第2の故郷福島県
紅葉の磐梯高原・会津若松を訪ねる旅
第2部 会津若松・郡山
2013年10月23日〜25日
会津の奥座敷、東山温泉の御宿東鳳 にチェックイン
タワー館の17階に宿泊、2間ある部屋の大きな窓から城下町会津若松市内を展望でき、夜景も綺麗。鶴ヶ城も見えたが、夜のライトアップは期待外れ・・・ 露天風呂には3回入浴
NHK大河ドラマ「八重の桜」の舞台、会津若松市内観光
会津酒造歴史館
現在も実際に酒造りの行われている宮泉銘醸一番蔵を一般公開している。醸造行程が見学でき、また、酒に関する品々も多く展示されていて、会津清酒の生い立ちがひと目でわかる。冬は実際に仕込む本物の蔵だけに情緒も迫力も満点。地元限定の清酒や焼酎なども試飲ができる。
歴史感動ミュージアム 会津武家屋敷
約7000坪の敷地に、会津藩の筆頭家老、西郷頼母の家老屋敷をはじめ、県の重要文化財の旧中畑陣屋、茶室などが立ち並ぶ。江戸時代中期の和洋建築の粋を集めた佇まいだ。各部屋には武具、調度品などが展示され、当時の暮らしぶりを垣間見ることができる。
会津松平氏庭園 御薬園
会津藩主の別荘として、元禄9年(1696)に造られた回遊式庭園。約1万7000uの敷地には心字の池や400種以上の薬草が見られる薬用植物園、数寄屋造りの御茶屋御殿が点在する。
ハンサムウーマン八重と会津博 大河ドラマ館
2013年1月12日〜2014年1月14日の約1年間にわたり、ドラマ館がオープン。ドラマの世界感をよりリアルに体験できるスポット。八重の生きる覚悟と会津への思いが伝わってくる。バスでの観光客で満員。館内撮影禁止。
鶴ヶ城
至徳元年(1384)に葦名直盛が前身である東黒川館を築き、蒲生氏郷が七層の天守閣を創営。以来600年以上の歴史を刻んできた。戌辰戦争では激しい攻防戦に耐え、難攻不落の名城と称えられた。鶴ヶ城は、政府の命令で明治7年(1874)に取り壊されたが、市民の強い要望により昭和40年(1965)に再建。2011年に赤瓦に葺き替えられ、戌辰戦争以前の姿に蘇った。ガイド案内で城内を歩く。
城の最上階に位置する展望台から会津若松市内を360°の大パノラマで見渡す。遠く昨日宿泊した東山温泉の御宿東鳳が見える(右写真奥の高層館)。
茶室麟閣
蒲生氏郷が藩主だった時代、茶道の師だった千利休が豊臣秀吉から死を命じられると、利休の息子の少庵をかくまった。その恩義に応え、小庵が氏郷のために造ったといわれる茶室。
学生時代、青春の4年間を過ごした郡山市
学生時代、郡山駅から下宿まで歩いて15分くらいだったろうか。駅前のアーケードを通り抜け、国道4号線を横断し、清水台の卓球場を通り、友人たちの下宿前を歩いていた。雨の降りしきる中、下宿までのルートを歩いたが、すっかり当時の面影は消えていて、思い出に浸ることは出来なかった。半世紀が過ぎているのだから当然であろう。唯一、当時楽しんだ駅前のパチンコ屋「二楽」が「niraku」として形を変えて残っていた。
しかし、当時ハイキングを楽しんだ磐梯山近辺、安達太良山の自然は昔と変わらず懐かしく迎えてくれて、思い出多いひと時を過ごすことができた。
震災原発事故から2年8ヶ月、今まで支援金での協力をしてきたが、今回は旅行訪問で散財しての協力。被害の大きかった浜通りを訪ねる計画は日程上立てれなかった。訪問した磐梯、会津地方は、東京方面からの修学旅行生が震災後激減し、まだ回復していないとのこと。ぜひ安全であることを確認して、美しい自然を訪ねる旅行に出かけて欲しいと願う。
第1部 磐梯高原へ