KAKO  ARCHITECT   &   PARTNERS

建築  雑コラム 2  

Architecture         The s   Column  
前のページ   次のページ
「安藤忠雄と壁式」

壁式のヨーロッパでラーメン構造の建築が新しい建築の流れをつくったのですが、
柱梁のラーメン構造主体であった日本で壁式構造を得意とした安藤忠雄が有名になったのは
お互い全く逆の状況で面白い現象となる、悪く言えばない物ねだり?
「普段見慣れない空間は刺激的である」 
これは旅行で出会う風景の刺激にも共通する。(2012.2.22)

                 


安藤さんは「住吉の長屋」で大きく方向が決定されたと思います。(それまではスタイルが決まっていなかった)
この住宅はローコストで長屋の中間を抜き取って建て込まれた
それゆえ材料も、空間も、ストイックにならざる負えなく
それによって生まれた緊張感のある空間が私も好きでした。
この住宅は学会賞など数多く賞をいただいた作品ですが
雨の日には傘をささなくては生活できないなど批判も多かった住宅です。
しかし住宅はここに棲む住人が納得されていればそれでよい事で
(これが住宅設計の基本で、納得されなかったミースは裁判になりましたし、コルビュジェのサヴォア邸はほとんど使われなかったそうです)
この住宅のクライアントはこの空間を楽しんで体力的に現在も頑張って生活してみえます。
むしろクライアントに賞をあげたいくらいです。(2012.2.23)

私は1976年に竣工した「住吉の長屋」以上に評価を受けてもよいと思うRC造壁式で打ち放しの住宅があります。
それは、鈴木洵さんの 森山邸で1971年に竣工しています。 



田園調布の角地に建つ住宅で私が最初に勉強させていただいた、LAND建築事務所の現場への途中にあり
感銘を受けた建物です。(2012.2.24)

「LAND建築事務所」

[住吉の長屋」の発表された時に現場に行っていましたが、その建物がRC打ち放しで中庭のある良く似た形態の建物でしたので
「住吉の長屋」を同じような事を考える人もいるのだと思っていました。
その時私が作った1/20の段ボール模型です。

       

構成はよく似ていますが、安藤さんはストイックでLANDの所長の三橋満さんは生活の細部に対応した分「饒舌」になったと思います。
そしてラーメン構造でした。(2012.2.25)


LAND建築事務所について書きます、大学の時私は昨年末に亡くなられました、故菊竹清訓先生の作品が好きで恩師故志水正弘先生に
お願いして菊竹清訓建築設計事務所の面接試験まで達する事が出来、あこがれの菊竹先生に面接する所まで行きましたが、
院生の募集がすでに決まっており採用されませんでした、数日後菊竹事務所の方から事務所OBで人を探していると紹介があり、
縁あってLAND建築事務所に入所しました。事務所は当初菊竹事務所出身の三橋満さんと日大の同級生で村野藤吾、丹下健三事務所に
みえました広瀬哲久さんとで運営されていましたが、1年ほどして広瀬さんは自分の事務所をつくられました。
写真は菊竹清訓先生のスカイハウスと東光園です。 (2012.2.26)

            

事務所は表参道のヨックモックの前にありました。三橋さんの大学の同級生の椎名英三さんの事務所や、菊竹事務所の先輩の伊東豊雄さんの
事務所、長谷川逸子さんもアルバイトして篠原先生のところに通われていました。菊竹事務所の同期で一時期共同で事務所をされていました、富永譲さん、長尾重武さんも見えました。そんな時代で皆さんアパートの一部屋のようなところで2〜3人くらいの所員の小さな事務所でした。
当時の新建築で槇文彦先生が「平和な時代の野武士たち」と論された時代でした。(2012.2.27)


「住吉の長屋」に戻って1980年ころは、安藤さんの影響が強いのか内外コンクリート打ち放し、の建物がよく雑誌に載りました。
(現在白一色のフラットルーフが多い様に)
内外打ち放しで、木製建具、シンメトリーの建物をするといっぱしの建築家に皆さんなったように勘違いされる先輩達を見て

私は内外打ち放し、木製建具、シンメトリーのデザインを自ら採用する事を禁止しました。(自分で錯覚しないために)

日本ではシンメトリーは神社仏閣以外使いませんでした、西洋ではよくあるのですが。
シンメトリーは、左右対称になったデザインで左右のバランスが自然にとれるのであまり技量のない人でもデザインできます。
逆に言えばデザインの下手な人はシンメトリーで案を出せばまあ見られるものになる。
また神社仏閣のデザインですから、哲学的に偉そうに見えるのです。
LAND建築事務所の三橋さんより模型と形を創る執念を教わったと思います。


三橋 満 氏 (2012.2.28)

「モダニズムを超える新しい構造」

モダニズム建築と構造の関係でラーメン構造を話してきましたが、
モダニズム建築を超えるためにラーメン構造を選択していないと思われる建築家が数名います。
中でも注目していただきたいのが伊東豊雄さんと妹島和代さんの師弟です。
伊東豊雄さんのせんだいメディアテークは大地から伸びる数本の柱がキャンティーで木のように地面から出ています。
それにフラットなスラブ(床)が各階で引っかかっている構造です。
また柱の根元には揺れを小さくする工夫がされています。今度の地震でも二次部材である最上階の天井の被害はありましたが、
建築本体の被害はありませんでした。伊東豊雄さんと構造家佐々木睦朗さんの結果が実証されたことになります。

         写真はメディアテークのイメージ模型(2012.2.29)

ラーメン構造は垂直荷重も水平力も梁から柱に伝えられますが、妹島和代さんと構造家佐々木睦朗は垂直荷重と水平力をそれぞれ別に考え
水平力を壁式の耐力壁で負担してバランスよく耐力壁を配置します。それ以外の垂直荷重を柱に負担させますから柱は軸力のみとなり非常に
細いものになります。(理論的にはそうなるのですが、細い柱に水平力が入らないようにどのように工夫されているか詳細はまだ私は理解していません)
垂直荷重のみを柱で負担する場合は柱の大きさを例えば100φと決めて荷重に合わせた本数で決めていけばいいのです。

         
写真は豊田逢妻交流館 と 金沢21世紀美術館(2012.3.1)

他に新しい考え方としてとして佐々木さんと伊東さん、妹島さん、そして同じく伊東事務所OBのヨコミゾマコトさんが良く使われる鋼板モノコック構造があります。
これは航空機などの機体を外皮で持たせる考え方で応力外皮構造とも呼ばれています。
15mmくらいの鋼板または50角のパイプの両面または片面に9mmくらいの鋼板を溶接したものなどあります。
解析的にはブレースとして解析しているとヨコミゾマコトさんに聞いたこともあります。普通ブレースと言うと9mm筋がクロスに入って利くのですが
9mmの鋼板が全面に利いていればブレースの比ではなく利きそうです。

                   

伊東豊雄ミキモト銀座店     妹島和代 朝日新聞山形ビル      ヨコミゾマコト GSHビル (2012.3.2)

ガウディーの考え方の延長になる自由曲面の構造物も新しい流れとして注目できます。
これはコンピューターが発達した成果と考えていいと思います、曲面の変形や応力が最小になる様にひずみエネルギー量を合理的に解析していく方法です。同じく構造は佐々木さんで磯崎新さんの北方町生涯センター、伊東豊雄さんの瞑想の森市民斎場、SANNA(妹島和代さんと西沢立衛さんのユニット)のロレックス・ラーニングセンターが該当します。

          
北方町生涯センター                瞑想の森市民斎場                ロレックス・ラーニングセンター
(2012.3.5)


私がLAND建築事務所で修業し始めた時期にはモダニズム建築はすでに終わったと言われていました。
(私は現在もまだモダニズム建築の流れは続いていると思っています)
そして1980年代に入ると私たちの世代からすると兄貴的な存在の磯崎新さんがリードするポストモダン建築の時代に入りました。
磯崎新さんは知識が豊富で、雑誌に良く難解な論文を書かれていました。またこの時期から社会から建築家が乖離していった様に今私は思います。
(2012.3.6)
ピーター・ライスと言う構造家がいました。皆さんよく知っているシドニーオペラハウスやパリのポンピドーセンターの構造を担当したエンジニアです。
「ピーター・ライス自伝」鹿島出版会は、 佐々木さんの「フラックス・ストラクチャー」TOTO出版 同様お勧めです。

        
シドニーオペラハウス                  ポンピドーセンター             (20123.7)

もう2冊構造に関する本を紹介します。1冊はレム・コールハースなどの建築の構造を担当するセシル・バルモントの「インフォーマル」TOTO出版です、
佐々木さん同様現代を代表する構造家と思います。
もう一冊は日本の若手構造家12名の講演記録本「ヴィヴィッド・テクノロジー、建築を触発する構造デザイン」です。
新しい息吹とできればコラボしてみたくなる書籍です。
しかし国内では姉歯事件以来構造関係者の苦労と実りなき法改正は新しい息吹を摘む可能性すらあり心配しています。(2012.3.8)


「ポストモダニズム」

私は時代の先端を走る建築家ではなく実務派の建築家ですから時代の先頭を旗を持って走る有名建築家の方向性を見て、
間違った方向へ自分が走らないように注意していればいいのですが、方向性の正しさを把握する能力は必要とされます。
しかしこの先頭を走る有名建築家が走る方向が正しいとは一概に言えません。
私の経験では1980年代のポストモダンそしてバブル期へと続いた時代がそれにあたります。(2012.3.9)

先にも書きましたが私が社会に出た時モダニズム建築は出尽くした、無味乾燥でつまらない、などの批判からポストモダニズム論が出ました。
ロバート、ヴェンチュリーは装飾を否定したモダニズムのミースの言葉「Less is  more」を皮肉り「Less is bore(退屈)」を表題にラスベガスを引き合いに
装飾復活を称賛しました、日本では磯崎新さんを先頭に、原広司さんのヤマトインターナショナルや隈研吾さんのM2(この作家は変わり身が早く私はあまり好きではない)などが代表作である。

         
原広司 ヤマトインターナショナル            隈研吾 M2

磯崎さんのつくばセンターはこの時代を代表する作品と思います。

       
  磯崎新 つくばセンター                            つくばセンター広場

原さんは世界の集落をデザインサーヴェーした経験上、街並み断面を装飾化し、
磯崎さんは正方形、三角、丸の幾何学や歴史上の建築のモチーフはたまた彼の好きなマリリンモンローの外形線を装飾としてちりばめました。
しかし構造は皆さんラーメン構造の骨組みで外形のみ飾っただけのもので社会から離れた建築家のみの自己満足の世界と今では思います。
隈研吾のM2は神聖化されたパルテノンの柱を「この印籠が見えぬか!」と巨大化したもので建築以外の方から見たら笑いの対象でしかありません。
(2012.3.11)
磯崎さんのつくばの広場はローマのミケランジェロがデザインしたカンピドリオ広場を模しています。見比べるとミケランジェロのデザイン力がはるかに上回っています。

       
         カンピドリオ広場                                 ローマ市庁舎

これが本物のカンピドリオ広場です。ここは2000年前ローマの中心であった遺跡フォロ・ロマーノを見下ろす丘の上にあります。(この丘はローマにある7つの丘で一番高い丘だそうで市庁舎も現在もここにある)
広場を市庁舎の建物と左右に分かれたカピトリーノ美術館で囲われた広場です。
カピトリーノ美術館にはギリシャ、ローマの彫刻が多く収蔵されミケランジェロがこれらを見て多くの影響を受けた様子が目に浮かびます。
また市庁舎から見るフォロ・ロマーノは遥か2000年の時を十分感じることができるローマお勧めの場所です。
また、カンピドリオ広場の地下には地下道があり、カピトリーノ美術館の左右の建物の行き来に使われています。(2012.3.11)

1970年は大阪万博が終わり、一つの曲がり角に達した時期だと思います。建築界をリードしてきた丹下さんは海外の仕事が多くなり、
黒川さん、菊竹さん,槇さん中心のメタボリズムが日本の建築的発言として世界レベルで初めて認められたのは評価してよいと思います。
(結果としてメタボリズムが主流となる事はなかったのですが)
磯崎さんはこの流れとは別にポストモダン論を展開していきます。ポストモダンが主流になってきたのは1980年くらいからだと思います。
これは彼の得意な芸術美術分野の流れに論点の主題を展開されたと思います。
建築家協会などの団体にも加入されず社会から離れて独自にアヴァンギャルドとして活動する姿は後から続く私たち世代から見るとカッコ良かったのですが、それから10年バブルの時代が来てそれを過ぎると、社会からは建築家は自分勝手に物を造る存在として非難される事が多く出てきました。
バブル後この非難を取り戻すべく建築家協会や、気が付いた建築家は社会性を重視する方向へと切り替わります、
(ずっと社会性を重視しポストモダンに影響されなかった実務派の建築家も多かったのですが、先頭を旗を持って走る建築家の動きとして)
今回の東日本大震災では伊東豊雄、妹島和代をはじめ多くの建築家や建築家協会や各団体が被災地に入って活動している姿は
今!大きな変化が起きている事を感じます。(2012.3.12)

モダニズム建築の始まりは産業革命(化石燃料による交通手段、生産手段の発展)、自由・平等・博愛を理念としたフランス革命(市民革命)
から端を発しています。(その後自由を重んじたアメリカ、平等を重んじたソ連へと進みソ連は崩壊し・・・・・)
それまではお城や宮殿、教会しか造っていなかった建築家は駅舎や集合住宅、図書館、郵便局など様々な建築を造りだしました。
その根底には社会の変化による社会からの必要性があったからモダニズム建築が生まれたと私は考えます。約100年ほど前の時代です。
現在の私たちの様な建築家のルーツはこのあたりになると思います。
中でも私はウイーンのオット・ワーグナーの作品がが好きです。(2012.3.13)

         
      ウイーン 郵便貯金局                               マジョルカハウス

私は産業革命以来の化石燃料エネルギー文化がモダニズム建築の大きな源流でこの源流の流れが変わらない限り新しい文化は来ないと考えていました。
しかし昨年の東日本大地震、福島原発事故によって新しい流れが動き始めたように感じます。
それは化石燃料に頼らない新しい時代の兆しです。
まだ兆しですからまだ先になりますが、消費社会から循環社会、西洋哲学から東洋哲学的な新しい哲学、都市集中から地方分散、など(変化し始めているものもありますが、)変化していくものと思います。その時初めてモダニズム建築を超える新しい時代になっていくのではと思っています。
40年前、私が大学の時はオイルショックの時代で地球環境が有限で環境が初めて重要視された時代でした。(2012.3.14)


「卒業設計」

私の卒業設計は国連環境会議「EPROMカナダ」の学生コンペで都市郊外で循環社会モデルを創るコンペでした。
丹下健三先生の設備設計を担当してみえました、川合健二先生が豊橋の有名なドラム缶の家にみえ技術的なサポートをしていただきました。
私たちは川合先生を豊橋のお茶の水博士と言って何度かドラム缶の家にお伺いしました。
先生からは日本で循環する場合の人口や、メタンガス発電、ソーラ発電、風力発電、水の循環についてなど多くを学びましたが私はいまだ生かし切れなく申し訳なく思っています。
先生と夢見た化石燃料に頼らない循環型の世界が現実化する日がいつになるか楽しみです。
あれから37年経ってますのでやっぱり70年くらいは時代が変わるには掛かるのでしょうね!

            
  故川合健二氏                             ドラム缶の家         (2012.3.15)

私の卒業設計です
カナダモントリオール郊外で10家族が農業をしながら循環する環境のシステムを提案しています。


                                                                           (2012.3.16)


(2012.3.17)

(2012.3.18)

前のページ   次のページ