須賀田礒太郎/今後の浄書譜作成予定 (2007.6)

 2007年7月、ナクソス「日本作曲家選輯」から、待望の須賀田礒太郎のCDがリリースされるなど、今後ますます須賀田への関心が高まって行こうとしています。私共では今後、須賀田の残した多くの管弦楽作品が改めて日の目を見る事を心から願いつつ、今日演奏するための浄書パート譜・フルスコアの作成を、須賀田家ご遺族のご了解をいただきながら、進めて参りたいと思っております。
 現在浄書作業に取りかかっている作品は、昨年神奈川フィルによる「須賀田礒太郎の世界」Vol.3のアンコールで演奏され、片山杜秀氏が絶賛した「関東」(1938) の全曲譜 (國民詩曲「東北と関東」作品5)と、1936年の黎明作曲家同盟受賞作である「前奏曲と遁走曲」作品3です。「前奏曲と遁走曲」は、深井史郎が「交響的舞曲」(1939年の新響邦人コンクール受賞作/現在直筆譜不明) より良い、と評しました。 
 また、須賀田がその最晩年に作曲した大作オペレッタ「宝石と粉挽娘」作品28 (1951) の、浄書パート譜作成を是非近い将来に果たしたい、と思っています。このオペレッタ「宝石と粉挽娘」は、現在須賀田作品の中で最も人気のある「沙漠の情景」作品10 (1941)の5曲が全て取り入れられているなど、たいそう親しみやすい内容を持っており、須賀田直筆譜の50年ぶりの発見に多大な貢献をされた田沼町の故・慶野日出子さんが生前、その再演に熱い思いを傾けられ、自費でピアノ・ボーカルスコアも完成されました。
 慶野さんの御遺志に報いるためにも、この魅力的なオペレッタを是非近い将来に再演させたい、と私は心より願っています。
                                                (2007.6 岡崎 隆)


須賀田礒太郎の問題作/絃樂四重奏曲第2番「無調風」(1946)、浄書譜完成 !!

     (2008.9)
 終戦の翌年・昭和21年 (1946年)にNHKから放送用に委嘱され作曲されたが演奏者から演奏拒否にあい、須賀田の生前には遂に演奏されなかった問題作=楽四重奏曲第2番「無調性」の浄書演奏譜が、このほど完成した。この作品については須賀田自身が詳しく述べた文章が残されているので、是非ご覧いただきたい。曲は無調で書かれているとはいうものの、構成等は極めて保守的で判りやすいものだ。今回の浄書譜完成により、この恵まれない作品が正当な評価を得る事を作成者は心から願っている。(譜例)


行進曲「皇軍」(1940)、浄書演奏譜完成!! (2009.5)

 須賀田礒太郎の行進曲「皇軍」の演奏用浄書スコア、パート譜一式が、このたび完成した。
昨年2月、浜松市のSP愛好家で現衆議院議員の城内実氏からこの作品のSP音源をお送りいただいて以来、私はずっとこの作品を演奏するための浄書譜面作成を果たしたいと願っていた。しかし田沼町の蔵から発見された自筆譜では、なぜか冒頭2ページと最終ページが欠落していたため、このほど愛知県立芸術大学出身の知り合いの作曲家に音源からの「譜面起し」を依頼、晴れて全曲の浄書演奏譜が完成したというわけである。
 この作品の演奏を実際に演奏したい、という方、是非メール (pasAma.medias.ne.jp /「A」をアットマークに変えて下さい。) をお寄せいただきたい。



須賀田礒太郎/「葬送曲・追想」(1941) 浄書フルスコア完成!!
(2006.5.3)

 須賀田礒太郎「葬送曲・追想」(1941) の浄書フルスコアが、このほど完成した。

 須賀田の直筆譜によれば、この「葬送曲・追想」の作曲年月日は昭和16年11月1日とあり、あの大平洋戦争開戦の直前にあたる。1年半後の昭和18年6月7日、山本五十六大将 (のちに元帥) の国葬の際に、この曲は演奏された。
従来この「葬送曲・追想」は、山本大将の葬儀のために作曲されたように思われていたが、日付けから明らかなように、既に完成されていたものを演奏した、というのが真実である。

 一体須賀田はどのようないきさつから、この作品を産み出したのだろうか? 私は強い関心を抱いていたが、最近須賀田の姪・黒澤陽子さんから、興味深いお話を聞くことが出来た。それによると須賀田には当時思いを寄せていた人がおり、その人が、病弱のため若くしてこの世を去ったというのである。この「葬送曲・追想」の作曲年代が、ちょうどその時期に当てはまるのだそうだ。
 残念な事に須賀田の生前の書簡等は、その没後親族らにより焼却されてしまったため、当時の詳しいいきさつを窺い知ることは出来ない。ただこの「葬送曲・追想」の譜面を見ると、その中間部に非常に流麗で美しい箇所があり、大軍人の葬儀には、やや似つかわしくない。(なお曲の最後に、西欧音楽の「アーメン」を明瞭に連想させる部分がある。「神国」だった当時の日本で、しかも大元帥の葬儀に際し、問題無かったのだろうか? と私は要らぬ心配までしてしまった。) それにタイトルに「追想」という単語をわざわざ付記している事からも、須賀田の死者に対する強い思いが窺える。
 おそらく須賀田は、思いを寄せていた人物を失った悲しみから、病むにやまれぬ気持ちで乱れる心を懸命に手繰り寄せつつ、この「葬送曲・追想」の筆を取ったのではなかろうか。中間部の、まるで青春を賛美するかのような流麗な旋律は、愛する人の余りにも短かった、まるで走馬灯のような人生の、淡く儚い残像なのだろう。こう考えると、この作品にとても親しみが湧く。

 曲は、引きずるような葬儀の足取りを思わせる、ゆったりとした旋律で始まる。随所に使用される沈鬱な不協和音は、死者を見送る人々の千々に乱れる心の内を窺わせるかのように響き、やがてコールアングレが哀感に満ちた調べを静かに奏でる。
 中間部では一転して曲は長調となり、ヴァイオリンのソロが故人の美しい一生を愛おしく振り返り、束の間の盛り上がりを見せる。ワーグナーの「タンホイザー」を思わせるヴァイナリン群のオブリガートをはじめ、三管編成に多数の打楽器、そしてハーブ2台まで駆使した須賀田のオーケストレーションは多彩を極め、まことに素晴らしい。 が、その調べは低弦の呻くような響きとティンパニーの荒々しいクレッシェンドによって突如中断されてしまう。この部分の不気味さ・悲しさは痛切の極みだ。
そしてまた冒頭と同じ葬列のテーマが回想され、「アーメン」を連想させるコラールで静かに曲を閉じるのである。
 この「葬送曲・追想」は、公的な人物の葬儀のための「機会音楽」ではなく、愛する人を失った須賀田の内的な慟哭から、まるで突き上げられるように自主的に産み出された作品である事は、ほぼ間違いない。須賀田の全作品の中でもこの「葬送曲・追想」は、抒情性・内的充実感といった点で抜きん出ており、是非近い将来の再演を願うものである。
                                         (2006.5.3 岡崎 隆)

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須賀田礒太郎
ピアノ三重奏のための「サラセン舞曲」(1947) 浄書楽譜完成
「東洋の舞姫」(1941) /ヴァイオリン+ピアノ編曲版完成 (2006.2)


 いまや須賀田礒太郎のテーマとも称される「東洋の舞姫」(組曲「沙漠の情景」第4曲/1941)を、作曲者自身がアレンジした、ピアノ三重奏 (Vn. Vc. P) のためのサラセン舞曲 (1947)の浄書スコア、パート譜がこのほど完成した。併せて昨年 (2005年) 7月に横浜市旭区のサンハート・ホールで行なわれた杉本裕乃ヴァイオリン・リサイタルのアンコールで演奏され、好評を博した同曲のヴァイオリンとピアノのための編曲版も、この「サラセン舞曲」の譜面の多くを取り入れた新たな浄書譜がこのほど完成した。 (編曲/岡崎 隆) 須賀田自身この「東洋の舞姫」については、たいそう思い入れがあったようで、自身の手で吹奏楽曲 (タイトルはやはり「サラセン舞曲」) にも編曲している。また1951年の大作・オペレッタ「宝石と粉挽き娘」の中でも、前記「沙漠の情景」の他の4曲とともにこの「東洋の舞姫」を新たに編曲して挿入している。
 2004年、神奈川県立音楽堂で行なわれた須賀田礒太郎コンサートVol.2でこの「東洋の舞姫」が演奏された時、聴衆の多くがそのノスタルジー溢れる美しいメロディーを耳にし、涙を流した。かく言う私もその一人である。「このところずっと疲れていたのです・・・でも、このコンサートで、あの曲に出会えて、よし、明日からまた頑張って生きて行こうという、という気持ちになりました」と語っていた人を私は知っている。
 願わくばこの隠れた名曲を、一人でも多くの人に聴いて欲しい。そして演奏の出来る人は、どんな楽器でもいい、ぜひ私の方に楽譜の問い合わせをして欲しい。 いつでも大歓迎である!! (岡崎 隆)


「木曾節パラフレーズ」(1951) 浄書楽譜完成 !!

(2005.5)


 このたび私は、須賀田礒太郎が昭和26年 (1951年)に作曲した「3つの日本舞踊音楽」作品27の第1曲「木曾節パラフレーズ」の浄書楽譜を完成した。「3つの日本舞踊音楽」は「木曾節」、「安来節」、「かっぽれ」の3曲からなり、それぞれにパラフレーズのタイトルが添えられている。3曲目の「かっぽれ」は2002年9月に「須賀田礒太郎の世界」第1回コンサートの際、アンコールとして演奏され好評を博しているが、この「木曾節」も須賀田独特のウィットに満ちた編曲がまことに斬新で、その恐ろしいまでの通俗性は聴きものだ。是非一刻も早い演奏を期待したいと思う。    (岡崎隆)

須賀田礒太郎の自筆楽譜、そのほぼ全貌が判明 !!

(2004.12)


 50年ぶりに栃木県田沼町・吉水の蔵から発見され、その後長く田沼町で保管されていた須賀田礒太郎直筆譜のすべてが、このたび須賀田ご遺族・黒澤陽子氏のもとに移されました。
そこで私 (岡崎隆) はこの12月初頭、その直筆譜の全貌を3日間かけ調査させていただきました。
 その結果、発見直後に田沼町で刊行された全集では抜けていた部分や、未収録の曲、数多くの習作(交響曲等を含む)・スケッチなどが新たに見つかり、またNHKアーカイヴスに保存されていた行進曲などの譜面を加えて、その作品のほぼ全容が明かとなりました。交響曲をはじめとする大曲からオペレッタ、室内楽曲、歌曲、吹奏楽曲からピアノ独奏曲に至るまで、その数は80曲にも及びます。
 詳しい内容につきましては、順次このHPで公開してまいります。

どうぞご期待ください !!