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大田まつりメニュー
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一番車
毎年、10月の第1土・日曜日に行われる愛知県東海市大田町の大宮(おおみや)神社の祭礼。
4台の山車が町内を練り歩く。
4台の山車とは「荒古」・「黒口」・「市場」・「里」。
4台が練り歩く順番は毎年順番に変わっていく。
先頭を「一番車」と言い、運行をリードする役目をおう。
小生が中老を卒業した年は(ちなみに42歳の厄年が中老卒業の年)荒古組が一番車であった。
荒古組は他の脇(わき・・・<組>と同義、他の脇とは荒古組から見た場合 黒口組や市場組、里組のこと)
とは異なり、荒古組の中に3つの脇が存在する。中村組、西屋敷組、川北組がそれである。
この3つの脇それぞれに若屋(集会所)があるが、輪番制で中村−西屋敷−川北−中村−・・とその年
使う若屋が変わっていく。(その年使う若屋の脇を宿元<やどもと>という)
従って、山車の順番と宿元の組合せで中村組が一番車の宿元にあたるのは12年に1度のこととなる。
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若衆(大田まつりの主役)
<若衆(わかいしゅ)>はお囃子や、からくり人形の操作、山車の運行を行う
言うならば「お祭り主演軍団」。
現在では中学生から若衆に入れるが、7年前までは高校生以上でないと
入れなかった。(荒古組の話ですよ!)
入りたて2年目くらいまでの若衆は特に「小若衆(こ わかいしゅ)」
と呼ばれ可愛がられます。(用事を言いつけられて、走り回ったりしながら、
どういう仕事があるのかを体験・理解していくのです)
少し寂しいことがあります。
せっかく若衆に入れる年齢を中学生まで下げたのに、本人や家族の意向で
若衆に入ってくれないケースが多いのです。
話を聞くと「勉強(塾通い)があるから」とか「飲酒を強要されて、辛い思いをしそうだから」とか
「お祭りの稽古期間中は帰宅が遅い時間になり風紀上好ましくない」等の理由だそうです。
確かにお祭りの稽古期間(約1ケ月間)は塾通いと並行することは出来ないと思います。
しかし、中学生、高校生に対して飲酒を強要することはありませんし、
彼らには稽古を早上がりさせて帰宅が遅くならないように配慮もされております。
それよりも、経験者から言わせれば「地元の連帯感や、けじめのある縦型組織、
他の組との連携と競い合い」等
普通の生活や、学校では希薄になりつつある「大切なもの」
を学ぶ <とっておきの場所>です。
こういう良い面をより多くの人が理解してくれることを切に願います。
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荒古組の若衆に入ると、「人形方」・「太鼓方」・「笛方」のいずれかに属することになります。
「人形方」は、からくり人形の操作を憶えます。
昔は「その家の長男」しか人形方になれなかった と聞きます。
高価な人形や、人形の衣装を操作、管理するので 身持ちのシッカリした家の、
しかも逃げていったりしない人という事だったのでしょうか?
人形方はお祭り当日を山車の屋形の上で過ごします。お酒も飲めません。
からくり人形は試楽(しんがく=10月の第一土曜日)に1回 太田川駅前。
本楽(ほんがく=10月の第一日曜日)に3回、大宮神社、常蓮寺or毘沙門寺、大里橋。
特に試楽の太田川駅前には魔物が棲んでいるらしく、よく人形が落下して人形が
骨折しそうになったりしていました。
(2002年は大丈夫でした)
また、本楽の大里橋では山車の周囲を荒古の住人で占めてしまう(よくしっているご近所さんの集団)
ので、粗相が許されず 緊張するみたいです。
荒古組のからくり人形は右手にバチを持っています。
指揮者がタクトを持つように上品にバチを持っています。
(来年は人形の写真を撮らせてもらって、掲示する予定です。上品な人形の手をお楽しみに!)
腕と頭を操作します。熟練の人形方の手に掛かると人形が首を左右に振るとき、
人形の髪の毛がふわりとなびいて見とれてしまいます。
(発展途上の人形方の場合、人形の首が筋を違えてしまいそうな気になります。)
同じように腕の動きも、柔らかく手招きしているように見えたり、ギシギシ音を立てているように
感じたりします。
からくり人形の操作はスィッチON-OFFのデジタルではなく、
スピードやストロークの違いによって全く別物になる純粋なアナログの世界なのですね。
人形が正立状態から、逆立ちする時は「緊張その@」です。
足と足の間に入っていた差し金が左腕に入れられた差し金にバトンタッチされたあと
反動をつけて逆立ちします。
 
逆立ち時に両足の膝が後頭部に向けて自然に倒れるのですが、
両足同時に「サッ」と倒れず一本ずつ「パタ、パタ」と倒れるときがあります。
人形の関節の滑りだとか、衣装の着せ方だとか、逆立ちのスピードだとか
・・どんな理由なんでしょうか?
逆立ちした状態で、右手のバチで鉦(しょう=鐘)を打ちます。お囃子に合わせて鉦を打ち、
顔も左右に振ります。

ギャラリーからは見えていませんが、狭い山車の中では人形方が おしくらまんじゅう
しながら操作しています。
「お神楽」「チンチコ」と演目を終えた人形は、「下がり」と呼ばれるお囃子に合わせて
逆立ち状態から、正立状態に戻ってくるのですが、その時が「大緊張そのA」です。
前述のように、今までそこにいたはずの人形が視界から消えることがあるのです。
そのメカニズムは笛方であった小生には、未だに謎です。
しかし小生は若衆時代に2度、若衆を卒業してから1度、その場に出くわしたことがあります。
(若衆時代は山車の中でお囃子を吹いていたので、その瞬間を目撃はしていない。)
救急隊員は頭からすっぽり半纏をかぶって
(ちょうどコートや上着を頭からかぶって雨をよけるような形)
人形を救いに行きます。 おそらく、人形方にとっては屈辱的な瞬間だと思います。
(1ケ月間稽古してきて、本番でこれかよー! 泣くに泣けねーぜ! って感じ?)
そんな大事故ではなく(救急隊員が出動するまでもない)ちょっとした帳尻合わせの時には
「チンボク」の登場です。
(今まで耳にしてる時には違和感無かったけど、活字にすると「チンボク」って危なくない?)
「チンボク」とは"T"字型の木の棒の事。例えば 人形が逆立ちした時に衣装が翻るのですが
正立状態になってもそのままだった場合なんぞに、下の方からソーっと「チンボク」が登場して
衣装の引っかかりをサッと外して、何事もなかったかのようにスーッと下に引っ込んでいくのです。
こうやってみると、からくり人形は立派な舞台をつとめているんですね。
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「太鼓方」は大太鼓とつけ太鼓(小太鼓)を受け持ちます。
大太鼓の胴の一番太いところは直径70cmくらいでしょうか?
表から裏まで(太鼓の厚み?)が同じく70cmくらいありそうです。
いい音がでます。お腹に響きます。たいてい最初は手にマメをつくります。
叩けば音が出る簡単な楽器なのですが、強弱のつけ方や間の取り方で
お囃子がピリッと聞こえたり、背中がこそばゆく聞こえたりするのは不思議です。
つけ太鼓は手鼓(てつづみ)を大きく平たくしたような形です。バチでたたきます。
「トン」とも「タン」とも聞こえる軽い音です。
これも叩けば音が出る簡単な楽器の筈なのに、慣れないうちは バチとバチがあたるのです。
「トン・ト・コ・デ」と叩こうとする。右・右・左・右と動かすときに例えば
下げようとする右手のバチと上げようとする左手のバチがあたるんです。
そうすると右手のバチが叩くタイミングが遅れて曲についていけなくなる。
「シャギリ」と呼ばれる「どんでん」の時のお囃子を、早いスピードで演じようとすると
このような事が起こります。(まあ、2年目からは大丈夫みたいですけどね・・・)
お祭り当日は、山車の中に大太鼓1人、つけ太鼓2人の計3人の太鼓方が搭乗しております。
(かなり狭いし、かなり揺れます)
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「笛方」は笛を吹きます。笛はよこ笛です。たて笛ではありません。
大笛(おおてき)と草笛(くさぶえ)の2種類あります。
大笛は初心者には比較的音が出しやすい笛です。
草笛は初心者が音を出すのにちょっと時間を要しますが、慣れれば
細い息でも高い音が出て、一息で長く吹けます。
小生が若衆に入るときには、まず笛を吹かせてみて、音が出れば笛方。
音が出なければ太鼓方。
(人形方は、それ以前に「真面目でシッカリしている」とい判断基準で引っこ抜いていってました。)
山車の中に笛方は3人搭乗します。笛方は左隣の人の指に自分の指を合わせるので、
一番左にいる人がお囃子のリード役です。曲目が変わるときやお囃子のスピードも
笛方で一番左にいる人がコントロールしています。
笛を憶えるのは大変そうに思えますが、大笛だけであれば最初の1年で憶えてしまいます。
「カンヅメ」と言ってお祭り当日(試楽と本楽の計1日半)ずっと山車に搭乗し
笛を吹き続けるのです。(よーく憶えられます)

下唇の少し下あたりが常に笛にあたっています。そうすると下の前歯の根本あたりに
圧迫感を感じ始めます。それを我慢して笛を吹き続けます。途中 口が渇き飲み物を
飲もうとしたときに下の前歯に触ると痛いのです。
先輩達が「カンヅメで大変だろうから!」と梨を差し入れてくれます。
歯に触れると痛くて食べられないのです。 それでも頑張って吹き続けます。
唇の感覚がちょっと麻痺し始めて、唇を固く細く締められなくなります。
笛の音が締まりのない「ホワ〜」のようになってきます。
こんな経験も普通の生活をしていたんでは一生味わうことができない
お祭りならでは のものかも知れません。
お囃子には決まりがあります。
山車が動いているときには「この曲」
「どんてん」のときには「この曲」
提灯を装着後は草笛!だけど山車が動いているときは大笛。
ここから、あそこの地点までは「この曲」
みたいな決まりです。
提灯祭りの時の草笛は、みなさんご存じの「もし、もし亀よ〜」とか
「もーも太郎さん、桃太郎さん」や「出ーた、出ーた月が」が
聞こえてきます。 聞いているだけでも楽しいですよ!
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お祭りの稽古
<稽古の様子>
たいていの年は、9月の第一日曜日が稽古始め。実際のお祭りは10月の第一土・日曜日なので
稽古期間は1ケ月です。
稽古始めの時に笛や太鼓とは11ヶ月ぶりに再開するわけです。
この稽古始めとお祭り1週間前の日曜日の稽古は、朝から行う「昼稽古」と呼ばれます。
その他の日は夕方18:30〜21:00位まで毎日行われます。
今現在はあまり良く知らないのですが、小生が現役の頃は20:00位を目処に
「休憩時間」を入れておりました。
「アタマ」と呼ばれていたのですが、「アタマ」というのは「休憩」の事を指すのか
「休憩の時に食べるおやつ」の事を指しているのか?
小若衆に「○人分アタマ買いに行け!今日は△△屋!」といっていましたので
おそらくおやつのことをアタマと言っているのでしょう。
(「今日は△△屋」というように、毎日いろんなお店でおやつを買います。
お店屋さんからは、ご祝儀を頂いているので、どのお店屋さんにも
万遍なく買わせていただくよう配慮しているわけです。)
<とても楽しかったアタマ>
小生は高校生のときに若衆に入ったのですが、このアタマ(休憩)時間と
稽古が終わってからのおしゃべりの時間が、とても楽しかったです。
違う高校に通っている同い年の子と、「俺の学校ではこうだ!」とか
もう働いている先輩達が、「このあいだ遊びに行ったらこうだった。」という
話をしたり、聞いたりしているだけで 楽しくてどんどん時間が過ぎていきました。
さらに、お祭りが近づいてくると「あそこの角では、こういうメンバーで担ぎ
キレイに一週と四分の一回して、サッと進む。」とか「担ぎ方は、音頭取りの声が
掛かるまでは梶棒の横で立ってろ。声が掛かったら一斉に肩を入れて担ぐ。
そうすればキビキビして見えてカッコイイ!」という会話に変わっていきます。
みんなその時の情景をイメージしながら鳥肌立てたりしている。
「いや、音頭取りの声に合わせるのではなくって (笛の)高音に合わせて肩を入れた方が
カッコイイんじゃないの?」てな話になってくると、終わりがありません。
アタマと言ってもジュース1本とお菓子少々を頂くだけのことなので、
食べたり飲んだりしている時間より、ビラをほぐしながら
お祭りの話をしている時間の方がうーんと長いわけです。
<ご近所のご協力と、ご理解>
宿元は輪番制で 中村−西屋敷−川北と毎年回っていきます。
中村も西屋敷も、若屋は民家と隣接しています。
従ってお祭りの稽古が始まると笛や太鼓の音、若衆の大声で
さぞかしうるさいことと思います。テレビの音も聞こえない程かも知れません。
ご近所の方々のご理解とご協力には、大変感謝いたしております。いつもありがとうございます。
(川北の若屋は大宮神社の北にあり、民家からはちょっと離れております)
若衆も中老も、地元住民の方々のご理解とご協力があって
お祭りが出来ていることに感謝致しましょう。
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<若衆が二人集まれば・・・>
稽古期間中は、お祭り当日に向けてモチベーションを高めていきます。
お祭りの話で持ちきりになります。

当日山車の上から撒くビラ(色紙を細かく刻んだもの)をほぐしながら
(色紙を、押し切りでザクザクと短冊に切り、それをハサミで正方形に切っていく
ので、そのままだとどうしても色紙が重なったままになってしまう。
その状態で山車の上から撒くと、ひとかたまりにドサッと落ちてしまい
ヒラヒラ、ハラハラと美しく舞ってくれない。)
「今年の交番前のどんでんでは、金と銀だけのビラを撒こうぜ、カッコ良いぞ!」
とか、「二軍選手の見せ場は、帰りの橋の上で・・・」とか話すわけです。
お祭りが早く来て欲しいような、もっとわくわくする時間を楽しみたいような
複雑な心境です。
<若衆は判りやすい縦社会>
小若衆は、入りたてなので なにをどうして良いのか判りません。
1年先輩は、一通り経験してきているので おおよそ判っています。
若衆幹事ともなれば、何年も経験してきていますので
一連の流れを良く理解しています。
そこには経験がものをいう世界がある。(年長者であっても
経験が不足している人には、あまり口出しが出来ない)
小生はそれでよいのではないかと思う。
年長者が敬られるのは、その考えの深さや 指示の的確さ。
ただ単に年輪を重ねただけでは、なかなかリーダーにはなれない。
小若衆の皆さんは、限られた時間の中で出来るだけ多くの経験をして下さい。
骨惜しみせずに良く動く人は、必ず何年かすれば立派な幹事さんになれます。
<チームワークの大切さ>
いくら立派な人でも、たった一人では山車を動かすことさえ出来ません。
組の中で分裂するようなことがあっては、ギャラリーを感動させるような
お祭りはとうてい無理です。
「厳しいけれども、仲良く」の大切さを学ぶ場です。
社会に出てから一番役に立つのは「若衆時代に身につけた、ありとあらゆること」
である、と心底思っています。
<若屋にお泊まり>
金曜日から若屋にお泊まりしていた記憶があるのですが
土曜日からでしたっけ?(いまは土曜日からみたいですけど)
修学旅行みたいでワクワクしていたのを憶えています。
だけど、提灯のロウソクを絶やさないように2時間に一度交換しなければ
いけないので結構気を遣いました。(今は電球になってますけどね)
明日の朝は早い(5時くらいに塩を入れた風呂にはいる)のにも関わらず
仲間と話をしたりオイチョカブしたり・・・。
若い頃の体力は無尽蔵でしたね。
(今はすぐに体力が底をついちゃうけど・・)
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<自炊>
試楽の夜と本楽の朝は若衆がごはんを自炊します。
(中村組のお話です。)
小生の若衆時代は試楽の夜は「すきやき」
本楽の朝は「豚汁」だった記憶です。
自宅でも料理なんかした経験のない 小若衆が
先輩達に教えられて作るのですが、
不思議なことに一世代(若衆の一世代は10年かな?)に一人は
料理に堪能な若衆がいて、その子が毎年おいしく作ってくれるもんです。
小若衆時代に驚いたのが、食前の御神酒です。
全員が卓の前に座ります。伏せてある茶碗を返して
そこに なみなみと冷や酒を若衆幹事さんがついでくれます。
その御神酒を飲み干さないとご飯を盛れないわけです。
高校生の時、部活の試合がお祭りの本楽に重なり、
若屋で御神酒と朝ご飯を食べてから、太田川駅まで
走っていったら酔いが回ってきて「おまえ、酒臭いぞ!
バレるとまずいから、顧問(先生)の近くには行くな!」と
言われた経験があります。
お祭りの時には大目に見てもらえますが、
高校生としての部活のときにお酒飲んでいるのはいけません!
(良い子は真似をしないように!)
<ももひき>
慣れてしまえば非常にシックリくるのですが
最初は、とても不安でした。
ベルトもファスナーもない、筒状の布2本をねじった様に縫いつけて
ひもを付けただけのズボンもどきの物で、
アクシデントは起きないものだろうか?
取り越し苦労でした。お尻部分にゆとりがあり
しゃがんでも大丈夫。しかも美しいシルエット。
優れものです。 (といっても普段の日に着用するには違和感がある)
<どんぶり>
といっても、ラーメンやうどんの入れ物ではありません。
前から見るとランニングシャツの様。後ろから見ると襷掛けの様。
ブラックカラーでキリッとしている。
お腹の部分のポケットには白く「荒」の字が染められている。
小若衆の時にはキチンと着用していました。
楫取りの立場に近づくにつれて着用しなくなりました。
(体を鍛えて、肉体美をアピールしていました)
今はどんぶりで体型を隠そうにも
どんぶりさえ着用できないような体型になってしまいました。
<わらじ>
わらじなんてお祭りの時にしか履いたことありません。
足の指が、わらじから外に飛び出して 違和感がありました。
それに履いたりぬいだりが、非常に手間でした。
ある時からわらじを履かずに白足袋だけで過ごしていました。
道路の真ん中を、半纏なびかせながらヒタヒタ歩くと
いかにも「お祭り」って言う感じでした。
退役した今でも、お祭りの時は道路の真ん中を歩いています。
(交通規制していないのに酔っぱらって
道路の真ん中を歩くのは止めましょう!)
<女衆(おなごしゅう)>
なぜお祭りの時に見に来てくれる女衆(おなごしゅう)は綺麗なのでしょう?
お目当ての若衆の晴れ姿を見に来ているので、綺麗なのでしょうね。
「おーい若衆!女衆の前で無様なマネするなよー!
バッチリ男を決めてやれー!」)
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<夕方の交番前は最高潮>
本楽の夕方、交番前のどんでんは、若衆の檜舞台です。
特に若衆の卒業幹事は、悔いを残さないように 必死で担ぎます。
「秋の陽はつるべ落とし」の言葉通り、一番車のどんでん時には
まだ、十分明るいのですが ドベ車(四番車)の時には暗くなっています。
いまでこそ、交番前の交差点は広くなりましたし
インフォメーションテントが設置できる広場ができたり
しています。
昔は道一杯まで建物があり、山車で家の瓦を落としてしまったり、
カンバンを凹ませたりしたこともありました。
どんでんの時に軸がズレずに綺麗に回すのは難しいです。
気合いが入れば入るほど軸がズレます。
頭で判っていても、どうにもなりません。
気合いが入る → 軸がズレる → きれいに回らない → よけいに、しんどい
→ 怒りに似た気合いが更に入る → 更に軸がズレる・・・。
思うようにどんでん出来ずに悔しがる若衆を見ていると、
こちらの目まで潤んできます。
ギャラリーは残酷です。
「今年の○○組のどんでんは、イマイチ気合いが・・」
「気合いが入りすぎると、こうなって・・・」のように
小生が替わりに解説してあげたくなります。
結果はどうあれ、声も体力も、全て出し尽くそうとした
若衆達のその姿勢に、惜しみない拍手で応えてあげてください。
<しっとりとした提灯祭り>
若衆の檜舞台である、夕方の交番前のどんでんが終了すると
各組とも提灯を山車に取り付けます。
これ以降を「提灯祭り」と呼びます。
四台引き別れとなる時間まで、山車を止めたままになります。

その様子を見ると「しっとりとした提灯祭り」という語がぴったり。
お囃子も草笛の軽快な曲が流れます。
戦士達のしばしの休息・・・・と思いきや
交番前で樽酒を割って車座になって酒を飲んでます。
地域住民から、ちょっと白い目で見られています。
(飲んだ後乱れたり、怪我を誘発したり、もったいない飲み方を
したりするのは、やっぱり良くない と思います。)
「いつから、こういう事が始まったんだ?」とギャラリーが
話している声が聞こえると、身の縮む思いです。
(それは小生が若衆幹事の時に始めました)と心の中で懺悔しています。
<フランチャイズ大里橋>
夜も深まり四台の引き別れ後、荒古組の山車は大里橋へ向かいます。
これからは、荒古組の荒古組による、荒古組のための からくり人形の時間。
大里橋の上に山車を止め、屋形を上げ、からくり人形が始まります。
荒古組の住民が橋の上に集まって座り、山車を見上げます。
お祭りという名の同窓会のような雰囲気でもあります。
中老さん達が用意してくれているライトに照らし出される人形は
幻想的ですらあります。
川に沿って吹く風に、お囃子が流されていきます。
小若衆が気を利かせて、そこにいる全員の人たちに飲み物を配ってくれます。
「ああ、今年のお祭りも、もう終わってしまう・・・。」
ちょっぴりセンチメートル・・じゃなくてセンチメンタルに。
人形が終わり、屋形を下げると 橋の上でその年最後のどんでん。
今は、提灯を燃やさないためローソクの灯を消してからどんでんを
するのですが、 できることなら昔のように
提灯の灯りはそのままで、どんでんをして欲しいものです。
揺れる提灯、風に流されるビラ、最後の力を振り絞って担ぐ若衆、
ちゃっかり便乗して、梶棒に入っている中老・・・・。
小生の最も好きな画なのです。 あー、荒古組で良かった!
<ここ最近の楽しみ>
長いようで短いようなお祭りがいよいよ終わります。
交通規制の時間があるために、名残惜しいのですが車庫に格納する時間です。
今までですと、橋から南に下りすぐに車庫への道に入っていったのですが、
その角から5mくらい先のところの道幅が
数年前から、どんでんが出来るくらいのスペースに広がったのです。
本当に最後の最後のどんでんがそのスペースでできるのです。
<全くもって、お祭りバカ ばっかり>
<おかしいような、かなしいような若衆挨拶>
いくら名残を惜しんでも、車庫に格納する時間はやってきます。
昔は、この車庫入れの時によく山車を痛めました。
疲れているし、提灯がついて車幅が広くなっているし、ギャラリーが急かすし・・・で
「えーい!」 と突っ込んで「バキバキッ!」て。
でも今はとても上手です。感心します。
無事 山車が車庫に格納され、お囃子が止むと もう淋しさが込み上げてきます。
山車に乗っていた若衆降りてきて、格納された山車の前に並びます。
ギャラリーが十重二十重に囲みます。
その前で若衆幹事が挨拶です。 ほとんど声が嗄れて出ないときもあります。
「年に一度のお祭りも、無事に終えることが出来ました。
これも中老・警察・消防・町内会・それにここにおられる皆様方のおかげで・・・」と
声を張り上げ、若衆一同で「ありがとうございました!」
ギャラリーからは一斉に拍手。
それに続き、来年の若衆幹事の紹介・若衆卒業生の胴上げ
最後に集まっている人全員で万歳三唱。
あー!お祭りが終わってしまった。
来年もまた、頼むよ!
次回<山おろし秘話>を掲載予定。お楽しみに!
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<山おろし>
山おろしとは、「打ち上げ会」の事。
お祭りの余韻を楽しみながら、終わってしまった
お祭りを寂しがる会 とでも言いましょうか・・・。
年に一度のお祭りが終わり、翌日(月曜日)は精算をします。
若衆が稽古期間中と試楽・本楽に購入した「アタマ」や「食事」の
伝票をお店毎に集計し、中老(大田まつり保存会の財務部)に渡します。
中老さんが検算して、その金額を引き出して若衆に渡します。
若衆はそのお金を、各お店に支払い領収書を受け取ってきます。
全ての領収書を中老さんに提出して、精算終了です。
ここまでやると、ほぼ夕方になってしまいます。
さて、いよいよ山おろしの時間が近づいてきました。
ここからは「若衆の視点」と「中老の視点」の2元解説です。
<中> 山おろしの会場設営を行います。中村組と川北組は合同で
大宮神社の社務所を借りて行います。西屋敷組は昔ながらのしきたり通り
宿元(中老幹事の自宅)で行います。
女人禁制であるお祭りの筈なのに、山おろしの時には中老幹事の奥さん達が
お手伝いに来てくれます。(ただし、中老幹事自身は出来ることなら
奥さんに手伝いに来て欲しくない と思っています。)
中老さんの人数分だけ料理を用意し、若衆用の料理も準備。
中老さんは18:30位に開始、招待退役者合流は19:00位。
若衆合流が19:30位でしょうか?
準備万端、あとは時間がくるのを待つだけ!
<若>若屋に18:00位に集合します。晩ご飯を食べながら「スタメン(先発メンバー)の
発表」です。 その年に入った小若衆がトップバッターになります。
約1時間後に始まる光景をイメージしつつおしゃべりしつつご飯を食べます。
<中>中老さん、ぞくぞくと集合。上座から年代順に席に着いていきます。
最上座は去年中老を卒業された方が座ります。その横に今年の中老卒業幹事が座ります。
芸妓さん(最近はコンパニオンさん)が宴に華を添えます。
(というよりこの人達がある意味山おろしの主役かも知れません)
年に一度の同窓会みたいなものですから、話もお酒も進みます。
<若>若屋を出発する時間が近づいてきました。
なんとなく重苦しい空気になってきました。
普段着に半纏を羽織って出かけるのですが、中に数人
フル装備(ドンブリ、股引すがたのお祭り装束)がいます。
そうです、選ばれた先発メンバー達です。
手持ち提灯の灯りを先頭に、若衆が重い足取りで
社務所に向かいます。
<中>盛り上がってきました。お酒もあるし、一緒にお祭りを
やったメンバーである。盛り上がります。
「お祭りで頑張った若衆の慰労」という山おろしの狙いが
本当に果たせるのであろうか?
<若>社務所に到着。玄関で並び、大きな声で「こんばんはー!」
「おー、若衆が来たぞー」
中老さん、コンパニオンさんの拍手に迎えられ若衆が座敷に上がってきます。
それまで、お酒をだしたり、器の上げ下げをしてくれていた
中老の奥さん達は別室に入っていただき、座敷の襖を閉めます。
ここから先は、書くべきか書かざるべきか・・・。
今はまだ覚悟が決まっていないので、今回はここまで。
(おまけ)
昔は良くある話だったのでしょうが、
「父親が中老、息子が若衆。一緒に山おろしに参加する。」
という例が、ここ最近の荒古組には有りませんでした。
ある年、荒古組では若衆に入れる年を高校生から中学生に引き下げました。
その年山おろしを親子で参加する図式が成立し、
その図を見て楽しみたいという、周囲からの好奇の視線が集中する。
ということがありました。
(おまけ 終わり)
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