建築 雑コラム 39
Architecture The s Column
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2019年 新年明けましておめでとうございます。
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デッサウ、バウハウス校舎 (1925年) (2019.1.1)
ドイツ、ベルリン、デッサウ、ポツダム
昨年の6月にドイツ北東部ベルリンを中心にデッサウとポツダムに寄ってきました。
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BERLIN すぐ左下にPotsdam、そしてまた左下にDessau (2019.1.2)
ベルリンにはもっと早く行きたかったのですが、見たかったベルリンフィルハーモニーホールが修復中で昨年にやっと再開されましたので行く事にしました。
ではベルリンからご紹介します。
まずベルリン中央駅はガラスの近代的な建物で2006年にドイツの大手設計事務所
ゲルカン・マルク&パートナーズによってサッカーワールドカップ開催に
合わせて開設された。
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ベルリン中央駅 (2006年)
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ガラスの建物の中央3階部分に駅がある
ドイツらしい近代的な駅舎でヨーロッパの街の歴史感漂う駅舎とは一味違ってさすがドイツと思わせる斬新な駅舎です。(2019.1.3)
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ブランデンブルク門(1791年)
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門の上には四頭の馬車と女神像があり銅像らしく緑青の緑色の像です。 (2019.1.4)
ブランデンブルグ門はかって城郭都市の門の一つであった、1791年に建築家カール・ゴットハルト・ラングハウスの設計で新たに建設されたが、
直後にベルリンはナポレオン・ポナパルトに征服されポナパルトがベルリンに凱旋する絵にはこのブランデンブルグ門が書かれている。
また第二次大戦のヒットラーの写真などにもこの門はよく背景になっています。
第二次大戦後東西ベルリンを分けた「ベルリンの壁」はこの門のすぐ前を横切って造られた歴史があります。 (2019.1.5)
このブランデンブルグ門の隣にアメリカの建築家フランク・O・ゲーリーの設計したDG銀行があります。
2階も訪問したのですが、催し物をしていて入場できませんでした。
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DG銀行 入り口 (2019.1.6)
中に入れればこんな感じの空間が待っていました。
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ゲーリーらしいですが、銀行でこの空間はどの様に機能しているのか?(1999年)
既設の建物に囲まれた中庭の空間に造られたようです。 (2019.1.7)
ブランデンブルグ門の近くにはドイツの国会議事堂もあります。
イギリスの建築家ノーマン・フォスターが1999年に設計した新国会議事堂があります。
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ノーマン・フォスター(1935年〜)
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ドイツ新国会議事堂(1999年) (2019.1.8)
屋上にガラスのドームが見えます。建物は古くからあったと思われますが、改装してドームが付け加えられたようです。
入場には予約が必要です。
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屋上ドーム (2019.1.9)
ドームに入ると
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中央にカガミのトゥリーが (2019.1.10)
二重らせんのスロープがドームを昇っていきます。
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どうやって支持されているのか?空中に浮かんでいるような二重螺旋のスロープ (2019.1.11)
ノーマン・フォスターの作品は数多く見ていますが、いつも感激する空間に出会えます。
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スロープの支持ブレース
二重螺旋になったたぶんH鋼の梁を柱からブレースで支持しH鋼からキャンティーでスロープ面を支持していると思います。(2019.1.12)
スロープから下を見ると
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このドームの下が議場の様です。 (2019.1.13)
スロープを登りきると展望スペースがあります。
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最上部の展望スペース 登ってきたスロープの反対側から下りのスロープが始まります。
構造材の細く軽快なプロポーションがたまりません。(2019.1.14)
国会議事堂の隣には政府関係の建物があります。
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政府関係の建物 コンクリート打ち放しと5列の建物を中央でまとめて一つの建物にしている構成が面白い。 (2019.1.15)
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安藤忠雄の創りそうなコンクリートと空間 (2019.1.16)
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棟と棟をつないでいる部分
柱、梁を一切見せないところも安藤忠雄に似ている。(2019.1.17)
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正面は大きな庇と全面ガラス この面はシカゴ美術館のレンゾ・ピアノを思い出す。
調べてみるとドイツミュンヘンの建築家
シュテファン・ブラウンフェルス(1959年〜)の作品らしい、コンクリートが好きな安藤風の建築家です。
(2019.1.18)
議事堂と政府関係の建物の前は大きな広場になっていてその向へには女性首相メンケル首相の連邦首相官邸があります。
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ドイツ連邦首相官邸 2001年ドイツの建築家アクセル・シュルテスによって設計された建物
鉄筋コンクリートの建物ですが軽快感があります。(2019.1.19)
いろんな要素が複雑に盛り込まれていて、私には少し煩雑に見えました。
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テント張りのアプローチ庇 斬新だが首相官邸には軽すぎるのでは? (2019.1.20)
ベルリンフィルハーモニーホールのあるポツダム広場周辺にある建物を見てみます。
まずドイツ生まれでアメリカで活躍する建築家
ヘルムート・ヤーンの代表作ソニービルです。(地下鉄Potsdamer Platz駅)
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ヘルムート・ヤーン(1940年〜) (2019.1.21)
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ソニービル(2000年)ガラスのファサードの複数のビルが中庭を囲う形の配置です。
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ビルとビルのはさまの間の先に富士山の様なてんとが見えてくる(2019.1.22)
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傘の軸を廻りの建物からワイヤーで釣り上げているような構造です。(2019.1.23)
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中央の軸にカガミを取り付けると、さっき見た、ノーマンフォスターの国会議事堂の屋上ドームを思い出す。
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テントの下には噴水と池があって廻りにレストランや店舗があって活気がある。これはアメリカの空間だ!(2019.1.24)
次はいよいよ見たかったドイツの建築家ハンス・シャーロンのベルリンフィルハーモニーホールです。
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ハンス・シャーロン(1893年〜1972年) (2019.1.25)
ベルリンフィルハーモニーホール(1963年)(地下鉄Potsdamer Platz駅)
大小二つのホールがあってそれぞれのホールの天井の形が外形にも表れています。
足し算の建物ですから見る方角によってさまざまな表現をしています。 (2019.1.26)
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小ホール側の外観
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左が大ホール右が小ホール 正面はエントランス (2019.1.27)
有機的なデザイン要素が多く入っているようです。
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裏側エントランス 地下鉄の駅からはこちら側の方が近いのですが、こちら側は意外にあっさりしています。
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奥の屋根は大ホールの屋根です。 (2019.1.28)
この建物はいろんな材料が使われています。
様々な外壁を紹介します。
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まずはガラスブロックとタイル(素直に並べない性格らしい) スチールの扉(片方はガラスで片方はスチール)
(2019.1.29)
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丸いガラスブロックがならぶ壁
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詳細 (2019.1.30)
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金色のアルミパネル外壁 外断熱の外壁として使われているようです。(2019.1.31)
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ベルリンフィルハーモニーホールのマーク(2019.2.1)
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1階ホール奥は宙に浮く小ホールの下部
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エントランス奥のトップライト(2019.2.2)
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エントランスホール宙に浮く階段(2019.2.3)
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エントランスホール(2019.2.4)
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小ホール側にあった螺旋階段(2019.2.5)
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エントランスホール大ホールの下部(2019.2.6)
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指揮者演奏者を中心に客席が舞台を囲むスタイルの最初のホールです。
内部を見るには見学ツアーがあります、13:30に演奏者出入り口受付で5ユーロで1時間半ほどかかります。(2019.2.7)
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客席側から見た大ホール(2019.2.8)
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舞台側から見た大ホール
小ホールはすり鉢が宙に浮いたように配置されています。当日は練習中で写真は取れませんでしたが見学は出来ました。
この大ホールでコンサートも聞いてきました、感激です。(2019.2.9)
ベルリンフィルハーモニーコンサートホールの隣にミース・ファン・デル・ローエの設計した、ベルリン新ナショナルギャラリーがあります。
残念ながら大規模改修の様で数年は再開されないようでした。
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大規模改修中のベルリン新ナショナルギャラリー (2019.2.10)(地下鉄Potsdamer Platz駅)
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ミース・ファン・デル・ローエ(1886年〜1969年) (2019.2.11)
この建物はミースの代表作の一つですが、シカゴでミースの建物は多く見ましたので、ほぼこの建物のイメージは付きます。
本来ですとこの様に見えるはずでした。
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ベルリン新ナショナルギャラリー(1968年) (2019.2.12)
このベルリン新ナショナルギャラリーの前の道路を挟んで向かいにハンス・シャーロンが設計した国立図書館があります。
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ベルリン国立図書館(1978年) (地下鉄Potsdamer Platz駅) (2019.2.13)
ベルリンフィルハーモニーホールに比べて意外にシンプルな感じがします。
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内部 真四角ではないプランはハーモニーホールと共通します。(2019.2.14)
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図書館で入室管理がしっかりしていてここから先は入れませんでした。(2019.2.15)
ベルリン国立図書館の裏の地域はイタリアの建築家レンゾ・ピアノが中心になって再開発された地域がある。(地下鉄Potsdamer Platz駅)
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ポツダム広場再開発地域地図 (2019.2.16)
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ハンス・コルホフ(ドイツの建築家)・レンゾ・ピアノ(イタリアの建築家)リチャード・ロジャース(イギリスの建築家)などの建築家が関わっている
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レンゾ・ピアノ設計のデビス・ビルとタワー
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レンゾ・ピアノ(1937年〜) (2019.2.17)
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ビルとビルの間に設けられたアーケード (2019.2.18)
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これもレンゾ・ピアノ作となっているがレンゾピアノらしくない建物
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これもレンゾ・ピアノ作 とてもシンプルに納まっています。(2019.2.19)
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この斜めに切られた建物はリチャード・ロジャースの作
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リチャード・ロジャース(1933年〜) (2019.2.20)
レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースは以前一緒に事務所を持っていて パリのポンピドーセンターを設計しています。
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パリ ポンピドーセンター (2019.2.21)
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この建物は株が商店街、上部が集合住宅になっています。(2019.2.22)
メンテランス用のリフトなどがロジャースらしい建物です。
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この建物もリチャード・ロジャース作です(2019.2.23)
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このメカニックさはロンドンのロイズ保険ビルを思い出させます。(2019.2.24)
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この建物もリチャード・ロジャース作です(2019.2.25)
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かなり迫力があります。(2019.2.26)
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庇部分の詳細(2019.2.27)
地下鉄Nollendorfpiatz駅から北へ10分ほど行くとバウハウス記念館がある。
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バウハウス記念館 (2019.2.28)
バウハウスは1919年にドイツ ヴァイマルに開校された美術と建築を教える学校で初代校長にヴァルター・グロピウスが就任している。
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ヴァルター・グロピウス(1883年〜1969年)(2019.3.1)
グロピウスはベルリン工科大学を卒業後ペータ・ベーレンスの事務所に入ってそこでミース・ファン・デル・ローエと出会っている。
バウハウスでは絵画のワシリー・カンディスキーも教鞭に立っている。
その後、1925年にデッサウに移転しモダニズムを学びに世界各国から生徒が集まって来て、日本からも水谷武彦,山脇巌、道子夫妻が留学している。
グロピウスはオランダのデ・スティルの影響を受けたモダニストで1928年に好調を退任しハンネス・マイヤーが後任となっている。
デッサウにてバウハウスは最盛期を迎えますがそれほど長くは続きませんでした。(デッサウ校は後日紹介します)
1930年にミース・ファン・デル・ローエが校長となって1932年にベルリンに移転し1933年にナチスにより閉校になった。
私が訪れた2018年6月にこの記念館は閉館されていて、旅行後少し調べてみるとバウハウス100周年記念に向けて
新館建設の情報が見つかりましたが。進捗状況は詳しくわかりませんでした。
日本でもバウハウス100周年記念行事が計画されているようです。 (2019.3.2)
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この記念館は1978年にグロピウスの構想をもとに
アレック・クヴィジャノヴィッチが設計している。(2019.3.3)
モダニズムの建物というよりポストモダニズムの建物です。
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蛇行するスロープ(2019.3.4)
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この一角のみモダニズム建築になっています。(2019.3.5)
帰りに入り口で見つけたパネルには内観パースが書かれていました。
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中庭を観る内観パース (2019.3.6)
1933年の閉校後ミース・ファン・デル・ローエはアメリカに亡命しシカゴで活躍し教鞭をとったイリノイ工科大学にバウハウスの精神は引き継がれている。
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ミース・ファン・デル・ローエ(1886年〜1969年)
また、ヴァルタ−・グロピウスも1934年にイギリスに亡命し1937年にアメリカ ハーバード大学に招かれアイミン・ペイやフィリップ・ジョンソンなど育て同じく
バウハウスの精神をアメリカに引き継ぎその影響は現代の建築まで多くの影響を与えている。(2019.3.7)
バウハウス記念館より北へ10分ほど行くと大使館が多くたつ地域がありそこの一つにドイツ北欧大使館がある。
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ドイツ北欧大使館(1999年)(2019.3.8)
この大使館は北欧5か国(デンマーク、スエーデン、フィンランド、ノルウェー、アイスランド)の共同大使館で四角い一区画にあります。
コの字の三方を緑青銅板の壁とルーバーで閉鎖的に囲い、もう一辺を開放的に木とガラスで構成されて建てられています。
アルフレッド・ベルゲガ+ティナ・パーキネンの設計らしいのですが、北欧の建築家だろうと思いますが、詳しくは分かりませんでした。
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緑青銅板の壁とルーバーの外壁(2019.3.9)
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緑青と樹木の色がうまく合っています。(2019.3.10)
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もう一辺は木とガラスの外壁で違った表現になっています。(2018.3.11)
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こちらから見ますと五棟のそれぞれの建物が緑青銅板の壁で被われ調和して配置されている様子が良くわかります。(2018.3.12)
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それぞれの建物とその奥に緑青のルーバー
私が訪れたのは休日で中に入れませんでしたが、平日には食堂など利用できるみたいです。
配置構成などとてもうまく計画された私の好きな建物でした。(2019.3.13)
ポーランド系アメリカ人(ユダヤ人)の建築家ダニエル・リベスキンドの出世作ベルリンユダヤ博物館(1998年)(地下鉄Halleshes tor駅)があります。
1988年コンペに当選したリベスキンドの最初の作品になります。
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ダニエル・リベスキンド(1946年〜) (2019.3.14)
ベルリンンユダヤ博物館(1998年)
リベスキンドは脱モダニズムの建築家で彼の作品は四角いモダニズムはありません。(2019.3.15)
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隣に古い建物があって入り口は古い建物から入ります。(2019.3.16)
建物は離れているのですが、実は地下で繋がっています。
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(2019.3.17)
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外壁に付けられた斜めのスリット、外壁の立て葺き鋼板のつなぎも斜め(2019.3.18)
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外壁詳細 切り放しの小口から錆そうで少し心配になる(2019.3.19)
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地下の新旧間をつなぐ通路 斜めの壁にスロープの通路 徹底して水平垂直線を嫌っている所はザハと共通する。(2019.3.20)
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複雑な形状の建物の隙間の空間 構造はRC造でした。(2019.3.21)
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展示室も徹底して斜めの線(2019.3.22)
中に居るととても不安定な空間で落ち着きませんが、今まで体験したことのない新しい空間であることは間違いありません。
迫害されたユダヤ人の歴史を表現する空間としてはこの不安定さは合っているのかもしれません。
ミラノでリベスキンドは高層の集合住宅を造っていましたが、住宅空間もこんな不安定な空間だったら落ち着いて生活できないでしょう。
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古い建物の中庭に造られたパーゴラ(2019.3.23)
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