建築 雑コラム 37
Architecture The s Column
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ローマ
ローマは2000年前の建物から現代まで蓄積された都市で、時代を超えてすべての建物にたずさわった建築家や職人の工夫や、技術、こだわりが
伝わって来て時間を越えてこれらの人々と思いを酌み交わせる楽しい時間がすごせる街です。
(こんなことを感じるようになったのはそれなりに私も建築に携わって、歳を取った証拠なのでしょう)
新旧入り混じりますが、見てきた順に書いていこうと思います。
まずは、映画「ローマの休日」でオードリ・ヘップバーンがジェラードを食べていたスペイン広場、1725年に
フランチェスコ・ディ・サンクティスの設計で
できました。 階段は頂部の教会トリニタ・デイ・モンティ教会への参道となっています。
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スペイン広場 (地下鉄A線Spagna駅) (2018.7.15)
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階段を昇って行くとオベリスクの広場の先にトリニタ・デイ・モンティ教会の双棟がみえる
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トリニタ・デイ・モンティ教会(2018.7.16)
外観の二つの鐘楼はパリのノートルダム寺院や丹下さんの新東京都庁舎をおもいだします。
この内部からはトリニタ・デイ・モンティ教会はバロック建築と思われます。(2018.7.17)
階段を登り切った高台からの眺めはローマの街を見ることができます。
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眺望 中央右の塔はサンピエトロ寺院のミケランジェロが設計したドーム(2018.7.18)
ローマは7つの丘に街を造った所から始まります。 微妙な高低差を意識してこの街を探ってみるのも一考です。
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この階段は座ってジェラードを食べるためにあるのか? だからスペイン階段ではなくスペイン広場?(2018.7.19)
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階段の下にはジャン・ロレンツオ・ベルニーニの設計したバルカッチャの噴水があります。
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ジャン・ロレンツオ・ベルニーニ(1598年〜1680年)
「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのためにつくられた」と言われるほどこの街に多くの物を残しています。
サンピエトロ寺院の前のあの楕円の広場も彼の作品です。 楕円ですからバロック建築になります。
この噴水も楕円です。
(2018.7.20)
スペイン広場からテベレ川に向かって降りていくとローマ初代皇帝アウグストゥスが紀元前9年に建てた祭壇アラ・パチスがあります。
2006年にこの祭壇を保護するため覆って創られた博物館をアメリカの建築家リチャード・マイヤーが設計しました。
アラ・パチス博物館(2006年) (2018.7.21)
リチャード・マイヤー(1934年〜)
祭壇を覆って創ってあるが日はよく当たっていて大丈夫なのか?と心配になりますが(2018.7.22)
彫刻もりっぱな大理石の祭壇です。2000年以上前のものです。(2018.7.23)
この博物館の東テベレ川と反対方向に丸いピラミッド状の遺跡があります、レンガで積まれた遺跡ですが、
初代皇帝アウグストゥスの廟で
それ以降のネロまでの5代の英雄がこの廟に眠っているそうです。
アウグストゥスの廟 (2018.7.24)
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2020年前のローマの模型 円形ピラミッドが
アウグストゥスの廟 右がテベレ川 (2018.7.25)
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テベレ川 (2018.7.26)
次は、私がローマで観たかった現代建築 ザハ・ハディットの設計の イタリア国立21世紀美術館(2010年)です。(トラム2号線、Apollodoro駅)
イタリア国立21世紀美術館 (2010年)
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ザハ・ハディッド (1950年〜2016年)
ザハ・ハディッドはイラク バグダッドで生まれ イギリスAAスクール出身の建築家でイギリス、ロンドンに事務所をもって活躍しました。
私の同級生高崎正治もおなじくAAスクールでザハとは親しくしていたと話を聞きました。(2018.7.27)
東京オリンピックのメインスタジアムでの建設費等のゴタゴタに巻き込まれ契約を解除されましたが、そもそも最初の文科省の設定に無理があって
ザハと彼女を選んだ選考委員長の安藤忠雄に責任を押し付けたような結果になってしまったことは大変残念です。
またコンペで選ばれたザハを外してしまったことは、欧米の世界から見ると日本はなんと文化レベルの低い国だと思われたことでしょう。
この心労があってのことかザハは2年前に66歳の若さで亡くなりました。
ザハ・ハディッドの作品は何点か見ましたが、このイタリア国立21世紀美術館が私は一番好きです。
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子供が多く外で遊んでいたのにはびっくりしました。(2018.7.28)
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5本の鋼管柱たぶん垂直荷重のみ見て居る柱だと思われます。
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コンクリート打ち放しの壁
ザハの建物は基本的には鉄筋コンクリート造で流れる壁が特徴です、しかしこれらの外部写真からではどんな形をした建物か想像しにくいと思います。
(2018.7.29)
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この模型を見ると良くわかるのですが、4本のリボン状の物が重なり合ってこの建物が構成されています。
(2018.7.30)
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エントランスホール 吹抜けの空間に階段と通路が空中を行き交っています (2018.7.31)
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展示室 屋根部分のストライプ梁は模型にもありました
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曲線で長く続く展示室 (2018.8.1)
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ストライプ梁に直交して日よけのルーバーが取り付けられ直射日光が展示室に入らない様工夫されている
(2018.8.2)
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吹抜けホール部上部から 手すり部分が梁となって空中を飛ばしているようだ(2018.8.3)
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階段は段板のみ両端で固定されスリットになっている (2018.8.4)
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段板はグレーチングで真下を見ると透けて下が見える 少し怖い (2018.8.5)
模型で観て蛇の頭に当たる部分の部屋はザハに関する展示室になっていて斜めの床の先には街を切り取る開口はザハの意図したままであろう
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最上部展示室 (2018.8.6)
トラム2号線、Apollodoro駅 から西へ200mほど行くとイタリア国立21世紀美術館ですが反対側東100mほどに
丹下健三が影響を受けたと言われるイタリアの構造建築家ピエイル・ルイジ・ネイヴィが設計したパラツエッド・デッロ・スポルト 体育館が見えます。
そしてその先300mほど行くとレンゾ・ピアノの設計したアウディトリウム・パルコ・デッラ・ムシカ 新ローマ公会堂 音楽公園があります。
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パラツエッド・デッロ・スポルト 体育館 (1958年) (2018.8.7)
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ピエイル・ルイジ・ネイヴィ (1891年〜1979年)
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Y字の柱は力の伝わりが良くわかる表現です (2018.8.8)
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頂部はコンクリートのシェル構造の様です
ピエイル・ルイジ・ネイヴィ 少し調べてみると素晴らしい構造家です。 調べてみてください。(2018.8.9)
パラツエッド・デッロ・スポルト 体育館から東へ500mほど行くと
イタリアの建築家レンゾ・ピアノが設計した複合音楽施設のアウディトリウム・パルコ・デッラ・ムシカ(2002年)がある。
アウディトリウム・パルコ・デッラ・ムシカ (2018.8.10)
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レンゾ・ピアノ(1937年〜)
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カブトガニのような建物が3棟あります (2018.8.11)
外観はカブトガニの様ですが内部は四角い建物の様です
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カブトガニの甲羅が四角い建物に覆われている様で少し残念な気がします。(2018.8.12)
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3棟に囲まれた部分には屋外ステージがあって今日はこれからマジンガーZのショーが始まります。
レンゾ・ピアノの建築では珍しいタイプの建築ですが、多くの市民がいて、活気がありました。(2018.8.13)
ローマ東部の住宅地にアメリカの建築家リチャード・マイヤーが設計したジュビリー教会があります。
行き方は地下鉄C線TorreMaura駅からバス556,556FでTovaglier/olceseバス停の目の前にあります。
ジュビリー教会(2003年) (2018.8.14)
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リチャード・マイヤー(1934年〜)
RC造の3枚のシェルがと平坦の壁と四角いブロックの組み合わせで空間が巧みに作られています。
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3枚のシェル 汚れが気になります (2018.8.15)
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裏から見ると組み立てられ方が良くわかります。 (2018.8.16)
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これから日曜日の礼拝が始まるようです。 (2018.8.17)
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シンプルでモダンな祭壇です、たぶんプロテスタン系の教会だと思われます。(2018.8.18)
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トップライトからの明るい光と白い壁と白木の木のコントラストは北欧の教会を思い出します。(2018.8.19)
次はローマ市内の市街地の古い街並みに組み込まれたローマ現代アート美術館 MARCO (地下鉄B線 Policlinico駅)です。
ローマ現代アート美術館 (2004年) (2018.8.20)
設計はフランスの建築家オディール・ディックです。
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オディール・ディック(1955年〜)
古い建物にガラスの新しい部分が差し込まれた様です、全体像は見えてきません、中にあった模型を見ると全体像が良くわかります。
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前面と側面は外壁のみを保存して後は新築されていますエントランスから円を描いて右の上下の建物の中央へ導いています。
(2018.8.21)
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エントランス 日本的な中庭から導入されていきます。(2018.8.22)
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内部は鉄骨造で仮設的な感じがします、この上部は赤、黄色、青が入り混じるテントです(2018.8.23)
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奥の古い建物 (模型右上下の棟)に展示室があって二つの棟の中央をテントのトップライトが覆っています。
やりたい気持ちはよく理解できますが、もう少し建築的空間になっていると良かったんではないかと思いました。(2018.8.24)
古代ローマの遺跡を巡ってみます
まずは地下鉄B線 Circo massimo駅で降りてカラカラ浴場に行きます
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日本の旧東海道も松並木がありますが、ローマの街道も傘型の松並木が続きます。 (2018.8.25)
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カラカラ浴場 (216年) (2018.8.26)
カラカラ浴場というと浴場のみと考えますが、実に広大で当時は図書館、運動施設、娯楽施設などの複合施設だったと言われています。
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たぶんここは部屋の内部だったと思われる 床にはモザイクタイルが今も残る
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壁のモザイクタイルの断片も残っています 1800年前のローマ人もこの壁画を見ていたのでしょう (2018.8.27)
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薄いタイルを積み上げ開口部の上部はきれいなアーチの加工が構造とデイテールの表現の歴史を勉強できます。
(2018.8.28)
カラカラ浴場から北西に1キロくらい歩くとコロッセオが見えて来てその手前にコンスタンティヌスの凱旋門がある。
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コンスタンティヌスの凱旋門 (315年)
パリの凱旋門にも影響を与えたのでしょう、凱旋門の基本となる原型だと思われます。(2018.8.29)
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全体にレリーフが彫られていて、たぶん物語につながる絵が彫られているのでしょう。(2018.8.30)
コンスタンティヌスの凱旋門の前にコロッセオがあります、今回は夕方の時間で入場できませんでしたが、前回訪れた時の写真で紹介します。
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コロッセオ (80年)
現在は石と、レンガが積みあがった円形競技場ですが、本当の姿は、白い大理石で被われたそして屋上には日よけのテントが張られた姿です。
大理石は剥がされ、その一部はバチカンのサンピエトロ大聖堂にも使われたと言われています。(2018.8.31)
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三層のアーチ階と壁面の最上階の構成です。(2018.9.1)
三層のアーチ階の柱を良く見ると各階のオーダーが異なります。
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1階の柱 ドリス式
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2階の柱 イオニア式
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3階の柱 コリント式
大学の西洋建築史を思い出します、そういえばコロッセオではセメントが使われていたと授業で聞いた思い出があります。(2018.9.2)
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エントランスに向かう一階アーチの列柱 多くの傷は何の歴史を物語っているのか?
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内側から見たコロッセオ かっての観客席の床部分はありません。(2018.9.2)
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現在のドーム球場の裏通路部分を見ているような感じがします。(2018.9.3)
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競技場レベル 地下室があったようです。
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競技場 全景
当時のローマ人の絶叫が聞こえてきそうな気がします、
土木、建築技術の高いローマ人、元老院とローマ市民の意見も取り入れられた民主的なローマ人、浴場の好きなローマ人、
そして猛獣と戦士の格闘とその戦死に感激した血の気の多いローマ人
東は中東、エジプト、北はイギリス、西はポルトガル、南は地中海に面するアフリカと拡大し各地にローマの遺跡を残しているローマ人
その当時のローマ人の偉大さをこのコロッセオから感じることができます。(2018.9.4)
コロッセオの西隣に古代ローマの中心地跡のフォロ・ロマーノがあります。
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マクセンティウスのバジリカ (312年)
3つのボールトがその当時の建築技術の高さを物語る、バジリカとは公会堂を意味します。(2018.9.5)
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ロムルス神殿 (2018.9.6)
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パラティウムの丘 (2018.9.7)
アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿 (141年) (2018.9.8)
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サートゥルヌス神殿 (BC501年) (2018.9.9)
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セウェルス凱旋門 (203年) (2018.9.10)
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元老院(クーリア) (1930年に復元) (2018.9.11)
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サートゥルヌス神殿の奥の建物はカンピドリオの丘の上に建つ市役所 (2018.9.12)
カンピドリオの丘に登って正面より市役所の建物を見る
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正面 ローマ市役所 左右の建物カンピドリオ美術館(地下道でつながっている) (2018.9.13)
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ミケランジェロの設計のカンピドリオ広場、中央はマルクス・アウレルウス像
楕円の外形のとても綺麗なデザインです。ミケランジェロがルネッサンスから少しバロックに移行した時期のデザインと思います。
左右の建物のカンピドリオ美術館には多くのギリシャ彫刻があって古代ローマ時代の芸術家や、中世のミケランジェロ、ベルニーニなどがこれらを見て影響
された事が伺えます。 (2018.9.14)
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カンピドリオの雌狼 (2018.9.15)
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ギリシャの彫刻 (2018.9.16)
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カンピドリオのヴィーナス (2018.9.17)
カンピドリオの丘を東に降りるとトラヤヌス帝の市場に出る。
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トラヤヌス帝の市場 (100年)
紀元100年にトラヤヌス帝がダマスカスの建築家アポロドーロスに造らせたショッピングセンターで半円形のプランになっている。(2018.9.18)
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アポロドーロス 建築家 彫刻家 (2018.9.19)
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列柱の跡
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遺跡の上に建てられた建物か? (2018.9.20)
トラヤヌス帝の市場からバスで4駅ほど行った所に映画「ローマの休日」で有名な「真実の口」のサンタ・マリア・コスメディン教会があります。
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サンタ・マリア・コスメディン教会 (バスN3、N9、BoccaDella Verita駅)
この教会は6世紀頃からあるようですが何度も増築や、破壊が繰り返され現在の姿は1899年の改修によるものです。(2018.9.21)
真実の口はエントランスのロマネスクの連続アーチの左壁にあって観光客が列をなしています。
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この奥に見える円形が 「真実の口」です。 (2018.9.22)
真実の口は有名ですが、教会の内部は閑散としていますが、バジリカ様式の歴史を感じる教会です。
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教会内部 (2018.9.23)
サンタ・マリア・コスメディン教会の道路向かえにフォロ・ボアリオと呼ばれている場所があります。
その中に円形神殿の
エルコレ・ヴィンチィトーレ神殿と四角いポルトゥヌス神殿があります。
エルコレ・ヴィンチィトーレ神殿 (ヴェスタ神殿とも呼ばれローマ最古の大理石建築 紀元前2世紀後半) (2018.9.24)
ポルトゥヌス神殿 (2018.9.25)
私のとても好きな建築の一つにパンテオンがあります。
今回訪れた時は外部を修復していました。
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外部修復中のパンテオン (2018.9.26)
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正面 (2018.9.27)
このパンテオンは紀元後128年に建てられています。2000年以前にこんな素晴らしい空間を創る建築は他にないと思います。
神殿ですからギリシャのパンテオン同様の列柱とオーダーがありますが、丸い神殿はギリシャにはなかったと思います。
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列柱エントランス部分 (2018.9.28)
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上部 屋根材は木で組まれています。 (2018.9.29)
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直径43.2mの神殿内部 高さも直径と同じ43.2m
そうです! 球がこの空間にぴったり入るのです (2018.9.30)
そして中央に空いた穴は直径9mで太陽の位置が移動するのに合わせて光の入り方が変化するのでずっと見ていたくなります。
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いつ来ても感激する空間です。
パンテオンを最初に私の好きな建築の一つと言いましたが、多くの建築を観て来ましたが、このパンテオンの空間を超える建築を思い出せません、
たぶん私にとってこれがベストの空間なのかもしれません。 (2018.10.1)
パンテオンの近くにトレビの泉があります。
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トレビの泉
古代ローマの街には11本の水道があってその末端には噴水や泉が創られていました、トレビの泉はヴィルゴ水道の末端にあった泉を1762年
建築家ニコラ・サルヴィの設計で改修されたものです。 壁面はクイリナーレ宮殿の西面が使われています。
豪華に飾り付けられたバロック様式になります。 (2018.10.2)
トレビの泉と反対方向にはナボーナ広場があります。
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ナボーナ広場 (2018.10.3)
広場には3つの噴水があります。
中央にエジプトから持ち帰ったオベリスクに四大大河(ナイル川、ガンジス川、ドナウカワ、ラプラタ川)を擬人化した彫刻をまとわりつけた
ジャン・ロレンツオ・ベルニーニの四大河の噴水があります。
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ジャン・ロレンツオ・ベルニーニ(1598年〜1680年)
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四大河の噴水 (2018.10.4)
左にネプチューンの噴水
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ネプチューンの噴水 (2018.10.5)
右にムーア人の噴水があります。
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ムーア人の噴水
市場が開かれたり、レストランのテントが広場を廻りを覆っていたり、噴水で涼を取っていたり、ヨーロッパの広場の原型がここにあるように思います。
(2018.10.6)
ナボーナ広場から北に行くとテベレ川に出ます、テベレ川の対岸には丸い建物サンタンジェロ城が見えます。
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テベレ川 (2018.10.7)
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大理石の彫刻像がならぶサンテンジェロ橋を渡ってサンタンジェロ城(139年) (2018.10.8)
サンタンジェロ城から西へ行くとサン・ピエトロ広場に出ます。
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ミケランジェロ設計のサン・ピエトロ大聖堂と その前にはベルニーニの設計の楕円の前庭サン・ピエトロ広場 (2018.10.9)
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サン・ピエトロ大聖堂
現在のサン・ピエトロ大聖堂はミケランジェロの設計が基本となって建てられました。 (2018.10.10)
ミケランジェロは最後の晩年17年をこのサン・ピエトロ大聖堂の建設についやしました。彼は1564年に亡くなりますが、その後も建設は進められ
1612年に完成します。
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ミケランジェロ・ヴォナローテ(1475年〜1564年) (2018.10.11)
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大聖堂ポルティコ(玄関廊) (2018.10.12)
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内部 (2018.10.13)
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大聖堂右側 ミケランジェロ作 ピエタ(1500年) (2018.10.14)
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ドームを見上げる (2018.10.15)
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ねじった4本の柱の大天蓋 ベルニーニの作 (2018.10.16)
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サン・ピエトロ大聖堂とサン・ピエトロ広場の平面図 (2018.10.17)
楕円形をしたサン・ピエトロ広場は ジャン・ロレンツオ・ベルニーニの設計で1666年に完成しました。
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ジャン・ロレンツオ・ベルニーニ(1598年〜1680年) (2018.10.18)
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サン・ピエトロ広場 (2018.10.19)
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コロネード(柱廊)
列柱のコロネードの空間これが意外に気持ちいい。 (2018.10.20)
サン・ピエトロ大聖堂・サン・ピエトロ広場とバチカン宮殿、バチカン美術館を合わせたエリアが世界で一番小さい国「バチカン市国」になります。
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列柱の奥に見えるのがバチカン宮殿 (2018.10.21)
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バチカン宮殿を守る門兵 まるで中世 (2018.10.22)
バチカン宮殿の城壁をぐるっと裏に回るとバチカン美術館の入り口になります。
入り口は行列で200mほど並びますが1時間ほど辛抱して正規で入場する事をお勧めします。
(観光勧誘でツアーですぐに入場できるように誘いに来ますが、中で自分の観たいものをじっくり観ることは出来なく、
一様有名なポイントを通って1時間くらいで終わります。)
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バチカン美術館入り口 (2018.10.23)
バチカン美術館は観る物が多くて少なくとも3時間はかかると私は思います。できれば一日かけて観ても見飽きないと思います。
ラファエロ、レオナルドダビンチ、ミケランジェロ、フィリップリッポなどの絵がならんでいます。
美術館の中で有名なシスティーナ礼拝堂は正面の「最後の審判」の絵から天井画へとつながって書かれています。
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システィーナ礼拝堂 (2018.10.24)
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正面の「最後の審判」 中央のキリストの右は地獄へ落ちる人の絵で左は天国へ上る人、
キリスト右下のよれよれの皮の人はミケランジェロ自身といわれています。
まるで日本のお寺にある閻魔様に裁かれて天国と地獄に行く絵とそっくりです。仏教や、キリスト教にも天国と地獄があるのですね!(2018.10.25)
バチカン美術館の出口に螺旋階段があります、1932年に建築家ジュゼッペ・モーモにより設計されました。
ニューヨークのフランク・ロイド・ライトの設計のグッケンハイム美術館を思い出す空間ですが、良い空間だと思います。
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螺旋階段 (2018.10.26)
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天井 (2018.10.27)
ローマの中央駅テルミニの近くに共和国広場があってその前にミケランジェロが1562年に古代ローマ時代の浴場の跡を改装して作られた
サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ・デイ・マルティ教会があります。 (地下鉄A線 Repubbilica駅)
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サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ・デイ・マルティ教会 (2018.10.28)
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遺跡に入るような入り口 (2018.10.29)
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ポーランドの彫刻家イーゴル・ミトライによる受胎告知の扉(2006年) (2018.10.30)
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ミケランジェロの後期はバロック様式ですね (2018.10.31)
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クロスボールトの天井 (2018.11.1)
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中庭部には古代ローマ時代が残っています。 (2018.11.2)
建築家ミケランジェロ・ヴォナローテに出会うことができました。
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ミケランジェロ・ヴォナローテ(1475年〜1564年) (2018.11.3)
次は、ローマの近代建築を観ていきます。
まずはイタリアの近代建築を代表する建築家 アダルベルト・リベラ(1903年〜1963年) のアヴェンティーノ郵便局(1934年)
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アヴェンティーノ郵便局 (地下鉄B線 Piramide駅) (2018.11.4)
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左右対称で四角い窓 階段の斜めのライン このシャープなデザインに現在でも惹かれるものがあります。 (2018.11.5)
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低層部ガラスブロックの壁 一時期の磯崎新さんの建築を観ているようです。 (2018.11.6)
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明るくシャープな内部 (2018.11.7)
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84年前のデザインとは思えない斬新なデザインのカウンター (2018.11.8)
同じくアダルベルト・リベラ(1903年〜1963年) のEUR会議場(地下鉄B線 EURmaguliana駅)
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EUR会議場 (1930年)
1930年にこのデザインはカッコ良すぎる、遠くから見ると安藤忠雄の建築を観ているみたい、近づくと使ってる素材が違います。(2018.11.9)
この屋根はこちらから見るとボールトですが実際はクロスボールトになっています。
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列柱の柱もエンタシスになっています。 (2018.11.10)
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エントランス部分 かなり大きく引き込まれてガラスのファサードがあります (25018.11.11)
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アルミトラスのマリオン (2018.11.12)
アダルベルト・リベラはムッソリーニのファシストにも近かった事もあって戦後はほとんど活躍する事はありませんでした。
日本と同じような歴史をイタリアも歩みましたが、日本の建築家前川国男、丹下健三、坂倉順三などは幸いにも戦後の活躍の場が与えられました。
この魅力的な表現、左右対称な象徴的なデザインにファシズムにつながる物があるような気がします。
私の少し上の年代の建築家が安藤忠雄の建築に惹かれ、内外コンクリート打ち放し、木製建具、左右対称の建物を建て一人前の建築家を
気取ってた時代、私はこれは違うのではないかと思ったことがあります。 あの一気に流行った流れはファシスト的な要素があったのだろうか?
彼らはみな安保闘争の時代の人たちでファシストなんて言ったら鉄槌を食らいそうですが、隠れた要素は同じなのかもしれません。
このEUR地域は1942年に行われる予定だった国際博覧会のために開発された地域でEUR会議場の他にもイタリア文化館などの建物も多くあります。
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EUR地域にある象徴的な建物 魅力的で、左右対称なデザイン (2018.11.13)
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きっちりしたモダニズム建築です (2018.11.14)
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イタリア文明館 (1942年) (2018.11.15)
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大理石のギリシャ風の彫刻がならびます。 (2018.11.16)
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詳細
イタリア文明館もとても魅力的で左右対称のデザイン シンプルで決して悪いデザインではない建物ですが、ムッソリーニ政権の幕開けを記念した建物
なのです。 デザインと政治について考えさせられた建築たちでした。 (2018.11.17)
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