空(くう)、そらではなく、何もない空(くう)。
傷つき、横たわった男の意識は、身体から遊離したように漂っていた・・・。
?・・・!・・激痛で反射的に男の身体が動く。彼の意識はあたかも空より墜落したように、身体の中に戻された。
「ふふ。ほら、動いてるよ。」
上から降ってくる声は、苦悶している男の耳にはうれしげに聞こえた。
―――また、拷問が始まるのか・・・?
男は痛みに朦朧としている。どうやら、先ほどの声の主が、自分の折れた足にいきなり消毒薬だか酒だかをかけてみたらしいことはわかった。
「だ、だんな。そりゃあ、ちょっと可哀相というものでさあ。」
先ほどよりは、老いてしゃがれた声が、少し離れた位置から響いてくる。
―――そうだ・・・もう放って置いてくれ。
しかし、いまの騎士ランスロットには、抗議するどころか、うめく力も残されてはいなかった。
倒れたままの騎士ランスロットのそばにかがみこんでいる青年は、ランスロットの苦悶の表情も、牢番の制止も意に介さない風だった。
凄惨な状態にも顔色ひとつ変えず、しらじらとした月明かりの下で、てきぱきと手当をすすめていく。
―――死んだ騎士の立派な剣だけを欲しがっている、盗人ていどに思っていたのだが。
度重なる暴動のせいでいくらか深夜の警備が手薄になったといっても、見つかったらどんな咎めを受けるかも知れない。
牢番は金と酒に目がくらみ、ここまで青年を案内したことを心底後悔しつつ、扉の陰から首をのばして青年をせかした。
「こりゃ、もう助からんって。明朝、埋める予定の一番イキのいい死体ってやつなんですから。」
「確かに・・・・ひどいな。」
青年は一瞬、真顔に戻った。
戦場にいるような乱暴な処置は、ただその手順を追うことによって内心の動揺を押し隠していたのかもしれない。
「ふふ・・・一番イキのいい死体か・・。しかし、うまい表現だな。」
また皮肉ともとれる口調でつぶやいた。
「わしらが言ったんじゃないんでさ。
以前、風変わりなじいさんが、そんなイキのいい死体を実験用に探していたんでさぁ。
わしの知り合いはそれでお宝をたんまりもらったんで。
でも、こんなにひどいのじゃ、どっこも使えないって、きっと駄目でさぁ。」
ここまでの会話がランスロットの耳に届いたかどうか。
彼はまたいつのまにか気を失っていた。
「運ぶ前に飲ましてみようかな。」
青年が、ランスロットの鼻をつまんで無理矢理口を開かせている。
口にキュアペーストらしきものを流し入れたが、ランスロットはほとんど反応しなかった。
「・・・だんな、やっぱ無駄ですよ。」
「・・・・」
青年は、青ざめたランスロットを凝視したままだ。
「・・・お知り合いなんですかい?
この人は、ずいぶんひどい扱いされてましたよ。
長いなぶり殺しなんだって奴ら、笑ってました。
わしら牢番の間ですら、いつまで続くのかと・・・・。」
「・・・・」
「・・楽にしておやんなさいよ。その方がどんだけ・・」
「駄目なんだ!・・・騎士なんだよ、この人は。
不公平な一騎打ちも、捕虜としての辱めも甘んじて受けてしまった。
・・・仕えるべき王と全ての民のために自分の命を懸けてまで正義を貫き通しているんだから・・息を引き取る最後の瞬間までこの人は頑張るべきなんだ。」
先ほどまで冷静に振る舞っていた青年だったが、堰をきったように言葉が出てしまったようだ。
「・・・わしらにはよくわからねえんだが、騎士ってのは気の毒な仕事なんだねぇ。」
「・・・・・・・・・・・」
照れたのか、少しぶっきらぼうに青年が言う。
「・・そっちを持ってくれ、おやじさん。・・・悪いな。」
身体を移動させられて、ランスロットの意識がまた無理矢理ひき戻される。
・・・・運ばれた距離が短いか長いかはランスロットには、わからなかった。
目もほとんど見えないが、どうやら荷馬車に横たえられたらしい。
「・・確かに無駄かもしれないな。しかし、行き先はどうせ教会なんだし。」
「・・・そっちの酒、もらえんかねぇ。それともまだ・・・」
「ああ、やるよ。そして彼の幸運と、ついでに冥福を祈ってやってくれ。」
牢番は、青年の無理難題から解放され、足早に立ち去る。
『やれやれ、とりあえず兵士に見つからなかった幸運に、まずは乾杯だ・・』
荷台上では、青年がランスロットの口をこじあけるようにして、またキュアペーストを流し込んでいた。
わずかばかりがランスロットの喉を通っていく。
かがみこんでささやく青年の物腰が、さきほどと少し変わっていた。
「あなたの剣は見つけました。そばに置いておきますから、ご安心を。」
「あ、そうだ、これも・・・」
置いた振動で、かすかにオルゴールが鳴った。
「あなたの王と神のご加護が、あなたの上にありますように。」
・・・最後のこの言い回し。
そして声・・・どこかで以前聞いた・・気がする。
ランスロットは、無意識に記憶をたぐり寄せようとした。
―――私の剣を、オルゴールのことをどうして知っている・・?
ランスロットは見えない目を開けようとしたが、青年はするっと馬の方の用意に行ってしまった。
御者席から声が降ってきた。
「それから、約束してください・・・あなたは・・。」
・・・また意識が遠のいていく。
馬車の揺れすら、もうランスロットには分からなくなっていた。
それからしばらく後、ランスロットはハイムの教会の一室にいた。
王女が悲痛な叫びを残して走り去った時、すでにランスロットは辟易していた。
クレアが病室をあとにしたとき、やっと身体中から緊張と力が抜けた。
デニムの絶望的な表情を見ないように、目をうつろにしていたのだが、
彼らを相当気落ちさせてしまったようだ。
目を閉じたまま、ランスロットはうなるようにつぶやく。
「やりすぎ、・・たな・・・。」
青年との約束だから、仕方がない。
ハイムの教会に連れてきてくれた時の。
「記憶喪失を演じていてください。
・・・教会の方々のためにも。
ローディスは敗走するでしょうが、あなたの鎧だけしか埋められていないと知れたら、
あなたを探しまわるかもしれない。」
しかし、そう説明した青年は、いったい誰だったのだろう?
騎士ランスロットは、濁った意識の中で何かを思い出そうとした。
『彼』の声と気配によく似ていた、あの青年。
私は、『彼』をなつかしんでいるのか・・・?
救世主、そして支配者に関するタルタロスとの会話のせいなのか・・・。
明るい目をした『彼』はかつて救世主と慕われてもいた。
―――突然ですが、作者よりお願いです。
異なった雰囲気の続きを2つご用意しましたので、どちらかを選んでください(^^;
<あなたのお好みのデート場所はどちらでしょうか?>TDLとかがなくてごめんね〜(笑)。