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平洲は、再び歩きはじめました。

 江戸で嚶鳴館(おうめいかん)という塾を開き、弟子を教えながら、自分もまた一生懸命に勉強し、学問をすすめていったのです。

 そのうち、だんだん学者としての評判も高くなり、西条(愛媛県)人吉(熊本県)といった藩からも、先生として招かれもしました。