「ひたすらないのち〜高田三郎コンサート」の思い出やら、いろいろ」


       (2006. 3)               岡崎 隆

 3年ほど前のことでしょうか。指揮者・小松一彦氏から「高田三郎先生の管弦楽曲の演奏用楽譜を作って欲しい」という電話をいただきました。実は私の本職は名古屋フィルのコントラバス奏者なのですが、昔から楽譜を作るのが大好きで、今は本業の傍ら「戦前を中心とした日本の作曲家の作品の演奏譜作成」をライフワークとさせていただいており、その関係から小松氏とは旧知の仲でだったのです。私は一も二もなくこのご依頼をお引き受けしました。それが今回のコンサートで初演された高田氏の遺作「管弦楽のための五つの民俗旋律」です。
 その後、今回のコンサートで演奏された「水のいのち」や、「ミサ曲」をはじめとする全てのオーケストラのための演奏用楽譜を作成させていただくこととなりました。作成は困難を極めましたが、今思えばたいそう楽しい作業でした。

 南山大学で合唱とオーケストラとの最終練習に立ちあわせていただいた時の事です。「水のいのち」という名曲を通じて、合唱団・オーケストラメンバーの心が次第に一つになって行きます … やがて「海よ」のクライマックス、「おおーーー」… 何と云う圧倒的な迫力!!  私は全身に鳥肌が立つのを感じました。すぐに手元の携帯で東京の高田留奈子様に電話しました。この歌声を留奈子様に、電話ででもぜひ聴いていただきたい、と思う一心で。
「おれは、何とクサい事をやってるんだろう…」気恥ずかしい思いがふと胸を過りました。しかし電話口から「素晴らしいですね」留奈子様の弾んだ声が … 私は胸が一杯になりました。
そもそも私はオーケストラ界の人間で、合唱の世界のことはあまり知らなかったのですが、きっとあの「おおーーー」が歌いたくて、皆集まるんだろうな、ということが分かったような気がします。

 もうひとつ、高田三郎氏について忘れられない、ちょっと恐いエピソードをご紹介したいと思います。高田氏の自筆譜を調査するために、東京・渋谷のNHKアーカイヴスに行った時のことです。広大な保管庫から、高田氏の自筆譜が次々と引き出されて来た時の感動を、私は今も忘れられません。この時に発見出来たのは、以下の5曲です。

組曲「季節風」 (1942)、ヴァイオリンと管弦楽のための譚詩曲 (1944)、舞踏組曲「新しき土と人と (原題=新しき泰) 」(1945)、狂詩曲第1番「木曾節」 (1945)、狂詩曲第2番 (1946)

 私はこれらの自筆譜をお借りし、ホテルで改めて自筆譜を丹念にチェックさせていただきました。鉛筆で丁寧に書き込まれた譜面からは、作曲者の誠実なお人柄が伺えます。
「これらの作品を絶対、現代に再演させよう ! 」
そのための演奏用パート譜の作成を、私はあらためて心に誓いました。
 その夜のことです。ベットで眠りに付こうとしていた私は、窓の外に何とも言えない「気」のようなものを感じました。やがてその「気」は、静かに私の枕元に近づいて来るではありませんか。
「ああ…高田先生が来ている」何の疑いもなく、私はそう確信したのです。やがて小さな、だがしっかりとした声が聞こえました。(ような気がしました)
「よろしく頼むぞ…」
いつしか私の全身は硬直し、両手は汗びっしょりになっていました。しかしなぜか、恐ろしいといった気持を感じませんでした。
 この出来事を後で、高田留奈子様にしたのですが、留奈子様は「ああ、あの人はお世話になった方のとこへ、ちょくちょく行くみたいですよ」と、あっけらかんとした口調で言われビックリ。何でもつい最近、高田氏の軽井沢の別荘のベランダで遠くを見つめている高田氏の姿を見た、という人がいるのだとか…。
「それでは先生は、奥様のところへはしょっちゅう来られるのでしょうね」と私が申し上げると、留奈子様は静かにこう言われました。
「私のとこへは来ません。だって主人は、いつも私の中におりますもの」

 もう一つ、不思議な話を聞いて下さい。今回のコンサートが終った数日後、私は変わった夢を見ました。「水のいのち」管弦楽伴奏版を高田氏の指揮で、私はオーケストラの一員として演奏しているのですが、なぜか合唱団のど真ん中でコトラバスを弾いている私。「今日は変わった場所で弾かされてるなぁ」と思う間も無く、高田氏が突然指揮を止められ「違う、違う! ソプラノっ!」と大声で怒鳴られるではありませんか。「せ、先生。本番中ですよっ」そう言おうとして、私は目が醒めました。
 この夢のことも後日、留奈子様にお話しました。すると、
「岡崎さん、それは正夢ですよ」と言われ、またまたビックリ。
「きっと主人はこう伝えたかったのでしょう。『見なさい、これを見なさい』の部分で、オーケストラ伴奏だとソプラノがよく聞こえない。それで『ソプラノ、ソプラノ、もっと出すように! 』と言ってたのでしょう」
なるほど…そういう事だったのか。私は妙に納得してしまいました。
留奈子様のお話はきっと、いつも一緒におられる高田氏自身のメッセージだったのかも知れません。



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