『夢のかけら 〜緑の谷(3)〜 』


 辺りは、不気味なほど静まりかえっていた。すでに空は藍色に染められたようだ。窓の外を見なくても、家の中にまで夜の気配が忍び込んできていて、それとなく分かるのだ。部屋の中の物が、ぼんやりと灰色の色調に埋もれていく時・・・それを逢魔が時と、ひとは言う。
 エレナは、ぽつんと広間におかれた長椅子にただ一人で座っていた。いつから自分は、ここにこうしていたのか・・・・? こぢんまりとした家々しか見なかったはずなのに、ここの室内は天井が高い。まるでゼファディアにある、高等学院の講堂にある控え室のようだ。

 ・・・・?
 廊下を人々が歩いてくる気配がした。エレナは立ち上がり、開いていた扉まで進んだ。先ほど逢った、白髪の老人と共に10数人のエルフ族の大人たちが、まるで葬列のように歩いてくるのが見えた。真ん中にいる一人が、何か小さな子供のようなものを腕に抱えていた。黒い頭巾で頭部を覆われているが、力無く垂れた腕や足の傷痕で、それはアーシアだとエレナは悟った。
 エレナは、部外者でしかない自分がその人々に声をかけていいものかどうか、考えあぐねていた。

 人々は、エレナが扉の入り口で立っていることを気づいていながらも、目を伏せてあえて無視しているかのように通り過ぎていく。だがその時に、アーシアの手に枷(かせ)がはめられているのを見てしまったエレナは、黙っていられなくなった。
 「あの・・・。それは、アーシアでは・・?」
 人々は、まるで聞こえないかのように歩みをとめなかったが、ぐったりした頭を持ち上げたアーシアがエレナの声の方に向いたように見えた。人々のかたくなな表情に、エレナはさらに不安になった。結界の中のエルフの里に普通の人間である自分がいること自体を否定しているのか・・?招かれざる客、いや邪悪といったもののように。
 そして、そのような元凶=自分を招いてしまった咎(とが)で、アーシアが手枷をはめられているということなのか・・・?

 エレナは廊下に飛び出し、エレナの前を通り過ぎていった人々に追いすがった。
 「お答えください。・・・いったい、アーシアをどうしようというのですか・・?」
 人々は静かにアーシアを運んでいく。もう一歩前に出ようとしても、エレナの足は床に縫い止められたかのようになった。気づくと、立ち去ったはずの白い髪をした老人が目の前に静かに立っていた。
 「この里には厳しい掟がありましてな。部族を守るために、外から害悪をもたらした者は罰されるのです。」
 「アーシアは・・・。」
 「アーシアの罪状は、明白でしてな。禁じられているのに、里から出てあなたと接触し、あなたにエルフ族の存在を知らしめた。だから、掟に決められた通りの刑罰を科すのじゃ、その刑は・・・。」
 エレナはおしまいまで聞いてられなかった。
 「罪状が、明白とおっしゃるのですか・・?アーシアは、ただ私を助けようと行動しただけです!」
 「罪があるかないか、行動が掟を破るか破らないかを、我らは事実のみで判断せねばならぬ。それは・・・。」

 不思議なことに老人の言葉が途中から、自分の朗々とした声に変わっていることに、エレナは気がついた。
 フェーリス国随一と言われた、ゼファディア高等学院の一教室で、立って論証を展開している自分の声だ。
 「・・・罪があるかないか、掟や法の規範を破るか破らないか、事実、つまり客観的事実のみで判断するべきと考えます。その理由は、国民の全てに法規範を公平に適用していくことが優先されるべきと考えるからであります。そのためには、内面的な罪人の主観などを個々に検討し、罪状・刑罰に差異をつけるということは避けねばなりません。なぜなら、そのような場合にこそ、恣意的(しいてき)な判断が入り込むおそれがあるからです。」
 さすが法官職を受け継ぐ家柄の令嬢であると、教授にまで称えられた論理展開については、自らも誇りに思っていたのだが・・・今、自分自身で、その論理に疑問を感じはじめていた。

 「私は・・・」エレナは口ごもった。
 目の前の老人に対し、エルフ族の人々に対し、何をどう論じようというのか。里の掟に定められた刑罰に反論するための論証は、何も思いつかない。彼らの暮らしぶりを、歴史を全く知らない部外者である自分に、いったい何が言えるというのか。自分でも呆れるほどに頭の中は混乱している。しかし、アーシアを何とか助けたいという気持ちだけは、高ぶっていた。
 「私を害悪と、どうやって結論づけたのです。私を・・・もし私を害悪だと決めたのなら、なぜアーシアではなくて、私を・・。」と、そこでまた、エレナは口ごもってしまった。
   自分を代わりに断罪しろと私は言うのか・・・? それこそは、騎士の規範として固く禁じられている自殺行為ではないのか。アナスタシア姫に忠誠を誓った日から、自分の命はすでに自分の処分できるものですらない・・。
 「アーシアを・・・助けたいのですッ。私のために死なせるわけには、・・アーシアッ!!」
 もはや論理など、どうでもいい。狂ったようにエレナは叫んだ、叫びつつ、動かない足の代わりに両手を振り回した・・・。


 ―――「・・・・エ・・メナしゃん、」、「メレんマさん、、○×。」「××○?、エエマさんっ」
 「・・・?」
 エレナは、自分の背丈の6割程度の身長しかないエルフ族の3人に揺さぶられて、ようやく目が覚めた。
 どうやら藁がいっぱい詰めてあるような、もこもこした寝台に自分は寝かされていたようだ。しかも、それが自分の身体には小さすぎたらしく、寝台の足元の格子のすきまに自分の足をつっこんでいた(しかも、格子が数本ほど折れてしまっていた)。

 こぢんまりとした部屋の中には、明け放れた窓から陽光がたっぷり差し込み、まぶしい位だった。そして喜ばしいことに、豆のスープの暖かな香りが漂っていた。エルフ族の3人(どうやら男が2人、女が1人のようだ)は、くりくりした瞳をいっそう丸くして、興味津々といった風情でエレナの顔を見つめていた。先ほどの悪夢とは全く違う、和やかな雰囲気に、エレナは自然と頬がほころんだ。
 3人もつられたのか、対話がわりに応じたのか、にこりと笑顔になった。そして、口々に何かを言いはじめたのだが、やはり言葉が分からない。どうやら誰が一番うまくエレナの名前を正確に人間族のことば(フェーリス語)で言うことが出来たのかと言い合っているらしい。さらに、腕がうまく動かせないエレナのために、誰が豆のスープを食べさせてあげればいいかをもめているらしい。
 エレナの腹の虫がキューッと催促をした。エレナは赤くなり、3人に聞こえなければよかったのだがと思ったものの、聴覚のよいエルフ族のこと、3人は論争しながらも聞こえていたらしい。お腹の鳴る音も、エルフ族と人間とは似ている、と喜び合っているようだ。

 「いやはや、なんて騒ぎじゃ。」
 白い髪をした老人が入ってきた。老人が扉を閉めるまでに、その後ろから数人のエルフたちが首を伸ばし、部屋の中を覗くようにしていた。
 「どうかね・・・。おや、朝ご飯も差し上げておらんのか。ふた晩以上を眠って過ごされていたというに。」
と呟いて、エルフ語で3人に何かを言いつけた。

 さらに数刻、にぎやかに世話をされて食事を終えたエレナは、ようやく老人と二人きりでお茶(少々濃くて甘すぎる)を飲むことができて、最も確かめたかったことを聞くことが出来た。
 「ずいぶん心配してくれていたようじゃが、アーシアの傷は良うなっておる。この里には、傷をよく治すというエルフの泉があるのでな。・・・して、傷だけではない、ほかの心配というのは・・?」
先ほどからそうであったが、老人は出会った時より穏やかな表情をエレナに向けてくれていた。エレナは、先ほど見た夢の話を老人にした。なぜそのような悪夢を見たのか、教えてほしいという気持ちが生じたのかもしれない。
 「ふむ・・・。いや、だが確かに、それくらいの掟があった方がいいかもしれん。」
それだけを言って、老人はニコリとした。
 「そのように厳しい規律かなにかで守っていなければ、ここのエルフ達はみな滅びの道をたどりかねん。申し訳ござらぬが、エレナ・シェイファース殿には、この谷での出来事は、すべて忘れてもらわねば。」
 「他言しないことを固く誓います。・・・また、2度と私がこちらにお邪魔するようなことはしません。とても素敵な里で、残念な思いでいっぱいなのですが。」
老人は、わが意を得たりとばかりにうなづいた。
 「あなたを信頼しておりますぞ。いや、先ほどの大騒ぎを見たじゃろう。あれが緑の谷に住むミディエルフ族の本性じゃよ。人なつこくてお人好し。相手が悪か善かなど・・・なかなか考えられずじまいじゃ。」
 まるでこの老人は、自分を緑の谷のミディエルフ族ではないように話すのだな、とエレナが頭の中で思った途端に、老人が言葉を継いだ。
 「・・・ふふ、わしのことなどどうでも良いことじゃわい・・・。それはそうと、おや、・・。」
言葉をいったん切って、扉の外に向かって老人は言った。
 「×○☆。・・お入り、と言う意味なのじゃが。」

 明るい目をしたエルフ族の少女が、扉をあけて部屋に入ってきた。
 ほっそりとした子鹿のような手足には、まだ傷跡が痛々しく見えるが、元気な笑顔をエレナと老人に向けた。水でも浴びていたのか濡れた髪に陽光が踊り、きらめいていた。
 「・・にちは、エレ・・ナ・・さん。○☆※・・・?」
と、最後は老人に何かお願いをするようにアーシアは言った。
 「おお、※★☆、いいじゃろう・・。あなたをエルフの泉にご案内するらしい。」
 「アーシア。・・・良かった、もう普通に歩けるなんて・・・信じられない・・。おお、神よ・・。」
エレナは、胸の内がいっぱいになり、不覚にも涙がこぼれそうになった。
 と同時に、エレナの寝台のそばに置いてあった剣の方から、青い光が昼の光の中でもくっきりときらめき始めた。かすかに人の声が聞こえるようにも思えるが、エレナには、何が何だかわからなかった。アーシアは怯える様子もなく、そのきれいな光をぼんやりと見つめている。

 老人は静かに言った。
 「おお、そうか・・。エレナ殿の剣のつかに埋め込んでいる青い宝珠(オーブ)オーブは、アナスタシア姫よりの賜りものなのじゃな・・・。」
 「ええ、どうしてそれを・・・。はっ!」
 エレナはもっと目をこらして眩しい光の中心を見つめてみて、ようやく気がついた。つかの宝珠(オーブ)が自ら光り、またたいているのだった・・・まるで生きて動いているかのように。
 「・・・姫君は、ここ数日、あなたを心配しておられたようだ。・・・何と・・やはり・・・。」
老人はエレナの存在を忘れたかのように、ひとりで何やら呟いているように見えた。

 エレナは、椅子から飛び降りるようにして、駆け寄ってみた。そばに寄りさえすれば、何かわかるのか、もしかしたらアナスタシア姫の言葉を聞くことが出来るかと思ったが、やはりかすかに、何か羽虫の羽ばたきのような音が聞こえるような気がするだけではっきりしない。ともすれば、気のせいかという位なのだ。そのうちに、光は弱くなってしまった。

 老人は、その持てる魔力で、アナスタシア姫の言葉を聞くことが出来たのだろうか・・。
 「・・・姫さまは・・何とおっしゃっておられたのでしょう。私には聞くことが出来ませんでした。」
エレナは落胆しつつ、座っていた椅子に戻ろうとし、ふと、アーシアの方を振り返ってみた。
 アーシアの頬には、二筋の跡をひいて涙が伝っていた。見開いた目を閉じることもせずに、涙をぬぐうこともせずに、じっと青い宝珠(オーブ)を見つめたままだった。老人は、そんなアーシアに、そっとエルフ語で何かを聞いた。アーシアはうなづいた。子供っぽいだけの表情だったアーシアの様子が変わっている。
 「・・?」
 エルフの言葉が分からないので、エレナは二人の会話が終わるのを待つしかない。老人も先ほどとは違い、逐一エルフの言葉をエレナに伝えることもせずに、アーシアから何かを聞き取ろうとしているようだ。

 果たしてアーシアは、何を聞くことが出来たのか・・?それとも何かを見たのだろうか・・。
 アナスタシア姫に関する、悪い知らせなのか・・。
焦燥感にかられたが、人間族だからという疎外感だけではなく、エレナは二人の邪魔をせずに待つことにした。
 信じて待とう、目を開き、心を開こうと思ったのだ。
たとえば先ほどの悪夢は、エルフ族の風習を知らぬままに見ていたもので、現実とは明らかに違っていたのだ。それと同じだ。
 私は、フェーリス公国しか知らない。いや、その国の中心のゼファディアしか知らなかったのだ。そして、それ以外のことに目を向けていなかった。今まで学んで身につけたと思っていたことは、ごく一部であり、高等学院の本の上、石板の上での物事だけでしかなかったのだ。

 世界は、まだよく知らぬが・・さらに広いのだろう。諸国をめぐったという勇者アルタクスは、果たして何を見ていたのか。
 アルタクスが遺していったことばは、その不吉さゆえに忌み嫌われ、信じられていなかった。少なくとも、シェイファースの家と、高等学院ではそうだった、とエレナは思う。
 だが、魔物は確かに存在していた。滅亡したと言われていたエルフ族も存在していた。・・・それどころか、その長老たる老人は、人間の国であるフェーリス公国のこと、アナスタシア姫のことを知っているのだ。人間族、すなわちフェーリス公国の人間は、自分たち以外のものに目を向けることを怠っていてよいのだろうか。
 この世界のどこかには、魔王を頂点としたダークエルフガルトが、やはり未だに存在しているのだろうか。かつてフェーリス公国より追われた者達(人間?)が建国したというザグラーンという国も。
 神から見放されたような地で、苦しさにあえぎながら勢力をたくわえているのではないか。幸せそうな者達の国を凌駕し、蹂躙することを目的としながら・・。そのようなエレナの空想を、老人の声がさえぎった。

 「エレナ殿、いや、お待たせしてしまい、申し訳なかった・・・。」
老人の声は重く響き、その表情は先ほどよりさらに年老いた風に見えた。

 

(続く)

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