2016年09月01日(1/2)
img-responsive    亭主元気で留守がいい』の意味は、亭主は元気で働いてくれればあまり家にいないほうが楽だということ。 旦那は汗水たらして働き、給料さえ入れてくれればそれでいい。といった意味と思いますが、   
2016年09月01日(2/2)
そういえば、昔は、仕事、仕事で、家は、単なる、寝るところで、ア、、何の為に、結婚したんだと、ふと思う事が、度々あった。
男性にとって、利点は、煩わしい家庭のことは、妻に任せて、たた、黙々と、仕事のことだけ、考えていれば、それが、正当化された時代で、ある意味で雄の時代であった。
欠点は、雄の時代であったから、仕事が、出来ない、人は、会社では、軽んじられ、家庭では、カミさんに、愚痴られる、2重の苦しみが、待って居たかも知れません、
今は、夫婦共稼ぎが、多くなり、価値観が、変わってきました。『亭主元気で留守がいい』を若い人が聞いて、何を思うか、、、  『亭主元気で留守がいい』は1986年防虫剤大日本除虫菊〔株〕『タンスにゴン』のテレビCMから生まれたフレーズでこの年の新語・流行語大賞の流行語部門で銅賞を受賞

色々な金鳥CM集 タンスにゴン  『新防虫剤金鳥ゴン』6本連結・1985年~1995年  
2016年09月08日(1/2)
img-responsive    過労死や過労自殺をめぐる株主代表訴訟は全国初。適正な労働時間管理を怠り、銀行に損害を与えたと訴える。   
2016年09月08日(2/2)
こんな、何処にもありそうな、記事が新聞に載っていた。興味を持ったのは、過労自殺をめぐる株主代表訴訟は全国初という、個所だ、概要は、こんな内容である。
男性は為替・手形システムを改める作業の責任者を務めていた2012年10月、本店から飛び降りて亡くなった。 熊本労働基準監督署は死の直前4カ月間の残業時間は月113~207時間と推計。13年3月、働き過ぎで重いうつ病になったのが自殺の原因として、労災と認定した。  妻ら遺族5人は同年6月、肥後銀行を相手取り、損害賠償を求めて提訴。熊本地裁は14年10月、 従業員の健康に注意する義務を怠り、漫然と過重な長時間労働をさせたとして、慰謝料など計1億2886万円の支払いを命じた。 銀行側は控訴せずに判決が確定し、賠償金を支払った。
妻は男性が保有していた株式を相続しており、今回は株主の立場で株主代表訴訟を起こす。訴訟では、役員が過労死を防ぐ有効な体制作りを怠ったため、賠償金を支出することになり、銀行に「損害」を与えたとしている。 代理人の松丸正弁護士は「当時の役員の責任を認めさせると同時に、将来にわたって過労自殺の防止措置を取ってもらうことが訴訟の意義だ」と説明した。

何とも、直ぐには、意味が呑み込めない記事である。訴状内容は、 肥後銀行(熊本市)に勤務し過労自殺した男性(当時40)の妻が、当時の役員11人の経営責任を問い、 計約2億6千万円を銀行に賠償するよう求める株主代表訴訟を起こすことを決めたことが5日までに分かった。熊本地裁に7日提訴する。 銀行が妻ら遺族に支払った賠償金や「信用を失ったことによる損失分」などを補填するよう求める。
損害賠償は、既に判決が確定し、賠償金を支払ったから、個人としての決着は、ついたのように、思えますが、株主の権利としての、損害賠償は、同じ人が損害賠償しているので、 矛盾、二重に見えて来ます。
確かに、誰も個人責任を、負わない、または、会社全体責任の日本社会では、被害者の、恨みのぶつけるはけ口が、閉ざされていることも、否めない。
たとえ、勝訴して、2億6千万円を銀行に賠償をする、裁断が、下ったとしても、株主は、何の利益も被らないであろう、、、
訴訟目的が、過労自殺の防止措置であるが、役員の責任を認めることが、果たして本当の解決案になるのか、、、、、
一番矛盾しているのは、ここには、労働組合が、一言も出てこない、、、即ち、、既に中間管理職であり、、経営者側であることが、想像されるのである、、 労働者側の実務をしている、末端管理職を経営者側として、みなすことに、矛盾がないだろうか、、、、経営者側の序列が問題なのか、、、、、ふと思いました。
2016年09月09日(1/2)
img-responsive    夏風邪のため、昨日一日は、横になって、寝ていました。   
2016年09月09日(2/2)
夏風邪の治療(治し方)ですが、基本的に風邪のウイルスに対する薬というのはないようです。 そのため、できるだけ睡眠を取り体力や免疫力を高め、自然に治るのを待つというのが一般的なようです。
幸い、咳、鼻水、喉の痛みの症状は、ありませんでしたが、熱のため、関節、体が、重く、寝汗が多く出ました。長引くと嫌だーと思っていましたが、 一日寝たら、熱も引いて、普段の体が戻ってきました。
ウイルスと戦っている、時は、この世は、地獄のように、感じましたが、現金なものです、、世界が違って見えます。
特別な、事はしていませんが、とにかく、汗をよく流すので、ポカリスエットで、水分の補給をこまめにしました。それぐらいかな、、、、あと、、 風呂に入って、よく体を温め、新陳代謝が高める、、昔は、風邪をひいたら、風呂は、ダメと言われたが、、今は、入った方が良いと言われています。

夏風邪について調べてみると、
夏風邪と聞くと、なかなか治らない印象があります。 どうして夏風邪は長引いてしまうのでしょうか?
その理由としては、 室内と室外の気温差・温度差があげられます。 その差が大きければ大きいほど、 自律神経が乱れ、免疫力の低下につながります。 高温・多湿になる環境も、 ウィルスが活発化することを手伝っています。 これによって治りかけた頃に2次感染を引き起こし、 この繰り返しで、症状が長引いてしまいます。 間違った対処をしてしまうことで、 症状を悪化させるケースもあるようです。
そうか、体の調子は、いいが、今日はおとなしくしていよう、、
2016年09月11日(1/2)
img-responsive    自虐の詩』(じぎゃくのうた)は、業田良家による日本の4コマ漫画、『週刊宝石』に1985年1月4・11日合併号から1990年8月2日号にかけて連載された。またこれを原作とした2007年の日本映画。   
2016年09月11日(2/2)
BSマンガ夜話 「自虐の詩」 業田良家 (2004年) YOU Tubeで、偶然見た、 余りにも、衝撃的な紹介に、驚きと、、未読の漫画に興味を持ち、漫画の 単行本など、久しく買ったことがないが、アマゾンで、購入致しました。
「自虐の詩 上」が、先に発送されて来たので、半分ぐらい読んだ、状態である。「自虐の詩 上」を、我慢して読むと、「自虐の詩 下」で、感動すと、しきりに説明していたので、 確かに、まだ、どこがいいのか、実感出来ませんが、、、紹介を信じて、後を期待しましょう。

何時から、漫画が、斜陽になって来たんだ、、これを、見ると、、10年前位までは、NHKで、漫画紹介して、マスメディアに、認知されて放映権を取っていたのに、、
そういえば、映画化される、作品も、リメーク版が多く、、新作品のヒット作は、年々減少して、、まるで、バブルの崩壊と連動してきているようにも、感じられる。
社会が、平和で熟成してくると、作品も、熟成して、新鮮さがなくなるのも、自然なことかもしれません。なかなか、、共感、、感動する題材を見つける事は、年々難しく なって来たと思います。平和は、よいことであり、願いでもありますが、それが、余りにも、日常化すると、平和を唱える正義のヒーローは、陳腐に見えて、、作品として成立しににくなって来ている、様な気がいたします。
自虐?
自分自身を傷つけ、虐げることを意味する語。特に自分を貶めることで笑いをとるネタを自虐ネタと言う。
2016年09月13日(1/2)
img-responsive    スタンド・バイ・ミー映画を、テレビで、放映したのつい見てしまう   
2016年09月13日(2/2)
スタンド・バイ・ミーは、 ベン・E・キングの1961年のヒット曲  1986年に公開された映画の主題歌と思っていたが、可なり昔のヒット曲とは、最近まで知らなかった。
映画は、幾度となく鑑賞したので、あらすじは、頭に入っているので、新鮮味は、味わえないと、期待しない感覚で始めは、見ていた、、 子供の頃の開放的な気持ちと、未知えの恐れ、、旅、、は、何の疑問もなく、純粋な作品として、無理やり捉えていた。
『死体を見つければ有名になる。英雄になれる』と言う動機から死体探しの旅に四人で出かける、これなど、どう考えても、、子供の無邪気さからかい離しています。
その無鉄砲な行動が、それぞれの、見る側の想像に、任せた所に見えて来る。

Wikipediaによると、、 原作はモダン・ホラーの大家スティーヴン・キングの非ホラー短編集。原題は『恐怖の四季』の中に収められた秋の物語THE BODY(「死体(英語版)」)である。 これを、見ると、、『死体を見つければ有名になる。英雄になれる』と言うホラー設定は、妙に、納得できます。
物語の終わりでは、 ひと夏の冒険が終わり、四人はいつものように町外れで別れた。その後は進路もバラバラになり、お互い疎遠になっていく。大人になったゴーディは作家となり、クリスは猛勉強して弁護士に。 そのクリスとも最近は10年以上会っていなかったが、クリスが刺殺されたことを告げる新聞記事が、ゴーディに懐かしい過去を思い出させたのだった。仲間との友情、複雑な家庭環境のなかで、 あの頃のような友達は、二度とできることはなかったと、ゴーディは静かに思い返す。
タイトルのStand by Meとは、「自分のそばにいて」という意味と「自分の支えでいて」という意味である。歌の歌詞の意味は後者になるので、 映画のストーリーを考慮すれば「今の自分があるのは、子供時代の仲間が心の支えになっていたからこそであり、これからもそれは変わらない。」という趣旨になると思われる。
こんな、内容を発見するとつい、自分の子供時代を浮かべながら、自分の言葉として、コピーしたくなります。
2016年09月15日(1/2)
img-responsive    肩が痛い、40肩と50肩で検索すると、一杯出てくるが、60肩で検索すると、出てこなくなる。   
2016年09月15日(2/2)
あってもよさそうだが、有名な40肩で調べて見るか、
四十肩の慢性期では、鈍い痛みが続くようになり、腕や肩を動かしにくい状態になってしまいます。 そんな四十肩の慢性期の痛みを緩和し、可動域を広げるための治し方について具体的に説明します。 四十肩も慢性期になれば、激痛はなくなりますが、動かすとどうしても痛みが伴います。 そのため、慢性期における対策としては、動かせる範囲で体操などの運動をして可動域が狭まらないように気を付け、痛みのある部分を冷やさないよう温めてあげることが大事です。 痛いからといって動かさないと、肩も腕もどんどん動かなくなってしまいます。 正しい治し方としては、ムリのない程度で体操を続け、腕が上がらなくなったり、肩が動かせなくなることを防ぐことが重要です。 慢性期の四十肩は治し方を間違えると、痛みがなくなっても腕が上がらなくなったりするので気を付けましょう。

四十肩は、「肩関節の軟骨のすり減りによる関節の炎症」、「肩の関節を支えている筋肉の疲労による炎症や癒着」、「肩の関節や筋肉による神経の圧迫で起きる神経の痛み」、などが主な原因と言われています。
ただ、四十肩は熱を伴って激しい痛みのある炎症期以外では、動かさず安静にしていると関節が固まって可動域が狭くなり、どんどん悪化していってしまいます。
しっかりと治すためには筋トレやストレッチが必要になってきますから、そのためにもまずは薬で痛みを緩和しつつ原因も解消していきましょう。

肩の、可動を広げると痛むので、あまり動かさず安静していたら、症状が、だんだんと、関節が固まって可動域が狭くなり、どんどん悪化したようだ、、、
調べると、どうも、無理しても、動かした方が良い、
痛いのを、我慢して、可動範囲を、広げる運動をして見ることに致しました。 今までに肩こり、腰痛、など極端な重い症状を、幸い経験したことがないので、、世間でいう、四十肩・五十肩とは、こんなことなんだ、と改めて、実感しています。
2016年09月22日(1/2)
img-responsive    今月の18日中学の同窓会がありました。出席は、常に皆勤賞です。   
2016年09月22日(2/2)
2016年9月22日(1/2)
出席率は、26%で、まず、まずである。高校同窓会は、15%位の出席率であるから、、出席率が、自然と高く感じます。
中学同窓会、高校同窓会は、開催されれば、必ず出席いたしております。カミさんから、『皆勤賞』と言われています。
個人的に、残念なことは、出席者が、年々固定化されて、今では、9割が、固定メンバーです。

同窓会の出席を良くするwebの中で、感心させられ記事が、ありました、こんな内容です。
同窓会幹事長になった時に新しいルールを作ったそうです。そのルールとは「名刺交換の禁止」です。そしたら、多くの同窓生が集まるようになったそうです。 一般に同窓会というと、自分はこんなに立派になったという自慢会の要素が多いです。でも皆が自慢できる状況にはないですね。だから行きたくなくなるのです。 この「名刺交換の禁止」は自慢会を止めて単なる懐かしい友の会にしようとしたのです。
60代になれば、名刺交換は、殆どなくなりますので、余り効果を、望めませんが、40代50代は、一番格差が、出る時期であり、出席率が、極端に減る時期でもあります。
肩書が、良いと出席しやすいことは、確かです、、残念ながら、それが、現実ようです。始めは、過去の話題に、話が弾みますが、話が一巡すると、勤め先、仕事の話題に、 無意志のうちに、なって来ます、、自然と、不愉快に感じる人も、いるはずですが、特に、肩書の立派な人ほど、無神経に振る舞います。ですから、足が遠のく気持ちが、 良くわかります。
60代になれば、そう言った、自慢話は、減って来て、純粋に、懐古話が、主体になって、面白い話題に自然と落ち着きますが、、その年になるまでに、可なりの人が、減ってきていることが、 現状で、、、そのメンバーで、9割が、固定されるのは、誠に残念であります。
特に、過去に、悪いこと、身勝手な事をした、相手に対して、、一生謝る機会を失うことになるからです。
2016年09月24日(1/2)
img-responsive    新貧乏物語が、購読している新聞に連載されています。今日は、朝刊に、全面に大きく取り上げられている   
2016年09月24日(2/2)
内容は、年金制度の国際比較で、◆収入が現役時の35%になることを、強調しています。
現代の貧困や格差に目を向ける連載「新貧乏物語」は「敬老の日」(19日)があった今月半ばに第6部「年金プア」を掲載し、年金をもらいながらも生活苦に直面している高齢者を取り上げた。 老後を豊かに過ごすための年金だが、日本は世界一の長寿国でありながら他国よりも制度面で見劣りする部分がある。低所得で年金の掛け金を支払えない現役世代が増え、 将来的な制度維持を危惧する識者もいる。年金の今をデータなどから検証する。

◆収入が現役時の35%になることを、所得代替率と言い、OECD加盟国34ヵ国の中で、5番目に低く、退職後の年金生活になると、現役時代の約3分の1に減らされる。 平均は、53%であるので、日本社会は、年金だけでは、老後は、豊かに暮らせないを、世界と比べて説明しています。 日本と同じ、国は、ドイツ38%カナダ37%アメリカ35%であり、いずれも、力のある、先進国であります。
財政破綻で騒がれる国、スペイン82%.ポルトガル74%.イタリア70%.ギリシャ67%は、逆に、所得代替率が、高い、、それにより年金だけで、老後は、豊かに暮らせますが、、手厚い社会は、 財政を蝕み未来に借金を残す原因にもなりますから、、数値が高いから、、良いとは、必ず言えない、、どこでバランスをとるか、それが、本質であろう
だが、メデアは、ある一方向の数字を、取り上げ強調して、貧困や格差に、関連して、読者の関心を引くことが、仕事であるから、、なかなか真実が、伝わらないのも、しかたがないだろう、、
2016年09月25日(1/2)
img-responsive    1995年に放送し、大きな反響を呼んだNHKスペシャル「映像の世紀」    そして、新シリーズ「新・映像の世紀(全6本)」も2015年10月25日から放映された。
2016年09月25日(2/2)
NHKスペシャル 新・映像の世紀 第1集「百年の悲劇はここから始まった」
音楽が、懐かしく、思わず引き込まれてみてしまいました。
中学生で学校で見た、『西部戦線異状なし』という映画、社会人に、なって、観た、『アラビアのロレンス』最近観た『レッドバロン』という映画懐かしさとともに、薄い記憶を思い出しながら、 歴史的な、本来の映像を突き付けられ、夢から覚める思いでした。
やはり、現実を見せられると、映画と違うな!、ヒーローなんていないんだ。 しかし、たかが100年前に、こんな事が、本当にあったとは、アンビリーバブルです。

敗戦国、ドイツの賠償額が、国家予算の20年分と聞いたとき、常識として、やり過ぎ、、そりゃードイツは、怒るで、、
『パリは燃えているか』は
1995年から毎月1回11か月にわたって放送されたNHKスペシャル番組「映像の世紀」メインテーマ曲。ドキュメンタリー番組自体の人気もさることながら、感傷的で悲壮感漂うテーマ曲は単独での演奏機会も多く、他のオムニバス系アルバムに収録される機会も少なくない。 作曲者は、テレビドラマや映画のサントラを数多く手がける加古 隆(かこ たかし/1947-)。「映像の世紀」以外にも、「にんげんドキュメント」(2000年~2007年)、「シリーズ日米安保50年」(2010年)など、NHKスペシャルのドキュメンタリー番組にテーマ曲・サントラ作曲家として多数参加している。
2016年09月29日(1/2)
img-responsive    Lotus Notesは1989年に登場した、クライアントサーバー型のグループウェアであり、グループウェアという言葉を市場に浸透させたソフトウエアであるといわれている。   
2016年09月29日(2/2)
電子メール・掲示板・データベース・スケジュール管理などの機能を備える。とても使いやすく、会社が、長らく使っていた一つのツールである。2010年頃に、Notes→Microsoft Outlookに変わるまで 馴れ親しんだ、メールが、既読されたか、色別に表示される機能は、とても重宝致しました。しかし、時代ともにシンプルさが、なくなり 『手軽に設計開発ができて、それですぐに組織内の情報共有ができるのが一番の売りだったノーツというのはもう既に別の製品のように なる』、記事がWebに載るようになりました。
製品寿命が短い業界において、まだ、健在であるようであるが、個人用パソコンには、向かないので、退職後その存在を忘れていました。表計算で有名な、 日本IBMから発売されている「Lotus 1-2-3(ロータス1-2-3)」が、2013年6月11日で営業活動を終了の記事をよんで、懐かしさが浮かんできた。

1990年代に入り、「ワード」「エクセル」VS「一太郎」「ロータス1-2-3」の構図で争ったが、格安でアップグレードできる「コンペティティブアップグレード」を展開した。目先の利益よりも、確信していたからだ。このアップグレードで、 ユーザーはマイクロソフトの手中に「ワード」「エクセル」続々と墜ちていったようである、
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END