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村人が思ったとおり、米沢藩から米や麦もたくさんとれるようになり、お金になる漆や絹織物なども、たくさんつくられるようになりました。

 貧乏だった米沢藩も、だんだん豊かになっていき、人々の暮らしも、少しずつよくなっていきました。

 次に、治憲公は、平洲の勧めを聞き入れて、米沢に興譲館という藩の学校を開きました。米沢藩を引きつぐ、次の時代の若者たちを育てるためです。そして、興譲館からは多くの立派な優れた人物が出て、米沢藩のためにつくしました。

 このように、治憲公、後の上杉鷹山は、平洲から学んだいろいろなことを実行し、藩の立て直しに生かしていったのです。

 そして、平洲の教えを受けた鷹山公は、一生、先生から受けた教えを忘れることなく実行し、先生を尊敬し続けたのでした。