小林研一郎/ブルックナーの世界(1)


 炎の指揮者・小林研一郎がついにブルックナーに初挑戦!!
「ブルックナーは死ぬまで振らない」(宇野功芳氏・談)と宣言されていたという小林氏が、見事に前言を翻し、いきなりブルックナー交響曲の中でも最高峰と言われる「第8」を名門チェコ・フィルとレコーディングされたのですから、ファンとしては到底見逃すことは出来ません。
 その演奏は期待に違わぬ、いやそれ以上の素晴らしさです!! (詳しくは後述のCD試聴記をぜひご覧ください)
 なお小林研一郎氏は2003年5月に日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会での「第8」で、我が国でのブルックナー・デビューを果たされました。このコンサートは私も聴かせていただいたのですが、たいそう心暖まる、素晴らしいコンサートでした。
 2003年7月にはチェコ・フィルとのブルックナー第2弾・「第7」がリリースされました。
私は今後、小林研一郎氏がより積極的にブルックナーを取り上げられる事を願ってやみません。このHPではそうした願いを込め、今後小林氏のブルックナーを継続して取り上げてまいります。

筆者から/最近、このコーナーを読んで下記のCDを買ったという方がおられることを知り、とても感激しています。先日そのことを小林氏に話したところ、「そうですか!! どうかこれからもじゃんじゃん書いてください」と言われました。(2003.2.17)

その1/ブルックナー=交響曲第8番
  小林研一郎/チェコ・フィルハーモニー交響楽団
  (EXTON/OVCL-00076)

  
 (CD画像は、Octavia records様のご好意により転載させていただきました) 

 小林研一郎氏がブルックナーを指揮し、CD録音する!!  しかも「第8」を・・・。
この衝撃的なニュースを私が知ったのは昨年のちょうど今頃、とあるレコード雑誌のインタビュー記事によってであった。
 小林氏がブルックナー・・・? 最初は誰もがいぶかしく思った事だろう。
はたしてどんなブルックナーになるのだろうか。 ひょっとしてミスマッチでは?
伝説の巨匠・フルトヴェングラーでさえ、そのブルックナー演奏に対する批評は厳しい (特に我が国においては)。ひょっとしたら小林氏は、その得意とするチャイコフスキーばりに主情的なアプローチでブルックナーに取り組むのではないか、と私は一瞬危惧し、いやそれならそれでも面白いんじゃないか、とも思った。しかしもしそうだとしたら「ブルックナーの音楽は、決して主観的にいじくりまわしてはならない」と信じ込んでいる多くの正統的ファンから、間違いなくブーイングを喰う事だろう。

 このように私が様々な想いを抱いていたちょうどその頃、小林氏は私のオーケストラ (名古屋フィル) に来演された。これはまったくの偶然なのだが、私はどういう訳か練習場のエレベーターなどで、バッタリと氏と二人きりで出くわす機会が多い。本当に不思議だ。(ひょっとしたら、氏は私の事をストーカーと思っておられるのではないかと、密かに危惧するくらいだ。たしかにファンではあるのだけど) 
 この時も、果たしてエレベーターのそばで、小林氏と出会ってしまった。
私は喜色満面で氏に話しかけた。
「先生、こんどのブルックナーの8番、期待してますよっ」・・・
するとどうだろう。小林氏は「ヒェーッ」と、何かとても恥ずかしいことを知られてしまった時のような声を出され、逃げるように私の近くから去られたのだ。
 これで私は、ますます小林研一郎のブルックナーが楽しみになったのは言うまでもない。

 さてそれから待ちに待つこと一年、レコード雑誌9月号の裏ページ全面に「小林研一郎のブルックナー/交響曲第8番」の広告が踊った。私はただちにCDショップに駆けつけた。普段はもっぱら輸入盤の、しかもバジェット物専門の私にとって、レギュラー価格でしかも2枚組みの国内盤を購入するのは本当に久しぶりであった。でもなぜか「ああ・・もったいない」という気がしなかったのは、自分自身とても不思議だ。
 ブルックナーを聴くには自然がよく似合う。私はオーケストラの仕事が早く終わったこともあって、わざわざ寄り道をしながら、このCDをカーオーディオのスロットに入れた。

 ・・・なんと素晴らしいブルックナーだろう・・・

 曲のどの部分をとっても小林氏の「気」というか、細やかな想いに満ちあふれており、意味を持たない部分など、まず皆無なのだ。これは90分を超えるこの大曲を演奏する場合、驚異的なことと言わざるを得ない。先に記した小林氏のブルックナーに対する私の浅はかな危惧は、聴きはじめてすぐに消し飛んだ。
 冒頭の暗く重々しい低弦の動機からフィナーレの最後のユニゾンに至るまで、小林氏のブルックナーの音楽に対するアプローチはきわめて明確で、強い説得力を持っている。 これはチェコ・フィルという超一流のオーケストラであったからこそ、はじめて可能であったと言えるかも知れない。
 一例を挙げよう。例えば金管群・・・世界のトップ・クラスのオーケストラがブルックナーを演奏する場合によく犯してしまう、アタックが強く無機的でうるさいコラールがここでは皆無で、つねにやわらかく荘重な響きを持っており、これが曲想の表出に大いにプラスになっている。 またティンパニーも場所に応じて、音の種類の硬軟を見事なまでに使い分けている。オーケストラ全体の和音を支える部分はピッチを表出すべくあくまで柔らかく、また終楽章冒頭などのソリスティックな部分は、目一杯固く強打するなど・・・これは小林氏の指示というよりは、オーケストラ自体の長年にわたるブルックナー演奏の歴史の賜物と言えるのではないか。 また弦楽器群もすこぶる好調だ。とくに第3楽章でのヴァイオリンやチェロの積極的な歌い方はどうだろう。心からの共感が端々から感じ取られるカンタービレなのだ。
 もちろん曲中には小林氏独自の解釈も含まれている。その最たるものが低弦のトレモロの部分で、音の変わり目にひとつづつアクセントを付ける箇所など初めはビックリさせられるが、何度も聴くうちに妙に納得させられてしまう。これは自身作曲家でもある小林氏の視点によるものなのだろう。
 
 もしこの演奏について唯一注文をつけられる可能性があるとしたら、それは細部に十二分に気を配られたことにより、全体の流れがやや慎重に感じられる (とくに第1楽章) 点だろうか。この演奏を聴いて「ブルックナーの音楽はもっと自然に流れるべきだ」というファンが、ひょっとしたらいるかも知れない。 しかし私は、それでは小林氏のブルックナーではなくなる、と思う。 ここで正直に白状してしまうが、実は私は3日に一度はブルックナーを聴かなければ、それこそ夜も日も明けないという「ブル・キチ」で (もちろんレコードやCDが主なのだが)、これまで過去の巨匠から現代の若手に至るまで、ありとあらゆる演奏を聴いて来た。 小林氏のブルックナー演奏にはどのフレーズにも「気」があり、命が通っている。 このようなブルックナーは、フルトヴェングラーの「第6」の第2楽章、ムラヴィンスキーの「第9」の終楽章以外に、今私にはちょっと思い浮かばない。
 
 ところで、私はブルックナーの音楽とは、基本的に「老人の音楽」であると思っている。
最近若い指揮者が安易にブルックナーを振りたがる傾向があるが、どうかやめてくれと言いたい。 
ブルックナーの音楽とは、好いた惚れたといった人生の快楽期がいつしか遥か彼方の走馬灯のようにしか思い出されなくなり、目はかすみ耳は遠くなり、また足腰は弱り果てて、だんだんと迫り来る死を現実に近いものとして認識せざるを得なくなったその時に、はじめて心から共感出来る種類の音楽ではないだろうか。
 世界最高のブルックナー指揮者として、今日誰もが絶大な賛辞を惜しまないあのギュンター・ヴァントも、1980年代にN 響に来演した頃の「ロマンティック」などを聴くと、まことに神経質で器量の狭い演奏である。その後のケルン放響とのCDもいまひとつだ。 それが老化によってだんだん明確な指揮が出来なくなって来たのに、それとは逆にヴァントのブルックナーは、ますます輝きを増していったのである。
 それはなぜだろう?
思うに、ヴァントは年を取るにしたがい、明確なアインザッツのかわりに、あの鋭い眼光や限られた体の動きに最大限の意味を持たせることにより、それぞれのフレーズの持つ意味を、棒で示す何倍ものインパクトで楽員に伝えたのではないだろうか。 その姿勢が楽員の共感と「その気」を喚起し数々の名演を生み出したように、演奏者である私には思えて仕方がないのである。
 指揮者の役割とは、決して正確な拍子を取って曲の形を揃える事ではない。 極端な事を言ってしまえば、今演奏されようとしている音楽が、一体どのような音楽なのかという事を、その全身を使って楽員に伝え、その最大限の能力を引き出すことこそが、本当の指揮者の役割ではないだろうか。
 小林研一郎氏は、そうしたオーラを持つ、現代では数少ないマエストロのひとりなのである。

 その小林氏が、還暦を過ぎたこの時期にブルックナーの、しかも彼の交響曲中最高峰とも言われる「第8」を取り上げられたことに、私はある種の感慨を禁じ得ない。 小林氏はどちらかというと、限られたレパートリーを大切にするタイプの指揮者である。 恐らく氏は、ブルックナーの音楽に心から共感出来るようになるまで、自分の中で大事に大事に暖めて来られたのではないだろうか。
そうでなければ、これほど曲の細部まで気配りの行き届いた充実した演奏など、そうそう出来るものではない。

 (小林氏のサイン入りCD)

 私は一人でも多くの方に、この演奏を聴いて頂きたいと思う。
「心から出ず。ゆえに心に入らんことを」という楽聖ベートーヴェンの言葉がしみじみと実感出来る、ほんとうに久しぶりの演奏である。

 なお小林氏は来年、引き続きチェコ・フィルと「第七」を演奏することが決まっており、その後も「第九」や「ロマンティック」がプログラムに上る可能性もあるとの事である。
今後日本のオーケストラとのブルックナーの演奏の可能性も考えられ、興味は尽きない。

                岡崎隆 (名古屋フィル/コントラバス) (2002.8.29)


お知らせ/このたび本ページが小林研一郎氏公式ホームページとリンクをしていただけることになりました。「世界のコバケン」情報満載の下記HPに、ぜひアクセスしてみてください。(2003.5.27)

小林研一郎/ブルックナー=交響曲第7番

小林研一郎氏/公式サイト

 小林研一郎/「フィンランディア」の思い出


朝比奈 隆/名フィル/ブルックナー「第8」のこと


 最後に、昨年暮れ逝去された朝比奈大先生が1980年代の初め頃に、名古屋フィルに来演されてブルックナーの「第8」を指揮された時のエピソードをひとつ、ご紹介したいと思います。
 2日目の練習の時だったでしょうか、ああ何とした事か・・・私は練習時間を間違え、遅刻してしまったのです。息せき切ってようやく練習場の入り口にかけ付けた私の耳に、これまで聴いた事もないほど美しい調べが・・・。(大体、遅刻した時っていうのは、「え? これがオレのオケ?」と疑うくらい、すごく上手く聴こえるものなのですけどね)
それはブルックナーの「第8」の、そう、あの天上のアダージョとも呼ばれる、第3楽章の冒頭部分でした。
コソコソと自分の楽器を出し、演奏に加わる私。
やがて曲はクライマックスを迎え、弦楽器の、あの神々しいばかりの一番美しい部分が・・・
(こう書けばブルックナー好きの方なら、どの部分かお分かりですよね?)
そのときです。朝比奈先生はとつぜん指揮を中断し、何も言わずじっと下を向いてしまわれました。
(何か気に入らない部分でもあったのだろうか?)
私たちがためらったその時、先生は静かに、絞り出すような声で、こう言われたのです。
「皆さん、これが・・・これがブルックナーの音楽なのです」
先生の目には、うっすらと涙が・・・。

その後私は、控室の先生に遅刻の件を謝りに行きました。
「ほう、君はわしと同じ名前なのか」
先生は笑顔でそうおっしゃると、何と色紙にサインまでしてくださったのです。

あの村松ホールでの至福のひとときを、私はみずからの失敗も含め、今も忘れる事が出来ません。

 ちなみにこの演奏会の演奏は高く評価され、ライブ録音も名フィルに残されています。
将来フルトヴェングラーの未発表録音のように話題になる可能性あり?


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