・ ロマン派の音楽
( それぞれの曲名をクリックしてください。)
エルガー/弦楽のためのセレナード ホ短調 作品20
グリーク/組曲「ホルベアの時代から」
グリーク/2つの悲しい旋律 作品34
シユーベルト〔マーラー編曲〕/「死と乙女」
ス−ク/弦楽セレナ−ド 変ホ長調
チャイコフスキー/弦楽セレナードハ長調 作品48
ニ−ルセン/弦楽のための小組曲 作品1
ヤナーチェック/弦楽のための組曲 Op.3
エルガー/弦楽のためのセレナード ホ短調 作品20
エルガー(1857〜1934 )ほど母国イギリスの内と外とで、評価の対象的な作曲家も珍しいのではないでしようか。 日本でも、あのまるで英国王室へのおべんちゃらのようにさえみえる「威風堂々」行進曲と「愛のあいさつ」の2曲のみで、名前が知られているといっても過言ではないでしよう。 このことは、まことに不幸なことと言わざるを得ません。
後期ロマン派以降の音楽というと、ストラヴィンスキー、バルトーク等のように、ひたすら作曲技法の卓抜さにすぐれた作曲家のみが注目され、真に昔楽の心をもった作曲家の作品が埋もれているのは大変残念なごとです。 イギリスの∨.ウィリアムズ、ブリトゥン、ロイド、アーウィン、バックス、そしてこのエルガーの音楽などは、もっと広<聴かれてよいと思います。 そうした意味で、今回パストラーレがこのエルガーの弦楽セレナードをとりあげたのは、まことに当を得たものと言えるでしよう。 過去の定演においてパストラーレは、レスピーギの古典的格調、チヤイコフスキーの哀愁と情熱、ブリトゥンの若々しい躍動と、いろいろな経験を重ねてきました。 今回この気品と優雅さを、どこまで表現しうるでしょうか? 第2楽章のラルゲットで、“ああ、美しいいい曲だなあ”と思ってくださるお客様が一人でもいらっしゃれば、本日の演奏は成功といえるんですけどね・・・。
1. アレグロ・ピアチェボーレ 〜 2. ラルゲット 〜 3. アレグレット
(第7回定期演奏会プログラムより)
グリーク/組曲「ホルベアの時代から」
E. Grieg
19世紀北欧ノルウェーの作曲家グリーク (1843−1907)は、おそらく古今東西を通じて最も人間味あふれる抒情的・ロマンティックな作曲家と言えないでしょうか。(何を隠そう、この解説を書いている人が、大のグリーク狂なのだ
! )最も有名な「ペ一ル・ギュント」「ピアノ協奏曲」をはじめ、知られざる小品に至るまで、彼の作品には決して大がかりなこけおどしの要素がなく、とかく現代人が忘れがちな、素朴な人間性があふれています。この組曲「ホルベアの時代から」は、昨年のパストラーレ第4回定期演奏会で演奏された「二つの悲しき旋律」と共に、グり一クの弦楽作品を代表するもので、1884年グリーク41歳の時に、近世ノルウェー・デンマーク文学の創始者といわれるルードヴィヒ・ホルベルクの、生誕200年を記念して作曲されました。 グリークは、ホルベルクの時代に人気のあった音楽の形式
〜 すなわちルネッサンスからバロックの時代の、古典的な組曲の形式をかりて、ホルベルクヘの畏敬の念を表わした、といわれています。
曲は、プレリユード 〜 サラバンド 〜 ガヴォット 〜 アリア 〜 リゴードンの五曲から成っています。
この曲のききどころは、何といってもプレリュードの冒頭でしょう。 ト長調の和音がひき出され、「ジャンジャカ、ジャンジャカ」の軽やかなリズム(これは、演奏する側にとっては、しつこくて誠にやっかいなのですが)が始まると共に、私達は北欧の素晴しい抒情の世界に入る幸せを、必ず感ずることができるのです。
また、第4曲「アリア」における悲痛な歌も、この曲のききどころと申せましょう。
(第5回定期演奏会プログラムより)
エドゥアルト・グリーク(1843〜1907)・・・この名前を耳にしただけで、筆者の心は何かホッとなごむような気持ちにさせられます。 彼は問違いなく、すべてのクラッシック音楽作曲家の中でも最も心のこもった、叙情的な作品の数々を残した人でした。 有名な「ペ一ル・ギュント」やピアノ協奏曲のみならず、彼の残したすべての作品は、時の流れを乗り越えて、永遠に人々の心を温め続けていく事でしょう。
グリークの死後、二十世紀初頭の頃の新古典主義的音楽の華やかなりし時などには、「グリークの音楽は時代遅れ」と評され、「いつか忘れ去られていく種類のセンチメンタリズム」などど平気でホザく、おろかな評論家もいましたが、それがどうでしょう
!! 1993年に没後百年を迎えて、彼の作品は以前にもまして世界中で愛され、演奏されるようになっています。(ザマーみろ
! ) コンピューターが全てに取って変わり、人々の心がますます殺伐とした方向に向かいつつある現代社会においてこそ、彼の優しく美しい音楽は求められている、と言えるのではないでしょうか。(何しろグリーグの解説、となると筆者の最も愛する作曲家だけに、ついつい賛辞のオン・パレードになってしまう事を、どうかご容赦ください。)
組曲「ホルベアの時代より」は1884年、当初二台のピアノのために作曲されました。 「ホルベア」とは、18世紀に活躍したノルウェーを代表する文筆家で、日頃から彼を尊敬していたグリークが、彼の生誕二百年を記念して作曲したものです。 グリークはそれを翌年弦楽合奏のために編曲し、以来もっばらこの形での演奏が親しまれています。 曲は全部で五つの楽章からなり、どの曲もロココ的な雰囲気のなかに、北欧特有の美しい叙情がこめられています。 とくに第4曲「アリア」の美しさは、一体何と表わしたらいいのでしょう・・・。
いままでパストラーレでは、グリークの作品というと「グライから・・・」とか「ジミだしねぇーー」とか、キャピキャピとすぐに言われてしまったものでした。 それが今回定期で取り上げられたという事は、彼女たちもいつしか年輪をかさね、いまやグリークの作品を心からの共感をもって演奏できる年代となったからでは・・・と筆者は密かに思っているのですが・・・(こんなこと書いたら、若い団員に失礼かな)
前奏曲 〜 サラパンド 〜 ガボットとミュゼット 〜 アリア 〜 リゴードン
(第14回定期演奏会プログラムより)
グリーク/2つの悲しい旋律 作品34
「ペ一ル・ギュント」の音楽やピアノ協奏曲で有名な、北欧ノルウェーの作曲家・E‐グリーク(1843〜1907)は、後期ロマン派の中にあって、ひたすらノルウェーの国民性に根ざした抒情的で美しい旋律にあふれる作品の数々を残しました。
この「2つの悲しい旋律」は、彼の弦楽作品のなかでも最も有名なもので、2曲共もともと歌曲として作曲されたものを弦楽に編曲したもので、それぞれに次のような表題がついています。
1)“胸のいたみ”・・・・悲しみにつつまれた心のうちにも、ふと希望やあこがれが芽生えようとします。 しかし再ぴ狂おしい心の痛みがおそってくるのです。
2)“過ぎし春”・・・・楽しかった春の季節が遇ぎてゆく・・・それが自らの人生の青春との別れと重なり、切ないノスタルジアにつつまれてゆく・・・限っない美しさとあこがれに満ちた傑作です。
「この曲は、あまりにクライから演奏したくない !! 」という団員の多かったパストラーレ合奏団も、いつしか人生の曲り角をむかえ、今宵は共感をもってグリークの抒情の世界を表現してくれることでしょう。
(第4回定期演奏会プログラムより)
北欧はイギリスとともに、弦楽作品の宝庫です。 それはきっと弦楽合奏のもつ叙情的な特質が、北欧音楽の性質とよく合致しているからなのでしょう。
なかでもグリーク (1843〜1907) の作品は、数はそんなに多くないのですが、どれも心がいっぱいにこもっており、筆者などは彼の曲を耳にしただけで、「生きていてよかった!」という気持ちになってしまいます。
「2つの悲しき旋律」は最も有名なもので、もともとは歌曲として書かれたものを後に弦楽に編曲したものです。 一曲目の「胸の痛み」・二曲目の「過ぎし春」ともに、同じ旋律を楽器を変えながら繰り返すだけという単純な構成ながら、そこになんと多くの情感が込められていることでしょう!
「心より出ず。ゆえに心に入らんことを」と語ったのは多分ベートーヴェンだったと思いますが、グリークほどこの言葉が素直にあてはまる作曲家はいないでしょう。
(第16回定期演奏会プログラムより)
シユーベルト〔マーラー編曲〕/「死と乙女」
歌曲王シューベルト(1797〜1828)の弦楽四重奏曲「死と乙女」は、そのあふれるばかりのロマンティックなメロディーの美しさが、とくに一般大衆の皆様に大人気で、現在でも数多く演奏されています。(「死と乙女」という題名がまたロマンティックで、いいんだね
! )。
ところで、楽譜にやったら神経質な書き込みが多くて、いつも演奏者をウンザリさせ続けている後期ロマン派最後の偉大なシンフォニスト・マーラー(1860〜1911)が、この「死と乙女」を弦楽オーケストラに編曲した版があるという事は、つい最近まであまり知られていませんでした。 それはイギリスのマーラー研究家D.ミッチェルによってはとんど偶然に発見され、1986年ロンドンのワインバーガー社から正式に出版されるや、またたく間に世界的に演奏される事となったのです。 最近でもユーリ・バシュメット率いる「モスクワ・ソロイスツ」の名演や、「水戸室内オーケストラ」による力演など、テレビでたて続けに放映してましたね・・・でも筆者のオススメの演奏は、ティト指揮によるイギリス室内オケによるCDです。(ぜひ一度聴いてみてください!絶対ソンはないから・・・)
いずれにしてもこの発見は、おりからの「マーラー・プーム」の賜物といえるのではないでしょうか。 マーラーは生前、自身の管弦楽法に絶対の自信を持っていました。(ダジャレじやないよ) 現在知られているだけでも、シューマンの全交響曲、べ一トーヴェンの交響曲第5番「連命」、第7番、第9番「合唱」、バッハの管弦楽組曲の改変版等がよく知られており、目ざといレコード会社からCDも出て、話題をよんでいます。
マーラーはあの大シューベルト先生についても、当初「情感や案出能力は一流だが、技法は二流の作曲家だね」などと、ヌケヌケと語っていたと伝えられています。 「ヘタなところはオレが書き直してやる」と思ったわけでもないのでしょうが、マーラーは1894年、「死と乙女」の第2楽章を弦楽オーケストラのために編曲し、1894年彼が当時歌劇場の監督をつとめていたハンプルクのオーケストラの定期演奏会で初演を行いました。 ところがこれが当時の批評家たちから、それこそボロンケチョンに酷評されてしまったのです。 「シューベルトの神聖な音楽を著しく損なうもの」「意味のない誇張の目立つ編曲」等々・・・。元来神経質でデリケートなマーラーは、これに大きなショックを受け、二度と彼の生前にこの曲を公けの場で上演しようとはしませんでした。 (ね、だからいつの時代でも「技術」は目的ではなく、「手段」に過ぎないのだという事を、私達は忘れてはいけないのですよ
!〔筆者の声〕) しかしこの事件をきっかけとして、マーラーは新たな気持ちで「死と乙女」全曲の改変に密かにあたっていたのです。 今回の発見により、その業績が明らかとなったわけで、これはシューベルトのあふれるような音楽性に、同じ歌曲作曲家としてのマーラーのあくなき執着があったのではないか、と想像されます。 マーラーの編曲は、ペータース版のシューベルトの原曲スコアに、さまざまな書き込みという形で残されており、その顕著な持徴は、まずテュッティ部分を中心にコントラバスを加え劇的な響きを目指し、また旋律の質感を高めるためにオクタープを幾つかの部分に書き加えています。 その他にダイナミクスやフレージング等に演奏効果をねらったいろいろな書き込みが数多くみられます。 しかしながら、原則としてシューベルトの原曲の自然な響きが尊重されており、それは批評に対する彼自身の回答とも受け取れるのです。 今回この編曲版が名古屋で上演されるのは、恐らくこの演奏会が初めてです! その意味からも、マーラーがめざした「死と乙女」のあらたな響きの可能性といったものを、お聴きいただきたいと思います。
第1楽章「アレグロ」〜 第2楽章「アンダンテ・コン・モト」〜 第3楽章「スケルツォ・アレグロ・モルト」〜
第4楽章「プレスト」
(第14回定期演奏会プログラムより)
ス−ク/弦楽セレナ−ド 変ホ長調
「ヨゼフ・ス−ク」というと私たちはすぐ、先頃惜しくも引退宣言をしたチェコの名
ヴァイオリニストの名前を思い浮かべますが、今宵の弦楽セレナ−ドの作曲者・ス−ク (1874 〜 1935)は、彼のおじいさんにあたります。
今日でこそ、その作曲家としての名前は彼の師・トヴォルザ−クやスメタナ・ヤナ−チェクなどの陰にかくれてしまいあまり有名ではありませんが、チェコ国民楽派の流れを受け継いだ数々の優れた作品を残しています。
ス−クは幼い頃から優れた音楽的才能をあらわし、11歳でプラハ音楽院に入学してからはずっとドヴォルザ−クに作曲を学びました。
この若者の並々ならぬ才能に特に目をかけていたドヴォルザ−クは、1892年・ス−クが18歳の時に彼にこんな提案をしました。「君ももう作曲技法の習得では、すでにかなりいい線いってるので、どうだね、ここらで弦楽オ−ケストラのためのセレナ−ドでも
書いてみないかね? わしが17年前に書いたような傑作を書いてくれれば、将来パストラ−レのような弦楽オ−ケストラが定期演奏会のプログラムを考える時に、大いに助けに
もなる事だしね。」 (後の方はウソです!)
師匠の言葉に大いに発奮したス−クは、その全精力をかけてセレナ−ドの作曲にとりかかりました。 そしてこの名曲が完成したのです。
曲はドヴォルザ−クが見込んだとおり、内容的に素晴しいものを持っています。 何より
もまず全曲に満ちている初々しい叙情性は、この曲のまず最初にあげるべき魅力ですし、
ス−クの管弦楽法の習熟を示すクロマティックなフレ−ズの動きにも、注目すべきものが
あると思います。 (後者ではきっとパストラ−レの皆さんが苦労するんじゃないかなぁ
・・・黒岩先生、どうかお手やわらかに!)
しかしこの曲の内容には、のちにス−クが後期ロマン派風の作風から、だんだん主観主義的・宗教的傾向に移っていく予兆のようなものが感じられ
(特に第3楽章など)、その辺
がこの曲を師・ドヴォルザ−クのものほどコエタゴ臭くしていない反面、いまひとつ大衆
的人気が得られない原因なのかなぁ・・・などと筆者は思ってしまうのです。
余談ですが、この曲の出来がとても良かった事が遠因なのかどうかは知りませんが、6年後ス−クはドヴォルザ−クの長女オティリェとめでたく結ばれることとなるのです。
第1楽章「アンダンテ・コン・モト」 〜 第2楽章「アレグロ・マ・ノン・トロッ ポ・エ・グラチオ−ソ」〜 第3楽章「アダ−ジョ」 〜 第4楽章「アレグロ・
ジョコ−ゾ・マ・ノン・トロッポ・プレスト」
チャイコフスキー/弦楽セレナードハ長調 作品48
チャイコフスキーがこの曲を作曲したのは1880年、彼が40歳の時です。 この少し前、彼は教え子との結婚騒動ですっかり精神的に参ってしまい、一時は外国へ逃げ出すほどでした。 もともと、チャイコフスキーという人は内気でひっこみ思案、陰険で軟弱・・・・、今でいう「ネクラ」の典型のような人だったようです。 そんな彼を救ったのが、フォン・メック夫人の多大な経済的援助と、自らの作曲活動への没入でした。
それまではバレエ音楽など大管弦楽による華麗な作品が多かった彼が、弦楽合奏のみによる「セレナード」の作曲を思いたったのは、モーツァルトヘの畏敬の念があったからだといわれています。 曲の内容は弦楽器のみの編成ながら、チャイコフスキーらしい、きわめてあざやかな色彩効果と「ネクラ」の本領発揮の深い抒情とにあふれており、古今の弦楽作品中、最高傑作といっても過言ではないでしょう。
こうした曲の内容から、大編成で演奏された方がより効果的であるともいわれていますが、室内アンサンプルで演奏されることにより、大編成では味わえない繊細なりりシズム、緻密なアンサンプルの魅力といったものが、今宵はきっと味わっていただけると思います。
曲は四楽章からなっており、それぞれに題がついています。 とくに第2楽章の「ワルツ」が一般大衆の皆様にご好評のようです。
第1楽章「ソナチネの形式による小曲」 〜 第2楽章「ワルツ」 〜
第3楽章「エレジー」 〜 第4楽章「フィナーレ(ロシアの主題による)」
(第3回定期演奏会プログラムより)
ロシア後期ロマン派最大の作曲家チャイコフスキー(1840−93)が、ことのほか天才モーツァルト(1756−91)の音楽を愛し研究していた事は、今日でも広く知られています。たとえば彼は、モーツァルトのいろいろな作品を新たに編曲して「モーツァルティアーナ」という題名の組曲も残しています。
この「弦楽セレナード」も1880年、モーツァルトなど18世紀の作品を研究中に、どうしても弦楽の為の作品をつくりたい!という欲求が彼の中に湧きおこり、一気に作曲された、と伝えられています。 曲の出来具合にも、チャイコフスキーは相当自信を持っていたらしく、出版社の友人に「初演の日が身ぷるいするほど待ちどおしい」と手紙を書いているほどです。 当時病の床にあった大作曲家ニコライ・ルービンシュタインも、この曲の譜面を見てたいそう気に入り、病気をおしてモスクワ音楽院のオーケストラを指揮し、試演してくれました。 チャイコフスキーはこの演奏を聞いて「うん、これは間違いなく傑作だ
! 」と(ぬけぬけと)つぷやいたそうです。 案の定翌年の公開の初演では、大成功をおざめました。
1880年といえばチャイコフスキーは40歳をむかえ、教え子との結婚の失敗や自殺未遂等、彼の人生最大の試練をようやく乗り越え、彼を理解するメック夫人らの援助等もあって、旺盛な創作活動を再開しはじめた時期にあたります。 この「セレナード」には、弦楽器特有の叙情性を遺憾なく発揮する部分に事欠かないばかりか、フル・オーケストラにも匹敵するダイナミズムと追カに満ちています。 人生を再度前向きに生き始めようとしたチャイコフスキーの気追が、この曲に込められているように感ずるのは、筆者だけでしょうか。
ソナチネ形式による小品 〜 ワルツ 〜 工レジー 〜 フィナーレ(ロシアの主題による)
(第13回定期演奏会プログラムより)
ニールセン/弦楽のための小組曲 作品1
後期ロマン派の中頃から、北欧の各国には、すぐれた作曲家たちが相次いで輩出しました。 即ち、ノルウェーにはグリークが、フィンランドにはシベリウスが現われたように、デンマークではこのニールセンが、現在でも数多く演奏されるすぐれた作品を残しています。
二一ルセン(1865〜1931)はシベリウスと同じ年の生まれですが、シベリウスと同じく彼もまた交響曲作曲家として名を残しています。 しかしながら、彼の書いた6曲の交響曲は、どれもはなはだ難解で理屈つぽく、庶民的な魅カに欠けることは否めません。(その題名をみても「四つの気質」だとか、「不滅」だとか、いかにもうさん臭そうではありませんか
!! )
しかし、この小組曲は作品1とあるように、彼がまたコペンハーゲンの王立音楽院で学んでいた頃の習作的な作品で、それだけに、親しみやすい美しい旋律をちりぱめて、北欧風の魅カにあふれています。 とくに、冒頭のチエロのテーマ
!! ここを聴きのがしたら絶対ソンした ! と思う位、すてきなメロデイーです。 この曲を聴いて、二一ルセンに少しでも興味の出た方は、ぜひ交響曲なんぞを聴いて幻滅するよりは、同じ弦楽の「ポヘミアン・フォーク・メロデイー」とか「アンダンテ・ラメントーソ」を一度聴いてみて下さい。 (レコードも出ています。〔ブロムシユテツト盤〕)
前奏曲(アンダンテ・コン・モート)〜 間奏曲(アレブロ・モデラート)〜 終曲(アンダンテ・コン・モート〜
アレグロ・コン・ブリオ)
(第6回定期演奏会プログラムより)
近年、北欧の音楽が静かなブ−ムを呼んでいます。(そう思い込んでいるのは、そのような希望的観測を持っている筆者だけだ、という声もありますが・・・いやいや決して、そんな事はない!
) 最近になってスウェ−デン、フィンランド、ノルウェ−といったいわゆる北欧三国から、それぞれの国の作品を網羅したCDが日本でも手軽に手に入るように
なり、それなりの固定ファンをつかんでいる、というのです。 北欧音楽の持つ美しい叙
情性が、優しい日本人の心にもきっと共感を呼んでいるのでしょう。
今宵の小組曲の作曲家・ニ−ルセン (1865 〜 1931) は、デンマ−クを代表する作曲家で、シベリウス・グリ−クなどの作品によって北欧音楽の魅力に開眼したファンが、そのつぎに訪ねる作曲家、と言えると思います。 しかしニ−ルセンの代表作といわれる6曲の交響曲や、クラリネット協奏曲などの器楽作品はどれも難解で、大体1回聴いて「はいさようなら」というケ−スが多いようなのは、ちょっと残念な事ですね。
でもね、ニ−ルセンなんてまだ分かりやすくて、カワイイ方ですよ! 同じ北欧音楽で
も、スウェデンのペッタ−ションという人の作品なんか難解の極致・・・30分その交響曲を耳にしたら、まず間違いなく自殺したくなってしまうという、凄まじい作曲家もいるのですから・・・・北欧音楽って奥が深いでしょう?
またまた余談になってしまいましたが、このように分かりにくい! と不評なニ−ルセンにも、ありました、ありました! 北欧音楽特有の、とっても美しくて素敵な曲が。
それが今宵の「弦楽のための小組曲」なのです。 この小組曲は作品1とあるように、ニ−ルセンがまだコペンハ−ゲンの王立音楽院で学んでいた頃の習作的な作品で、それだけに親しみやすく、北欧風の美しい旋律が全曲に満ち満ちています。 特に冒頭のチェロのテ−マ!
ここを聴きのがしたら絶対ソンした、と思うくらい素敵なメロディ−です。
この曲を聴いてニ−ルセンに少しでも興味の出た方は、ぜひ交響曲なんぞを聴いて幻滅するよりは、同じ弦楽のための「ボヘミアン・フォ−ク・メロディ−」とか「アンダンテ・ラメント−ソ」をぜひ一度聴いてみてください。 (レコ−ドも出ています。<ブロムシュテット盤>)
前奏曲(アンダンテ・コン・モ−ト) 〜 間奏曲(アレグロ・モデラ−ト)
〜 終曲(アンダンテ・コン・モ−ト〜アレグロ・コン・ブリオ)
(第15回定期演奏会プログラムより)
ヤナーチェック/弦楽のための組曲 Op.3
チェコのモラヴィア地方出身の作曲家ヤナーチェック (1854〜1928 ) の作品は、同郷のドヴォルザーク・スメタナ等にくらべると、いまひとつ演奏される機会が少ない、というか、ほとんどわが国では顧みられていないように見受けられます。 その原因として、彼の音楽は自己主張が強く、美しさや安らぎを求める多くの聴衆たちに、なかなか受け入れられにくい、という点があるのではないでしょうか。
( 筆者自身も、高校時代にレコードで彼の「シンフォニエッタ」の冒頭の、暑苦しく奇妙なブラスの響きを聴いて、「あ、もうこの作曲家いらん!!
」と思った経験があります )
ヤナーチェックは自分自身にも厳しい人であったようで、初期に書かれた作品の多くを、のちに破棄してしまいました。 ところが、幸いにも残された数少ない作品の一つが、この「弦楽のための組曲」なのです。 この曲を聴いていると、あのヤナーチェックも若い頃はウブで純真だったんだなぁ・・・・などと思ってしまうのは、筆者だけでしょうか。 そういえば、ヤナーチェックと同郷のスークの「弦楽セレナード」も、イギリスの作曲家ブリテンの「シンプル・シンフォニー」も、皆十代の頃に書かれた作品です。 二人ともその後、二度と同じ様な初々しい曲を書くことはなく、それぞれ神秘的、前衛的な道に進んで行ってしまいました。 どうも作曲家というのは、自らのオリジナリティを追及するあまり、年をとるごとに難解で自己中心になっていく生き物であるようですね。
「弦楽のための組曲」は1877年、ヤナーチェック23才の時に作曲されました。 曲は全体に後期ロマン派的な美しさにあふれ、彼が敬愛していたドヴォルザークの影響もいろいろな部分に感じられます。「この曲をいつかはやってみたかった
!! 」というメンバーが、パストラーレのなかに少なからずいたというのは、きっとこんなところに原因があるのかも知れません。
当初ヤナーチェックはバロック組曲にならって、6つの楽章にそれぞれ「前奏曲
〜 アルマンド 〜 サラバンド 〜 スケルツォ 〜 エア 〜 終曲」というタイトルをつけようとしたらしいのですが、書き進むうちにおよそバロックとは遠い内容になっていったため、とりやめてしまいました。
試行錯誤の達人・ヤナーチェックの面目はこれにとどまらず、曲の中にもいたるところに見られ、これを楽しむのも一興かもしれません。 例えば第1楽章冒頭の重々しいテュッティのあとの、ヴァイオリンの美しい流れにひたっていると、突然あらわれるブルックナー的な世界
!! シブイー。
第3楽章のテーマはとても優雅で美しいのですが、全く展開せずすぐに終了してしまい、ちょっと残念・・・。 ニ短調の調号で書かれながら、実際はト短調という不思議な第4楽章も、プレストと中間部の対比が聴きもの
!!
そして、ついに前の楽章とあまり関連性が感じられない終曲に至ります。
「あれ ? 」と思う間もなく、曲が終わってしまいますので、どうか拍手のタイミングの方、よろしくお願いいたします!
!
第1楽章「モデラート」〜 第2楽章「アダージョ」〜 第3楽章「アンダンテ・コン・モート」〜
第4楽章「プレスト」〜 第5楽章「アダージョ」〜 第6楽章「アンダンテ」
前のページにもどる