泌尿器科情報局 N Pro

症例007-3

解説

治療方針を考える上で重要な点は、なぜ尿閉となったのか?です。この患者さんが尿閉となった病態を考えていきましょう。教科書的には尿閉の原因は、下部尿路閉塞または排尿筋低活動のどちらかであると言われています。そのまま受け取ると、尿閉の原因は前立腺肥大症か神経因性膀胱のどちらかであることになります。しかし、それだけでは病態が説明できない症例が大勢います。そのような症例では、多くの場合で尿閉となるきっかけがあります。脳梗塞などの神経疾患の発症は当然きっかけとなりますが、それだけではなく大腿骨骨折や脊椎圧迫骨折、便秘などでも尿閉となることがあります。それら、きっかけとなるイベントのある尿閉では、多くの症例でそのイベントから離脱すれば、自排尿を回復します。

今回の症例を考えると、もともと未治療糖尿病、脳梗塞、軽度脊柱管狭窄などがあり、尿排出障害の原因となる神経疾患が存在するため、短絡的には神経因性膀胱の診断となります。しかし、実際に尿閉になったきっかけは胸膜炎です。胸膜炎によって神経因性膀胱が悪化したのでしょうか。おそらくそうではないでしょう。もともと神経因性膀胱もしくは加齢のために排尿筋の収縮力は低下していたかもしれません。それでも胸膜炎となる前は、自ら尿意を感じてトイレで問題なく排尿を行っていました。しかし、胸膜炎によって全身状態が極端に悪化し、寝たきりとなり、自ら動こうとする意欲もなくなってしまいました。その状態で尿失禁となってしまうのは理解しやすいことだと思います。老年症候群と呼ぶにふさわしい尿失禁です。ですがこの状態での尿失禁は、自ら排尿しようとしていないため、不十分な排尿となることがあります。残尿無く尿失禁できる症例も少なくないため、尿失禁があれば大丈夫と思われがちですが、症例の何割かは尿失禁だけの管理では残尿が増加します。単に残尿が多いだけで安定した状態を維持できる症例もありますが、そういった症例の何割かは、どんどん残尿が増加していきます。残尿が増加し膀胱が過度に伸展すると、膀胱は収縮力が低下してしまいます。それによってさらに膀胱が過伸展し、ついには多量の残尿を呈するほどの状態となります。定義の仕方次第ではありますが、溢流性尿失禁に近い状態と言えます。

話を症例に戻しましょう。尿意を感じていたかどうかは分かりませんが、排尿しようとせず失禁のみで放置されていたことにより残尿が増加していき、膀胱は1100mlの残尿を呈するほどとなっていました。ここまで膀胱が過伸展してしまうと、当分の間、尿意は減弱し、膀胱の収縮力も低下します。膀胱の収縮力が回復するまで相当の期間を待つ必要があります。もともとある程度は膀胱機能が低下していたと思われますので、そこからさらに今回の尿閉によるダメージが加わり、膀胱機能があまり回復しない可能性も否定はできません。しかしエビデンスに基づいた話ではありませんが、膀胱エコーで膀胱壁等に形態変化がないことなどから、比較的膀胱機能は保たれているのではないかと予想し、間欠導尿で自排尿の回復を待つ方針としました。当然、胸膜炎から回復しADLや意欲が回復しなければ、すぐにまた同じ状態に陥ってしまうため、内科での治療やリハビリはとても重要です。逆に言えば、たとえADLや意欲が低下しても、介護者が積極的にトイレ誘導やトイレ移動の介助を行えば、今回の様な事態は避けられたのかもしれません。

この症例は看護師による間欠導尿で経過を見た所、当科依頼後10日ほどたった頃に自排尿が出始めました。そこで、多少でも回復が早まることを期待して塩酸タムスロシン(ハルナール)を投与しました。その後も徐々に残尿が減少していき、1ヶ月で導尿を離脱することができました。

いわゆる急性期病院で間欠導尿のためだけに入院を継続できる余裕のある病院は少ないかもしれません。しかし、急性期病院で始められた尿道留置カテーテルが延々と施設、在宅で続けられている症例が大勢います。そのような症例では、カテーテルを抜去してみると実は排尿が可能であった、ということが珍しくありません。そのような症例をなるべく減らすためには、急性期病院での排尿管理をもっとしっかりとしたものにしていかなければなりません。