、 近代〜現代の音楽
芥川也寸志/弦楽の為の三楽章
ウィレン/弦楽のためのセレナード Op.11
バーバー/弦楽の為のアダージョ 作品11
バルトーク/ルーマニア民族舞曲 Sz.68
プリトゥン/シンプル・シンフォニ一 ニ短調
ホルスト/「セント・ポール」組曲
ルーセル/弦楽のためのシンフォニエッタ Op.52
レスピーギ/リュートの為の古代舞曲とアリア 〜 第3番
芥川也寸志/弦楽の為の三楽章
by Benzo Furto
NHK「音楽の広場」で、黒柳徹子さんといつもニコニコ番組を進めていた、あの芥川さんは、なんとこんな素晴らしい弦楽の為の作品を、今から30年以上も前に書いていたのです。 この曲は1953年に作曲され、同年ニューヨーク・フィルによってカーネギー・ホールで初演されました。 それ以来日本に限らず世界各国で、現代弦楽作品のなかでも、とりわけ数多く演奏されています。 この作品が初演以来多くの人々に愛されてきたのは、何といっても現代音楽特有のとっつきにくさ(調性のないオバケの出てくるような、あのいやらしさ
! )がなく、小気味よいリズムと親しみやすい旋律にあぷれていることがあるでしょう。
ところで、この曲の第2楽章に面白い奏法があります。 それは楽器の胴をげんこつで「コン・コン」とたたくやり方です。 そろそろ退屈されてきたお子様達に、よく注意して見るように言ってあげて下さい!
この楽章はメロディといい、まるで時代劇の一場面をみるような趣きがありますね。
余談ながら芥川さんはNHKテレビ「赤穂浪士」の音楽を、のちに作曲されています。
(第4回定期演奏会プログラムより)
作曲者の芥川也寸志は文豪・芥川龍之介の三男として1925年、東京に生まれました。 東京音楽学校を卒業後、NHK管弦楽懸賞で特賞に輝いた「交響管弦楽の為の音楽」をはじめ、次々と意欲的な作品を発表し、また、黛敏郎・團伊玖麿と結成した“三人の会”のメンバーとして、戦後日本の昔楽界を常にリードして来ました。 近年は、日本音楽著作権協会の理事長として、著作権保護の確立のために執念ともいうべき活動をされ、数々の成果を残されましたが、措しくも昨年、亡くなられてしまいました。
芥川さんといえば、私たちにはNHKテレビ「世界の音楽」などでのソフトな司会ぶりが思い出されますね。
この「絃楽のための三楽章」は指揮者クルト・ヴェスの委嘱により作曲され、1953年ニューヨーク・フィルによって初演されました。 その緻密な構成と躍勤的なエネルギー、それに深い日本的な叙情は、他に比類がないはどで、現代弦楽作品のなかでは最も数多く演奏される傑作です。
(第4回定期演奏会プログラムより)
ウィレン/弦楽のためのセレナード Op.11
グリークの項でも述べましたが、北欧には弦楽のための作品が数多くあり、どれも一種
独特の魅力をもっています。 そこに共通する特色といえば、作曲技法よりも作曲者の心情といったものが、素直にそして素朴に表出されていること。 そして北欧の民族的な音楽を共通の土台としていることが挙げられると思います。
このウィレン (1905〜86) のセレナードも、かなり前から好楽家の間では知られていましたが、近年楽譜の入手が容易になり、わが国でもよく演奏されるようになりました。
曲は4つの楽章からなり、どの楽章も生き生きとした、たいそう分かりやすい内容を持っています。 特に第4楽章の「行進曲」は、ナチスの兵隊の行進を音楽的に風刺したものだ、ということで有名なのですが、この曲の作曲年代
(1936年) を考えると、たいそう興味深いものがありますね。
(第16回定期演奏会プログラムより)
バーバー/弦楽の為のアダージョ 作品11
現代アメリカの作曲家バーバー(1910〜81)の名は、現在この「弦楽の為のアダージョ」1曲のみによって、広く知られていると言っても過害ではありません。 それほどこの曲は、弦楽合奏の魅カを極限まできわめたといってよい名曲中の名曲として、広く愛されています。 もともとこの曲は、弦楽四重奏曲の第2楽章として作曲されたのですが、弦楽合奏で演奏することにより、より深く悲しみに満ちた痛切な調ぺが、人々の胸をうったのでした。 特に1945年、アメリカのルーズペルト大統領が急死した時、この曲が葬儀の際流され、数多くの人々の涙をさそったと言われています。 しかし作曲家のパーパーは「私の曲は葬式のために作曲されたのではない」と、いささか不機嫌であったそうです。
(第6回定期演奏会プログラムより)
名指揮者ストコフスキー。 彼はこのバーバーの作品をこよなく愛し、
終生その演奏を得意としていた。
バルトーク/ルーマニア民族舞曲 Sz.68
ハンガリーを代表する作曲家バルトーク(1881〜1945)は、その現代的手法による多くの管弦楽曲によって、その名を永遠のものにしていますが、エルガーの項で述べたように、作曲技法の卓抜さの方だけが、とくに大きな編成の曲には目立ち、今ひとつ大衆的人気に欠けるようです。 その点数多くのピアノ曲には、バルトーク自身が優れたピアニストだったこともあり、また彼はハンガリーや更にバルカン方面まで民謡を探し求めて歩き、それらをふんだんにとり入れていることもあってか、わりと親しみやすい曲が多いようです。 このルーマニア民族舞曲も、もともとはピマフノの為に書かれたものであり、その後バルトークが自ら、オーケストラ用に編曲していますが、セーケイによるヴァイオリンとピアノの為の編曲や、このウィルナーによる弦楽合奏版でも広<愛されています。
余談ですが、パストラーレを指導してくださっている浅妻先生の「あなたがたは、こういうがぢゃがちゃした曲に強いね。」という一言で、この曲が演奏会のメインになった、というウワサをこっそり聞きました(本当かな?)。 なお6曲は、ほぽ切れ目なく演奏されます。
1.棒踊り(アレグロ・モデラート)〜 2. 腰帯踊り(アレグロ)〜 3. 足踏踊り(アンダンテ)〜
4. ホーンパイプ踊り(モデラート)〜 5. ルーマニアのポルカ(アレグロ)〜 6. 速い踊り(アレグロ)
(第7回定期演奏会プログラムより)
今世紀ハンガリーを代表する作曲家・バルトーク (1881〜1945) は、「弦楽とチェレスタのための音楽」「管弦楽のための協奏曲」などのオーケストラ作品によって、その名を永遠のものにしています。 (
余談ですが、楽隊仲間では、この2曲のことをそれぞれ「弦チェレ」「オケコン」とちぢめて呼んでいます)
しかしながら彼の作品は、民俗的なテーマを基調にしているとはいうものの、どちらかというと作曲技法の卓抜さの方が、特に大きな編成の曲では目立ち、いまひとつ大衆的人気という点には欠けるようです。 その点、彼の数多くのピアノ曲には、バルトーク自身が優れたピアニストであったこともあり、またハンガリーや遠くバルカン方面まで出かけて集めた民謡などをふんだんに取り入れている事もあってか、親しみやすい曲が数多くあります。
このルーマニア民族舞曲も、もともとはピアノのために書かれたものであり、その後バルトークが自ら、オーケストラ用に編曲していますが、セーケイによるヴァイオリンとピアノの為の編曲や、このウィルナーによる弦楽合奏版によっても広く愛されています。
ところで、パストラーレでこの曲を定期演奏会に取り上げるのは2回目になります。 1
回目は、ちょうど10年前の第7回定期演奏会で、電気文化会館では初のコンサートでした。 当時この曲を指導していただいていた故・浅妻文樹先生から、「あなたがたは、こういうがちゃがちゃした曲に強いね」と言われたことも、今となっては懐かしい思い出です。 パストラーレのメンバーもいつしか年輪を重ね、今宵は黒岩氏のタクトのもと、きっと「がちゃがちゃ」だけではない、深い味わいのある演奏を聴かせてくれることでしょう。
棒踊り (アレグロ・モデラート) 〜 腰帯踊り (アレグロ) 〜 。 足踏
み踊り (アンダンテ ) 〜 「 ホーンパイプ踊り (モデラート ) 〜 」 ルー
マニアのポルカ (アレグロ ) 〜 、 速い踊り (アレグロ )
(第17回定期演奏会プログラムより)
プリトゥン/シンプル・シンフォニ一 ニ短調
イギりス現代音楽界の巨匠プリトゥンは幼い頃より楽才をあらわし、5才の頃から作曲を始め、12才より正規の勉強を始めるころには、すでにかなりの作品が千許にたまっていました。 ところで、清澄で美しく上品な弦楽合奏という演奏形態は、北欧やイギリスにおいて特に好まれる傾向にありましたが、プリトゥンも師プリッジ等の影響のもとに、20才の時前記の作品たちを素材として、少年時代に対する回顧の意味もこめて、4つの楽章からなる弦楽のためのシンフォニーを作曲しました。 それがこの「シンプル・シンフォニー」です。 曲はどれも若々しい青春の思吹きにあふれた珠玉の名曲ですが、特にピツィカートだけで演奏される第2楽章、美しい北欧の世界を感じさせる第3楽章が印象的です。
それぞれの楽章には、作曲者自身によって次のような表題がつけられています。
第1楽章「騒がしいプーレ」 〜 第2楽章「おどけたピツィカート」 〜
第3楽章「感傷的なサラバンド」 〜 第4楽章「ふざけた終曲」
(第2回定期演奏会プログラムより)
ホルスト/「セント・ポール」組曲
by Benzo Furto
あの、オーディオ・チェックに最適といえるような、けばけばしい「惑星」によってのみ、日本では名を知られているといっていいグスターフ・ホルスト(1874〜1934
)は、あまり知られてはいませんが、本来はもっと多くのいかにもイギリス的で温厚な美しい作品を、たくさん残しています。 最近ようやく、この「セント・ポール」組曲が時おり日本でも上演されるようになってきましたが、どうやらこの原因は、この曲の終曲に有名な「グリーン・スリーブス」が、ちらっと現われることにあるようです。 どうも一般大衆の皆さんは、このような要素がないと聞こうとしてくれないようですね。
「セント・ポール」組曲は1913年、当時ホルストが教鞭をとっていた、セント・ポール女学院の生徒たちの弦楽合奏の勉強用に作曲されたことから、その名がついています。 そのため、技巧的にはそんなに難かしい部分はなく
(最後のヴァイオリンのソロの、音が高く上っていくところを除いて ! )、生き生きとした、いかにも浅妻先生のいわれる「ちゃかちゃかした曲の上手な」パストラーレ合奏団向きの曲といえるでしょう。
蛇足ですが、ホルストには「日本組曲」という、すばらしいオーケストラ曲があります。 へたな日本の作曲家の、いかにも泥臭い作品より、ずっと美しい日本情緒にあふれています。 ホルストに興味を持たれた方は、是非レコード(英リリータ盤)でおききになることを、おすすめします。
(第8回定期演奏会プログラムより)
ルーセル/弦楽のためのシンフォニエッタ Op.52
フランス近代の作曲界の巨人・アルベール・ルーセル (1969〜1937) は、そのエネルギッシュな作風で、独自の位置を占めています。
(まったくの余談ですが、筆者はかって彼の第3交響曲をオーケストラの一員として演奏中、そのあまりの熱演のため思わずミュートを舞台の上に落っことし、「カラン、カラン」という大音響で、名演を台なしにした苦〜い思いでがあります)
このシンフォニエッタはルーセルが最晩年の65歳の時、病が癒えてまもなくの作品で
ありながら、そのパワーは全く衰えるところを知らず、驚くほどの若々しさと力に満ち満ちているのは、まさに驚異と申せましょう。 対位法を駆使し、新古典主義という枠組みを取りながら、細部に複調的和声や第1拍にアクセントをつけないリズム処理を指定するなど、あらゆるところに彼の閃きがちりばめられています。
この曲のわずか3年後、ルーセルは挟心症のためこの世を去ったのでした。
(第16回定期演奏会プログラムより)
レスピーギ/リュートの為の古代舞曲とアリア 〜 第3番
レスピーギという人は、母校の図書館でホコリにまみれながら古い楽譜をいろいろあさるのを趣味にしていたようです。 そして彼のお気に入りの題材を見つけだすと、それに現代のあらゆる管弦楽法を駆使して、彼の作品としてよみがえらせたのです。
この曲にも、そういつた彼の手腕があらゆるところにちりばめられています。 原曲は素朴なリュート(ギターの前身)の小品ばかりなのにねそれをただでさえ音の出にくいヴィオラの人工フラジオにしたり、チェロの重音にしたり・・・・少々演奏する側のことも考えてくれてもよかったのではないか、といいたくなるほど難しく書かれています。 それだけにこの曲は楽譜に書いてあることをそのまま忠実に行なえば一応形はつくのですが、パストラーレの演奏はきっとそれ以上の成果をあげることでしょう。
(第1回定期演奏会プログラムより)
「ローマ三部作」など、近代的なオーケストレーションの粋を尽くした管弦楽曲で有名なレスピーギ(1879−1936
)は、近代イタリア復古主義の一翼をになった作曲家として、重要な位置を占めています。 中世・ルネッサンス・バロックのイタリア音楽全盛期の名曲の数々を、優れた管弦楽法によって現代に蘇らせた彼の功績は計りしれません。
この「リュートの為の古代舞曲とアリア第3番」は、ルネサンス時代のリュート(ギターの前身)のために書かれた小品を、何曲か弦楽合奏用に再編したものですが、日本でこの曲が広く知られるようになったのは比較的最近のことで、20年ほど前、イ・ムジチによるレコードが発売されたのがきっかけだったと思います。 それが今ではテレビのCMやドラマのバックの音楽などにもひんぱんに使われ、コンサートにおいても弦楽合奏団の責重なレパートリーとして欠かせないほど、ポピュラーな曲になりました。
内容は、甘美な旋律と美しい抒情にみちあふれ、一度耳にしたら忘れられない、まさに「名曲」と呼ぶにふさわしい、限りない魅カにみちています。
第1楽章「イタリアーナ」〜 第2楽章「官廷のアリア」〜 第3楽章「シチリアーナ」〜 第4楽章「パッサカリア」
(第11回定期演奏会プログラムより)
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