
須賀田礒太郎の直筆文
このほど調査の結果、幾つかの須賀田直筆の文章が多数発見されました。
それらは彼の音楽を知るうえで、たいそう興味深い内容を持っています。
そこで、このページに須賀田礒太郎の文章を関係各方面のご承諾をいただいたうえで、順次発表して行きたいと思います。
まず最初に掲載する第1篇は昭和26年、東京第一放送 (NHK)「現代日本の音楽」で、須賀田礒太郎の絃樂四重奏曲が放送されることが決まり、その栃木県内向けの予告・宣伝パンフレットに作曲者が記した文章です。なおこのパンフレットが実際に配布されたかどうかは不明です。
パンフレット冒頭には戦後、疎開先の田沼町にあってその作品紹介の場がほとんど無く、困難な状況にあった須賀田礒太郎をなんとか応援したいという地元放送局の担当者の紹介文も添えられていますので、そちらも併せて転載しました。
戦後の須賀田は、シェーンベルクに代表される無調性音楽に並々ならぬ関心を持ち、昭和21年に初めて無調性で書いた絃樂四重奏曲第2番がようやく初演放送されることとなった喜びと期待を、このパンフレットで熱く語っています。
第2篇目は栃木県の地方紙・下野新聞に寄稿した「日本人の表情」と題する文章。
現在とは異なった、当時の日本人の表情について、また未来の予感などを記す須賀田の文章から、彼の誠実な感性を感じとる事が出来ます。
また終戦直後の作品 (行進曲、歌曲等)の楽譜の余白に、須賀田自身による多くの書込みがあり、これが結構興味深い内容ですので、このページの巻末で今後順次ご紹介してまいります。
(註/文体は原文のまま)
お聴きください
須賀田礒太郎作曲 絃樂四重奏曲
8月4日 (土) 午後5時45分 東京第一放送 "現代日本の音樂"
紹介の言葉
音楽部 永島 信吉
作曲者須賀田礒太郎は、本県田沼町吉水の者、横浜で生まれ横浜で育ち、そちらでずつと音楽に関する仕事を続け、就中作曲に努力して来ました。戦前田村虎蔵氏の主宰していた帝国高等音楽学校に於いて、約十年間作曲科を担当していたこともありました。そして戦時中、郷里吉水に疎開、引続き作曲や後進の指導に従事して居ります。
その作品は、後に掲載しました目録のように延べ八十余曲に上り、JOAK其の他で演奏、世に紹介されて来ましたが、郷里に来てからは作品発表の機会もなく活動にも何かと便を缺き、終戦前後からは其の作品は遂に世に現れずに参りました。
然るに最近諸種の困難を克服し、漸く活動も順調となり、作品もぽつぽつ発表し得る機運に到達した由です。
慈に思うに、作曲を専門とする者は我が国に於いて餘り数が多くないようですし、特に本県に於いては他にないかも知れぬとの由。就いては此の片田舎に於いて独り精進を続ける本作曲家の作品が、果たして如何なる価値を有するものなりや、どうぞ多数の方々が御聴取の上、御意見を作曲者宛お送り下さらば幸です。
「絃樂四重奏曲」について
須賀田礒太郎
1. 発表曲の内容
"現代日本の音楽"へは、昭和十六年作曲の"第一絃樂四重奏"と、昭和二十一年作曲の"第二絃樂絃樂四重奏"の二つを提出しましたが、放送時間の都合上、組合わせは係に一任、今回は"第二絃樂四重奏"の全曲と、"第一絃樂四重奏"の第二楽章だけが演奏されると思います。
(*註/実際の放送では"第二絃樂四重奏"は演奏者の拒否にあい、"第一絃樂四重奏"全曲だけが放送された)
2. 演奏其の一"第二絃樂四重奏"
(1) 曲の特色 - 無調性音樂と我が国
"第二絃樂四重奏"は、無調性即ちアトナール (Atonal) の音樂で書いたものであります。此の無調性音楽は、リヒアルト=シトラウスにより創案され、アーノルド=シエンベルグがこれを体系づけ、始めて無調性音楽というものを確立したわけであります。現代音樂に独自の道を開いて有名になったイゴール=ストラビンスキー、ベラバルトーク、ポール=ヒンデミツト等々は、シエンベルクの熱心な研究から前進して大成したものであります。併しながら我が国に於ては此の無調性音楽が殆ど顧みられていない様子であります。それ故私は其の試作の発表さえも聴いたことがありません。却ってかかる音樂は外道だとさえ言う者もあり、或は又、日本は日本独自の音樂を作るべきだと主張する者もあり、此の歴史的大発展の過程には目もくれない現状であります。こうした態度は、島国的な偏見というか、或は一途に他排的に進む傾向というか、兎に角よその国のものを一応は研究し消化するということが欠けているため、日本の作曲技術は欧米のそれよりも三十年遅れているという次第-----是では何時になっても世界の水準に立つ作曲は望めぬ訳であります。元来如何に内燃的な藝術的意欲があったとしても、現在のように表現手段としての技術の研究を持たぬのでは如何に大言壮語しても何の役に立つわけではなく、又後世に残る作品など望み得べくもないのであります。
(2) 無調性音樂の位置
終戦後のニュースによれば、米国の若い作曲家達は、亡命し来った老齢のシエンベルクを囲み、その無調性音樂の指導を受けているとの話。又、英国に於いては若い作曲家連も直接彼の指導が得られぬ為、彼の作品に就いて是を分解し、試作研究をしているが、中には婦人の作曲家が無調性を書いて発表好評を得たという話もあります。こんなふうで、今若し我が国に於いて此の理論を研究するとすれば、決して無意義ではないのですが、之を身につけようとするならば、相当に進んだ作曲者としての知識と多大な努力を要すべきことは申すまでもありません。
日本に於いて手堅い作曲法と目されているクラシツクの理論は、ベートオベン以後発展し、ワグナーにより現代に至るまでの廣大な発達を遂げたものであります。更に巨大な研究に続く山脈が、近代より現代に跨がる後期ロマンチックの存在であつて、無調性音樂は恰も其の峠に位置するものと言えるのであります。日本では自ら新古典派と称する作曲家も沢山居るようでありますが、実は此の巨大な山脈を乗り越えて来たものでなく、クラシックの習得に現代の感覚をプラスした所のものでありまして、史的発展の目から見れば欧米の新古典派作曲とは凡そ縁遠いものであります。所謂真の現代の新古典というものは、多調性や無調性が物足りなくなって生まれたものであって、我が国のそれの如く、昔の古典そのものの技術ではないのであります。
(3) 無調性音樂と私
私も此の研究が非常に困難であることを知り、まだ独ソ戦が始まらぬ以前に外国の出版物から資料を集めてひたすら研鑽を重ね、無調性音樂により以前から無調性音樂までを調べて参りました。そして終戦後、始めて無調性で今度の絃樂四重奏を試作した次第であります。唯作曲上の困難と、演奏上の難しさがあるため、演奏時間六分という、極く短いものに作り上げました。思えば此の六分の作品を生むに至るまでに十数年を要したのでありまして、私にとって如何に困難な研究であつたかが判って頂けると思います。勿論作曲も絵画などと同様、理論だけを幾ら勉強しても実際に書く修練がなければ良い作品は得られぬ道理であります。そのため此の研究もかように長い年月を要し、漸く試作を発表するに到った次第なのであります。又この六分の試作は、私が意図する次の無調性管弦樂曲の下準備となるものでありまして、此の度の演奏を試聴することは、私にとって実に重大な意義を持つものなのであります。
(4) 現今作曲の傾向
是までの藝術----たとえばベートオベンの交響曲とか日本の歌舞伎の如きは、それぞれ其の道の相応した知識がないと聴いても観てもさ程有難い存在とは思われないのでありますが、現代の藝術は其の理論とか構成とかが如何に複雑でむつかしくとも、鑑賞は極めて容易に為されるという傾向に、又はそれを原則として創作されねばならぬので、音樂でも其の作曲者は益々困難な立場に置かれることになりました。従って鑑賞する立場に於いては、音樂的素養という点を除外して聴かれても結構なのであり、そうした態度の聴手に対して此の曲が如何に味わって頂けたかということも、私は切に知りたいと思っております。
3. 演奏其二 "第一絃樂四重奏"
次の"第一絃樂四重奏"は、日本的性格和声というものを私が考案し、其の和声で作曲したものであります。日本的とか東洋的とかいう和声は、是までデビツシー、シエンベルク、ヒンデミツト、其の他日本では小船幸次郎、箕作秋吉の諸氏などが種々考案されましたが、私の考案したものは和声に機能を与えて運用を自由に---最も自由に書けるという利点を有するもの、従ってカノン及びフーガなど複雑な構成にも容易に処理が出来るのであります。
さて此の第一絃樂四重奏には、全曲中カノン、フーガ等も試作してあるのですが、放送の都合で第二楽章だけに止まり全曲を聴いて頂けないのを残念に思います。
4. 御聴取の皆様にお願い
お聴き下さいましたら、皆様方の御批評や御感想を聞かして頂きたいと存じます。それが今後の研究に貴重な資料となりますので、是非下記までお便りの程お願い致します。
栃木縣安蘇郡田沼町吉水981 須賀田礒太郎
"日本人の表情"
須賀田礒太郎
(昭和25年12月7日/下野新聞掲載)
我々日本人には表情が無いと言つて非難されたこともある。嬉しいのだか悲しいのだかさつぱり判らない。まして複雑な感情など判るはずがないらしい。まるでお能の面のような顔をしている人がざらにいると言われてもそうかも知れぬ。そう言う無表情が国民一般の欠点であるかの如く言われるが一寸考えてみたい。
我が国では古から喜怒哀楽の表情を、そのままはつきり表示しないのが常人のたしなみとされて来た。悲しいからと言つて人前でわめき泣くのも、可笑しいからと言つて人前でゲラゲラ笑うのも見よいことではない。それらが正直な態度でないと言われても、腹の中まで見せてしまうのも恥しい。兎に角日本的な教養として、それが伝統的に国民の実生活にに板に着いていることは事実である。
こんな話がある……ある婦人が我が子の死に際して人々からねんごろにお悔やみを言われていたその時その婦人の表情は誠にもの静かで少しも動揺の色がない。しかしその婦人はテーブルの下で自分の扇子をズタズタに引き裂いていたという。その婦人と対面する態度と、我が喪える子に対する悲嘆の情とがよく判る。
さらにそれが完全に生活に溶け込んでいる実例は---まず落語や万才などで判るように、聴衆がだまつていれば、身ぶり手ぶりも可笑しく人を笑わせるが、今度聴衆が笑い出せば本人は笑っていない。むしろにがりつぶしたような顔をして、さらに笑いに拍車をかける逆効果もある。また詩歌の表現にしてみても、悲しい表現に直接悲しいという言葉を沢山ならべたところで良い作品は書けそうもない。却ってそういう言葉はなるべく使わないで全体の意味の上から悲しみの情を表現した方が内容の深さもあつて良いと思われる。
日本人の顔がお能の面のようだといわれるそのお能の面はあのお面で舞えば喜怒哀楽の情、総ての情趣に適応するお面なのであるという。笑えば笑つただけのギリシヤ的彫刻のお面より能楽面の方がさらに表現の深さを持ち作者の苦心が刻み込まれてあるといえるのである。
外来のジャズ・スウィング音楽の演奏態度を見るに、それは誠に正直な表現ぶりである。悲しみ深き表現には如何にも悲しげに、楽しき表現には如何にも愉快そうに、そしてまたうかれ出して演奏者までが踊り出したり、ときには常規を逸したドンチャン騒ぎの底抜け演奏もやりかねない。勿論日本在来のお神楽にも馬鹿踊りはあるが、笛、太鼓のお囃子連中までもが馬鹿さわぎはしていない。むしろお囃子連中の泰然自若たる態度に、踊る馬鹿の方がさらに滑稽になつてくる。
ジャズなどの影響で今後ながいあいだには日本人の表情も相当お上手になるかも判らない。
(田沼町作曲家)
須賀田礒太郎の雑文
終戦後、須賀田の「行進曲集」「通俗歌曲集」等の譜面の余白に、彼自身による多くの書込みがあります。これらの文章からは、終戦後須賀田が置かれた厳しい環境や世相に対する彼の考え、そしてその中で懸命に前向きに生きて行こうという様々な思いが伺え、興味深いものがあります。ぜひお読みください。
」一日数千円の売上げある露店商人あり、また一方生活力を失い餓死する者もあり、且つ又、此れを傍観する者もあり。戦後日本の現状は欧州の如く、百鬼夜行の混乱に至らざるも、国民の徳義心と生産活動の意欲とを喪失し、物心両面闇の有様である。---国民各自への幸福は来るか否!!----真の自由を束縛するものは我欲である。-----我欲に走る處には幸福が訪れぬ。-----苦難に耐え忍び、真面目に対応し且ツ将来への希望へ明るく朗らかに進む者のみへこそ、必ず幸福が訪れる。
此等 (註/この文章のこと) は作曲の解説と言ふよりは、作曲当時の世の有様を語り、此等通俗音楽を通ジて、多くの一般国民へ斯くありたいと願望を表したものである。
又、以下、標題は、あながち、曲想と具体的に一致して居るとは限らぬ。標題は曲想との相互援助として役立ツ次第である。
(昭和20年12月7日/「幸福のおとヅれ」no.1 楽譜余白の文章)
」政府は綜合インフレ対策を発表----支払制限、新円発行、手持現金強制預金----払出し額、世帯主は月に三百円、其他の家族一人にツき百円、-----三月三日には財産調査も開始される。-----困難を救ふための此の嵐には、働かざる者、生活不能なり。----国民皆労に拍車がかけられた----対策の効果は政府の施政能力と、国民の此れに対する協力にある。----好むと好まざるに依らず、働かざれば生命の保持が問題となる。----苦痛を貫く不満の労働では満足な成果は得られぬ。-----苦痛を貫く、喜びの勤労でなければならぬ。
(昭和21年2月20日/「勤労」no.2 楽譜余白の文章)
」資本家は自己の利権を護るため、其の生産は消極的、且つサボタージュに入るものもあり----。労働者は其の地位獲得と賃金値上げに、或は生産管理に入るものあり-----農民は米穀供出に不法ありと供出量に不満あり、肥料農機具を交換条件に至急配給せよと、-----政党は多数に別れて立ち、各々主義を主張して対立。----世の中は正に混乱状態である。何れも国家建設の意図に燃える力強い対立対抗ではあらうが、民主主義とは自分等だけの立場を満足することではない。自他供に立上がる事が出来ねばならぬ----。
(昭和21年3月5日/「建設」no.3 楽譜余白の文章)
」どうも、やり切れぬ国家情勢に政府は、おヅおヅと施政に強権を断行せんとする。国民の一部は人民を強圧するものなりと、民主主義に反するものなりと、此れに反対す。-----都会は特に帝都は、一週間分の手持食糧に政府の力の限りの善案に今月一杯
(3月) の食糧を獲保したりと、併し其の先は当なしとの悲惨な状態-----。マツカーサー司令部の米国へ対する、日本への必要量食糧編入の申請も、世界各国の食糧難より、其の量は多すぎると声あり。日本ばかりにそう、うまくはゆかぬ。半身不髄の日本には伝染病の恐るべき蔓延の実情あり。都市民の餓死の恐怖、全く楽観は少しも許せぬ処となツた。農村に於てすら食糧難は倒来
(註/ママ)して来た。----世は正に協力と言ふ事を忘れてしまツたかの観あり。-----此れを解決するものは人の情愛である------凡そ人の交りに於て真の純情を知るは此の苦難の時である-----。
(昭和21年3月20日/「友情」no.4 楽譜余白の文章)
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