Holberg Music

日本の作曲家/演奏用楽譜リスト

(制作/ 楽譜作成工房「ひなあられ」/ 2008. 10 現在)

 1930〜40年代、日本では今日では考えられないほど管弦楽曲の作曲が盛んでした。ところが現在、そのほとんどが忘れ去られ、中には散逸の危機に瀕しているものも数多くあります。私共Holberg Musicでは、こうした理不尽の彼方に置き去りにされた作品の調査・研究及び演奏のための浄書譜作成を、作品の著作権者やご親族の許諾をいただきながら20年にわたり続けており、その浄書譜は管弦楽曲を中心に現在30曲以上にも及びます。今回ネットに発信させていただくことで、こうした作品たちが現代の聴衆の皆さんの耳に、そして心に届くならば、私共に取りこれ以上の喜びはありません。 ( Holberg Music / 岡崎 隆 )

 このリストに掲載された作品は、著作権者や作曲家ご遺族の正式な許諾をいただいた後に、最新楽譜作成ソフト「FINALE」を用いて浄書譜 (スコア、パート譜)が完成されたものです。 お貸出しの形態は無償のものからレンタル対応のものまで曲目によりさまざまに異なります。演奏をご希望の方は、是非こちらまでお問合せください。 私共で著作権者や演奏譜面の権利者の方に連絡を取り、楽譜貸与のための必要な手続きを取らせていただきます。
 またこのリストに無い日本の作曲家による作品の楽譜も、当方で喜んでお探し致します。

現在「戦前の日本の管弦楽曲」に限り、その浄書譜作成をボランティアで承っております! )
お問合せはこちらまで


橋本國彦 (1904〜1949/東京) 

 東京本郷の弓町にて橋本源次郎の次男として生まれる。
東京音楽学校卒業後、昭和9年から文部省留学生として欧米に遊学、12年に帰国後は母校で教鞭を執る。作曲のほか、ヴァイオリン演奏や指揮もなした。戦時中積極的に国策音楽の作曲・指揮を行なった責を問われ、昭和22年東京音楽学校作曲科主任教授の職を辞任。後は鎌倉市極楽寺の自邸において専ら作曲につとめたが昭和24 (1949) 年5月6日、胃癌のため没。享年わずか46歳であった。

・ 交響組曲「天女と漁夫」(1933) 約20分

(3-2-2-B.Cla-2, 4-3-3-1, Timp, Marimb, Piatti, Tri-Ing, G.C, T.M, 四つ竹, 邦楽大小太鼓, Bass- Drum, Tom-tom, Cymb, Tamburo, Str. )
  天女の羽衣伝説をテーマにしたバレエ音楽風組曲。ナクソス「日本作曲家選輯」第1回リリースCDに収録 (沼尻竜典/東京都交響楽団)

  
・「弦楽のための特徴のある3つの舞曲」(1927) 約10分 (Str.)

 1. 一つの信念、2. 感傷的諧謔、3. 勝利の歓喜 の3曲から成る。日本情緒溢れる旋律が
魅力。第2曲はのちに管弦楽に編曲された。


 (橋本國彦/浄書譜作成中、及び今後作成予定のもの)

★ 「交響曲第2番」(1946)、 管弦楽曲「感傷的諧謔」(1928)



 ★ 須賀田礒太郎 (1907-1952/神奈川〜栃木)

 1907年 (明治40年)、横浜市に生まれる。山田耕筰、信時潔・菅原明朗・クラウス・プリングスハイム・近衛秀麿各氏に師事する。1935年 (昭和10年)、宮内省楽部管弦楽曲募集コンクールに「日本絵巻」作品1が入選したのを皮切りに、NHK管弦楽曲懸賞邦人作品コンクール、日本ビクター管弦楽曲懸賞等各種コンクールに相次いで入賞、一躍最も注目される作曲家の一人となる。しかし戦局の悪化により栃木県田沼町への疎開、そこで終戦を迎える。戦後、須賀田の名は中央楽壇から次第に忘れられていったが、逆境にあっても作曲活動を滞らせず、上演の可能性に関係なく数多くの管弦楽作品を相次いで作曲するほか、後進の指導にも励んだ。
 1952年 (昭和27年)、肺結核のため他界。1999年、栃木県南部にある田沼町吉水の古い蔵の中から、全遺品の入ったトランクが、実に彼の死後47年目にして発見され、2002年から2006年の間に3回に及ぶ「須賀田礒太郎の世界」コンサートが神奈川フィルによって開催され、大きな話題を呼んだ。2007年初夏にNAXOSより初の管弦楽作品集のCDがリリースされるや、レコード芸術特選盤となりベストセラーを記録した。

・ 祭典前奏曲 Op.2, SWV. 4 (1935)

  (2 (Picc.)-2 (C. Ing.)-2 (B.Cla)-2, 4-2-3-0, Timp, Piatti, 鞨鞁 , Tam-tam, Str. )

 1936年、日本放送協会主催の「祝祭典用管弦楽曲懸賞」入賞作品。雅楽をモチーフした一連の作品の一つ。

・ バレエ・カブリチオ SWV.12, Op.なし(1936)

  (2 (Picc.)-2 (C. Ing.)-2 (B.Cla)-2, 4-2-3-0, Timp, G.C, Piatti, Str. )

 宮内省楽部応募用に作曲されたが、コンクール自体が中止となったため、70年近くも実際に演奏されなかった。(初演は2004年3月、小松一彦/神奈川フィル) 須賀田の色彩感が光る佳曲である。


・ 國民詩曲「東北と関東」 Op.5, SWV.15 より第2曲「関東」(1938)

  (2 (Picc.)-2 (C. Ing.)-2 (B.Cla)-2, 4-2-3-0, Timp, Piatti, 鞨鞁 , Tam-tam, Str. )

 「國民詩曲」は、日本放送協会が各地方局の協力を得て全国から収集した民謡をテーマ とした管弦楽曲を、1938年から40年にかけて17名の作曲家に委嘱したシリーズ。この須 賀田の「関東」は「日本民謡のモチーフを、これほどまで見事に昇華した作品は他に例が 無い」と片山杜秀が絶賛した傑作。

・ 交響的序曲 Op.6, SWV.16 (1939)

  (3 (Picc.)-2-C. Ing.-3 (B.Cla)-2-C.Fg, 4-3-3-1, Timp,Tamb Picc, Piatti, G.C,Tam-tam , Str. )
 1939年日本放送協会作曲コンクール入賞作品。それまでフランス音楽や雅楽の影響を受けた作品を書いていた須賀田が、本格的に後期ロマン風手法を用いて作曲した作品。和声の転移や対位法の習熟が見事で、クライマックスのコラールは感涙もの。随所にヒンデミットの交響曲「画家マチス」の影響 (模倣?)が見られる。なおこの作品は、ナクソスよりリリースされた須賀田のCD ( 8570319J ) に収録さていれる。

・ 葬送曲「追想」 Op.12, SWV.24 (1941)

 (3 (Picc.)-2(C. Ing.)-2(B.Cla)-2-C.Fg, 4-3-3-1, Timp, Piatti, G.C, T.M, Tam-tam, Celesta, 2Hp, Str. )

 JOAK (現NHK) 委嘱作品。須賀田がその内的心情を最も吐露した作品と言える。序奏の葬列を思わせる不協和音の重々しい不協和音と、中間部の故人を偲ぶ浄化された美しい旋律との対比がまことに見事。この曲はのちに山本五十六大将国葬に使用されたため軍国主義の機会音楽のように誤解されているが、是非広く知られていい傑作である。65年振りの再演を期待したい。

・ 東洋組曲 「沙漠の情景」 Op.10 (旧・作品7) , SWV.22 (1941)

 (2 (Picc.)-2(C. Ing.)-2(B.Cla)-2, 4-2-3-1, Timp, Piatti, G.Cassa,Tam-tam ,T.M, Tom-tom ,   Tamb. de Basqu, Whistle , P, Hp, Str. )
 
 1941年8月8日に完成された作品で、時局柄当時巻き起こっていたアジア・ブームを彷佛 とさせる、まことにエキゾチックで親しみやすい内容を持っている。我々日本人が例えば アラビアン・ナイトやシェエラザードの世界に思いを馳せ、そうしたイメージを音楽とし て具現すると間違い無くこういう形となるという、まるで見本のような作品。中でも第4曲「東洋の舞姫」の美しさは比類が無く、指揮者・小松一彦は「この曲は、須賀田のテーマとなり得るもの」とさえ述べている。 曲は次の5曲から成っている。 
 1.聖地の巡禮, 2.砂漠の商隊, 3.砂漠の巡羅兵, 4.東洋の舞姫, 5.アラビヤ馬に跨りて
なおこの組曲の抜粋が2008年8月、名古屋で名フィル・メンバーにより室内楽編成で演奏され、驚異的な好評を得た。

・ 序曲 Op.16, SWV.28  (1944)

 (Picc, 2-2(C. Ing.)-2-2, 4-2-3-1, Timp, Tamb. milit. , G. Cassa , Str. )

 ドイツ古典派的な重厚な曲想をもち、音型といい曲の途中で出て来るフェミオレといい、明らかにベートーヴェンの「エロイカ」を意識したもの。緻密さと力感に満ちていながら、叙情的な素朴さも持ち合わせた作品である。

・ 木曽節パラフレーズ  Op.27-1, SWV.38 (1951)

 ( 2 (Picc.)-1-2-1, 2Alt Sax, T. Sax, 2-3-3-0, Tam tam, G.C, Piatti, 低音日本太鼓, Str. )

 1951年にNHKの放送用に作曲されたと思われる、民謡をモチーフとした「4つのパラフレーズ」の中の一曲 (他の3曲は安木節、カッポレ、八木節)で、その軽妙洒脱な曲調は色彩感溢れるオーケストレーションを基調として、まことに親しみやすい。常に一般大衆にオーケストラの楽しさを伝えたいと願っていた須賀田の、これは通俗的作品の代表作。

 《室内楽作品・他》

・ ソナタ・ロマンティック SWV.8 (1935)[Vn, P]
・ 弦楽四重奏曲第1番 (日本弦楽四重奏曲) Op.9-1, SWV.21 (1941)
・ 弦楽四重奏曲第2番「無調風」 Op.19, SWV.31 (1946)
・ サラセン舞曲 (東洋の舞姫) SWV.32 (1947) [P, Vn. Vc.]
・ 東洋の舞姫 [Vn, P/ 岡崎隆・編曲]
・ 東洋の舞姫[Str, P, Ob, 2Tp, 3Perc/ 岡崎隆・編曲]
・ 日本舞踊組曲 Op.22 (旧・作品19), SWV.37 (1950)[弦楽合奏版/ 岡崎隆・編曲]
・ 歌曲、合唱曲集 (「曼珠沙華」「秋の月」「ご飯の歌」他全21曲)


 (須賀田礒太郎/浄書譜作成中、及び今後作成予定のもの)

夜想曲 (1931) SWV. 1 ( 旧・作品1)、
An Inn Frihling (春のおとずれ) SWV. 3 ( 旧・作品3) (1931)、
前奏曲とトッカッタ Op.3 , SWV.9(1936)、
小管弦楽のための古典の瞑想 SWV.11, Op.なし (1936)、
日本郷土舞踏音楽出雲祭 SWV.13 Op. なし (1937)、
交響的舞曲 Op.4, SWV.10 (1938)、
國民詩曲「東北と関東」Op.5,SWV.15 (1938)、
天長地久 (雅楽的作品) Op.13, SWV.23 (1941)、
交響曲第1番ハ長調 Op.14 (旧・作品12 ), SWV.26 (1942 ) 、
「ピカソの絵」作品23, SWV.35 (1949) (未完成)、
日本舞踊組曲 Op.22 (旧・作品19), SWV.37 (1950)、
安木節パラフレーズ Op.27-2, SWV.39 (1951)
八木節パラフレーズ Op.27-4, SWV.41 (1951) 、
オペレッタ「宝石と粉挽娘」作品28, SWV.43 (1951)          他


 ★ 金井喜久子  (1906〜1986/沖縄〜東京)

 1906年、沖縄・宮古島で琉球王朝の芸能奉行をつとめた名門の家系に生まれる。沖縄第一高等女学校在学中に洋楽に興味を抱き、周囲の猛反対を押し切って1927年、中野音楽学校声楽科に入学、その後東京音楽学校にも進み、下総皖一、呉泰次郎、尾高尚忠、平尾貴四男らに師事。1938年、東京音楽学校研究科を修了後旺盛な創作活動を開始し作曲家集団「白涛会」に所属するなど、沖縄を代表する作曲家への道を着々と歩む。1939年、女性としては日本で初めての交響曲を発表し話題となる。1968年に書かれた大作・歌劇「沖縄物語」をはじめとして、金井は管弦楽曲、歌曲など実に様々なジャンルに沖縄情緒溢れる作品の数々を残した。彼女の作品は基本的に調性の枠の中で書かれ、沖縄風の美しいメロディーとダイナミックな民俗的リズムの魅力とに溢れている。

・ 交響詩曲「琉球の思い出」 (1939)

( Picc.-2-2-C.Ing.-2-2, 4-2-3-1, Timp, S.D, B. D, Cymb, Cast, Str. )
 
 金井喜久子が管弦楽のために作曲した初めての作品。当時低俗なものと偏見を持たれていた沖縄民謡を積極的に取り入れるなど、作曲者の大いなる意欲が伝わる佳曲。

・ 交響的序曲「宇留間の詩」 (1944/52改訂)

 ( Picc.-2-2-C.Ing.-2-B. Cla-2-C. Fg, 4-3-3-1, Timp, Kl.Trommel, Tri-Ing, Gr.Trommel, Becken, Tam-tam , Hp, Str. )

 「宇留間」とは、沖縄の古語で「うる=砂,ま=島」の意。1946年の「梯梧の花咲く琉球」と同じ宮古島の民謡を用いており、「梯梧の花咲く琉球」の先駆的な内容を持っている。 2007年7月、沖縄交響楽団により50年振りに再演された。

・ 交響詩曲「梯梧の花咲く琉球」 (1946)

 (2-2-C.Ing.-2--2-, 4-2-3-1, Timp, Tamburin, Piatti, Cymb, G.C, 〆太鼓, 日本太鼓, P. Str. )

 1947年、日比谷音楽堂において戦渦に傷ついた沖縄の人々を励まそうと「沖縄音楽と舞踊の集い」というコンサートが催された。この作品はそこで初演後再演される機会もなかったが、2005年海部交響楽団というアマチュア・オーケストラによって実に60年ぶりに再演され、翌年の愛知芸術文化センターにおける「金井喜久子生誕100周年記念コンサート」実現へと繋がった。2008年4月には本名徹次指揮オーケストラ・ニッポニカにより、東京でも演奏されている。沖縄の澄み切った青い空と海が瞼に浮かぶような、金井喜久子を代表する魅力的な作品。
 

・ 交響曲第2番 (1947)

 (3 (Picc.)-2-2--2, 4-2-3-1, Timp, Triangel, Kleine Trommel, Piatti, Cymbal P. Str. )

 1940年、金井喜久子はプロの女性作曲家としては日本で初めて交響曲を作曲した。その「第1番」は東京音楽学校の当時の作曲の師であった呉泰次郎の指示によって、日本的・民俗的な要素を悉く排した前期ロマン派風のものであった。「沖縄の民謡を取り入れた管 弦楽曲を書きたい」という自らの内的欲求に突き動かされた金井は1947年、単一楽章の「交響曲第2番」を作曲する。第1交響曲の出来映えに不満を抱いていた金井が、この第2交響曲では自らの思うままに書きたかったテーマを歌いあげている。

・ 沖縄綺想組曲  (1974)

 ( Picc.-2-2-C.Ing.-2-B. Cla-2-C. Fg, 4-3-3-1, Timp, Glock, Xylofono, Vibrafono,
  T.M, 〆太鼓, Cymb, Sus Cymb, S.D, G.C, Gong, 大太鼓, 銅鑼, Hp, Str. )

  1.巫女の踊り, 2.豊年踊り, 3.空手の3曲からなる沖縄民俗色溢れる組曲。 
 それまでになく多彩な打楽器群を用い、またオーケストレーションもレスピーギ等の影響を受けより多彩な色合いを見せるようになった、金井喜久子全盛期の傑作。「空手」では無調的な世界にまで踏み込んでいる。2006年、愛知芸術文化センターにおける「金井喜久子生誕100周年記念コンサート」で第1,2曲が久々に演奏され、翌年沖縄交響楽団によっても再演された。

・ 琉球舞踏組曲  (1944/81)

 ( Picc.-2-2-C.Ing.-2-B. Cla-2-C. Fg, 4-3-3-1, Timp, Tamb, Sus. Cymb, Cymb, Piatti, Tri. Ing, 〆太鼓, 大太鼓, 四つ竹, Xylofono, Glocken, Celesta, Marimba, Bongo, Gong, 三味線, Hp, P, Str. )

  1.月夜の踊り, 2.むんじゅる笠, 3.鳩間島の踊りの3曲からなる、前記の沖縄綺想組曲より素朴な味わいがあるが、これは沖縄独特の楽器・三線を使用していることと無縁ではないだろう。沖縄色を満喫出来る、思わず身体を動かしたくなるような、活き活きした音楽。


《室内楽作品・他》

・  ピアノと8つの楽器のための「琉球綺想組曲」 [P, Fl, Ob, Cla, Fg, SQ )


 この「琉球綺想組曲」は、これまで「八重奏曲」の通称で呼ばれて来たが、長らく楽譜の所在が不明となっていた。しかしこのたび奇跡的に発見され、ただちに演奏のための浄書楽譜が作られた。曲の編成はピアノの他、木管四重奏 (Fl. Ob. Cla. Fg.)と弦楽四重奏 (2Vn. Va. Vc.) の計9名の奏者のために書かれている。現在のところ作曲年代は不明だが、「ピアノ五重奏曲」と同様、N響メンバーのために書かれたものと推測される。(この曲は金井喜久子の一周忌に演奏された記録が残されている) 曲は第1楽章「巫女の踊り (のちに管弦楽に編曲)、第2楽章「若人の踊り、第3楽章「入船」の3楽章から成っており、金井作品の中でも特に沖縄色の強い作品と申言える。

・ 「ピアノ五重奏曲」(1951)、[P, SQ]


 「ピアノ五重奏曲」は、「琉球綺想組曲」とともに金井喜久子の室内楽曲を代表する作品で、作曲グルーブ「白濤会」作品発表会のために作曲され、1951年 (昭和26年) 4月12日に内藤芳枝のピアノ、日響メンバー によって初演された。その後、1966年6月、N響メンバーによるアメリカ文化センターホールでの演奏会(NHKラジオで放送) や、2001年12月27日に虎ノ門JTアートホールで行われたアフィニス文化財団による「日本の戦後音楽史再考」レクチャーコンサート(企画/高久暁、片山杜秀) で再演されている。(ピアノ/御室美佐子、ラ・ミューズ弦楽四重奏団) 最近では2007年7月に沖縄県浦添市てだこホールで行われた金井喜久子生誕100周年記念コンサートin 浦添で外間三千代のピアノ、沖縄交響楽団メンバーによる弦楽四重奏団により初めて沖縄で上演された。その一年後の2008年8月、今度は名古屋で西尾由希のピアノ、名フィル・メンバーによる弦楽四重奏からなる金井喜久子・メモリアル・アンサンブルで演奏され、好評を得ている。

 曲は全3楽章からなり、沖縄の五音音階 (ドミファソシ) による旋律が、西洋音階の三度を基調としたハーモニーと見事に融合しており、テクニカルでありながら叙情的なピアノの彩りも効果的で、独自な音世界を産み出す事に成功した傑作である。第1楽章で静かな序奏の後突如現れるリズミックな主題はすでに沖縄そのもの。中間部のポルタメントを効かせた旋律が、得も言われぬ美しさを醸し出す。チェロの内省的な主題で始まる第2楽章は、金井作品には珍しい本格的なフーガで、中間部では全員のピツィカートによるアッチェランドも聴きどころ。第3楽章は全曲中もっとも沖縄情緒に満ちており、喜久子は後年この楽章を「豊年踊り」というタイトルで管弦楽に編曲している。そのダイナミックで明朗溌溂とした音楽は、三線片手にひたすら踊りまくる沖縄の人々の見事な描写と言えるのではないか。


 ★ 尾崎宗吉  (1915 〜 1945 /静岡)


 1915年 (大正4年)、静岡県・舞阪に生まれる。尾崎が本格的に音楽の道に進むことをと決心するようになったのは、中学4年の頃であった。ハーモニカ部でリーダーシップを発揮する彼の華々しい活躍振りに、周囲の誰もが彼の音楽の才能に一目置くようになった。
 東洋音楽学校 (現東京音大)入学後は作曲を諸井三郎に師事し、入学後間もなく「小弦楽四重奏曲」を発表、たちまち注目を浴びた。卒業後尾崎は日本現代作曲家連盟に入会し、また小倉朗や安部幸明、深井史郎、山田和男らと自分たちの作品を演奏するための楽団「プロメテ」を結成、注目すべき作品の数々をたて続けに発表している。しかし25才の時 (1940年) 初の召集をうけた尾崎は以後3年の間、華北・台湾・南方を転戦、27才 (1942年)、無事帰還を果たしたものの1944年、ふたたび召集を受け中国各地を転々とする。そして従軍先で病気の為、30才という短すぎる生涯を閉じた。


・  田園曲  (1945) 

 (3 (Picc.)-2-2--2, 4-2-3-1, Timp, Triangel, Kleine Trommel, Piatti, Cymbal P. Str. )

  1945年3月14〜16日、あの忌わしい東京大空襲の爪痕も生々しい日比谷公会堂において、日響 (現N響)の定期公演が、山田和男の指揮により行なわれた。当日のプログラムでチャイコフスキーの交響曲第4番、ストラヴィンスキーの「火の鳥」という二大曲に挟まれる形でつましく演奏され注目を集めたのが、早逝の天才作曲家・尾崎宗吉の「田園曲」であった。しかしこの演奏会の時尾崎は応召先の中国にあり、自作の初演を耳にすることは出来なかった。そしてそのわずか2か月後に、虫垂炎のため30才の若さでこの世を去ったのである。尾崎がたった1曲残したこの「田園曲」は、戦争の暗い影を微塵も感じさせない爽やかな抒情と生き生きとした生命力とに満ちており、静かにその再演の日を待っている。


 ★ 高田三郎 (1913 〜 2000/愛知〜東京)


 1913 (大正2)年12月18日、名古屋・矢場町に生まれる。昭和14年、東京音楽学校作曲部を研究科まで終え、更に聴講科の指揮部に学び、信時潔、細川碧、片山頻太郎、プリングスハイム、フェルマー、グルリット、ローゼンシュトック、クロイツァー、福井直俊らに師事。研究科の頃から、日本の旋律をテーマとした作品をその創作の基本と定め、その最初の成果が、研究科の修了作として1941年に作曲された「山形民謡によるバラード」 (原題は「山形民謡によるファンタジーと二重フーガ」。1965年に改訂・改題) である。1848年に平尾貴四男、安部幸明、貴島清彦らと作曲グループ「地人会」を結成し、共同で作品発表を行なう。1954年、弦楽四重奏のための「マリオネット」を境に、高田の創作の中心は声楽作品へと移って行く。日本語の美しさ基調とし、誠実な人柄が滲みでる高田の合唱作品は多くの共感と支持を得、その後「水のいのち」や「心の四季」など、全国の合唱団のレパートリーに欠かせない傑作の数々が生まれたことは、万人の知るところである。

・ 合唱組曲「水のいのち」 (管弦楽伴奏版/T. マイヤー・フィービッヒ編)

  (cho, 2-2-2-2, 2-2-2-0, Timp, Tri-Ing, Tam-tam, Sus Cymb, G.C, Pt, 2Hp, Org, Celesta, Xylofone, Str. )
 「水のいのち」は言うまでもなく、日本の合唱作品の中で最も有名なものである。作曲者存命中から、この名作を是非オーケストラ伴奏版で歌いたい、という声は何度となく寄 せられて来たが、高田三郎が首を縦には振らなかった。この作品のピアノ伴奏版がたいそ うクロマティックに書かれており、管弦楽に編曲するのが難しかった、という事情もあっ たのだろう。しかし高田の最晩年、指揮者・小松一彦からの提案に高田は「やりましょう!!」と言ったと言う。しかしそれは遂に果たされなかった。2005年、南山学園の主催によ り開催された「ひたすらないのち/高田三郎作品演奏会」のために、T.マイヤー・フィー ビッヒの手によってついにこの名曲の管弦楽伴奏版が産み出され、演奏されたのである。
 

・ 合唱組曲「水のいのち」 (弦楽、P.伴奏版/今井邦男編)
・ 合唱組曲「私の願い」(作曲者自身による管弦楽伴奏版) ※フルスコア販売中 (3,500円/送料共)

 (cho, 2-2-2-2, 4-2-3-1, Timp, Hp, Triangolo, T-M, Piatti, G.C, Str. )
 こちらは「水のいのち」とは異なり、高田三郎自身の手による管弦楽伴奏版である。二管編成を基調とした前期ロマン派風オーケストレーションはまことに美しく、特に第2曲のフーガの迫力は、ピアノ伴奏版では得られないもの。なおこの作品の自筆譜は永くアマチュア合唱団とNHKとに別れて散逸していたが、2005年ようやく集約・浄書化したものである。

・ 管弦楽のための5つの民俗旋律  (1978/2000〔遺作〕)

 (2-2-2-2, 2-2-3-0, Timp, 2Hp, Celesta, T.M, T.R, Tam-tam , Pt. W.B, G.C, Str. )

  高田三郎はその最晩年、ある作品のオーケストレーションに没頭していた。その作品の 名は「管弦楽のための5つの民俗旋律」。原曲は1977年、ピアノを専攻しドイツの音楽大学に留学した愛娘・江里のために書かれたものだ。高田はその最晩年、この作品のオー ケストラ編曲に全霊を傾けた。しかし、あと第5曲の一部を残すのみというところで、主は氏を天に召された。その十数日前、氏はトーマス・マイヤー・フィービッヒに残り部分 の完成を託し、2002年、ようやく管弦楽版の完成に至ったのである。曲は次の5楽章から成っている。
 1. 北海荷方節 2. かくま刈 3. 子守唄 4. かんちょろりん 5.じょんがら節  
 高田の代表作「山形民謡によるバラード」にも通ずる、抒情味溢れた作品である。

・ 組曲「季節風」 (1942) 

(1.「春/野辺を吹く風」 2.「夏/大海原を吹く風」3.「秋/落葉を誘ふ風」 4.「冬/雪をもたらす風」 )
 ( 2 (Picc.) -2-2-2, 2-0-0-0, Timp, Hp, Cel , Pt, G.C, Str. )

・ 狂詩曲第1番「木曽節」 (1945)

 (2-2-2-2, 4-2-3-1, Timp, Tri-Ing, G.C, Tam-tam, Str. )

  2004年、高田三郎氏ご遺族のご依頼を受け、NHKアーカイヴスに問い合わせたところ、高田三郎初期の管弦楽曲作品の自筆譜が5曲、保存されていることが確認された。現在、順次浄書譜を作成しているところである。狂詩曲と題された2曲は各々、「木曽節」と「追分」(近日完成予定) をテーマとしており、親しみやすい内容を持った作品である。

・ ヴァイオリンと管弦楽のための譚詩曲  (1944)

 (solo Vn, 2 (Picc.) -2-2-2, 2-0-0-0, Timp, Pt, G.C, Str. )

  高田三郎夫人によると、この作品の主題は東北の子守唄を使用しているとの事だが、日本的というよりは北欧風の抒情が全編を貫く。恐ろしいまで地味な作品であるが、味わい深い作品には違いない。

・ 典礼聖歌集  (管弦楽伴奏版)

 (cho, 2 (Picc.) -2-2-2, 2-0-0-0, Tri-Ing, G.C, Pt, Tam-tam, Str. )


・ ミサ曲第1番

 (solo Vn, 2 (Picc.) -2-2-2, 2-1-3-0, Timp, Pt, G.C, Str. )

  人生の半ばでカトリックに帰依した高田三郎は、 典礼聖歌をはじめとする数多くの宗教音楽を作曲した。中には管弦楽曲伴奏用に書かれているものもあり、何れも敬虔な宗教的信念に貫かれた作品である。

《室内楽作品・他》

・ 山形民謡によるバラード (1941) [弦楽四重奏版/作曲者・編曲]
・ 山形民謡によるファンタジー [弦楽版/作曲者・編曲]



  ★ 小船幸次郎 (1907〜1982/神奈川)

   (写真提供/横浜交響楽団)

 1907年4月4日、横浜に生まれる。県立横浜一中を中退後1932年、横浜交響楽団を結成。1937年、第6回音楽コンクールに「第1序曲」が第1位、翌38年10月、第2回新響邦人作品コンクールに「祭りの頃」が入選した。1939年にはワルシャワの国際現代音楽協会音楽祭に「弦楽四重奏曲」が日本人として初入選し同年、イタリア外務省の中亜極東協会に音楽使節として迎えられ、サンタ・チェチリア音楽学校に1年間留学した。ヨーロッパにいる間各国を訪問し、各地で演奏を行った。特にポーランド、フィンランドで行なわれた「現代日本音楽の夕」では、自作のほか伊福部昭、平尾貴四男、松平頼則、清瀬保二、須賀田礒太郎、箕作秋吉らの作品の指揮をとり、シベリウスにも会った。帰国後は新交響楽団(現NHK交響楽団)、松竹交響楽団などの指揮を行い、また3ヶ月間にわたって満州に滞在し、定期演奏会の指揮のほか、満州各地を旅行して鞍山、撫順を主題とする作品を作曲した。
 戦後は主として横響を中心に、横浜市の音楽界に貢献する。1953年神奈川文化賞、1966年横浜文化賞、1978年文化庁表彰、1979年警察功労賞、勲五等双旭日賞を受けた。横響のフィリピン演奏旅行後、健康を害し、1982年2月17日、心不全のため死去。76歳だった。

・ 祭りの頃 (1937)

 ( Picc.-2-2-C.Ing.-2-B. Cla-2-C. Fg, 3-3-3-1, Timp, Tri. Ing, Castanette, Tamburino, T-M,
  Tam- tam, Piatti, G.C, Celesta, Str. )

 1938年 (昭和13年)に、指揮者・ローゼンシュトックらが審査を行なった新響 (現N響) 主催第2回邦人作品コンクールに、須賀田礒太郎「交響的舞曲」、山田和男「若者のうたへる歌」、平尾貴四男「隅田川」、荻原利次「日本風舞曲」とともに入選した、小船の出世作。同年6月には遠くローマ、ワルシャワ、ヘルシンキにおいて小船自身の指揮により伊福部昭の「日本狂詩曲」等と共に演奏された。この演奏はラジオを通じて、フィンランド の大作曲家シベリウスも耳にしたということである。曲は、日本の祭礼の様子を華やかな オーケストレーションで意欲的に描き切った、まことに賑やかなもの。

・ 横浜・1947  (1947)

 (朗読, 2 (Picc.) -2-2-2, 3-2-2-0, Timp, Tri. Ing, Piatti, Tamburino, Str. )

 戦渦に塗れた横浜の復興を願った横浜詩人クラブのメンバーによる詩の朗読の伴奏のために作曲したもの。「祭りの頃」とはうって代わった簡潔なオーケストレーションで聴かせる。



  ★ 大澤壽人  (1907 〜 53/兵庫)

(写真提供=神戸女学院/神戸女学院所蔵資料「大澤壽人遺作コレクション」より)

 1907年、神戸に生まれる。音楽理論を半ば独学で習得後ただちにアメリカに渡り、ボストン大学等で音楽理論を学ぶ。ボストン交響楽団を日本人として初めて指揮するなど、まさに順風満帆の活躍を示した後の1934年、パリに留学、エコール・ノルマルにおいてブーランジェやデュカス等錚々たる顔ぶれに師事する。1936年帰国した大澤は、新交響楽団 (現NHK交響楽団)を指揮し、自作の演奏会を開く。 帰国後の彼の代表的な作品として、小オーケストラとヴァイオリンの為の小協奏曲「中国の詩に寄せて」(1936)、そしてピアノ協奏曲第3番「神風」(1938) が挙げられる。戦時中、大澤は当時の社会が求める種類の音楽を求められ、紀元2600年を記念したカンタータやラジオ向けのセミ・クラシック音楽や映画音楽の作曲など、持ち前のバイタリティーで活躍を続けた。 戦後は関西を中心に、主にセミ・クラシックやポップスの分野での活動を開始。自らのオーケストラを組織し、ラジオのレギュラー音楽番組を持ち、クラシックからポピュラー、映画音楽に至るまで、求められるままに縦横無尽の作曲活動を行ない、また神戸女学院大学の教授を務めるなど想像を絶する多忙さが仇となり1953年10月、脳溢血のためまだ46歳という若さで、天才・大澤壽人はこの世に別れを告げた。

・ ヴァイオリン小協奏曲「中国の詩に寄せて」 (1936)

 (Vn. solo, 2 (Picc.) -2-2-2, 2-0-0-0, Tum-tum, Chinese-drum, Wood-block, Chinese-block, Cymb, Str. )

 フランス・アメリカへの留学から帰国後、大澤が自信を持って世に問うたヴァイオリンのための協奏曲。中国の詩をテーマにしており、中国の打楽器も使用しているが、どちらかと言えば大澤の洒落たセンス・エスプリが光る作品である。当時の聴衆には難解であったかも知れない。ヴァイオリンの華麗なテクニックも聴き物。

《室内楽作品・他》

・ チェロ・ソナタ ト短調 [Vc, P](1932)
・ ピアノ五重奏曲 ハ短調 [P, SQ](1933)
・ ピアノ三重奏曲 ニ短調 [P, Vn, Vc](1932)


 今後浄書譜作成予定のもの/ 弦楽四重奏曲 イ短調 (1933/近日完成予定)、
 五重奏曲 (Fl. Vn. Va. Vc. P)   (作曲年代不詳)、コントラバス協奏曲 (1934)




  ★ 安部幸明 (1911〜 2006/広島〜東京)


 1911年、広島県に生まれる。1929年、見事東京音楽学校 (現・東京芸大) チェロ科入学。
プリングスハイムに和声のレッスンを受ける。1937年より指揮法をローゼンシュトックに学んだ。1938年「ワインガルトナー賞」に「チェロ協奏曲」が見事入賞し、一躍脚光を浴びる。1939年作曲家仲間と楽団「プロメテ」を結成。1944年召集を受け、海軍水兵として終戦まで応召、1945年蒲田にて終戦を迎える。戦後は東京放送管弦楽団の指揮などを行ない、1948年から宮内庁楽部洋楽指揮者を努めた。1949年、高田三郎、平尾貴四男、貴島清彦らと作曲家グループ「地人会」を結成。1953年には広島エリザベト音楽短期大学教授に就任、翌1954年、京都市立音楽短期大学に転じ、以後1977年まで努めた。 1957年、管弦楽の代表作「交響曲第1番」を東京交響楽団で初演、毎日音楽賞・文部省芸術選奨を受ける。1960年には「交響曲第2番」を東京交響楽団で放送初演し、芸術祭奨励賞を受けた。また同年には1951年に作曲した「アルトサキソフォーンとピアノのための嬉遊曲」の管弦楽伴奏版を作曲、阪口新の独奏によってNHK国際放送で放送初演された。
 1965年「シンフォニエッタ」初演。1969年、京都市立音楽短期大学が4年制の芸術大学に移行すると共に、初代音楽学部長に就任。1977年に同大学を定年退職した後も、広島文化女子短期大学音楽科に5年間努めた。2006年12月、95歳で病没。

・ アルト・サキソフォンと管弦楽のためのディヴェルティメント (1951/60) 

 (A-Sax. solo, 2-2-2-2, 4-3-0-0, Tamb, Tamburo-basso, T.M, Tri-Ing, Hp, Str. )

 1951年に作曲した「アルトサキソフォーンとピアノのための嬉遊曲」を、60年に管弦楽伴奏版に編曲したもの。阪口新の独奏によってNHK国際放送で放送初演された。阪口はこの作品について「すべてのサキソフォーン奏者が取組むべき名曲」と絶賛し、以後同楽 器奏者の貴重なレパートリーになっている。特に第2楽章のサキソフォンの主題は美しい。2007年春ナクソスにより世界初録音されたが、ロシアの演奏者による演奏は全く冴えない。


 ★ 平尾貴四男  (1907〜 53/東京)


 1907 年、東京・日本橋で生まれる。裕福な家庭環境で育ち、慶應のエリート・コースを歩んだ平尾は、子供の頃からピアノやソルフェージュ・作曲も学んでいた。大学卒業後、本格的に音楽の道に進む決心わした平尾はフランスに留学。5年間にわたってスコラ・カントルムとセザール・フランク音楽学校で学んだ。1936年帰国後は指揮をローゼンシュトックに師事した。1937年「古代旋法による緩徐調 (古代讃歌) 」、翌1938年には「楽劇・隅田川」が相次いで新響邦人作品コンクールに入賞し、一躍注目されるようになって行く。1938年、日本放送協会から「国民詩曲」の作曲を委嘱された平尾は「機織唄による変奏曲 (俚謡による変奏曲)」を作曲、放送初演の他、小船幸次郎の指揮によりイタリア・ヨーロッパでも演奏された。
 大戦中、音楽家組織の中堅として統制団体の役職を担っていた平尾に与えられた仕事は、主に放送用の小編成のための作曲であった。相次ぐ空襲の合間にも、平尾はその作曲の手を休めなかった。1945年7月、平尾のもとにも遂に召集令状が舞い込む。遺書をしたため、平尾が従軍した部隊が九州に移動して間もなく、終戦を迎えることとなる。
「文化の最大の危機」と平尾自身が語っていた (1947/世界日報) 戦争が終り、平尾は早速現連の再建に参加する。そして1947年には国立音楽大学教授に就任した。1948年7月、平尾は安部幸明、高田三郎、貴島清彦らと共に作曲グルーブ「地人会」を結成し、室内楽を中心に活発な作曲活動を展開した。しかし最も脂が乗り切り、まさにこれからと言う40代半ば、平尾は病に侵されてしまう。1953年1月、慶應病院に入院した平尾はその後入退院を繰り返し、同年12月15日、遂に帰らぬ人となった。享年僅か46歳であった。


 (平尾貴四男/浄書譜作成中、及び今後作成予定のもの)

「古代旋法による緩徐調 (古代讃歌) 」(1935)、
「楽劇・隅田川」(1935)



楽譜作成工房「ひなあられ」が今後パート譜の作成めざす管弦楽曲/一覧

山田耕作
 交響狂詩楽「太胡船」(1924) 箕作秋吉 ローマン組曲 (1932) 管弦楽譜は破棄  菅原明朗 組曲 (1926) 15'/祭典物語 (1927) 25'  清瀬保二 日本民謡の主題による幻想曲 (1939)  大木正夫  交響舞曲「羽衣」(1939)51'  諸井三郎  音詩「冥想」(1928) /交響的断章 (1928) 10'/ 交響曲第1番ハ短調 (1934) 45' ベルリン放送初演/チェロ協奏曲ニ短調 (1937) 25' ベルリン初演/交響曲第2番 (1938) 40'/交響的2楽章 (1943) 他全作品 宮原禎次  日本古謡による交響曲第3 (1941) 27' 池内友次郎 短章組曲 (Vn+O.) (1934/15')/馬子歌 (1938/14') 呉 泰次郎 交響曲第1番 (1925) 26' /交響曲第2番 (1930) 23'/ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 (1935/22')/ヴァイオリン協奏曲第2番ニ短調 (1937/20') 平尾貴四男 日本民謡組曲 (1942/7')/ 楽劇「隅田川」(1935) /「古代旋法による緩徐調 (古代讃歌) 」(1935)、 大澤壽人  コントラバス協奏曲 (1934/30') S.クーセヴィッキーに献呈 他全作品 深井史郎 舞踏組曲「都会」(1936/13')/組曲「空想部落」の音楽 (1941/11')/満州民謡による交響的組曲「大陸の歌」(1943/20')/ 椰子の樹陰にて (1944/4') 尾高尚忠 ラプソディー (1937/8')/チェロ協奏曲 (1944/30') 安部幸明 主題と変奏曲 (1936/12')/小組曲 (1936/14')/交響的スケルツォ (1939/12')/チェロ協奏曲 (1942/18') (ワインガルトナー賞1等入選)他全作品 金井喜久子 交響曲第1番 (1940/25')/ 琉球舞踊組曲その1 (1944/15')他全作品 高田三郎 交響的楽章「アラマルチア」(1944/5')/狂詩曲第2番「追分」(1944/5')/舞踏組曲「新しき土と人と」 (旧名/「新しき泰」) (1945) 他全作品 早坂文雄 序曲ニ長調 (1939/10') (紀元2600年記念NHK管弦楽懸賞首席入選) 小山清茂 主題と変奏曲 (1941/9') 小倉朗 小管弦楽のためのノクターン (1942) 高田信一 小舞曲 (1939/5')/祝典序曲 (1940/9')/序曲「桜」(1941/13')山田和男 日本の俗謡による前奏曲 (1937/NHK管弦楽募集懸賞第1席)/若者の歌へる歌 (1938/第2回新響邦人作品コンクール入選)
/溝 (1938/ワインガルトナー賞受賞)/白夜 (1939)/序曲「荘厳なる祭典」 (1939)/交響的木曽 (1940)/交響組曲「印度」 (1940)/響ありき (1942)/小交声曲「竪琴によせて」(1944)/二つの慰安曲 (1944)/おほむたから (1945)/戦列に (1945)/日本の歌 (1946)/小交響曲「名人」(1956) 他全作品
( 受賞歴のある作品 )
池 譲
 ローレライの主題による変奏曲とフーガ (1932/第1回日本音楽コンクール入選) 大澤壽人 小交響曲ニ長調 (1932/ボストン交響楽団初演)  江藤 輝 舞踊組曲「或る劇への音楽」(1934/ワインガルトナー賞1等入選) 山本直忠 青春時代 (1934/第3回日本音楽コンクール第1位)  服部 正 西風に飜える旗 (第4回日本音楽コンクール第2位) 大築邦雄 管弦楽のためのトッカータ (第4回日本音楽コンクール入選) / 舞 (宮内省楽部募集雅楽に基く管弦楽曲入選)/行列 (ワインガルトナー賞2等入選) 萩原利次 交響組曲「三つの世界」(第1回新響邦人作品コンクール入選) 須賀田磯太郎 交響的舞曲 (1938/6') (第2回新響邦人作品コンクール入選) / 第1交響曲 (1943/27') (第1回ビクター管弦楽募集佳作入選) 他全作品 松本民之助 交響詩「文覚」(1937) (ワインガルトナー賞1等入選) 小船幸次郎 序曲第1番 (1938/7') (第6回日本音楽コンクール第1位) 清水 脩 花に寄せたる舞踏組曲(1939/25') (第8回日本音楽コンクール第1位) 冨岡正男 パッサカリア (1939/12') (第9回日本音楽コンクール第2位) 高田信一 序曲「桜(1940/13') (第10回日本音楽コンクール第2位) 戸田邦雄 交響序曲 (1943/13') (第2回ビクター管弦楽懸賞入選) /交響的前奏曲「伝説」(1944/14') (第2回ビクター管弦楽懸賞入選) 石桁真礼生 小交響曲 (1943/15') (第12回日本音楽コンクール入選) 渡辺浦人 グレゴリオ聖歌による管弦楽曲 (1942/ 5') 服部 正 瀧廉太郎への追想 (1944/16')
(「日本」をテーマとした曲)
池 譲
 組曲「日本」(1934) 20' 須賀田磯太郎 日本絵巻 (1936) 8' (宮内省式部職楽部雅楽曲募集入選) 
大木正夫 日本小品集 (1937) 16'/日本狂詩曲 (1938) 15' 萩原利次 演奏会用日本風舞曲 (1938)20' (ワインガルトナー賞2等入選、第2回新響邦人作品コンクール入選) / 日本組曲 (1938) 10' 八木 伝 組曲「日本古代舞曲」(1939)11' (紀元2600年記念NHK管弦楽懸賞入選) 近衛秀麿 日本組曲 (1942) 22' 高木東六 舞踏組曲「日本」(1942) 25'/日本民謡組曲 (1942) 18'