『夢のかけら 〜BITTER CREEK (前編)〜 』


梅雨が終わったらしいのに、雨が降り続いていた。
目の前に灰色のスダレをぶら下げられたような感じだし、むれた湿気が制服のシャツにまとわりついて、すごくうっとうしかった。すでに閉められていた教室の窓を少し開けて風を入れる。誰かの机の上に腰をおろしてグラウンドを見つめた。
サッカー部はまだぬかるみの中で練習を続けていた。
大島だけは、遠目でも何となく分かる。やたら背が高いわりには小回りがきくMFで、張り切ってボールを追いかけ回していた。

「あいつ、かえって悪天候の中の方が元気あるんじゃねぇの。」と僕はため息をついた。サッカー部の練習が終わるのを待っていたからだ。

――朝、校門を入るとき、大島と一緒になった。大島は、僕やめぐみの家とは逆方向で、しかも距離があるので、バス通学をしている。
「あれ、・・・めぐみは?・・・いつもそばにいるのに・・。」
「え?・・・知らない。」
聞かれるまで、めぐみの存在なんか忘れていた。それに別にいつも一緒に登校してる訳じゃない。たまたま家が近いから、よく会うだけだった。

「・・・いや、あのさ、・・・オレ帰りお前に話があるんだけど。」と、大島がちょっと声をひそめた。
「え?いいよ。全然ひまだし。・・・で何だよ?」
「今、話せないよ・・。ちょっと長いし。とにかく今日、練習早く終わる日だからさ。」
「あ、じゃ家に来る?」
「う〜ん。・・・でもいきなりめぐみが来たりしたら・・さ。」

何かめぐみに聞かれたくない話、のようだった。
大島は硬派に見られているが、けっこう女の子には優しくて、来ちゃっためぐみに「邪魔だから帰れ。」とは言えない方だ。僕なら言ってしまいそうだけど(笑)。

――まだしばらく練習は続きそうだと思い、また本に目を戻した。3組の図書委員、高橋姫乃が貸してくれた本だった。僕が「最近は『ナルニア国物語』も全部読み終わったんで、また『平家物語』ばかり読んでいるんだ。」と言ったら、彼女のお気に入りの本だという童話を貸してくれたのだ。
絵本みたいで読みやすく、どんどん進むし、笑えるのだけれど・・・散文みたいな感じだった。

・・・どうして、キツネはせっかくともだちになったというのにあんなこと・・・?

「何だ、まだいたのか?」という声に僕は飛び上がった。
美術の田島先生だ。ドアはずっと開いていたらしいし、本に夢中になっていたんで足音も聞こえなかった。

「ああ、椎名か。役員会・・じゃないだろ・・。」
(言い忘れてたけど、僕はいちおう学級委員だ。寝坊して遅刻を繰り返し、職員室に朝、学級日誌を取りに駆け込むものだから、先生方に名前を覚えられてしまっている。)
「サッカー部の大島を待っているんです。」
「・・・あ、あそこもそろそろ終わるだろ。早く帰れよ〜。お前達は知らないと思うが、雨も長く続くとそりゃ怖いもんなんだから。膝までの水だって流れが速けりゃ、足をとられるんだからな。」

田島先生はそう言って別の教室に行ってしまった。
僕は、窓の外のぬかるみを見つめた。
そう、水はたしかに怖いですよね・・先生。
昨年の11月にみた悪夢は忘れようとしても忘れられない。しばらく熱を出して学校を休んだのもあのせいだし・・・左足の傷もあの時に出来たからだ。


いつも遅刻ギリギリだった僕は、そのどんより曇った朝も必死に走っていた。

校門から駆け込み、校舎の入り口にさしかかった時だ。
突如、灰褐色の泥水が押し寄せてきた。
みるみるうちにそれは盛り上がり、波がへびのようにうねり、渦を巻く。

「下駄箱だっ!みんな下駄箱の上に上がるんだ。」そういいつつ僕もその時目に付いた、その一番高い場所によじのぼったんだ。

・・・・なのに。
西館玄関の下駄箱の上だったはずが、どこだかわからない場所にいた。
荒れ果てた土地だ。ごつごつした岩が点在している。
その岩のひとつに僕は立っていた。開けた場所でかなり遠くまで見渡せる。

・・・まわりは中学生だらけだったはずなのに、知らない人たちに囲まれていた。何か古めかしい服装をしていたようだ。でもよく覚えてはいない。

最初から変わっていないものと言えば、今にも雨が降り出しそうな雲行きの灰色の空と逆巻く泥水だけだった。
荒れはてた起伏の激しい土地に、いきなり川が出現したような感じだった。
水が信じられない勢いで、どんどん増えていく。

「た、助けて!」
僕の立っている岩の下から、少し白髪のまじった年輩の婦人が手を伸ばしている。
「早く上がってください。」
僕は腹這いになって、彼女の手を掴んでひっぱりあげようとした。
だが、彼女の膝上までの高さになった水の流れがまるで彼女を抱きしめているかのようだ。
すごく重い。

「ああぁ、とても上がれないわ・・・。」彼女が絶望的に呻く。
「あきらめないで、ぜったい大丈夫ですから。」と言いかけた僕の横で声がした。
「おい、坊主。そんなに簡単なことだと思っているのかよ。」
「え?」
確かに上からこんな体勢でひっぱりあげるのは、無理そうだ。

「じゃ、ともかく僕がささえますから・・・。だからこの人をひっぱり上げて。」
僕は水の中にすべり降りて、後ろから女性を抱っこして持ち上げた。その間も容赦なく水が僕の足をつかんで引っ張る。他の人が協力してくれたので、女性は岩の上に避難できた。
そして僕にも早く上がれと彼女は促してくれた。
けれど、他にもまだ、うまく岩にはいのぼれない人たちがいた。しかも我先にと上がろうとするから、かえってうまくいかないようだ。
増水にパニック状態の人たちは、岩のスペースが少なくなりそうだと、みな血眼になっている。 それで自分の隣の誰かがはい上がれそうになると、邪魔をしてあわよくば自分が、という状況になっていた。
水が思いの外、すごく冷たいのもそれをあおっているのだろう。でも、まだ腰までくらいだし、流れもそれほど速くない。
僕は、別の岩の方に向かって、流れを渡ろうとした。

僕ならまだ耐えられるから。
だから、もう少し頑張ろう。誰かをまたひとり助けられるかもしれないからと思った途端に、水が生きているかのように僕の両足をつかみ、僕を引き倒した。
口からすぐに水を吐き出したが、にがい泥の味がした。

・・・・オマエ。ゴーマンダナ・・・。

傲慢?僕が傲慢だと言うのか・・・?
その声は頭の中で響いたようだった。それとも水に話しかけられたというのか。そばには誰もいなかった。

―――それから、いきなり老人が高い位置に(雲の上?逆光のようでよく見えなかった)現れた。
「そこまでだ。・・・・選ばれし者たちは、すでに分けられた。」
そう宣言した。
その言葉にまだ流れの中でもがいていた人々は、泣きわめき始めた。
「お前が邪魔をするから・・・」「オレこそは・・・」
たがいにののしりあいはじめていた。

そうなのか。この洪水は、「選別」の意味を持っていたのか。
そして僕と流れの中にいる人たちは・・・神様(?)に選んでもらえなかった者というレッテルを貼られたのか。
どうして・・・?

「あの子は違いますっ。」
多くの岩の上の人々が自分の幸運を喜んでいる中、先ほどの老婦人が声をあげてくれた。
「あの子は、最初から岩の上にいたんです。私のために、私を助けるためにあの流れの中に降りたんです。」僕の方を指さし、懸命に説明をしてくれている。

雲の上の老人は、僕をじっと眺めた。
「そうなのか。」
僕はうなずきかけて、流れの中でそばにいる人たちの絶望的な視線が僕に集中しているのに気が付いた。
「僕は・・・。」安易に答えることはできないと思った。
「あの、どうしてこんなことになったんですか?」

「流れから上がりたいのか、そうでないのか・・・?」声がすごく厳しかった。
とても説明してくれそうな雰囲気じゃない。
「・・・私に従えるのか、そうでないのか。」

「あなたは、誰なんですか?神様・・・?できればみんな、助けて欲しいんですけれど。」
相手がにらんでいるのが、感じられる。
そうだ、ちっとも会話がかみ合っていない。
それは分かっているのだが、せっかく僕と話してくれているチャンスに交渉しなければ、と僕はあせっていた。
老人の方も、僕の話など聞く気はないようだった。

「上がってこないのか。・・・お前なら、たしかにすぐにでも上がれるはずだ。その力はある。だが資質(?)は・・」
と言ったので、いきなり僕はキレてしまったようだ。
「他のみんなも助けてくれないなら、僕はここにいます!」と叫んでしまったのだ。
老婦人が「いけませんよ、あなたは・・。」と必死に僕をなだめようとしているのが目の端に入ってはいるのだけれど、もう引き下がれない。

「ひどすぎるよ!だって・・・」と言った途端に、また流れがはっきり意思を持って僕を掴んだ。

この水、やはり生きている・・・?
そして、僕を数メートル投げ飛ばし、落ちた地点の水は待ってましたとばかり、受け止めた僕を底まで引き込んだ。
水の深さは60〜70cmくらいのはずだが、立ち上がることもできず、僕はもがいた。
もがいて反射的に目を開けてしまったが、泥水で何も見えない・・・。

(続く)

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