2018年3月15日(2/2)
日本では、カミナリ族、サーキット族、ナナハン族、。
草創期、昭和40年代前半は、高価で中産階級以上の家庭の子弟が多かった。
昭和40年代後半になると若者の多くが高校に入ると同時に二輪車運転免許を取得するようになる。
昭和50年代に入って若者でも買えるオートバイが発売されると、自動車やオートバイが特別好きなわけではない若者にも爆発的に普及し、
オートバイを乗り回すのが当たり前の風景となるほど大衆化する。
しかし速さや運転技術を追求するよりも目立つことを目的にする暴走族、「武闘派」が、台頭して 社会問題になり、
不良っぽいイメージが、定着して、いまだにその後遺症が残っている。
二輪車16歳で、免許が取得できる時代、工業高校の大半が、オートバイの免許を、持っていた。
私も皆と同じで、高校授業をサボって取りに行った。別に特別夢中になったわけではない、周りに流されていただけである。
大型バイクを、持っている人は、クラスのヒーローであった。メカニック、運転技術が、話題の中心であった。
当然ヒーローには、成れなかった。
田舎だったかも知れないが、暴走族のように、徒党(ととう)を組むこともなく、おとなしい愛好者が多かった。
18歳で、四輪車の免許を、取得すると、嘘のように、皆、バイクから遠ざかって行った。

これを、見る、前まで、「ヒーロー」は、日本のヒット曲だと、信じていた。

公道で、迫力ある、オートバイのレースを、身近に楽しむことが、出来る。日本では、ありえない風景です。