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私のスキー暦

 最初にスキーをしたのは小学生の頃。雪国だったので平地だったがなぜか知らないが竹スキーがあった。ある大雪の年、(今思うと俗にいういうサンパチ豪雪=昭和38年)体育館の屋根から落ちた雪が大きい山になっていてスキーには格好の坂ができていた。先生達は子どもたちに、スキーがある人は持ってきてといったか忘れたが、嬉々として滑ったのを覚えている。

 次は、ずっと跳んで大学生。部活(ワンダーフォーゲル)の先輩に初めてスキー場というところに連れて行かれた。スキー靴を履くのも初めて、スキー板をつけるのも初めてそれなのにいきなりすごい坂。私は直滑降しか知らなかったから、前につんのめるしかなかった。幸い、やわらかい雪だったのでけがはせずに済んだ。たしか、リフトの下り方が分からなくて、椅子が回転する内側に降り、出るに出られず係の人に助けてもらったのもこの時だったような気がする。

 スキー場のロッジのバイトもやった。最初はリフトが3基しかないような小さなスキー場の小さな店だった。私は売店だった。「いらっしゃいませ」がなかなか大きな声で言えず叱られたものだ。ここで、休憩時間を見計らって店の前のゆるい坂で店のレンタルスキーを借りて滑った。ここでも、直滑降しか知らなかったから、前につんのめって、雪面は固かったから膝を捻挫した。確か3日ほどで帰されたような気がする。店の人もいい迷惑だったに違いない。そこには、パトロールの人たちもいた。私の泊まっていた部屋にも高校生ながらパトロールの仕事を手伝っている子が遊びに来ていた。私目当てではなく、もう一人のきれいなお姉さん目当てである。で、大晦日の夜、今晩、松明滑降やるんだけどいっしょにやらない?と、もちろん私にではなく、きれいなお姉さんを誘いに来た。え、私がやってもいいの?と遠慮気味だったが、お姉さんは出ていった。ゆっくりS字を描きながら降りてくる松明の炎の列がとてもきれいだった。最後にシーハイル!の叫び声でスキーを片方立てるのが決まっていた。古きよき時代である。

結婚式に来てくれた主人の高校時代の友人Mさんは大学時代スキー部で、卒業してから社会人のスキークラブに属していた。その伝で、二人で体験合宿に行った。私はその頃はパラレルターンができていたが、後傾で横ずらしで制動をかけていたのを指摘された。クラブには様々な職業の人がいてミーテイングの楽しさは格別だった。その後何回かこのスキークラブの合宿に参加させてもらった。指導員が何人もいてきちんと教えてくれた。

Mさんは私達の1年後にスキークラブの人と結婚し、子どもの生まれた時期も重なり、毎年家族ぐるみでスキーに出かけた。コーチはMさんで、子どもが熱を出したり、頭を打ったりすると国立病院の婦長をしている奥さんが頼りになるし、子どもたちは兄弟のように仲良く遊べるしで最高だった。子どもたちが大きくなってからもう1家族とシャモニーへ出かけたのを最後に4人が揃って滑る事はなくなった。子どもたちはもう、親と一緒に行かない年齢になった。

Mさん一家の他にもいろんな人と出かけた。主人の姉さんや兄さん一家会社の若い人たちとも。一番よく出かけたのは八方。息子たちはヘルメットをつけて急斜面をボーゲンでくるくると滑っていた。私達は他のスキーヤーとぶつからないように前と後についていた。あの頃は小さい子はあまり見かけなかったので、みんな道を譲ってくれた。

最初に海外に出かけたのは、カナダのウイスラーとブラッコム。子どもたちと主人の姉さんと一緒。ヘリスキーが最高に楽しかった。 

つづく