まさよしの千夜一夜物語      

この物語はフィクションであり、山崎まさよし氏及び実在の人物団体とは関係ありません       

 

第12話〜第18話  第19話〜第25話 第26話〜

 
プロローグ 囚われのミュージシャン

 むかし、あるところに囚われの天才ミュージシャンがいました。来る日も来る日も、やれTVの収録だCMの打合せだ雑誌のインタビューだと自由な時間がありません。3年前、彼が田舎から都会に出てきたときの夢は俺の歌がCDになるといいなという漠然としたものでした。彼の歌は人を惹き付けるものがありました。音楽産業界のドンが見過ごすはずがありません。たちまち、手下を遣わし、契約を取り付けてしまいました。彼の好きな歌は存分に歌えるし、彼の歌はいくらでもCDにしてあげるよというのでした。そのかわり、十年間はその会社のいうとおりに働かなければいけません。彼はなんていい人達だろうと思い、いそいそとサインしてしまったのです。

 たちまちのうちに彼と彼の歌は有名になりました。街を歩いていてもワーと人がたかり、指をさされ、名前を呼び捨てにされ、まるで珍しい生き物を見るような扱いでした。毎日が息苦しく、羽を伸ばす暇もなく、頼れる人もいません。

 そんなある日、彼はベランダから月を眺めていました。昔も今もあの月は変わらないのに、俺は変わってしまったなあ。ああ、もう一度自由になりたい。すると、どこかから小さな声がしました。「自由にしてあげるよ。」えっ。驚いて辺りを見まわしましたが誰もいません。「ここよ。」声のする方をよく見ると、いっぴきのスズムシがいました。「私はいつもあなたの歌を聴いてなぐさめられたわ、お礼に千日の間だけ自由にしてあげましょう。」えっ、そんなことができるの?「できますとも。今から社長のところに出かけるわ。私が相手をしている間好きなところへ行ってて、好きに暮らしていいのよ。」君は何者なの?でも、ありがとう。じゃ、千日経ったら戻ってくるよ。
 
  彼がギターと小さな荷物をまとめドアから出ようとすると、そこには、それは美しい女の人が待っていました。「それでは、元気でね。」さようなら、ありがとう。まさよしは行き先も告げず出ていきました。

 

 

第1話 社長の部屋

 レイコは社長のところへやってきました。通された部屋は広々としていてふわふわの絨毯にどっしりとしたマホガニーの机、壁にはなぜかビートルズの大きな写真。反対側の壁にはオ―ディオの機材がいくつかあるのと飾り棚。窓辺にはギターが一つ。他には何もありません。花瓶すら見当たらない殺風景な部屋でした。
 
  社長は天井に頭がつかえるかと思うような大男でした。横柄な態度の影に、甘えたいような寂しさが隠れているのをレイコは見落としませんでした。「お前はいったい誰なんだ。昨日からまさよしの行方がわからないんだが、お前が何か知っているというんだな。」私はレイコ。昨日までスズムシだったの。その前は・・・ヒミツ。まさよしはしばらくしたら戻ってくるわ、安心して。戻ってくるまで私が人質よ。毎晩あなたの相手をしてあげる。「お前なんかなんになるというんだ。早くまさよしの居所を教えるんだ。」行き先は私にもわからないの。でも、必ず戻ってくるわ。
 
  社長はワケの分からないまま女をそのままにしておき、手下にまさよしを探すように伝えました。社長が部屋に戻ると、レイコはまだいました。「もう、帰っていいよ。」いいえ、私はまさよしと約束したの、あなたの相手をするって。「そうかい。それじゃ、酒の相手でもしてくれるか。」 社長は飾り棚の中から、ブランデーの瓶とグラスを出しました。ありがとう、いただきます。「君は誰かに似ているな。僕の昔の知り合いのようだ。」いいえ、私は初めてよ、あなたに会うのは。

  でも、あなた似ている人を知ってるわ。もっと若い人。山小屋にいたの。私が一人で山に登って浮石を踏んで足をくじいたとき、助けてくれたの。あなたみたいに大きくて力持ちで何でも知っていてやさしかった。その小屋には1月もいたの。足が治ったら二人で周りの岩場や谷川に出かけて楽しかったわ。その人は家のことは何も言わなかったから家族がいない人かと思っていたの。私も両親がいなくて一人ぼっちだったから、私には彼しかいないように、彼にも私しかいないと思っていた。山の麓の小さな教会で結婚式をしたの。何も衣装がなかったけど、彼がその日の朝取ってきた山百合を髪に飾ってくれて、私はとても嬉しかった。一年たって赤ん坊が産まれたの。かわいい男の子よ。彼はとてもかわいがってくれたわ。よく肩車をして小屋の前を歩いたわ。やっと、あの子が「とうたん」っていえるようになって、ある日、突然あの人はいなくなったの。町へ行ってくるって。どうやら、あの人には許婚者がいたらしいの。親の決めた人。お父さんという人から手紙が来たの。毎月お金を送るから身を引いてくれって。その人の親に義理があるみたいだった。「その子は大きくなっただろうね。」いいえ、山に雪が降るころに肺炎になってあっけなく・・・。私はまた独りぼっちになって、お月さまに頼んだの。もう、人間はいやだって。あら、どうしたの変な顔して。気に障ったかしら。あ、もうこんな時間。ごちそうさま、また明日来ますね。さようなら。

  窓辺に立って外を向いていた社長がレイコの方を振り向きました、が、そこには誰もいませんでした。彼は飾り棚の中から一冊の詩集を取り出し、挟んであった一枚の写真を見つめました。そこには山小屋の前で赤ん坊を肩車している若い頃の彼がいました。

 

第2話 岸辺

 まさよしはNYの安ホテルにいました。日本を立って、もう一週間経っただろうか。みんな、大騒ぎしているだろうなと思いながら、気持ちの良いのびのびした時間を過ごしていました。目抜き通りを歩いていても誰も振り向きません。小さなレストランで食事をしていても指をさされることもありません。彼はやっと一人に戻れたのでした。
 
 街に少し慣れてきたので、今日は遠出をしてみようとバスに乗りハドソン河の岸辺に降りました。小春日和の日差しが暖かい午後でした。広々とした景色を眺めながら芝生に寝転びました。
 
 いつの間に寝てしまったのでしょう、何か温かいザラザラするものが額を舐めたので、まさよしは目を覚ました。目を開けてみると、それはなんと、ブタでした。なんでこんなところにブタがいるんでしょう。そのブタは少し痩せていましたが、りっぱな首輪をしていました。どこかで飼われていたに違いありません。まさよしは、人恋しくなり始めていたところだったので、その迷いブタに話しかけました。 「おい、お前どこから来たんだ?名前はあるのかい?」ブタの首輪には 《ビリー》 という文字が読み取れました。「ビリー、お前腹へってるのか?」「ブヒッブヒッ」どうやら、空腹のようです。「ちょっと、待ってろよ。」まさよしは近くの屋台でハンバーガーを二つ買いました。「ほれ、お前の分。」一つをビリーにやり、自分も一つかじりましった。ビリーは、あっというまに平らげてしまいました。「そんなに腹減っているのか。俺の分もやるよ」と、自分の食べかけをやりました。ビリーは嬉しそうにパクつきました。
 
  さ、帰ろうかな。まさよしが歩くとビリーも歩きます。まさよしが立ち止まるとビリーも止まります。まさよしが駆け出して木に隠れると、ビリーはうろたえ周り地面の匂いをかぎます。顔を出してビリーと呼ぶと短い足を懸命に動かして全速力で駆けて来ます。そして、まさよしの足元をぐるぐる回るのです。「おい、お前のうちどこなんだ。いいかげん帰れよ」「お前家出でもしたんか?うろうろしてると、ポークステーキにされちまうぞ。」それでも、ビリーは付いてきました。「それじゃ、俺と暮らすか?」「ブヒッブヒッ」

この時からビリーはまさよしの家族になりました。バス停の側に 『訊ねブタ、ビリー』 の張り紙があったのに気がつかないまさよしでした。

 

第3話 ビリーとメグ

 

 メグは捜しまわっていました。ビリーが行方不明なのです。いったいどこに行ったのでしょう。「やっぱりNYなんかに来るんじゃなかったわ。」メグは先月田舎から出てきたばかりの18歳の娘でした。歌が大好きで、いつか認められ、晴れ舞台に出たいと考えてNYに来たのでした。メグには両親が居ません。叔母の家で小さい弟と二人面倒を見てもらっていました。
 
  叔母は面倒見のよい人でした。メグを実の娘のようにかわいがってくれました。でも、メグはそれに甘えるわけにはいかないと思っていました。「いつか、きっと叔母さんに恩返ししなくちゃ」それには、こんな田舎にくすぶっていてはいけない。都会に出てチャンスを掴んで有名にならなければ。一途にそう思い込んで、周りが止めるのも聞かず、ハイスクールを出たらすぐにこの都会に出てきたのでした。NYには遠い親戚がコーヒーショップをやっていました。ちょうど、手伝っていた子が結婚して止めたので、メグが来てくれてよかったのです。
 
  ビリーは赤ん坊の頃からメグの親友でした。メグのいうことはなんでもわかるとても、利口な豚でした。ビリーと離れるのはどうしても嫌だったので、連れてきたのでした。よく散歩にも連れて行きましたが、田舎育ちのビリーにはこの街は好きになれなかったようです。食欲も落ちてきました。コーヒーショップが休みのある日、メグはビリーを連れてハドソン川沿いの公園にやってきました。広々とした場所でビリーは走り回っていました。メグが遠くからビリーを呼びました。「ビリー、おいでー。もう帰る時間よ。」
 
  ビリーは帰りたくありません。この広い場所がお気に入りです。メグがそこまでやってきても、物陰にじっとしていました。暗くなってきました。メグは泣きそうです。しかたなく、『訊ねブタ、ビリー』の張り紙を公園のバス亭に貼ってアパートに帰ってきました。
 
  ビリーは一晩公園のベンチの下で過ごしました。朝起きたら、お腹が猛烈に減ってきました。しかし、食べ物はありません。家出はしたものの、心細いのです。すぐ後悔しました。とにかく食べ物食べ物。おや、こんなところに人が寝ているぞ。なんか幸せそうな顔をした奴だなあ。よし、起こしてやろう。 それが、まさよしだったのです。
 

 

第4話 雪ん子

 

 レイコは今晩も社長の部屋にいました。いくら捜しても、まさよしは行方がわからず、社長は諦めかかっていました。いつのまにか季節は冬になっていました。窓の外はうっすら雪景色で、群青色の闇がほの白く浮き上がっています。

  社長さん、私この部屋が好き。何も無いけどなんか落ち着くの。それに暖かいもの。こうやって、暖炉の火を見てるのと心もあったまってくる。もう、すっかり冬ね。
 
  社長さん、去年のツアーの時、まさよしが行くところ行くところ大雪だったでしょ。なんで、まさよしが行くと雪になるか知ってる?それは、雪ん子のしわざなの。あのね、山崎は雪ん子に選ばれた歌うたいなのよ。
 
  雪ん子は、踊りが大好きなの。踊らないと眠ってしまうの。死んじゃう事もある。だけど、踊るためには歌が必要なの。それも、とびきりの歌じゃないと上手く踊れないの。自分たちでは歌えないから、人間の中から10年に一度だけ、その年一番雪を降らせた雪ん子が 、自分たちのために歌を作って歌ってくれる人になる赤ん坊を選ぶの。そして、とびきりのいい歌を作れるように、魔法をかけるのよ。赤ん坊は健康に育ち、しなやかな身体と強い喉を持ち、一度聴いた音楽は覚えてしまうし、そっくりに真似て歌うこともできる。どんな楽器でもすぐに弾けるようになるし、何よりも歌っているのが大好きで、言葉で伝えるより歌う方が得意という人間になるの。そして、あの日生まれたまさよしを選んだのがあの雪ん子、ほら、あの枝に座っているでしょ。真っ白い服を着て、真っ白い帽子をかぶって、かわいいでしょ。友達や兄弟も連れてきてるわ。えっ、見えないの?
 
  今年も天から降りてきて、まさよしはどうしたの?と捜しているの。社長さん、そろそろ教えてあげましょうか。彼は今NYにいるの。驚いたでしょ。捜しても見つからないはずよ。日本にはいないの。NYで何をしているかは知らないわ。でも、ブタといっしょに暮らしてるって、北風が教えてくれたの。 あっ、雪ん子に聞こえたのかしら。慌ててみんな飛んで行ったわ。

 社長はレイコの話が本当かわかりませんでしたが、なんだか信じたい気がしました。そして、次の日、いちばん信頼しているTという男をNYに発たせたのでした。

 

 

第5話 ビリーの事故

 

  まさよしはビリーと暮らすためにちょっとしたアパートを借りました。その家主さんは動物好きだったので、ペットを飼ってもよかったのでした。ビリーはすっかりまさよしになついていました。でも、心の隅にはいつもメグのことが引っかかっていたのです。あんなに優しかったメグ。あんなに仲よしだったメグ。今ごろどうしているんだろう。時々ため息をついているビリーを見て、まさよしは訊いてみました。「おい、ビリー、お前の飼い主はNYにいるんか?」「ブヒッ」「帰りたいんか?」「ブヒ」「でも、どこに居るかわからんしなあ。もう一度ハドソン河に行ってみるか。」一人と一匹はバス停に向かいました。「腹へったなあ。おい、あそこのコーヒーショップで何か食うか。」
 
  ビリーは、鼻をくんくんいわせました。ああこの匂い、メグの店の匂いだ。まさよしが道路を渡ろうとするより先にビリーが駆け出します。と、その時スピードを出して走ってきた車がビリーに気づきません。ビリーも夢中で車が目に入りません。「ドン」鈍い音がします。車は急ブレーキをかけましたが、ビリーを5mも跳ね飛ばして知らん顔して去っていきました。まさよしは駆け寄りました。「おい、ビリー、ビリー」ビリーは足から血を流していましたが、まだ息をしています。早く病院に連れて行かんと。まさよしはそのコーヒーショップに飛び込びました。
 
  「電話貸してください。僕の友達が車に轢かれたんです。」日本語で叫んでいたが身振り手振りでなんとか伝わったようだ。「私が救急車を呼んであげるから安心して」可愛いウエートレスが電話してくれました。そして、早く怪我人を見てあげなくちゃと一緒に外に出たメグは、自分の目を疑いました。あんなに捜していたビリーが、身体から血を流してコーヒーの入っている麻袋のように動かないではありませんか。
 
  「ビリー、ビリー、しっかりして!ビリー!」名前を知らないはずなのに、泣きじゃくりながらビリーを抱いているこの少女は誰なん?そうか、この子がビリーの飼い主だったんか。だから、駆け出したんや。全てに納得したまさよしでした。
 
  救急車は怪我をしたブタと付き添い二人を連れて病院へと走り去りました。

 

 

第6話 祭り

  Tは飛行機の中にいた。タバコが吸いたい。まさよしは本当にNYにいるのだろうか?社長の命令で、仕事で捜しに行くのだけれど、Tは早くまさよしに会いたかった。まさよしの元気な顔を確かめたかった。Tは窓の外を眺めながら、初めてまさよしと会ったときの事を思い出していた。

 Tは母一人子一人で育った。母親思いのTは、ある夏5日間の休暇をもらって母親と温泉に出掛けた。久し振りの休みで彼ものんびりした気分になっていた。もう30をいくつか過ぎているのに彼は独身だった。仕事が急がしすぎて恋人を作る暇もなかったのだ。Tの母親は、良い人がいたらいつでも言ってよ。私はあなたの選んだ人ならどんな人でもOKよ。というのが口癖だった。夜になりどこからか太鼓の音色が聞こえていた。ここには大きな神社があり今日は祭礼の奉納太鼓と盆踊り大会があるそうだ。母親が行きたがったので、Tは祭り見学もいいなと思いいっしょに出かけた。
 
  神社にはたくさんの人が集まっていた。もうすぐ、奉納太鼓が始まると言うので、母親を連れて良く見える方へ移動した。そこには3人の若者がいた。鬼の面をつけていたが、あの体つきはまだ10代かもしれない。笛の音が静かに響いた。そして、調子が変わったかと思うと続いて太鼓の勇壮な掛け合いが始まった。波が寄せては返し、岩にぶつかり、嵐になり、雷鳴が轟いているような太鼓だった。3人の中でも真ん中にいる子のバチさばきは大した物だった。ほっそりとしていたが、腕もふくらはぎも筋肉質で髪の毛はくるくるの巻き毛でまるで本物の鬼のようだった。3人の鬼はやがて笛の音に諌められるかのように静かになり、奉納太鼓は終った。見物人から大きい拍手をもらい、お辞儀をしてから面を取ったのは、まだ顔にあどけなさが残る若者たちだった。真ん中の子は眩しいくらいの笑顔を見せていた。何の屈託もてらいもなく、大仕事をやり遂げたというすがすがしい笑顔だった。Tはその笑顔に心が洗われる思いがした。オレはいつからあんな風に笑えなくなったろう。

 しばらくして、盆踊りが始まった。日本舞踊を習っている母親は、さっさと踊りの輪の中に入り楽しんでいる。Tは飲み物を捜して神社の裏に回った。そこには、さっき太鼓を叩いていた若者達が石段に腰をおろして休んでいた。傍の自動販売機でコーヒーとお茶を買いながら聞くともなしに彼らの会話が耳に入ってきた。「今日はむちゃくちゃ緊張したから疲れたなあ」「うん、そやけどオレ明日も緊張するやろな」「そういや、お前明日コンクールやな」「うん、なんかここが痛いよ」胃を押さえて見せたのは真ん中で叩いていた子だ。「心配せんでもええ。お前なら絶対いいとこまでいくやろ、むちゃ歌上手いもん」「確か市民会館2時からだったな。オレ応援に行くよ」「ありがとう。ほんま心強いよ」 Tは自分も行ってみたい気がした。あの子はなんか違う。普通の子にないものを持っている。仕事の虫が動き出したようだ。

 「Excuse me」 Tはシュチュワーデスから昼食のトレイを受け取った。まだ、ハワイ上空だった。 

 

第7話 まさよしとメグ

  幸いに、ビリーのけがは大事に至りませんでした。2週間もすると動物病院から退院できました。入院した時よりふっくらしていました。毎晩、まさよしとメグが差し入れを持ってきたからです。ビリーは好き嫌いがないブタでしたが、病院の食事より、二人の持ってきてくれる、スイートポテトだの、ハンバーガーだの、メロンだのが楽しみでした。毎晩のように二人は病院で会いました。二人と1匹はひとりぼっちのときより楽しい時間が持てることに気がつきました。まさよしは、ビリーが退院したらいっしょに暮らさないか、とメグに訊いてみました。メグはいつのまにか、このモシャモシャア頭の片言の英語で冗談ばかり言う日本人の事が好きになっていました。彼の申し出はびっくりしたけど、実はメグには嬉しい言葉でした。「いいわよ」

 まさよしはそのアパートで一番広い部屋が空いたので移りました。寝室が二つとリビングと台所と広いバルコニーが付いていました。メグは少ない荷物を持ってやってきました。ドアを開けるとリビングでした。ペパーミントグリーンの壁の明るい部屋でした。家具はテーブルとソファしか見当たりません。窓際にはギターが立て掛けてありました。「さあ、ここが君の部屋だよ。」寝室の一つがメグの部屋でした。こじんまりとしていましたが、ドレッサーやクローゼットが付いていて使いよさそうです。

 荷物をしまってリビングに戻ると、まさよしがコーヒーを入れようとしていました。「あら、私がやるわ。慣れているもの。」「うん、ありがとう。」手持ちぶさたなまさよしは窓際にあったギターを手に取りました。そして、手慰みのようにポロポロ弾いていました。メグは驚いてしまいました。なんてなんて上手なんでしょう。自分の事ミュージシャンって言ってたけどこれはかなりの人なんだわ。「ねえ、何か曲を弾いて。」「そうだな・・」♪♪まさよしが弾いたのはメグが聞いたことのないメロディーでした。「それは日本の曲?」「うん、俺が作った。歌もあるよ。」♪♪まさよしはギターを弾きながら歌いました。なんていう声なんでしょう。誰にも似てなくて、強くって、暖かくって、心がぎゅっと抱きしめられるような歌声でした。普段しゃべっている時とは全然違っていました。

 「メグも歌うんだろ。」「ええ、一応歌手志望なの。」「じゃ、歌ってみて。」彼が弾いたのはTimeAfterTimeの前奏でした。メグの声は素晴らしく透き通ってどこまでも広がるようでした。彼のギターだと実に気持ち良く歌えました。歌が切々と語りかけるようでした。歌い終わるとなんと窓の外から拍手が聞こえました。道行く人が何人か聞き惚れていたのでした。

 しばらくして、メグとまさよしは時々小さなライブハウスに出るようになりました。メグが歌って、まさよしはギターとハーモニカとコーラスでした。まさよしは決して客の前ではソロで歌いませんでした。でも、とても幸せな日々でした。メグはカバーだけでなく、まさよしが作った曲に自分で歌詞をつけて歌いました。素晴らしい歌でした。一度聴いた人は二人のことを強く印象付けられ、そのうち、口コミで二人のことが評判になっていきました。まさよしとメグが作った歌が10曲ぐらいになったある日、一人の男が二人に会いに来ました。

 

第8話 M社長

  M社長には二人の子供がいた。上の娘が10歳、下の息子が8歳の時に妻と別れた。

 妻は親が決めた許婚者だった。美人で上品な女だった。しかし、Mは結婚前に一緒に暮らしていた女の事が忘れられなかった。女は身寄りがなかった。二人の間には子供までできたのに親のためとはいえ捨てて来てしまったのだった。自分のことを鬼のような男だと思っていた。さぞ、恨んでいる事だろう。どの様に暮らしているのだろう。子供は大きくなったのだろうか。いつもいつも心にひっかかっていた。妻とは心が通わないまま、なんとなく冷たい風が吹いていた。

 ある日、下の息子がジャングルジムから落ちて大怪我をした。妻は早く家に戻ってくれと連絡したのに、彼は「君が付き添っていればだいじょうぶさ。今日はどうしても抜けれない仕事があるからだめだ。」と言ったのだ。仕事の虫だった。それ以来、妻との間に深い溝ができ、とうとう、離婚する羽目になったのだった。

 彼は昔の女と暮らした山小屋を訪ねて行った。いつか、女の髪に刺してやった山百合がまた咲いていた。しかし、小屋はなかった。わずかに、小屋の周りに積んであった石垣が残っていて、かつての場所を思い出させた。ふもとの村人に女の所在を尋ねても分からなかった。

 別れた妻とは会う事はなかったが、二人の子供とはそれぞれの誕生日に毎年一緒に食事をしている。今は二人とも大学生だ。息子の方は、医者の卵、娘は法律を勉強している。娘は、母親に似て美しく賢く育った。息子はMに似て、たくましく背が高かった。母親が懸命に育てたのだ。父親がいなくてもりっぱに素直に育っていた。彼は妻に感謝していた。ここまで育てるにはいろんな苦労があっただろう。しかし、何一つ泣き言を言ってこなかった。見上げたものだ。

 Mは仕事に没頭した。人生にやり直しは効かない。誠実であるが故に、自分が人間として情けないという思いをいつも、胸に抱いて、それを忘れたいために、仕事に没頭した。昼も夜もなく働いた。いつしか、ちっぽけな事務所は大きくなり、業界でも名が知られる大手になってきた。会社が大きくなってきても、Mは仕事に没頭した。ライブに行くのも、人と酒を付き合う事も、全て仕事のためだった。ある日、まさよしという天才ミュージシャンを手中にし、金の卵を大事に育て、あらゆる手段を使って作戦を練り、売り出しにかかった。まさよしはMの思惑通りに、あっという間に全国に知らぬものがいないミュージシャンになったのだった。

 そんなまさよしが、ある日突然いなくなったのだ。しかも、まさよしの行方を知っていて、毎夜、Mに会いに来るレイコと言う女は、あの山小屋で暮らした女になんとなく似ていた。しかし、そんなはずはない。もう、20年以上も前のことだもの。レイコはどう見ても20代だった。

 窓の外を見ると、通りの並木が電飾で飾られていた。もう、クリスマスが近づいていた。

 

第9話 Tとまさよし

 Tは翌日2時に市民会館に行ってみた。こじんまりとした、古いレンガ造りの建物だった。会場前にはあちこちで出番を待つ若者たちが練習をしていた。どの顔も真剣で、緊張気味だった。建物の中に入ってみると以外に大きなステージがあった。古びた客席に座った。もうコンテストが始まっていた。

 ステージはバンドで演奏するもの、ギターデュオのもの、踊りながら歌うものなど様々だった。まさよしは2回出た。1度目はバンドだった。ドラムをやっていた。流行のロックバンドのコピーだった。緊張しながらも楽しそうな様子が伺えた。2度目はコンテストも終わりの方だった。ギターの弾き語りだった。

 最初のハープの音で、Tは背筋にビリッと電気が走ったような衝撃を受けた。会場の空気を一瞬で変えたのだ。それまでの、ありきたりな音で倦怠気味の会の流れが止まり、客席のみんなが息を呑んだ。誰も聴いたことのない曲だった。それでいて、昔どこかで聴いたような懐かしい音色だった。それは自由自在にリズムを刻むギターとは別に、もう一人演奏しているようにも聞こえた。そして、あの声は何なんだ。あんな声聴いたことないぞ。何だこの苦しさは。息ができないじゃないか。それまで興味半分で聴いていたTはいきなり張り手を食らった思いだった。歌が迫ってきて聴くものを圧倒するのだ。最後のギターのアルペジオで演奏が終わっても会場は静かだった。一瞬遅れて目が覚めたように静かな拍手があった。感動の拍手だった。ぺこりとお辞儀をして、まさよしは下手に去った。ほっとしたような笑顔には、やはりあどけなさが残っていた。

 結局まさよしは、優勝しなかった。審査員特別賞だった。個性的すぎて、流行の音楽とは距離がありすぎて、審査の対象に外れたようだ。Tはしめたと思った。優勝して中央の大会に出て、他の事務所にさらわれる前に彼に出会えた幸運に感謝した。

 都会に出てみないか。Tは、バンドの仲間とちょっと落ち込んでいるまさよしに話し掛けた。えっ、俺が?うーん、だって、俺そんなこと考えてみなかった。でも、自分の歌がCDになったら嬉しいな。じゃ、1回だけ行ってみようかな。都会のライブハウスというのも見てみたいから。

 契約がどんな内容かもよく読まずにサインをしたまさよしだった。こんなに忙しく時間に縛られるものとは当の本人は夢にも思っていなかった。まさよしの歌は急速に売れ出した。Tはまさよし以上に目が回るような忙しさだった。すべてのスケジュールにタッチしていた。Tは自分の見つけた稀有な才能を世の中に認めさせることに喜びを感じていた。しかし、まさよしが息が詰まりそうなのに気がついていなかった。

 TはようやくNYに着いた。まさよしはどこにいるのだろう?

 

第10話 メグのデビュー

 

 NYはX'masで賑わっていました。ライブハウスのステージを終えて、遅い夕食をとっていた二人のアパートを訪ねてきた男は、レコード会社の人間でした。ライブハウスでのメグの歌を聴いて、スカウトにやってきたのです。「君の歌にはハートがあるよ。君はスターになれるよ。どう、僕に任せてみないか?」メグは有頂天になりました。「これでこそNYに出てきた甲斐があるというものだわ。スターになったら、田舎のおばさんにお礼をしよう。幼い弟にも仕送りができるわ。ね、まさよしも嬉しいでしょう。」男を送り出してからリビングに戻るとそこにはまさよしの姿はありませんでした。テーブルの上に走り書きのメモがありました。

 『メグ、おめでとう。これで、君の夢も叶えられるね。しばらくの間だったけど楽しかったよ。サインをする時は、何度も契約書を読むんだよ。僕らの作った曲はみんな君にあげるよ。ビリーを大事にしてください。Merry X'mas そして、 さようなら。 まさよし 』

 外はいつのまにか、吹雪になっていました。まさよしの行方はわかりません。

 1年後、メグはその男の言ったとおりスターになりました。素晴らしい歌声は世界中に知れ渡りました。彼女がライブのときアンコールで必ず歌う歌はまさよしが作曲してくれたものでした。

 ♪♪ いつだったかしら あなたに出会ったのは
    私が果てしのない闇の中に沈んでいた頃ね
    あなたの笑顔 忘れないわ 朝の光のようだった
    あなたの声も 忘れないわ 萌え上がる若木のようだった
    あなたがいれば いつだって 私は私でいられた 
    私は私でいいんだと思えた  それなのに
    いつだったかしら あなたは突然 私の前から 消えてしまった
    だけど私にはこの歌がある あなたがくれたこの歌を歌えば 
     いつだって 私にはあなたがいる♪♪

 



第11話 NYのT

 Tはどこから探して良いか分かりませんでした。まさよしを見かけませんでしたかと訊いても、NYでは誰も知っているはずがありません。ホテルの窓から見る雪景色は日本よりはるかに厳しそうでした。あちこちの路地、酒場、ライブハウスを覗いているうちに、若い女の子がまさよしらしい日本人のギター弾きと歌ってるらしいことを訊きつけました。明日出るからと教えてくれたライブハウスに行ってみると、突然キャンセルになっていました。やっとしっぽをつかんだと思ったのに。諦めきれないTは、教えてもらった住所の書いた紙切れを頼りにまさよしとメグのいたアパートを探し当てました。そこには、引越しの荷造りをしているメグがいました。

 「まさよしはどこ?」「あなたは誰?まさよしはいないわ。突然いなくなったの。何かに追われているようだったから、私がデビューすることになったから、姿を隠したんだわ。そうなのね、あなたから逃げていたのね。まさよしが何をしたっていうの?」

 Tはショックでした。返す言葉がありませんでした。まさよしによかれと思っていたことが、逃げ出さずにはいられない状況だったとは。街はクリスマスが終わり新年を迎えようとしていました。新年のカウントダウンが始まりました。陽気なイタリア娘が、ぼうっと立ち尽くしていたTに抱き着いてほっぺたにキスをしました。どうやら、新年になったようです。おめでとうとつぶやいて、Tはまさよしの歌を思い出しました。

 そうだ、まさよしは何にも縛られるのがいやなんだ。縛られるぐらいなら、名前のない鳥でいいんだ。今ごろは自由に空をさ迷っているのだろう。さびしいだろうに。願わくば元気でいて欲しいものだ。きっと、今ごろは誰も知らないどこか小さな街で、ギターを鳴らして好きな歌を歌っているんだろうな。Tはホテルを引き払って日本に帰ってきました。社長には、まさよしの影も形も見つからなかったと報告しておきました。 

 その年のNYの冬は記録的な大雪でした。

 

12話につづく