須賀田礒太郎の直筆文 (2011.6 追加)


 このほど調査の結果、幾つかの須賀田直筆の文章が多数発見されました。
それらは彼の音楽を知るうえで、たいそう興味深い内容を持っています。
そこで、このページに須賀田礒太郎の文章を関係各方面のご承諾をいただいたうえで、順次発表して行きたいと思います。

 まず最初にご紹介する一篇は昭和26年、東京第一放送 (NHK)「現代日本の音楽」で、須賀田礒太郎の絃樂四重奏曲が放送されることが決まり、その栃木県内向けの予告・宣伝パンフレットに作曲者が記した文章です。なおこのパンフレットが実際に配布されたかどうかは不明です。
 パンフレット冒頭には戦後、疎開先の田沼町にあってその作品紹介の場がほとんど無く、困難な状況にあった須賀田礒太郎をなんとか応援したいという地元放送局の担当者の紹介文も添えられていますので、そちらも併せて転載しました。
 戦後の須賀田は、シェーンベルクに代表される無調性音楽に並々ならぬ関心を持ち、昭和21年に初めて無調性で書いた絃樂四重奏曲第2番がようやく初演放送されることとなった喜びと期待を、このパンフレットで熱く語っています。

 二篇目は栃木県の地方紙・下野新聞に寄稿した「日本人の表情」と題する文章。
現在とは異なった、当時の日本人の表情について、また未来の予感などを記す須賀田の文章から、彼の誠実な感性を感じとる事が出来ます。

 また終戦直後の作品 (行進曲、歌曲等)の楽譜の余白に、須賀田自身による多くの書込みがあり、これが結構興味深い内容ですので、このページの巻末で今後順次ご紹介してまいります。

(註/文体は原文のまま)


お聴きください
須賀田礒太郎作曲 絃樂四重奏曲

 8月4日 (土) 午後5時45分 東京第一放送 "現代日本の音樂"


紹介の言葉 

          音楽部 永島 信吉

 作曲者須賀田礒太郎は、本県田沼町吉水の者、横浜で生まれ横浜で育ち、そちらでずつと音楽に関する仕事を続け、就中作曲に努力して来ました。戦前田村虎蔵氏の主宰していた帝国高等音楽学校に於いて、約十年間作曲科を担当していたこともありました。そして戦時中、郷里吉水に疎開、引続き作曲や後進の指導に従事して居ります。
 その作品は、後に掲載しました目録のように延べ八十余曲に上り、JOAK其の他で演奏、世に紹介されて来ましたが、郷里に来てからは作品発表の機会もなく活動にも何かと便を缺き、終戦前後からは其の作品は遂に世に現れずに参りました。
 然るに最近諸種の困難を克服し、漸く活動も順調となり、作品もぽつぽつ発表し得る機運に到達した由です。
 慈に思うに、作曲を専門とする者は我が国に於いて餘り数が多くないようですし、特に本県に於いては他にないかも知れぬとの由。就いては此の片田舎に於いて独り精進を続ける本作曲家の作品が、果たして如何なる価値を有するものなりや、どうぞ多数の方々が御聴取の上、御意見を作曲者宛お送り下さらば幸です。

「絃樂四重奏曲」について

                 須賀田礒太郎


1. 発表曲の内容

 "現代日本の音楽"へは、昭和十六年作曲の"第一絃樂四重奏"と、昭和二十一年作曲の"第二絃樂絃樂四重奏"の二つを提出しましたが、放送時間の都合上、組合わせは係に一任、今回は"第二絃樂四重奏"の全曲と、"第一絃樂四重奏"の第二楽章だけが演奏されると思います。
(*註/実際の放送では"第二絃樂四重奏"は演奏者の拒否にあい、"第一絃樂四重奏"全曲だけが放送された)
 
2. 演奏其の一"第二絃樂四重奏"

(1) 曲の特色 - 無調性音樂と我が国
"第二絃樂四重奏"は、無調性即ちアトナール (Atonal) の音樂で書いたものであります。此の無調性音楽は、リヒアルト=シトラウスにより創案され、アーノルド=シエンベルグがこれを体系づけ、始めて無調性音楽というものを確立したわけであります。現代音樂に独自の道を開いて有名になったイゴール=ストラビンスキー、ベラバルトーク、ポール=ヒンデミツト等々は、シエンベルクの熱心な研究から前進して大成したものであります。併しながら我が国に於ては此の無調性音楽が殆ど顧みられていない様子であります。それ故私は其の試作の発表さえも聴いたことがありません。却ってかかる音樂は外道だとさえ言う者もあり、或は又、日本は日本独自の音樂を作るべきだと主張する者もあり、此の歴史的大発展の過程には目もくれない現状であります。こうした態度は、島国的な偏見というか、或は一途に他排的に進む傾向というか、兎に角よその国のものを一応は研究し消化するということが欠けているため、日本の作曲技術は欧米のそれよりも三十年遅れているという次第-----是では何時になっても世界の水準に立つ作曲は望めぬ訳であります。元来如何に内燃的な藝術的意欲があったとしても、現在のように表現手段としての技術の研究を持たぬのでは如何に大言壮語しても何の役に立つわけではなく、又後世に残る作品など望み得べくもないのであります。

(2) 無調性音樂の位置
 終戦後のニュースによれば、米国の若い作曲家達は、亡命し来った老齢のシエンベルクを囲み、その無調性音樂の指導を受けているとの話。又、英国に於いては若い作曲家連も直接彼の指導が得られぬ為、彼の作品に就いて是を分解し、試作研究をしているが、中には婦人の作曲家が無調性を書いて発表好評を得たという話もあります。こんなふうで、今若し我が国に於いて此の理論を研究するとすれば、決して無意義ではないのですが、之を身につけようとするならば、相当に進んだ作曲者としての知識と多大な努力を要すべきことは申すまでもありません。
 日本に於いて手堅い作曲法と目されているクラシツクの理論は、ベートオベン以後発展し、ワグナーにより現代に至るまでの廣大な発達を遂げたものであります。更に巨大な研究に続く山脈が、近代より現代に跨がる後期ロマンチックの存在であつて、無調性音樂は恰も其の峠に位置するものと言えるのであります。日本では自ら新古典派と称する作曲家も沢山居るようでありますが、実は此の巨大な山脈を乗り越えて来たものでなく、クラシックの習得に現代の感覚をプラスした所のものでありまして、史的発展の目から見れば欧米の新古典派作曲とは凡そ縁遠いものであります。所謂真の現代の新古典というものは、多調性や無調性が物足りなくなって生まれたものであって、我が国のそれの如く、昔の古典そのものの技術ではないのであります。

(3) 無調性音樂と私
 私も此の研究が非常に困難であることを知り、まだ独ソ戦が始まらぬ以前に外国の出版物から資料を集めてひたすら研鑽を重ね、無調性音樂により以前から無調性音樂までを調べて参りました。そして終戦後、始めて無調性で今度の絃樂四重奏を試作した次第であります。唯作曲上の困難と、演奏上の難しさがあるため、演奏時間六分という、極く短いものに作り上げました。思えば此の六分の作品を生むに至るまでに十数年を要したのでありまして、私にとって如何に困難な研究であつたかが判って頂けると思います。勿論作曲も絵画などと同様、理論だけを幾ら勉強しても実際に書く修練がなければ良い作品は得られぬ道理であります。そのため此の研究もかように長い年月を要し、漸く試作を発表するに到った次第なのであります。又この六分の試作は、私が意図する次の無調性管弦樂曲の下準備となるものでありまして、此の度の演奏を試聴することは、私にとって実に重大な意義を持つものなのであります。

(4) 現今作曲の傾向
 是までの藝術----たとえばベートオベンの交響曲とか日本の歌舞伎の如きは、それぞれ其の道の相応した知識がないと聴いても観てもさ程有難い存在とは思われないのでありますが、現代の藝術は其の理論とか構成とかが如何に複雑でむつかしくとも、鑑賞は極めて容易に為されるという傾向に、又はそれを原則として創作されねばならぬので、音樂でも其の作曲者は益々困難な立場に置かれることになりました。従って鑑賞する立場に於いては、音樂的素養という点を除外して聴かれても結構なのであり、そうした態度の聴手に対して此の曲が如何に味わって頂けたかということも、私は切に知りたいと思っております。

3. 演奏其二 "第一絃樂四重奏"

 次の"第一絃樂四重奏"は、日本的性格和声というものを私が考案し、其の和声で作曲したものであります。日本的とか東洋的とかいう和声は、是までデビツシー、シエンベルク、ヒンデミツト、其の他日本では小船幸次郎、箕作秋吉の諸氏などが種々考案されましたが、私の考案したものは和声に機能を与えて運用を自由に---最も自由に書けるという利点を有するもの、従ってカノン及びフーガなど複雑な構成にも容易に処理が出来るのであります。
 さて此の第一絃樂四重奏には、全曲中カノン、フーガ等も試作してあるのですが、放送の都合で第二楽章だけに止まり全曲を聴いて頂けないのを残念に思います。

4. 御聴取の皆様にお願い

 お聴き下さいましたら、皆様方の御批評や御感想を聞かして頂きたいと存じます。それが今後の研究に貴重な資料となりますので、是非下記までお便りの程お願い致します。
 
 栃木縣安蘇郡田沼町吉水981 須賀田礒太郎


  "日本人の表情"

 須賀田礒太郎

             (昭和25年12月7日/下野新聞掲載)

 我々日本人には表情が無いと言つて非難されたこともある。嬉しいのだか悲しいのだかさつぱり判らない。まして複雑な感情など判るはずがないらしい。まるでお能の面のような顔をしている人がざらにいると言われてもそうかも知れぬ。そう言う無表情が国民一般の欠点であるかの如く言われるが一寸考えてみたい。

 我が国では古から喜怒哀楽の表情を、そのままはつきり表示しないのが常人のたしなみとされて来た。悲しいからと言つて人前でわめき泣くのも、可笑しいからと言つて人前でゲラゲラ笑うのも見よいことではない。それらが正直な態度でないと言われても、腹の中まで見せてしまうのも恥しい。兎に角日本的な教養として、それが伝統的に国民の実生活にに板に着いていることは事実である。

 こんな話がある……ある婦人が我が子の死に際して人々からねんごろにお悔やみを言われていたその時その婦人の表情は誠にもの静かで少しも動揺の色がない。しかしその婦人はテーブルの下で自分の扇子をズタズタに引き裂いていたという。その婦人と対面する態度と、我が喪える子に対する悲嘆の情とがよく判る。

 さらにそれが完全に生活に溶け込んでいる実例は---まず落語や万才などで判るように、聴衆がだまつていれば、身ぶり手ぶりも可笑しく人を笑わせるが、今度聴衆が笑い出せば本人は笑っていない。むしろにがりつぶしたような顔をして、さらに笑いに拍車をかける逆効果もある。また詩歌の表現にしてみても、悲しい表現に直接悲しいという言葉を沢山ならべたところで良い作品は書けそうもない。却ってそういう言葉はなるべく使わないで全体の意味の上から悲しみの情を表現した方が内容の深さもあつて良いと思われる。

 日本人の顔がお能の面のようだといわれるそのお能の面はあのお面で舞えば喜怒哀楽の情、総ての情趣に適応するお面なのであるという。笑えば笑つただけのギリシヤ的彫刻のお面より能楽面の方がさらに表現の深さを持ち作者の苦心が刻み込まれてあるといえるのである。

 外来のジャズ・スウィング音楽の演奏態度を見るに、それは誠に正直な表現ぶりである。悲しみ深き表現には如何にも悲しげに、楽しき表現には如何にも愉快そうに、そしてまたうかれ出して演奏者までが踊り出したり、ときには常規を逸したドンチャン騒ぎの底抜け演奏もやりかねない。勿論日本在来のお神楽にも馬鹿踊りはあるが、笛、太鼓のお囃子連中までもが馬鹿さわぎはしていない。むしろお囃子連中の泰然自若たる態度に、踊る馬鹿の方がさらに滑稽になつてくる。

 ジャズなどの影響で今後ながいあいだには日本人の表情も相当お上手になるかも判らない。
                            (田沼町作曲家)



  須賀田礒太郎の雑文


 昭和20〜22年、須賀田はJOAKの求めに応じ「行進曲集第二輯作品17」(全20曲) を作曲しましたが、その譜面の余白に、彼自身による多くの書込みがあります。これらの文章からは、終戦直後の混乱した世相や、それに対するに対する須賀田の考えが記されています。
東日本大震災で日本中がその復興に懸命になっている現在、その文章はたいそう興味深いものがあります。ぜひお読みください。(●は判読不能部分)


 」一日数千円の売上げある露店商人あり、また一方生活力を失い餓死する者もあり、且つ又、此れを傍観する者もあり。戦後日本の現状は欧州の如く、百鬼夜行の混乱に至らざるも、国民の徳義心と生産活動の意欲とを喪失し、物心両面闇の有様である。---国民各自への幸福は来るか否!!----真の自由を束縛するものは我欲である。-----我欲に走る處には幸福が訪れぬ。-----苦難に耐え忍び、真面目に対応し且ツ将来への希望へ明るく朗らかに進む者のみへこそ、必ず幸福が訪れる。
此等 (註/この文章のこと) は作曲の解説と言ふよりは、作曲当時の世の有様を語り、此等通俗音楽を通ジて、多くの一般国民へ斯くありたいと願望を表したものである。
 又、以下、標題は、あながち、曲想と具体的に一致して居るとは限らぬ。標題は曲想との相互援助として役立ツ次第である。
 (昭和20年12月7日/「幸福のおとヅれ」no.1 楽譜余白の文章)


 」
政府は綜合インフレ対策を発表----支払制限、新円発行、手持現金強制預金----払出し額、世帯主は月に三百円、其他の家族一人にツき百円、-----三月三日には財産調査も開始される。-----困難を救ふための此の嵐には、働かざる者、生活不能なり。----国民皆労に拍車がかけられた----対策の効果は政府の施政能力と、国民の此れに対する協力にある。----好むと好まざるに依らず、働かざれば生命の保持が問題となる。----苦痛を貫く不満の労働では満足な成果は得られぬ。-----苦痛を貫く、喜びの勤労でなければならぬ。
 (昭和21年2月20日/「勤労」no.2 楽譜余白の文章)


 」
資本家は自己の利権を護るため、其の生産は消極的、且つサボタージュに入るものもあり----。労働者は其の地位獲得と賃金値上げに、或は生産管理に入るものあり-----農民は米穀供出に不法ありと供出量に不満あり、肥料農機具を交換条件に至急配給せよと、-----政党は多数に別れて立ち、各々主義を主張して対立。----世の中は正に混乱状態である。何れも国家建設の意図に燃える力強い対立対抗ではあらうが、民主主義とは自分等だけの立場を満足することではない。自他供に立上がる事が出来ねばならぬ----。
 (昭和21年3月5日/「建設」no.3 楽譜余白の文章)


 」
どうも、やり切れぬ国家情勢に政府は、おヅおヅと施政に強権を断行せんとする。国民の一部は人民を強圧するものなりと、民主主義に反するものなりと、此れに反対す。-----都会は特に帝都は、一週間分の手持食糧に政府の力の限りの善案に今月一杯 (3月) の食糧を獲保したりと、併し其の先は当なしとの悲惨な状態-----。マツカーサー司令部の米国へ対する、日本への必要量食糧編入の申請も、世界各国の食糧難より、其の量は多すぎると声あり。日本ばかりにそう、うまくはゆかぬ。半身不髄の日本には伝染病の恐るべき蔓延の実情あり。都市民の餓死の恐怖、全く楽観は少しも許せぬ処となツた。農村に於てすら食糧難は倒来 (註/ママ)して来た。----世は正に協力と言ふ事を忘れてしまツたかの観あり。-----此れを解決するものは人の情愛である------凡そ人の交りに於て真の純情を知るは此の苦難の時である-----。
 (昭和21年3月20日/「友情」no.4 楽譜余白の文章)


」凡そ日本人は昔から対立が好きな人種である。大和と名乗り、実は抗爭の歴史を繰返へして来た。――聖徳太子と馬子との神佛事件から、源平時代、又は戦國時代、と徳川時代、又或は、宗教、分派の対立爭ひ等々は誠に有難くない歴史である。――國民は敗戦で憲法草案せ戦爭を放棄したが、人間個人に爭念のある限り、國内の平和さへ望み難い。まして、世界平和おやである――要するに、人を愛する心が缺除して居るからである.――と言ッて此れが看板になツては、同一歴史繰返すのみ。
 (昭和21年4月14日/「愛の心」 no.5楽譜余白の文章/同作品は7月3日、ブルースカイ吹奏楽団演奏)


」鳩山自由黨総裁が入閣の段取りに直面せんとする矢先、公職追放者に既當され、後継内閣は今以て定決せず。四大政黨はもツれにもツれて抗爭。食料の遅配により、生活不能者は愈々所々に餓死するに及ぶ。飢餓國民は抗爭をやめよと叫び救ひの対策を求む。正に國内乱調である。殆ど一般國民及び資本家は闇行為をなし、●々インフレに週束を懸けるのみ。此の理も自己保全のため顧る事不可。最近団体護持を身体護持と言ふものあり。●々以て悪化は進亢するのみ。対策を立てんとする政黨は、主義主張の抗爭に余念なく、ギリギリの飢餓状態に突入せるも、依然止まず対立す。――團缺一致せずんば國民を救ふ事不可能なり。夜のニュースで吉田元外相が首相と決定の由。共産黨は彼も又公職追放概當者なりと言ひ、新聞論調は又新らしき政局難来ると言ふ。
 (昭和21年5月16日/「協和協力」 no.6楽譜余白の文章/同作品は7月10日、新興吹奏楽団演奏。編曲、作者)


」愈々、帝都、横浜市、一円は食糧の遅配二十数日に及び缺配同然。其の大人口は各個人の買い出しにより生活を持續して居る状態である。此の交通能力、活動能力は、実に莫大な無駄である。高價な闇値食糧を求めるに、収入不十分な者は榮養障害になり、危険極りない。正規の収入では恐らく生活不能は當然であり、政府の対策半身不随なるため、闇に関する道議觀念も生命護持のため変化しツツあり。闇と言ふ言葉が不適當なりと言ふ人も出て来た。インフレーションと食生活は正に混乱状態である。――此の苦境は、是が非でも兎に角突破せねばならぬ。都會市民は案外明朗であるとは、デカタン的とは思はれぬ。苦しくとも生活力は旺盛で活溌に活動して居る。――やれる事は何んでもやり、切り抜ければならぬ。
 (昭和21年7月2日/「希望」 no.7楽譜余白の文章/同作品は8月21日午後0時15分、新興吹奏楽団により、指揮藤原●●氏で演奏。通達間に合はず聴かず。)

」遅配の難関、米軍放出の輸入食糧で急を救ふ。――併し此れのみにて足るに及ばず、依然食糧難。――都会人、一人が食べるために働く努力は絶大――正規なルート以外より食を求めねば、国体護持より身体護持さへ出来ぬと――。生命を鎖ぐ者の食糧は殆ど闇中介であるとは。正に生きるため正否を論ずるも、無効の如し。――闇業の不當利益、正常勤労者の収入と購買の矛盾。――(三百円の月給ではイワシを買ツたらおしまいとか女房も泣く。――働けぬ者の預金引出し額でも何も自由に買へぬ。――預金もない、病弱は正に危険――。闇商人の多額の収入、闇労働者の景気の良い様――。) 一方的な現金の遍在――、有る者は、册ビラを切る。無い者は栄養失調の恐怖に曝される――都市の店頭にある、高價な品々、高級な飲食――、それは誰れの求めに應ぜらるゝのか――正に、正常一般生活者のためならず、闇業のための存在の如しとは。上下の差甚だし――。最近、闇行為、闇業者の取締強化、露店市場の不正品販賣者の抜打ち検挙、不當營業の撤廃、等々、政府も積極的に乗り出して来た――。併し此れが再び半身不髄取調では、また悪影響あり。――発覚者のみならず大●打撃とは、闇も更に暗く横行――政府の今次対策措置で明るいものが見たい――。横浜でキウリが三本10円、トマートが三個十円、宇都宮市ではトマート一個10円とは。――此の田舎で、カボチャ一個12円に及ぶとは、まちまちたちも、インフレは歩調を正格に合せて亢進――此んな亢進は少しも嬉しくない。明るい正常な楽しさが来る進行が欲しい――此れも、一般国民のImageである。
 (昭和21年7月20日/「イマージュ」 no.8楽譜余白の文章)


」経済再建と積極施策――完全稼動の実現へ――。政府も愈々本腰となツて、日本の面目を回復せんとする。――経済は国民生活の安定を計り、先ず具体的に映ぜられるのは闇!! 闇!! 此れの撲滅である。――主食配給品の不法売賣は厳罰に、特に米類は懲役まで科すと――。此れ又、進駐軍の監督の基にあり相當、強行であり、手ぬるきは米軍が承知せぬと――る以前此れまでの如く、対策は発表されたが、政府の半身不髄意的な取締りでは、抜け穴くぐりの不法利得者あり。馬鹿を見たとて、後から續く闇行為。――結果は闇や横流れ品を求むの骨折り。――此れでは何年たツも、あげないもの。今度は進駐軍の監督下に取締が行はれる――此れでなければならぬ――。さては又、日本国内に居る非日本人 (解放残留人) も総て、日本の法令に從はねばならぬ――。さては又、其の不法行為も日本の法令で厳正に取締りがなされる。――此れも進駐軍の膣入りである。敗けて小さくなツた日本人も米軍の援助により、公平な法律の基に生活が護られる様になツて来た。
此れで不公平極る商賣、大金を放出せねば出入の出来ぬ料理亭とか物品食品を賣る所、不法取引で一役大金を得る業者、さてはプローカー、此んなのが姿を消せば、我々も仕合わせである。――眞面目な仕事で正規の収入を得て、此れで生活が出来ぬとは、盗人根性でも起すか、餓死せねばならぬか、さては皆、闇が麻痺して平気になる――再び政府がぐらつくか? ――今度は民主々義施政であり、我々の総意が展開される。今度こそは早速米の闇値が地方なみに降ったとか。――又は町に出廻る野菜も安く出て来たとか、ナスが十個で10円とは、前のキウリ、トマートと比較して、大下落だ――。そのくせナスは日照りで目下豊作とは言い難い――。欲をかいて物を隠匿する者。――発覚すれば厳罰。――賣買厳罰――さては公平な値で、こそこそ市場へ出るか。発覚されて正規のルートへ出されるか――隠匿を頑張るも古くなツては困る食糧品もあり、政府とどちらが頑張れるか。――先ず此れは見ものなり――。政府が頑張り貫けば我々は次第に明朗だ。――日常の生活が、此れを聴くだけでも気持ち良く、明るく、愉快になツて来る。
 (昭和21年7月28日/「楽しき歩調」 no.9楽譜余白の文章)


」放送協会にて更に通俗なる行進曲を注文された――本年は豊作、颱風が既に七月に現れ日本全土に余り入来せず、好調――米の大闇一升百円が四十円に下落、大口取引は各所に解消。――如●なる山農も、一万や二万の財収あり、今後は此れにより再び危機到来かと――併し一般人民は明朗なり。国家の調整にて何れも好転に向ふ。
 (昭和21年8月29日/「豊年」 no.10楽譜余白の文章)


」それは少々極端な解釈だらうが――大体は然り――戦争中特に戀愛は御法度であったとは。戀のみの解釋で愛の方を忘れてゐたか。個人愛の戀は兎に角御法度であったわけ。今度は民主主義時代となり、戀愛も公然自由となツた――。若い者は樂しい、嬉しい又は悲しい、苦しいもろもろの体験を積んで、戀愛を始めるであらう。――それはプラトニックで神秘的であツて欲しい――。其他の方は邪道で思ふべからず。既婚者の方は正反對に正に離婚の續發時代!! 良いか悪いから個々に判斷せねばならぬが。掴ち、正當な理由で、此れが相容れぬなら、矛盾が成立する――。●●掴ち正しいと言ふ。パラドックスは殆ど此れには成立しない――。支ひて相手を考え逆理を思ツて離婚する者は、無からう――。殆どが缺●を見付け出して此れに対立――此れが循環して増々悪化の道に進むのみ――。いくら考へても、凡人の頭では判らないから、離婚となる――。その発見は愛情なり。愛情が濃くなれば缺●など、どうでも良くなる――。我執の対立は更に対立を生むのみ。此れに理論抗争を行ふエネルギーがあツたら、此のエネルギーで愛情発見を学ぶべき――。既婚者もD.C. (ダカウポ) せよ――。大分食糧事情も、山が見えて来た――。喰へぬ先から闇値が下落――。此れで気分は次第に明朗となる――。他人のロマンスも傍觀が出来る。
 (昭和21年8月31日/「ロマンス」 no.11楽譜余白の文章)


●ニュースによると、独乙は今もツて、全く依然混乱状態、日本と異り戰爭で政府まで壊滅したので無理なからうが、国民は積極的ならず、まだ廃虚が市街に、●の●見られると言ふ――。政府も出来ぬので聯合軍の軍政のもとに置かれてゐる――。此れに引きかへ日本は、積極的に進駐軍に協力シ、復興も見られ、進駐軍は占領目的も順調であると言ふ――。併し日本人同志は、自分達が民主々義も充分解せず、聯合軍に世話をやかせ、又、闇の経済状態に国民の道議心もなシと、自分の国をあきれて見て居た――。米国軍の意外の話●を聴き、――日本は独乙より良いかと――我に返り自分達を顧みた――。てんでなツて居ないと思ツた日本人だツたが、眞を衝けば正直な素直な国民であツた事が判る――。自分達を、あきれて見た事は、反省が強いからである――。聯合軍の占領目的に順應するのは、特攻隊となツて死をも顧りみぬ国民性の情があるからである――。好結果を言はれて始めて、そうかと気付く處に、うぬぼれもなかツた――。日本人は良い指導の基におかれゝば、必ず良き文化国家を作り平和に貢献する人間である――。常識があツても常識の無いに等しい、知ツてやる悪い處は、正に我利我利主義の随一の存在であらうが、此れも眞に人間が幸福と言ふ事を知る様になれば次第に解消するかも判らぬ――。困るので皆が自己を守り我利我利にさせられたのであらう――。我々は自分達の悪い處を何故斯くなツたか分析して、自省し二の舞ひのない様にしたい――そして楽しい平和に向ひたい――。
 (昭和21年8月31日/「平和に向ツて」 no.12楽譜余白の文章)


」終戰當時の現実の感情は、どんなであツたか――。米軍と互ひに打ち合ひが起るのではないかと――、国民が惨事に絶望を叫ぶのではないかと――、不安、苦悩で一杯であツた。併シ案外平静――、豫想とは全く反対に、米軍の誠実を、国民誰もが納得し、安心する事が出来た――。既に終戰一ケ年を通過し、思へば独乙より日本は好結果である――。我々は進駐軍の誠実に感謝を以て対處してゐる――。又国民も當時、む不心得者殆どなし、間違ひが發生しなかツた――。此處に八年ぶりの豊作を迎へた――。それは肥料不足とは言へ豊作間違ひなし――米国も豊作で余剰食糧が多分に出る間――。国民は嬉々明朗となツて来た――。政府も米配給を、二合五勺に、何れは3合の実現に、明るい対策をやツて居る。闇の経済事情では、自分自身を顧る事も出来ず、また他人の事を考へてゐられなかツた――。唯だ夢中で自己の生活を守護して来た――。聯合軍とは、まだ平和條約も結ばれてないが、気持の上では完全に親善の情を表出してゐる――。平和條約は、もう、間近に来る――。日本も、本當に再び樂しい生活が出来る様になる――。皆、仲良くして、もう缺して戰爭など思ふ事もせぬ様に、平和でありたい――。
 (昭和21年9月7日/「親善」 no.13楽譜余白の文章)


」吉田内閣も又半身不髄的の存在なりと、非難の声が揚る。国内は同様に混乱状態。対策布かれて効力及ばず。――政府は国民の非協力が禍をなすと言ひ、国民は政府の施策が悪ひと言ふ――。放送協会のストライキあり。――一週間余り、一般聴者が迷惑を感じ、悪評スト側に下る――。今回は教員のストライキ問題あり、また電燈會社も然り――。其々解缺の道に運ばるゝも、此れが解決に依り、増々インフレは亢進の道をたどるのみ。―――――處に於て、スポーツは一時的の憂鬱解放剤たりとも。天の岩戸式の明朗活溌なる存在なり。――此の元気は、あらゆるケチクサイものを、排除するものである。――正々堂々、勝負を決する處、見る者、行ふ者、世相の反映もなく、明るく熱狂する。
 (昭和21年12月6日/「スポーツ」 no.14楽譜余白の文章)


」(12月24日) 此んな話がある? ――お弟子 (齋藤登君) が東武線電車の中で、或る主任級の警官と、話して来た事ださうだ。――警官云く----闇がいけないなど言ツた處で生きる方が切実だ。――政府の言ふ事を間に受けて居たら死んでしまふ――。第一政府も闇取引をやツて居るのだから我々に、やるなと言ツても蟲が良い――。買出しで諸君が、駅で警官にツかまるが、その人は全く気の毒だ――。諸君もツかまらん様に気を付けると良い――。我々警官も、ムヤミに諸君を取調べはせぬ――。取締の条例が出た時にやるのだから諸君も、此の時は要心せよ。――何日にやるか判らん? ――それは、ちゃんと新聞に何時何日まで取締りが行はれと、発表されるから、誰でも判る――。その時ツかまる人は、シかたがない気の毒だが――。私達だって、そんな無茶はやりはせん。――困るのはお互ひだよ。――乘車の手荷制限も、1尺5寸立方二個と、定められてある。大きいのは違犯だが、――規定の大きさなら取調べはない――中に何が入ツて居ても、私達は知らん。――何でも諸君の自由さ――。開けられる事が、ないんだからね――。今度は私の方かい!! ――我々が、一般人から物品を貰ふ事かね――。それはとやかく言はれるが、第一今の世の中は、シカタガナイではないか。――さツきも言った様に互ひに眞面目に政府の言ふ事を聴いて居たら口が乾いてシまふ――。そうだろう諸君、――今でも眞面目な必ず居るかも、判らんよ。――だがね、互ひに喰へない時に、一方で盛んに儲けて居るやつが居るのに、だまツて見て居るやツが居たとすれば、そいツは偉いか馬鹿か判らんよ。偉いとしても、余り利巧ぢゃないよ――。私だツて、人が物をくれると言ふのに、わざわざいらぬと断る事もない。くれると言ふのだからシカタガナイ。有り難く貰ツておくさ――。シカタガナイ乍らも同僚の中には、少し行き過ぎて居ると思ふのも居るよ――。私は嫌ひだがね――。どんなのか? ――それはね――罪がきまツて、刑務所行きの人間の家庭訪問さ――。そうすると家族の人は何かにツけ便宜を計ツて貰ひたいので、あれやこれやと、物をくれるそうだ――それが不正の便宜か、差入れか何かの普通の便宜か、そこは知らんが、兎に角、そう言ふ家庭をぐるぐる廻ツて歩いて居るやツが居るよ――。そんなのは嫌だったさ――。處で車中でタバコ一服――、誰かマツチは無いかね――。中車の誰かが進駐軍用のマツチを出した。――君たいそなマツチだな。此は日本の警官なら大丈夫だが、あツちの警官へは間違ツても出すなよ。――此れもシカタガナイよ――。----此んな話シ-----シカタガナイで持ち切ツたそうである――此れで彼は民衆の警官として、得意満面で話したさうだ――。電車の中は誰が誰だか判らんので、皆勝手な事を言ふさうだ――。これをお弟子から聴き、困った世の中だと痛感シた――。取締が、そんなでは実にあきれる一方――。全く失望でも、斯様なインチキな中にも、国民の人間とシての、愛情が法規を越えても在るのなら、まだまシである。
 混乱無秩序の中にも、お互ひの人間愛のある限り、再建も可能である。自分一個人、一家庭の生活をも守るために違反をなすなら、まだ良いが、此のドサクサに大金を儲けやうと言ふ闇行為は正に再建を祖碍する行為での違法行為である。
闇屋の言分!!――暮のラジオ街頭録音 (新宿) ―― 一街頭人マイクに向ひ、アナウンサーに答へて云く!! ――私は某会員である、会社は何も仕事はやツて云ない。それで材料を互ひに売賣して居る。私達がそれを頼れて行ふが、此れに闇値をツけて、相手会社へ賣込む。相手も此れで買ふ――此の闇代金の差額が収入。会社の月給では全く生活が出来ぬから、今日も映画を見に来た訳だ。此れでは日本再建もあぶない事は判る。自分も商業學校を出たもので、悪いか良い位は良く知ツて居る――。闇の荒稼ぎをやツて、此の様に毎日ブラブラ遊んで居るのも心苦しいが、他に仕事はない。あの会社にでも居なければ全然自活が出来ぬから、しようがない――。結果に於ては、毎日遊び、此の様な人間が居ると非難されても、私の立場では此れより何んとも、しようがない――。会社の名は言ふのをかんべんして貰ふが、又会社もその立場になれば生製活動が出来ぬので、同情もする――。結局、政府が何かうまい対策でも立て、実行して貰はねば、やり切れない。――喰へないと言ふ主婦の放送をまぜ合せ、実に意外な告白でもある――。樂をして儲けて居ると言ふ結果にもなるが、困った事――。それでマイクを取りかこむ大衆も拍手である。
 此の團結は、ブロック的團結又はボス的性格の團結を意味しない。消極的な不満不平を乗越えて日本再建への一致團結を鼓舞するものである。政府の対策も懸声で半身不随意、役人ですら「シカタガナイ」と言ツて居るものもある。対策に非協力な国民への取締りも、矛盾あり。第一に生きんが為にあがきがある。秩序が失はれ、「シカタガナイ」と言はれて勝手に行動するが、国民相互の愛情は忘れてはならぬ。「シカタガナイ」同志でも、互ひに、助け合ひ再建日本の気持は忘れてはならぬ。
 (昭和21年12月24日/「團結」 no.16楽譜余白の文章)


」此れは、此の作品の解説ではない。併し時の情勢は、斯うである――。全国的の倒閣運動でやり切れなくなつた吉田内閣も遂に総辞職を要望の●●中に受けやり切れなくなツた。各黨もツレテ、健丸工作も●に●●不足である――。腹が出来たので、皆活發である。官廳のストと言ふのが出て来た。――来月から逓信省関係が、事業管理の型でゼネストをやるやうである。――皆やる處までやらぬと気が済まぬ――。給料が、700円位いでは全然一家の生計は立たぬ――。やりくり算段も、豫金は甚少くなり、物の賣喰ひも長くは續かぬ。――全く人の事ではない――。賃金が揚れば、物品も高くなる。またストをやらねば追い着かぬ。――斯う云ふ矛盾も、今の今の生きんがためには、理論でない――。さても困ツた次第である――。
 政府の対策は出ても実行が出来ぬ。問屋さんは実に良い収入である。――取締厳重にせよと言ふ声あり、――併シ違反者を死刑にした處で切実な事々は止まるまいと言ふ新聞社説もある。此れも本當に、やられゝば考へぬ事もないと思ふが? ――兎に角物價を下げて釘付けに一律違反のない様にすれば、理論では確実。――此れが更に出来ないのは、取締が第一不可能、――ソ聯の様に強硬な政府ならば出来やうが、それ程強硬なら問題もまだ●●である――。何んと言ツても矢張り、対策を立てた以上は、此れに違反する者を厳罪にせねばなるまい――。何にを――政府が第一、違反して居ながら、――いや居るからだめだと言ふ人も居る。今度如何なる闇が出来るか判らんが、――皆で頭をひねツて、また対策を立てる、――すると再び取締りが出来ぬ――斯うなると実に心細い――秩序は皆責任を以て守り、然らざる者は、厳罪でなければ具合悪からう――。ドンドンめぐりめぐツても結論はきツと此處にありと思ふ――。タコが自分の手足を喰ひ乍ら、獲物を捕へて生きて居るに等しい。手足が不自由でどうするか。
 (昭和22年1月18日/「スピード」 no.17楽譜余白の文章)


  



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