ヲ バッハの音楽 

  ( それぞれの曲名をクリックしてください。)

G線上のアリア ( 管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV.1068 より)
六声のリチェルカーレ(“音楽の捧げもの” BWV.1079 より)
ブランデンブルク協奏曲第3番ト長調  BWV.1048
ブランテンブルク協奏曲第4番ト長調  BWV.1049
ブランデンブルク協奏曲第5番ニ長調  BWV.1050
ブランデンブルク協奏曲第6番変ロ長調 BWV.1051
ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 BWV.1041
2つのヴァイオリンのための協奏曲二短調 BWV. 1043
ヴァイオリンとオーポエの為の協奏曲ニ短調 BWV1060
ピアノ協奏曲第1番ニ短調 BWV.1052
シャコンヌ ( 無伴奏ヴァイオリン・バルティータ第2番ニ短調 BWV.1004 より )



 
 J. S. バッハ/G線上のアリア

 この曲は、もともとはバッハの管弦楽組曲第3番の第2楽章「エアー」として、弦楽合奏で演奏されるために書かれました。 それを、ヴァイオリニストのウイルヘルミがヴァイオリン独奏用に編曲し、「G線上のアリア」というタイトルで広く知られるようになりました。 (ウイルヘルミには、シューベルトの歌曲「アヴェ・マリア」のヴァイオリン独奏用への美しい編曲があります。) 
「G線上」というタイトルが示すように、この編曲はヴァイオリンの一番低い音のするG線一本だけを使って、演奏されるように書かれています。 バッハ特有の、深く気高い精神性に裏打ちされた清らかな抒情にみち、クラシック音楽として作曲されたすべての曲目の中でも、もっとも卓越した名曲中の名曲といえるでしょう。

                     (第11回定期演奏会プログラムより)


 
 J. S. バッハ/六声のリチェルカーレ(“音楽の捧げもの” BWV.1079 より)

 「ブランデンブルク協奏曲」に入る前に、まずバッハ晩年の傑作、“音楽の捧げもの”の中から、最も有名な「リチェルカーレ」をお聴きいただきましょう。
まず「リチェルカーレ」とはどういう意味か?と思いましたので、音楽辞典で調べたところ、“16 〜 18世紀の、多声器楽作品の総称”と書いてありました。 なんだかまだよくわかんない・・・う〜んそうですね。 そうだ、バッハといえば“対位法の巨匠”といわれ、あるテーマをもとにつぎつぎと対旋律をつみ重ねてゆく・・・といった作曲法の達人なのだ ! ということ位は、ちょっと音楽をかじったファンの方なら、よく御存知でしょう? そんなバッハが、ある時フリードリッヒ大王のもとを訪ねた時、大王からこんな注文をうけました。 「なぁバッハよ、わしの作った主題を6声のフーガにして、なおかつ2段鍵盤で弾けるようにできるかな」「・・・・」 さすがのバッハもこの注文に、すぐ即興で応ずるというわけにはいきませんでした。 実はこのフリードリヒ大王という人、とっても音楽好きで、自ら作曲などもしていましたから、プロ中のプロのバッハに、できっこなさそうな難かしい注文をしたのです。(これだから昔も今も、アマチュアってこわい・・・・。)
 家に帰ったバッハは、大王の注文に答えられなかった悔しさから、その全精カをかたむけて、この「六声のリチェルカーレ」を一気に書きあげたのです。 このようないきさつから、この曲にはバッハの気負いといったものが満ちており、対位法のプロの粋を尽くし切った、まるで大宇宙の秩序の美ともいうべき魅力があふれています。 この曲は大王の要望通り、2段鍵盤でも演奏できるように書かれていますが、それ以外で演奏する時のとくに楽器の指定はありません。 (筆者は以前、コントラバス6人で演奏したテープをきいた事がありますが、これはさすがに無気味でした)
今宵は、ショットという人が弦楽合奏用に編曲した版を便用して、演奏いたします。

                     (第12回定期演奏会プログラムより)


  ●プランデンプルク協奏曲

 1717年の暮、32歳のバッハは、それまでのワイアールでの生活に見切りをつけ、次の任地ケーテンへと向っていました。 ワイマール宮廷の政争に巻きこまれ、心身ともに疲れ切っていたバッハを暖かく迎えたのは、自ら昔楽を愛しバッハに深い理解を示したケーテンの領主レーオポルドと、当時ヨーロッパでも最高の枝術をもった17人編成の宮延楽団のメンバーたちでした。 この恵まれた昔楽的環境はバッハの創作意欲をたかめ、以後ライプチヒの聖トーマス教会に移るまでの6年間の間に、器楽作品の分野で次々に不朽の名作の数々を生み出して行くことになるのです。
「ヴァイオリン協奏曲」、「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ、パルティータ」「無伴奏チェロ組曲」そして「プランデンブルク協奏曲」。 これらの作品は全て、ケーテンの優れた演奏家たちを念頭において作曲されました。 
「ブランデンブルク協奏曲」は、全部で6曲から成っていますが、1曲ごとにすべて異った編成で書かれ、イタリア・バロック期から育くまれて来た「合奏協奏曲」の形式に、対位法的な手法と、独奏楽器とオーケストラの編成の妙をより極めつくしている点に、大きな特長が見られます。


 
 ブランデンブルク協奏曲第3番ト長調 BWV.1048
 (3Vn,3Va,3Vc,通奏低音)

 (・・・“思いおこせば、あれは20年近くも前、コントラバスというでっかい、まるでオバケみたいな、やっかいな楽器を習いはじめたばかりのボクは、この楽器を選んだことに後悔しはじめていた。 ブリブリとちっともいい音がしないし、やったら難かしい。 ヴァイオリンやチェロの連中は、その美しい音色で女性をクドくことも出来るのに、この楽器じゃあ・・・・ところが、そんなある日のこと、先輩たちが集まってバッハの「ブランデンブルク協奏曲第3番」っていう曲を練習していたんだ。 コントラバスは一年先輩のごつい男が受けもっていた。 ポクはそれを横でじっと聴いていたんだけれど、下の方でおんなじ音ばっかり「ソ・ソ・ソ・ソ・ソ・ソー…」と奏いているコントラバスの、なんてたくましくて、いいひぴきがしたことだろう。 そのうち、あれ?テーマらしきものまで奏きだした。あれ?まるでヴァイオリンやチェロと対等じやないか?すごいや ! 第2楽章に入った。 うわー、よくあんな早いフレーズを奏けるものだ。 あ、やっぱり間違えた、ははは・・・。でも・・・でも・・・バッハって・・・・いいなあ ! )
 そう、この曲を聴いてボクは嫌だったコントラバスが、そしてバッハが大好きになったのです。 私事ばかり書いてどうもすみません。 解説も書かなくっちや。
 この曲は1718年頃、ケーテンでのバッハ(1685〜1750)の最も充実した時期に、他の5曲と共に一気に書かれました。 第3番は弦楽器のみで演奏されますが、通常の編成とは異なり、まるで「3番」という数字を意識したかのように、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの3つのパートがそれぞれ3つに分かれ、それにコントラバス、チェンバロの通奏低音が加わるという形になっています。 この9声部がつぎつぎに彩やかな響きの響宴をくりひろげる様は、まことに見事なもので、まさに不巧の名曲と申せましょう。
                     (第9回定期演奏会プログラムより)


「第3番」という番号からでしょうか。 ヴァイオリン・ヴィオラ、チェロという3つのパートがそれぞれ3つの声部に分かれ、それに通奏低音(コントラバス、チェンバロ)が加わる、という他に例を見ない全くユニークな楽器編成で書かれており、全員がソリストといっていいほどの大活躍をします。 その内容は躍動感と緊張感にあぷれており、対位法的な魅力も、この曲が最もよく表われているといえましょう。 特徴的なのは第2楽章で、わずか2つの和音しかありません。 きっとここで、何かの楽器ですばらしいカデンツァが即興で奏されたのではないかと思われます。 
 今宵も、チェンバロのすばらしいカデンツァが用意されております。

 アレグロ 〜 アダージョ 〜 アレグロ

                    (第12回定期演奏会プログラムより)


 
 J. S. バッハ/ブランテンブルク協奏曲第4番ト長調 BWV. 1049
 (Vn,2Fl,Str〔2Vn,Va,Vc,ヴィオローネ〕Cem.通奏低音)

 バッハ(1685〜1750)は、35オのとき愛妻バルバラを病気で亡くし、すつかりおちこんでいました。 しかしその1年後、1721年12月に、なんと15歳も年下のアンナ・マグダレーナという女性と再婚したのです。 この女性は若く美しく、そのうえ貞淑で、音楽的才能にも恵まれた、まことにすばらしい女性であつたと伝えられています。 前妻との間に既に7人の子供がいたのですが、アンナとはなんと13人も新たに子供をもうけました。 この旺盛な生活力 ( ! ) は彼の作曲活動にも反映され、再婚後次々に不朽の傑作を生み出していったのです。 特に、ケーテンでの6年間は「器楽の時代」といれれ、有名な平均律クラヴィア曲集やイギリス・フランス各組曲をはじめとして、2声・3声のインヴェンション、無伴奏ヴァイオリン・ソナタ、チェロ組曲、それにこのブランデンブルク協奏曲全6曲が作曲されました。 
 本日演奏される第4番は、独奏ヴァイオリンと2つのブロックフレーテ(リコーダー)、弦と通奏低音という編成で、しっとりとより添って優雅な響きをかもし出す2本のブロックフレーテにからみつくように、あざやかな技巧をちりぱめたヴァイオリンが印象的です。 特に第3楽章のモーレツに速いパッセージはまことにスリリングで、それだけにプレイヤーにとっては手に汗をにぎる場所と申せましよう。
 第1楽章 アレグロ 〜 第2楽章 アンダンテ( 冒頭の、ブーン!! という低弦の充実した響きをお薬しみ下さい。 〜 第3楽章プレスト

                     (第6回定期演奏会プログラムより)



 ブランデンブルク協奏曲第5番ニ長調 BWV.1050
(Cem,Vl,Fl,Str,〔V1,Va,Vc,ヴィオローネ〕)

 ブランデンブルク協奏曲全6曲のなかでも最も有名でよく演奏されるのが、この「第5番」です。 バッハは後にチェンバロのために多くの協奏曲を残していますが、この「第5番」は鍵盤楽器をソロに用いた初のコンチェルトとしても、よく知られています。 1719年、ケーテンの宮廷楽団にベルリンからすばらしいチェンバロの名器が届き、おそらくそのためにこの曲が作曲されたのだろう、といわれています。 はなやかなチェンバロのカデンツァが魅カ的な第1楽章、舞曲風で優雅な第3楽章も大そう素敵ですが、筆者は第2楽章でフルート、ヴァイオリン、チェンバロの3つの楽器が、しみじみと語り合う美しさを忘れることができません。
 余談ですが、この曲の合奏群には第2ヴァイオリンがありません。 この理由は、たまたまこの曲を初演する際に、ヴァイオリンの人数が少なかったから・・・だと伝えられています。( !!! )
 
 アレグローアフエットゥーゾ〜アレグロ

                     (第12回定期演奏会プログラムより)


 
 ブランデンブルク協奏曲第6番変口長調 BWV.1051
(2Va,2ヴィオラ.ダ・ザンバ,Vc,ヴィオローネ,Cem)

 よく御存知の方には蛇足ですが、この曲にはヴァイオリンがありません !!
ヴィオラ以下の6名の弦楽器とチェンバロのみの響きは、まるで中世イギリスのヴィオールによるコンソートを思わせる、優雅さに満ちています。 ヴァイオリンがない分、2本のヴィオラは大活躍で、この曲はほとんど2つのヴィオラの為だけに書かれたコンチェルトといっても過言ではないでしょう。 それだけにアンサンブルの中では日頃目だたないヴィオラ奏者の、この曲に対する思い入れ・愛着は、はた目から見ると異常なほどで、今宵もきっといぷし銀のような充実した響きをきかせてくれることでしょう。

 アレグローアダージヨ・マ・ノン・タントーアレグロ

                     (第12回定期演奏会プログラムより)


 
 J. S. バッハ/ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 

 音楽の父バッハ(1685−1750)の長い人生の中でも、ケーテンの官廷楽長として過ごした6年間 (1717 〜 23年)はバッハの「器楽の時代」とも呼ばれ、プランデンプルク協奏曲をはじめとして、数多くの傑作が生まれました。 現存する三曲のヴァイオリン協奏曲も、このケーテン時代の最も見事な成果のひとつといわれています。 
 「第1番」は、1720年頃に作曲されました。 ヴィヴァルディの協奏曲が、トウッティとソロが各々独立的に主題が進行していたのに対し、この曲では、それらが融合統一されて、ソロとオーケストラとが常に有機的にからみあい、がっちりとした構成感を示しているのが特長といえるでしょう。

 アレグロ 〜 アンダンテ 〜 アレグロ・アッサイ

                     (第11回定期演奏会プログラムより)


 
 J.S.バツハ/2つのヴァイオリンのための協奏曲二短調 BWV. 1043

 バッハ(1685〜1750 )は1717年、32歳のときにケーテン宮廷の楽長として迎えられました。 このような名誉ある地位は彼にとっては初めてであり、次々に素晴しい作品を生み出すこととなったのでした。 この2つのヴァイオリンを独奏楽器とする協奏曲は、そのケーテンのオーケストラの為に1718年に書かれました。 現在でもバッハの作品の中でとりわけ人気が高く、「戦前クライスラーとジンバリストのSPレコードを、竹針をげずりながらすりへるほど聴いたものだわい」というおじいさんから、「ついこのあいだヴァイオリン教室の発表会で、先生のいいつけで、むりやり気の合わない子と一緒に奏かされちゃった」とこぽしている、ちびの生徒さんまで、実に多くの人々に愛されています。
 複数楽器を独奏に用いていることから、コレルリ時代からの合奏協奏曲の様式の名残をとどめているという人もおり、そのせいか、1・3楽草などは古典的ながっちりした構成が実に見事です。 しかし、この曲の聴きどころは何といっても、夢みるように美しい第2楽章でしよう。 カノン風(同じテーマをおいかけてゆく)に対話する2つのヴァイオリンの美しざは、“無限に広がる音のアラベスク”とさえ評されています。
 
 1. ヴィヴァーチェ 〜 2. ラルゴ・マ・ノン・タント 〜 3. アレグロ

                     (第6回定期演奏会プログラムより)



 J. S. パッハ/ヴァイオリンとオーポエの為の協奏曲ニ短調 BWV1060

 バッハの協奏曲の中でも最も美しい作品といえるこの曲は、残念ながら今日オリジナルの楽譜は残っていません。 しかし彼の「2台のチェンバロの為の協奏曲ハ短調」が、ヴァイオリンとオーボエの協奏曲を明らかに編曲したものであるといわれており、今日演奏される楽譜はこのいい伝えにしたがって、この曲をバッハ当時の様式を使い、もとの形に編曲しなおしたものが使われます。 
 曲はいかにも堅固なバッハらしい様式感を感じさせる第1楽章にはじまります。 つづいて夢見るように美しい第2楽章は、ピツィカートの伴奏にのって、ソロ・ヴァイオリンとオーボエがまるで恋人同士のように、息の長いテーマを交互に歌いあげます。 この曲の第一のききどころと申せましょう。 第3楽章は、テュッティとソロとが交替するリトルネロ形式によっており、冒頭のわずか2小節の動機が、限りなく発展してゆく見事さは、バスの細かい動きを中心とした充実した書法とあいまって、スリリングとさえいえる内容をもっています。

                       (第3回定期演奏会プログラムより)



 J. S. バッハ/ピアノ協奏曲第1番ニ短調 BWV.1052

 1723年、バッハ(1685〜1750)はそれまで6年問滞在したケーテン公レオポルドの宮廷を辞し、有名なライプチヒ・聖トーマス教会の音楽監督の地位につきました。 ここでの仕事はそれまでの宮廷音楽家としてのものよりかなり多忙を究めたようで、音楽以外の雑事の多さに、当初バッハは少なからず参ってしまったようです。 そんな彼のストレスの発散場所となったのが、ライプチヒにある音楽愛好団体「コレギウム・ムジクム」の指導でした。 当時まだ音楽大学という便利なものは無かったので、音楽を志す者はこうした愛好団体に入って、腕をみがいたのです。 しかしこの「コレギウム・ムジグム」の腕前はかなり怪しかったようで、当時のバッハの指導の様子を、彼の友人は次のように手紙に記しています。
「私は君に是非見せてあげたい・・・あの大バッハが、30人から40人のしろうと奏者を前に、たえず全てに目をくばり、ある者には頭で、ある者には足を踏みならし、またある者には指で合図を送りながら、やれ音が高いだの低いだの、出が早いだの遅いだのとわめきながら、参加者すべてが出す物すごい喧騒のただなかで指揮する光景を ! 」・・・しかしこの手紙には、こうした時のバッハはとても幸せそうだったし、その姿はとても気高いものに見えた、とも記されています。 この「コレギウム・ムジグム」のメンバーは、ひどい演奏でさんざん先生に迷惑をかけているにもかかわらず、平気で「ねえ先生!今度の演奏会のために何か一曲書いてくださいよー」などと言うのです。 「う・うん、そうだなあ」 人のいいバッハも、むげに断る事が出末ません。 (だから昔も今も、アマチュアってこわい ! )当時聴衆から最も歓迎されていたのは華やかな協奏曲、それもヴァイオリン協奏曲でした。 しかしこの楽団の中には、ヴァイオリンの独奏が出来るような上手な奏者が誰もいません。(パストラーレなら、大勢いるよ !! ) 仕方がないのでバッハは自らが独奏をしながら、楽団の指揮もできるような「チェンバロ協奏曲」の作曲にとりかかった、という訳です。 こうしたチェンバロ協奏曲が現在全部で14曲残されており、中には多忙のせいもあってか、ケーテン時代に書いたヴァイオリン協奏曲をそのまま編曲しただけという様な手抜き気味の物もありますが、その全てがちやんと立派に書かれているのは、さすがに大バッハ先生!とうならざるを得ません。
 第1番ニ短調は、なかでも最も人気を集めている曲で、原曲はヴァイオりン協奏曲だったのでは、という意見もあります。 なお作曲年代は1730年頃といわれており、あの不滅の名曲「マタイ受難曲」の直後にあたり、筆者には「マタイ」の精神的な深みが、この曲にも込められているように思えてなりません。
 曲は全3楽章からなり、特に第2楽章のしみじみとした美しさは、今宵のようにピアノで演奏される事によって、より味わいが増すのではないかと思われます。

 第1楽章「アレグロ」〜 第2楽章「アダージョ」〜 第3楽章「アレグロ」

                     (第14回定期演奏会プログラムより)



 J. S. バッハ/シャコンヌ 
  ( 無伴奏ヴァイオリン・バルティータ第2番ニ短調 BWV.1004 より )

 大バッハ (1685〜1750) の「器楽の時代」と呼ばれる、ケーテン公の宮廷楽団長時代に生み出された6曲の「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ・パルティータ集」は、器楽作品の最高峰として、多くの器楽奏者たちの情熱を集め続けてきています。 とりわけそのなかの「パルティータ第2番」のフィナーレ「シャコンヌ」は、今や人類の至福とも言える傑作です。
 “「シャコンヌ」をぜひ奏いてみたい ! ” というのは、全器楽奏者の願望であるといっても過言ではありません。 その結果、オリジナルのヴァイオリン独奏のみならず、ピアノ ( ブゾーニの編曲が有名ですね ) やギター、そして管弦楽曲などにも編曲され、演奏されてつづけています。
 ( 筆者からのおすすめ・・・皆さん、もし機会がありましたら、ぜひストコフスキーによるオーケストラ版の、冒頭だけでもCDで聴いてみてください。音楽のすばらしさを心から感じて、じんましんが出るほどの名演ですから )

 また演奏だけでなく、ずばり「シャコンヌ」という題名の映画が数年前に封切られましたし、名古屋では某楽器店の社名としても有名ですね。 
 ( おっと、これ以上深く触れないようにしなくちゃ・・・)
 
 曲はまず、8小節の堂々たる主題が奏され、それが30回も変奏されていくわけですが、その過程に込められた深い精神性と求心力は、まったく他に比類がありません。 19世紀のバッハ研究家・シュピッタは、「シャコンヌは、物質に対する精神の勝利であり、バッハといえどもこれ以上輝かしいものは二度と書き得なかった」と述べています。
 曲は大きくわけて、次の3つの部分に分けることができます。 
 第一部 ( ニ短調/主題から第15変奏まで )
第二部 ( ニ長調/第16変奏から第24変奏まで )
第三部 ( ニ短調/第25変奏から終わりまで ) 

 ところでバッハの時代のヴァイナリンの弓は、今日シュバイツァー・ボウと呼ばれる半円の形をしたもので、現在のものよりも張力が遥かに弱く、その結果たとえば冒頭の和音の四つの音を同時に ( グシャー、ではなくジャーン、と ) 演奏することができ、対位法的な部分も明瞭に聞き取ることが可能だった、と言われています。 
ですから、今宵のように合奏で演奏した場合、この曲の構成感がより明瞭に聞き取っていただけるのでは、と思います。

 なお今宵はこの不朽の名作を、わが国音楽界の偉大なる先駆者・斎藤秀雄氏が管弦楽に編曲されたものを、弦楽合奏にアレンジして演奏いたします。 西洋音楽の最高峰に対する斎藤氏の、限りない畏敬と愛情がひしひしと感じられるオーケストレーションを、どうかお楽しみください。
                     (第17回定期演奏会プログラムより)






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