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P11 『Duke Ellington, Caravan, Juan Tizol 1952』
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エドワード・ケネディ・デューク・エリントン(Edward Kennedy "Duke" Ellington、1899年4月29日 - 1974年5月24日)は、アメリカ合衆国 ワシントンD.C.出身のジャズの作曲家、ピアノ奏者、オーケストラリーダー。 「デューク(公爵)」というニックネームは、子供の頃から自然な優雅さ、身嗜みを身に付けきちんとした服装をしていたことから、親友エドガー・マッケントリーによって付けられた。
【Wikipediaより出典】
Duke Ellington, Caravan, Juan Tizol 1952/ キャラバン(Caravan)はジャズの楽曲。1935年、デューク・エリントン(Duke Ellington)と、エリントン楽団のトロンボーン奏者ファン・ティゾールが作曲した。 エリントン自身お気に入りの曲で、何度も再録音している。ジャズ以外の分野でもスタンダード・ナンバーとなっている。
  
P12 『 Louis Armstrong - Saint Louis Blues』
img-responsive2017年
ルイ・アームストロング(Louis Armstrong, 1901年8月4日 - 1971年7月6日)は、アフリカ系アメリカ人のジャズミュージシャン。 サッチモ (Satchmo) という愛称でも知られ、20世紀を代表するジャズ・ミュージシャンの一人である。 サッチモという愛称は「satchel mouth」(がま口のような口)というのをイギリス人記者が聞き違えたとする説や、「Such a mouth!」(なんて口だ!)から来たとする説などがある。その他、ポップス (Pops)、ディッパー・マウス (Dipper Mouth) という愛称もある。
【Wikipediaより出典】
Louis Armstrong - Saint Louis Blues
タイトルのとおりブルース進行で作曲された楽曲であり、ジャズのスタンダード・ナンバーとして知られる。作曲者本人による歌詞もつけられている。様々なアーティストのカヴァーが存在する。
引用:ウィキペディア

  
P13 『George Benson playing Breezin』
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ジョージ・ベンソン(George Benson, 1943年3月22日 - )は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグ出身のジャズ・フュージョンを中心に活動しているギタリストで歌手。 3歳よりプロの道を目指す。1963年、ジャック・マクダフのバンドに加入。1964年、マクダフのサポートを得て、The New Boss Guitarでバンド・リーダーとしてもデビューする。1968年には、 マイルス・デイヴィスの初のエレクトリック・ジャズ作品マイルス・イン・ザ・スカイ('Miles in the sky')のレコーディングに参加。 初期はウェス・モンゴメリー系のストレート・アヘッドなジャズを演奏していたが、1970年代以降はフュージョン系のアーティストに転じる。1976年にワーナー・ブラザース・レコードに移籍、この年に発表したBreezin' はプロデューサー、トミー・リピューマを迎えており、タイトル曲は彼の代表作となるほどにヒットした。このアルバムに収録された「マスカレード (This Masquerade)」で、ヴォーカリストとしても注目される。
【Wikipediaより出典】
タイトル曲である「Breezin'」は、テレビなどでもBGMとして使われることも多いので、聴いたことがある人は多いと思うが、まさにそよ風のような爽やかな曲。
1976年ごろの曲でありますが、 「動詞breezeの現在分詞がbreezingです。 口語的表現で最後が省略されてこう表記しています。 意味は「そよ風が吹く」ということです。 歌詞がわからないので想像ですが、「そよ風の中で」「そよ風に吹かれながら」という感じでしょう。」 web回答に書かれていました。
  
P14伊福部昭/バンドのための「ゴジラ」ファンタジー karenda16-2.html#contact8-1
img-responsive2016年
伊福部 昭(いふくべ あきら、1914年〈大正3年〉5月31日 - 2006年〈平成18年〉2月8日)は、日本を代表する作曲家の一人。ほぼ独学で作曲家となった。日本の音楽らしさを追求した民族主義的な力強さが特徴の数多くのオーケストラ曲のほか 、『ゴジラ』を初めとする映画音楽の作曲家として、また音楽教育者としても知られる。 1914年(大正3年)、北海道釧路町(釧路市の前身)幣舞警察官僚の伊福部利三、キワの三男としてうまれる。小学生の時、父が河東郡音更村の村長となったため、音更村に移る。同地でアイヌの人々と接し、彼らの生活・文化に大きな影響を受けた。 代表作の一つ、『シンフォニア・タプカーラ』(1954年)は、この時のアイヌの人々への共感と、ノスタルジアから書かれたという。また、この頃から父親に『老子』の素読をさせられる。 1926年(大正15年)、12歳。札幌第二中学(北海道札幌西高等学校の前身)入学。中学時代に後の音楽評論家で、生涯の親友となる三浦淳史と出会う。初めは絵画に熱中し、 1年上の佐藤忠良(彫刻家)らと美術サークル「めばえ会」を結成]。地元で展覧会も開いたという]。その後音楽に関心を持ち、バイオリンを独学で始める。さらに三浦の「音楽やるには作曲やらないと意味がない」とそそのかされ、本格的に作曲も始めた。 1932年(昭和7年)、18歳。北海道帝国大学(北海道大学の前身)農学部林学実科に入学
1935年(昭和10年)、21歳。大学を卒業後、北海道庁地方林課の厚岸森林事務所に勤務。アメリカの指揮者フェビアン・セヴィツキー(クーセヴィツキーの甥)の依頼により『日本狂詩曲』(当初全3楽章)を作曲し、ボストンへ送る。 結果は伊福部が第1位に入賞し、世界的評価を得ることとなった。この時の第2位は、伊福部と同じくほぼ独学で作曲を学んだ松平頼則であった。
【Wikipediaより出典】
  
P15 『バンドのための「ゴジラ」ファンタジー』
img-responsive2016年 img-responsive2023年
バンドのためのゴジラファンタジー 2014年6月14日のファンタジーコンサートで演奏された1曲。
  
P16 『加古隆クァルテット・パリは燃えているか』
img-responsive2016年
『加古隆クァルテット・パリは燃えているか』 加古隆クァルテット『パリは燃えているか [Takashi Kako Quartet / Is Paris Burning]』
NHK「映像の世紀」メインテーマ曲 加古 隆(かこ たかし、1947年1月31日 - )は、日本の作曲家、ピアニスト。 大阪府豊中市出身。東京藝術大学作曲科卒、同大学大学院修了。パリ国立高等音楽院卒。息子は俳優・声優の加古臨王。 1947年に、音楽とは全く縁のない家庭に生まれ、大阪府豊中市で育つ。音楽との出会いは小学校のとき。知り合い宅に行った際、 当時日本ではまだ珍しかったレコードプレーヤーと、1枚だけあったLPレコード。そのレコードを聴いた加古は大変心地よくなり、これを機にその知り合い宅へレコードを聴きたいがために、泊り込みで通うようになり、 枕元にプレーヤーを置いて何度も何度も音楽を聴きながら眠った。この曲がトスカニーニ指揮、ベートーヴェン作曲の交響曲第5番『運命』であった。
【Wikipediaより出典】
  
P17 『Healing of smooth jazz and beautiful scenery 』
img-responsive2016年
『Healing of smooth jazz and beautiful scenery 』 総人口 1,439,913人 沖縄県(おきなわけん)は 一般にはおおよそ亜熱帯とされる気候であり、一部は熱帯に属する。日本の中では年間を通して温暖な気候であり、また最高気温と最低気温の差も小さい。だが、平均的には最高気温自体はさして高いものではない。 産業としては2010年現在、85.5%を第三次産業が占めており、観光に依存する部分が非常に大きい。第一次産業は2%にすぎず、第二次産業も12.4%と割合としては低調である。 太平洋戦争では、地上戦(沖縄戦)の末にアメリカ軍(米軍)が占領した後、1972年(昭和47年)までの四半世紀にわたり、一貫して米軍の施政権下に置かれた。1972年の沖縄返還時には、 日本は返還協定の「特別支出金」として米国に総額3億2000万ドルを支払っている。現在の為替レートで約5000億円(2016年10月時点)
【Wikipediaより出典】
松田聖子・沖縄 景色Healing of smooth jazz and beautiful scenery 冬は、こんな温暖な気候で、海と空に囲まれている場所で、何もしないで、都会の喧騒した、雰囲気を思い浮かべて、ダラリ~トのんびりと暮らしたいね、
  
P18 『You've Got A Friend / Carole King』
img-responsive2017年 img-responsive2018年
キャロル・キング(Carole King, 1942年2月9日 - )は、アメリカの女性シンガーソングライター・作曲家。 本名キャロル・ジョーン・クライン(Carol Joan Klein)。ニューヨーク市・ブルックリン生まれ、1958年に歌手デビュー。 1人目の夫、ジェリー・ゴフィンとの間に生まれた長女のルイーズ・ゴフィンも、シンガーソングライターとして活動している。離婚歴2回(最初の夫はジェリー・ゴフィン、2番目の夫はベーシストのチャールズ・ラーキー)。 1977年には3人目の夫となるリック・エヴァーズと結婚したが、翌年リックの麻薬禍により死別している。
【Wikipediaより出典】
When you're down and troubled
あなたがダウンして困っているとき
And you need some loving care
そして、あなたは愛情深いケアが必要です
And nothing, nothing is going right
そして、何も、何も起こっていない
Close your eyes and think of me
目を閉じて私のことを考えて
And soon I will be there
すぐに私はそこに行きますがすぐに現れて
To brighten up even your darkest night
あなたの最も暗い夜さえ明るくする
You just call out my name
あなたは私の名前を呼び出すだけです
And you know wherever I am
あなたは私がどこにいても知っています
I'll come running to see you again
私は再びあなたに会いに駆けつける
Winter, spring, summer, or fall
冬でも春でも夏でも秋でも
All you have to do is call
あなたがしなければならないことは、電話だけ
And I'll be there
そして私はそこに行くだろう
You've got a friend
あなたは友達がいる
  
P19 『 Chuck Berry "Jonny B Goode"』
img-responsive2017年
チャールズ・エドワード・アンダーソン・ベリー(Charles Edward Anderson Berry、1926年10月18日 - 2017年3月18日)はアメリカのミュージシャン・ギタリスト。「チャック・ベリー(Chuck Berry)」の名で知られる。
ロックンロール創始者の1人で「ロック界の伝説」と敬われ、最初期のギター・ヒーローとして認知されている。
特徴的なギターリフを使った音楽スタイルは、後輩ロックミュージシャン達に多大な影響を与えた。また、社会的メッセージが込められた数々の歌は、1950~60年代の若者に共感された。
独特のギター奏法とギターを弾きながら腰を曲げて歩く「ダックウォーク」が話題となった。

【Wikipediaより出典】
"Jonny B Goode"
Deep down in Louisiana close to New Orleans Way back up in the woods among the evergreens There stood a log cabin made of earth and wood Where lived a country boy named Johnny B. Goode Who never ever learned to read or write so well But he could play the guitar just like a ringing a bell
ルイジアナのかなり南方ニューオーリンズのほど近く 深緑の森の奥深く 粗末な木の小屋が建っている そこに住むのはジョニー・B・グッドという田舎者の青年 勉強、読み書きはできないが 驚くようなギターを弾く
Go go Go Johnny go 行け 行くんだジョニー
He used to carry his guitar in a gunny sack Go sit beneath the tree by the railroad track Oh, the engineers would see him sitting in the shade Strumming with the rhythm that the drivers made People passing by they would stop and say Oh my that little country boy could play
ガンニーの粗末な袋にギターをいれて 鉄道線路の脇の木陰に腰掛ける 鉄道技師は木陰で演奏する彼を見ていた 列車のリズムに合わせてギターをかき鳴らす 通りがかった人は足を止めこういう 「おお、この坊主なかなかやるじゃないか」
Go go Go Johnny go
His mother told him "Someday you will be a man, And you will be the leader of a big old band. Many people coming from miles around To hear you play your music til the sun goes down Maybe someday your name will be in lights Saying Johnny B. Goode tonight."
母親はこう言っていた。「いつかオマエは立派になって 有名実力派バンドのリーダーになるだろうね 大勢が遠くからわざわざ来て 日が落ちるまでオマエの演奏を聴く そしていつかオマエの名前がライトアップされてこう言われるのさ 今夜はジョニー・B・グッドの登場だ!なんてね」
  
P20 『睡眠用BGM』心療内科医も聞いて寝るほどよく寝入る音楽
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全く関係ないが、『悪い奴ほどよく眠る』こんな言葉が浮かんだ、
『悪い奴ほどよく眠る』(わるいやつほどよくねむる)は、1960年(昭和35年)に公開された日本映画である。監督は黒澤明。 父を殺した現代社会の機構の悪にいどむ男の物語。
タイトルは、本当に悪い奴は表に自分が浮かび上がるようなことはしない。人の目の届かぬ所で、のうのうと枕を高くして寝ているとの意味であり、冒頭のみならず、ラストシーンでもタイトルが大きく出る。
【Wikipediaより出典】

END

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