬようなひどい目に遭って初めて自分の愚行に気づき,悔い改める」という意味なのだろう。これに懲りて,何かをする前に考えてから実行するようにしよう。と,決意したが,いつまで続くか・・・。


04/08/08(日)   

通勤電車の細切れの読書は塩野七生の「ローマ人の物語」。男性的で勢いがあって文体は簡潔明瞭。一気に読めそうだが,頭の中に入って来ない。行きつ戻りつしてやっとハンニバル戦記(上)が終わった。塩野七生の本はまだ何冊か手許にあるが,既読「チェーザレ・ボルジア」以外まだ読まないでおこうと思っている。時代の流れをつかんでからの方がいいと思うからだ。あせるのだが,なかなか進まない。

須賀敦子の「トリエステの坂道」を読み終わった。これは一気に読んでしまった。文体が全然違う。須賀敦子の文は繊細で美しく哀しい。そして,底を流れるのは亡き夫への愛情。書き出したのが,夫に先立たれ,日本に帰ってから20年も経ってから。書けるようになるまで20年かかったということだろうか。

生きた時代がほとんど重なり,二人とも良家のお嬢さんでイタリアにあこがれイタリアに渡り,やがてイタリア人と結婚したが,結婚した時期も出会いも相手も全然違う。片や陽の当たるまっすぐな道を歩き,片や霧の中の曲がりくねった小道を歩いてきたようだ。

私はべらんめえな姉御肌塩野七生より,永遠の女学生のような須賀敦子が好みなのだが,残念なことに,もう亡くなってしまった。ほんとに惜しいことだ。


04/08/07(土)   

昨夜は「シュレック2」を見に行った。なんていうか,楽屋落ちのネタでしょう。面白いけど軽い。サンマのトークショーみたい。先週見た「スチーム・ボーイ」もそう。すごい凝ってるけど,テーマは何?もやもやが残る。面白いだけでなく,じわーんと感動が残る映画に会いたい。

ここんところ主人とはまっていたのはジグゾーパズル。熱帯魚がわんさかいる1000ピース,Nさんのショップで半額バーゲンだった。それが,完成してしまったので,手持ちぶさたで,レイトショーに行ったのだ。

ジグゾーパズルを始めたのは日曜日。その晩の「NHKアーカイブス」は被爆者の絵を持ってアメリカを旅する女性の話。私は画面を正視できず,ジグゾーパズルから顔を上げられなかった。水曜日の「歴史が動いた」では沖縄戦。昨夜の「NHKスペシャル」は広島復興について。「クローズアップ現代」も連日終戦記念日に向けた編成だった。なんで,この時期に集中してやるの?これでは,季節の風物詩扱いではないか。

核兵器の恐ろしさも戦争の悲惨さも私たちは知らない。私が子どもの頃は戦後20年と言われていた。傷痍軍人をたまに見かけたけど,戦争のかけらはほとんどなかった。今20年という月日が実感としてわかる年齢になってみると,戦争があったのは,あの幸せな子どもの頃からほんのちょっと前だったのだと思う。だのに,大人は戦争のことを語らなかった。語りたくなかったのだろう。どんなに理屈をこねても,戦争に正当性を見いだすことはできない。終わってみれば敗者はもちろん,勝者にもいろんな形で傷が残る。喜ぶのは戦争で利益が上がった人だけだろう。

今,いろんな人たちがあの頃のことを話そうとしている。人生の終焉にいるからだろうか。大いに語っていただきたい。終戦記念日に向けてではなく,この不安な時代,私たちは何を教訓にすればいいのか訊きたい。


04/08/05(木)   

今日は胃検診で指定された学校へ出向いた。台風の名残で不安定な空だったので,行きは主人に車で送って貰ったが帰りは電車だった。うわーん,駅が遠い。ヒールがちょっと高め,白とピンクのひものお気に入りの新しいサンダルだった。甲にひもが食い込んで痛い。靴はスニーカーに限る。

昨日は婦人科の検診だった。例の女医さんのところ。患者の名前を下の名前で呼び,さらに「ちゃん」をつけるのだ。幼稚園児じゃあるまいし。親しみを込めているつもりかもしれないが,私なんぞは毛が逆立つ。でも,男性の医師に診て貰うのも嫌なもんだ。下の階でプラスティックの板に乳房を挟んでX線を当てるマンモグラフィという検査も受ける。これは涙が出るほど痛い。私のおっぱいが小さいからかもしれない。あまり小さいのでうまく挟まらず検査する人(女性)が苦労して引っ張ってくれた。

今日の胃検診もバリウムを飲むのがつらかった。まず,発泡性の粉を飲み水で流し込む。「ゲップをしてはいけません」と言う注意を受ける。小さいコップのバリウムを飲む。うっ,まずい。だが,がまんして飲み干す。ところが,これだけではない。次の部屋の中の検診台で軽くグルグル2回転した後「これを全部飲んで下さい」とこともなげに言われたバリウムは先ほどの4倍ぐらいの量なのだ。うっくうっくと半分ぐらい飲んだところでため息をつく。牛乳が嫌いな子に「えらいね。もう少しがんばろうね」と言う場面だ。次の人が待ってるからしょうがない。後半分飲み干した。

でも去年の胃カメラよりかはましかな。検診は大嫌い。採血が特に苦手だ。私は血管が見えにくくて,下手な人だと何回もやり直しをする。もっと簡単に痛くないように検査する方法がないものか,関係者各位にお願いしたい。