建築 雑コラム 34
Architecture The s Column
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シカゴの建築
アメリカ五大湖のミシガン湖の南西にシカゴはあります。
訪れたのは11月でしたが、ミシガン湖からの冷たく強い風はシカゴに来たのだと実感させられました。
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ミシガン湖の沿岸にあるシカゴとミルウォーキー(2017.8.25)
シカゴはイリノイ州、そしてミルウォーキーはウィスコンシン州にあります。
アメリカの偉大な建築家フランク・ロイド・ライトはウィスコンシン州で生まれ、シカゴのルイス・サリバンの事務所に勤め、
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ルイス・サリバン(1856年〜1924年)(2017.8.26)
シカゴ郊外のオークパークの自邸と事務所にて1893年〜1910年まで17年間で200件近くの計画をし、現在もオークパーク近郊に
80軒に及ぶ住宅が100年たった現在も現存しています。
また、晩年過ごしたタリアセン・イーストはウィスコン州スプリング・グリーンにあります。
夏季をイーストで冬季は寒くなるのでアリゾナ州のタリアセン・ウェストにて研修生のタリアセンフェローと自給自足で過ごしていたそうです。
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フランク・ロイド・ライト(1867年〜1959年)(2017.8.27)
また、ドイツの建築家ミース・ファン・デル・ローエはアメリカに亡命しこのシカゴにあるイリノイ工科大学の建築科で
1938年〜1958年まで主任教授を務め、シカゴ市内にも多くの建物を残しています。
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イリノイ工科大学のクラウンホールの模型を前にするミース・ファン・デル・ローエ(1886年〜1969年)
また、シカゴ郊外にあるファンファース邸は私が大学1年生で最初に製図の課題でトレースした建築です。
そんな現代建築の故郷の様なシカゴに是非訪れたいとずっと思っていました。(2017.8.28)
ミース・ファン・デル・ローエ(1886年〜1969年)の建築からご紹介します。
シカゴ中心でミシガン湖畔に建っている鉄とガラスで創られた高層アパートがレイクショアドライブアパートメント(1951年)(レッド線、Cicago駅)です。
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レイクショアドライブアパートメント 長方形の平面の二つの棟がL字に建っています。(2017.8.29)
下から見上げるとオフイースビルにみえます。
昨年ニューヨークで観たシーグラムビルとよく似ています。
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ニューヨーク シーグラムビル
ミースにとって人の住む家のアパートもオフィースビルも同じなのでしょう。(2017.8.30)
ミースは自邸を建てることもなく、また自分の設計した建物に住むことはなかったと言われています。
どんな人だったのでしょうか? 自邸を持たず自分の設計した建物に住まない建築家が日本にもいます、磯崎新さんです。
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約6400ピッチのスチールの角柱に1600ピッチのスチールH型鋼のマリオンが梁に溶接されています。(2017.8.31)
住宅各戸はそれぞれのカーテンで目隠しされています。下から見られることのない上層階の湖側の部屋は気持ちが良い事でしょう。
写真を観てもらうと分かりますが、階高は意外と小さく3000程度にみえました。
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120x240程度のH型鋼のマリオン 窓の下部が稼働となって換気できるようになっています。(2017.9.1)
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1階は中央部にエレベーターホールとロビーがあってロビーには守衛さんがいて内部の見学は許可されませんでした。
1階外周部はピロティーになっていて階高も2層分約5400位あって気持ちの良い空間でした。(2017.9.2)
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柱に溶接された飾りのマリオン(2017.9.3)
次はシカゴ連邦センター(フィデラルセンタービル)(1973年)(レッド線Jackson駅) です。
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シカゴ連邦センター(1973年)(2017.9.4)
広場をL字に高層棟と低層棟で囲う
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広場には野菜などを売っている市場になっている。(2017.9.5)
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7mほどの高さのある低層棟
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内部はミースらしい空間の郵便局(2017.9.6)
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低層棟上部詳細
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中央部詳細
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下部詳細(2017.9.7)
ミースらしい納まりです。
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高層棟
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高層棟足元
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高層棟足元から広場のモニュメントを観る(2017.9.8)
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高層棟 マリオン外壁納まり
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高層棟1階エレベーターホール 床壁はグレーの御影石
この建物竣工したのがミースが亡くなって4年後になっていますので最後の遺作になるのでしょう。(2017.9.9)
シカゴ連邦ビルの裏に1893年に建てられたモナドノック・ビル があります。
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濃い褐色のレンガ造だが130年経っていてもあまり古さを感じません。
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正面 足元が広がっているところや、ベイウインドウぽい窓が2列あって中からの視界も快適そう
足元の詳細
設計はシカゴの建築事務所
Bumham&Root/Holabird&Roche です。(2017.9.10)
ミース・ファン・デル・ローエのオフィースビルで晩年の有名なIBMビルがあります。
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IBMビル(1971年)
どれを観てもよく似ています。またシカゴにはこのビルによく似たビルが何棟か建っていますが、よくディテールを見ると違いが分かります。
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左にとうもろこしのマリーナシティー右にトランプタワーが建っています(2017.9.11)
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IBMビル これもミースのビルらしい足元、ほとんどのビルで同じ納まり。(2017.9.12)
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このビルは敷地に傾斜があってこちらから見た足元の感じが私は好きです。(2017.9.13)
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足元から隣のトウモロコシに似たマリーナシティー(1964年)を観る。(2017.9.14)
トウモロコシに似たマリーナシティータワーはシカゴの建築家バートランド・ゴールドバークの設計で彼はバウハウス出身でミースの教育を受けています。
このタワーは19階までが駐車場で21階から60階までがマンションになっています、最上階の6階は住民が自由に使えるオープンスペースになっています。
シカゴでは特徴のある映画にもよく出てくる有名なビルです。
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マリーナシティータワー(1964年) バートランド・ゴールドバーク(2017.9.15)
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バートランド・ゴールドバーク(中央)(1913年〜1997年)
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川から見上げたマリーナシティータワー(2017.9.16)
ミース・ファン・デル・ローエに戻りまして、彼が教壇で教えていたイリノイ工科大学に行きましょう。(グリーン線、35
thBronZeville-IIT駅)
駅の前がIIT(イリノイ工科大学)のキャンパスです。
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この模型がイリノイ工科大学のクラウンホールです。
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クラウンホール正面(2017.9.17)
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左脇より階段は2段に折って途中に広がりを持ったプラットホームを設けています。
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階段部詳細 角パイプのササラにTの字にフラットバーでトラバーチンの段板を支えています。(2017.9.18)
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裏面
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足元詳細(2017.9.19)
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上部詳細
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1階内部 建築科の教室として使われています、模型がいっぱいありました。
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地階図書室 地上に出ているランマ部分よりの採光で地階にあることを忘れそうです。(2017.9.20)
次は同じキャンパスにあります、ミースにはめづらしい鉄筋コンクリートの建物で教室として使われています、カルマンホールです。
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カルマンホール
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1階をピロティーにして中央にガラスのホールとする構成は、前出のレイクショアドライブアパートメントと同じです。(2017.9.21)
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1階ピロティー部分
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柱の内面に壁を合わせて、外部にて上階から下階へ柱の大きさが大きくなっていくのが分かるでしょうか?(2017.9.22)
カルマンホールの前に小さな建物がある
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ライトブラウン色のレンガタイルの貼られた、ミースらしい四角の建物です。
外観からはこの建物が何に使われているのか判断がつかない。(2017.9.23)
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集会場の様な感じもしますが。
実は教会 チャペル (1952年)です。
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窓からのぞいた中には確かに十字架
不思議な気持ちがしますが、ミースのチャペルならこれでもいいのでしょう。(2017.9.24)
これがあるから安藤忠雄の光の教会と水の教会が可能になったように思われます。
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光の教会 (安藤忠雄 1989年)
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水の教会 (安藤忠雄 1988年)(2017.9.25)
イリノイ工科大学のキャンパスにはオランダの建築家レム・コールハスの設計した彼の代表作の一つのマコービックトリビューンキャンパスセンターがあります。
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レム・コールハス(1944年〜)
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マコービックトリビューンキャンパスセンター(2003年)
駅舎の下をまたぐ建物の様に見えますが、丸い筒は駅ではなく単なるトンネル、電車は速度を落としてここを通り抜け200mほど先に駅はあります。
最初は駅の下でプランしたのでしょうが、何故か成立できなく形のみ残したのでしょう、完全な失敗作だと私は思います。
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駅はこの左200m先(2017.9.26)
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ガラスにいろんなタイプや色のスクリーンを貼ってモダニズム建築を超えようなんて考えてないと思うのですが・・・・
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内部空間も殺伐としてつまらない。(2017.9.27)
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内部の一部は三角に掘り下げられたスペースもありますが空間として私は感動することはありませんでした。
たぶんこの作品はレム・コールハスの得意なダイアグラムでの絵ではとてもいろんな要素が絡み合って面白そうに思えたのでしょう。
実際の空間になった時に感動が伝わらなければ私はダメだと思います。
ダラスの時にも書きましたが、レム・コールハスの作品で私が感動した作品にまだ出会っていません。(2017.9.28)
次はあこがれのファンファース邸(1951年)に行きましょう。
ファンファース邸の行き方はUnion駅からシカゴの郊外電車メトラBNSF線の終点Aurora駅に行きます。
アメリカでは珍しいのですが、この駅の前にはタクシーが止まっていますのでファンファース邸の写真を見せれば行く事が出来ます。(約70ドル程度)
最近は便利なもんで、Google地図にFamsuorth House と打って検索すると位置が出てきます。
ファンファース邸は現在歴史的建物として財団で管理されていますので予約を取れば見学できます。
ファンファース邸のホームページから予約を取ってください。また詳細の案内はこのホームページから調べれます。
AUroura駅からタクシーで30分ほどで入り口の小屋に着きます。
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ファンファース邸 入り口の小屋(2017.9.29)
この小屋の中で少しビデオレクチャーを観てから案内人の方の誘導でツアーに入ります。
10分ほど森林の中を歩きます。
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案内人のおじさん、今回のツアーは私一人で親切にいろんなことを教えてくれました。
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木陰から白いファンファース邸が見えてきます。(2017.9.30)
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正面 11月で紅葉も終わり落ち葉が地面を埋め尽くしていました。
路地は日本の回遊式庭園の様に遠回りに見え隠れさせて建物に近づきます。
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柱、梁、ガラス とてもシンプルな納まりです。
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左の1/3のスペースはテラスになっています。階段でこのテラスから室内へ入ります。(2017.10.1)
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階段詳細
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柱詳細 梁とは左右45Φ位の穴2か所づつで溶接し穴を埋めてサンダーをかけフラットにして塗装してあります。(2017.10.2)
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テラス、床は大理石トラバーチンです。
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テラスから直接内部に入ります。(2017.10.3)
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ワンルームの空間で中央にコアや家具があって廻りがそれぞれの空間になっています。
この建物には区画された部屋はなく、また特定された室名もありません。一つの大きな空間の中央部のコアによって四隅にそれぞれの空間ができ
夫々の空間を好きに使ってくださいという趣旨で日本では清家清がこの手法で住宅設計をして、それ以降の多くの建築家の創る住宅はこの手法に
のっとった住宅が主流となっていますが、夫婦のみの住宅では使いこなせるでしょうが、多人数の家族のいる住宅ではこの空間を使いこなして生活できる
家族は少ないと思われます。
しかしこの空間は1951年以降の住宅建築に大きな影響を与えた事実は間違いありません。(2017.10.4)
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ミースデザインのベッドと椅子
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暖炉 ほとんど飾りの暖炉だと思います。(2017.10.5)
私が行った時は電気温水器で湯を沸かし床下を配管した床暖房が入っていました、トラバーチンの床が暖かくてとても快適でした。(2017.10.5)
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中から見た柱、梁サッシ部の納まり とてもシンプルです。
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柱とサッシ床との納まり(2017.10.6)
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ミースチェアー
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裏側にキッチンがあります(2017.10.7)
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便所、浴室の奥に機械室があります。
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床下から見上げましたH鋼の小梁の間にプレキャストの床板が並べられています。中央の400Φ程のヒューム管の中に
上水、排水、電気が供給されています。
ペンキが一部さびていますが、2年に一度のペンキ塗り直しのメンテランスをしているそうです。(2017.10.8)
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地図を見るとよくわかりますが、フォックス川のすぐ近くにこの建物はあります。この写真は川が氾濫した時の写真です。床上浸水の様です。
この建物は最初女医の施主の別荘として建てられましたが、予算もかなりオーバーして訴訟となってミースは訴えられています。
また見学者が無断で敷地に入って来るので精神的に病んだオーナーの女医はライフルを持っていたとも聞きます。
その後ドイツ人の方に所有が移って家族で良く使われたようですが、増改築をしてテラスも部屋になっていたそうです。
財団が管理するようになってまだ10年度しかたっていないようで、やっと原型に戻って一般公開されて観れるようになったと伺いました。(2017.10.9)
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裏からのエレベーション 私はこちらからの形が好きです。(2017.10.10)
フランク・ロイド・ライトを紹介します。
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フランク・ロイド・ライト(1867年〜1959年)
ライトはル・コルビュジェ(1887年生まれ) ミース・ファン・デル・ローエ(1886年生まれ)と他の近代巨匠と並べられますが、
親子ほど20歳も彼らとは年齢が違います。(2017.10.11)
前にも書きましたがシカゴのイリノイ州の隣ウィスコンシン州に1867年に牧師の息子として生まれます。
ウィスコンシス大学マディソン校を中途退学の後シカゴに移り、ダンクマール・アドラーとルイス・サリバンによるアドラー=サリヴァン事務所に勤めます。
1888年、21歳の若さでほとんどの住宅の設計を任せられたと言いますのでやはり才能は若くしたあったのでしょう。
1889年 シカゴ郊外オークパークに自宅兼事務所を建築する。
1893年、26歳で独立し、1910年までオークパークの事務所で200軒近い計画をし、現在もこの近くにプレーリースタイルや、様々なタイプの住宅が
80軒近く残っています。
では、オークパークの住宅兼事務所から紹介します。
グリーン線で終点の一つ手前のOak Park駅で降り、北へ500mほど行き、シカゴアベニューを左に曲がって300m行った所にあります。
オークパークの街には小説家ヘミングウェイも住んでいたそうで、途中にヘミングウェイ記念館もあります。
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ヘミングウェイ記念館 (2017.10.12)
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1889年(明治22年)に建てられたフランク・ロイド・ライト自邸兼事務所(2017.10.13)
左側が事務所で
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左の木造八角形の事務所、中央は事務所エントランス
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右側の八角形はライトの書斎 奥の建物が自邸(2017.10.14)
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入り口に東京帝国ホテルでもあった植栽の門柱
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書斎部分外壁はレンガ 窓廻りのディテールも工夫が観れる(2017.10.15)
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事務所部分外壁ウッドシングル
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事務所部分下部のウッドシングル、窓、レンガ の納まり(2017.10.16)
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住宅玄関
フランク・ロイド・ライト自邸兼事務所見学ツアー で中に入れます。(予約要)
フランク・ロイド・ライトに関しては様々なツアーがあります。
こちらからご覧ください。(2017.10.17)
玄関を入ると正面が折れ曲がった階段があり手前に木製の仕切りがあります。
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木製仕切りの裏に折れ曲がった階段がある
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左を見る リビング 椅子が壁面の外に組み込んで造り付けられている。(2017.10.18)
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正面に 暖炉がある小部屋になっていて4人ほどが向かい合って座れるようになっています。
暖炉の小部屋の左に家族用の食堂があります。
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家族用の食堂(2017.10.19)
来客用のもう一つ食堂もあります。
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来客用 食堂 天井は日本の組子障子の様な仕上で、照明器具を天井内で収納してあります。
椅子の高い背もたれはマッキントッシュの椅子の様ですが、この建物の竣工当時からこの椅子があればこちらが先になります。
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天井照明の組子障子詳細(2017.10.20)
階段を上がって2階に行きますと左に子供室2室がドームの天井を共有して左右対称にあります。
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子供室(2017.10.21)
右側に 夫人室があります、たぶん客用食堂の上に当たると思います。
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夫人室
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壁にはライトの家族写真もあります。 6人の子供がいました。
1909年 ライト42歳の時 ライトはこの6人の子供と妻キャサリンを残し、設計していた住宅の施主の奥さんチェイニー夫人と駆け落ちします。
駆け落ちはニューヨークからヨーロッパへと渡りベルリンで滞在し、その時ヨーロッパで販売されたライトの作品集がコルビュジェや、ミースなどのヨーロッパの
近代建築家に影響を与えたとされています。
水平に広がる連想窓やプレーリーハウスのプランなどはコルビュジェの水平窓や、ミースのプランなどに影響は見受けられると私も思います。
近代建築史においてこの駆け落ちは大きな影響のあった出来事ですが、このオークパークでまずまず順調な事務所と平和そうな家族を残して、
私がライトの立場だったらできないだろうなと、ライトの情熱の以上(異常)さ?スケールの以上(異常)さ? を感じました。(2017.10.22)
子供室と廊下を挟んで迎えに寝室と浴室があります。
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寝室
壁の低い位置に日本の長押の様なラインとドームはやはり日本の真壁の影響があるかもしれません。
またこのような天井はイギリスのウイリアムモリスのレッドハウスにもあったように記憶しています、たぶん影響があったのでしょう。(2017.10.23)
2階で一番圧巻のある部屋はプレールームと呼ばれる部屋です。
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ピアノが壁に埋め込まれているプレールーム(2017.10.24)
子供がピアノを弾いたり、演奏会をしたり、読書したり、遊んだりしていた部屋と思われます、家族思いのライトの一面がうかがえます。
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反対面
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壁画
壁画の絵は ウイーンのオットワーグナーの作品にもこの様な感じのものがあったように記憶しています。
オットワーグナーの影響もあったと思われます。(2017.10.25)
事務所の方を紹介します。
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事務所
事務所1階は平面は正四角形2階回廊と屋根部分は八角形になっています。
所員が10人くらいいても大丈夫位のスペースです。
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ユニティ教会の模型 各机の上には図面が置いてあります。(2017.10.26)
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重厚な感じの所長室
低い2mくらいの位置に棚板が全周回っていて日本の長押の様な感じがします。
壁もジュラクの様でよく見ると真壁のような雰囲気もあります。
日本の建築が好きだったと聞いていますが、かなり勉強していたようです。(2017.10.27)
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事務所の玄関からのスペースで、事務所と書斎をつなぐ空間ともなっています。
天井は低いのですが、明かり天井に近いトップライトで狭さは感じません。(2017.10.28)
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書斎(2017.10.29)
八角形の書斎でランマの窓から採光しています。家具は全て造り付けで、室内空間と一体化しています。
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浮世絵も貼ってあります。
ライトは有名な浮世絵コレクターで東京で帝国ホテルの設計料の多くを浮世絵収集に費やしたと言われています。(2017.10.30)
このライトの自宅兼事務所から500mほど行って帰ってくる間にライトの設計した住宅を8軒見て回れる
ツアーもあります。
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Oak Park Combinathion Tour パンフレット(2017.10.31)
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ARTHUR B. HEURTLEY HOUSE
水平な庇のラインと緩勾配の寄棟屋根、連窓する2階の窓、半円形のドームのエントランス
ライトのデザインボキャブラリー満載の住宅で とてもライトらしい建物です。(2017.11.1)
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THE CHARLES A. PURCELL HOUSE
今度はライトのボキャブラリーのない住宅でとんがり屋根です。(2017.11.2)
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LAURA GALE HOUSE
ライトの提案したプレイリーハウスの原型に近い住宅です。水平な庇とバルコニーの間に連窓する窓があります。
この様な空間はレンガや石を積んだ組積造の過去の建物にはなかった表現で、コルビュジェや、ミースも多くを学んだ事でしょう。
この建物白く塗るとコルビュジェのサボア邸に少し見えてきませんか?(2017.11.3)
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PETER A. BEACHY HOUSE
この建物はあまりライトらしい建物ではありません。
施主の好みに合わせて造っていたようです。(2017.11.4)
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FRANK THOMAS HOUSE
最初のARTHUR B. HEURTLEY HOUSEとよく似たとてもライトらしい建物です。(2017.11.5)
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HILLS-DECARO HOUSE
庇のラインがライトらしい住宅です。(2017.11.6)
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NATHAN G. MOORE HOUSE
急こう配の屋根、縦長の窓 とてもライトが設計した建物にみえません、中に入るとライトのボキャブラリーが見えるのかな?
それにしても、この狭いエリアでこんなにたくさんの住宅を設計できる建築家は現在の日本でもいないでしょう。
またこんなに多様なデザインをしていたことにも驚きました。
ツアーはこれで終わります。(2017.11.7)
ここオークパークにはライトの設計したユニティー教会もあります、情報では改修工事がもう終わっているはずでしたが、まだ工事中でした。
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ユニティー教会(1904年)
本来の姿は
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ユニティー教会外観(2017.11.8)
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内部
これが観られるはずでした。残念(2017.11.9)
OAK PARK駅の隣のRIVER FOREST駅近くにW・H ウィンズロー邸があります。
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W・H ウィンズロー邸(1894年)
W・H ウィンズロー邸はライトが事務所独立して最初の住宅と言われています。
非常に安定感のあるプロポーションの良い建物だと思います、是非中が観たいのですが現在も使われている様で見れません。
(2017.11.10)
もう一つ有名な住宅F・C ロビー邸(メトラME 59th、St駅徒歩20分)があります。
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F・C ロビー邸(1906年)
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横からの外観(2017.11.11)
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下からの見上げ
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デッキ詳細(2017.11.12)
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窓部詳細
ロビー邸は開館時間が短く9:00〜4:00で3:50分に現地に着きましたが、3:30分までに来なければ中に入れないそうで残念ながら
内部見学は出来ませんでした。(2017.11.13)
.住宅以外の建物を紹介します。
シカゴの街中ミースのフィラディルセンタービルの北西100mほどにルッカリービルがあります。
このルッカリービルはシカゴ大火の後シカゴの建築事務所バーナム&ルートが鉄骨で設計した世界で最も古いとされる摩天楼12階建てです。
1905年にフランク・ロイド・ライトが1階のロビーを改装しました。
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ルッカリービル(1888年)(2017.11.14)
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1905年にライトが改装したホール
鉄骨を使うライトの作品は初めて見ました。 こんな一面もあったのだと感心しました。
このホールどうも四角く囲われた中心の中庭に鉄骨でトップライトの覆いをかぶせて造られています。
照明器具と階段の門柱はライトらしいボキャブラリーです。
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反対面の階段(2017.11.15)
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微妙な曲線の周り階段
ライトが鉄を使うとこんな表現になるのだと思いました。
時代も関係するかもしれませんがエッフェル塔で観た鉄の使い方に似ているような気がします。
そしてこのホールに差し込む光は細かく裁断され 木漏れ日の下にいる様な心地よさがあります。
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細かい透かしが多用されているトップライト
そういえばライトの自邸にあった天井照明の組子障子とも似ていて共通するのかもしれない。(2017.11.16)
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周り階段の詳細 踊り場を上から吊っています、よく見ると至る所に透かし彫りが施されています。
このホールは自由に入れますが
ガイドが付いたツアーもあるようです。(2017.11.17)
次はシカゴからアムトラックの電車に乗ってウィスコン州のミルウォーキーに行く途中にある、ジョンソンワックスビルです。
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ジョンソンワックスビル(1939年)
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事務所内部(1939年)
見学には予約がいります。
私は予約を取ってシカゴからアムトラックに乗って1時間ほどのSturtevant Station駅で降りタクシーを拾おうとしましたが、タクシーが居ません。
バスもありません、ジョンソンワックスビルはここから5KMほど行かなくてはいけません、予約の時間もあと30分
結局行けずに帰ってきました。とても残念です。
アメリカの郊外の駅は広大な駐車場があるだけです、たぶんレンタカーを借りて移動するのが常識の様なのでしょう。
一つ勉強しました。
ライトの作品はサンフランシスコのモリス商会、ロサンゼルスのホリホック邸、ニューヨークのグッケンハイム美術館、日本の帝国ホテル、自由学園明日館
神戸の山邑邸と今回の作品と合わせてずいぶん観て来ました。
どれも、空間のプロポーションも、材料の使い方も、構造と空間の関係も、素晴らしく天才的な才能を感じました。
また、日本にある帝国ホテルや、明日館、山邑邸はライトの作品の中でもかなり優秀な作品なのだと思いました。(2017.11.18)
足を延ばしてウィスコン州ミルウォーキーに行きましょう。
シカゴUnion駅からアムトラックで1時間半でミルウォーキーに着きます。
湖畔にスペインの建築家 サンティアゴ・カラトラバが設計したミルウォーキー美術館があります。
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サンティアゴ・カラトラバ(1951年〜)
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ミルウォーキー美術館 (2001年) (2017.11.19)
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白鳥と言われていますが後ろ(実はこちらが玄関側)から見ると鯨がしっぽを上げているように見える
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ブリッジからのエントランス スチールのディテールが半端ではない (2017.11.20)
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湖畔側から見るとこの様になっています。
翼は日光調節で私が訪れた日は13:00に閉じました。
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閉じたところ (2017.11.21)
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プレキャストのきれいな曲線の柱を現場うちコンクリートのスラブで一体化しているようだ (2017.11.22)
力が軸力に沿って細い柱脚に流れていきます、当然柱脚はピン接合で軸力のみ負担しています。
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1階ホール
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ホール内見上げたところ (2017.11.23)
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ホール正面 ミシガン湖を眺める
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展示棟への通路部分 どこまでがプレキャストでどこから現場打ちなのか良くわからない (2017.11.24)
サンティアゴ・カラトラバが設計したこの美術館はなんと玄関ホールと地下駐車場のみで肝心の展示室は離れた建物になります、
そこをつなぐのがこの長い通路。
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左からの白い屋根が通路、その先地下部分が展示室、上に載るピロティーの建物は戦没者慰霊館
戦没者慰霊館(1957年)はエーロ・サーリネンによって設計されています。(2017.11.25)
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エーロ・サーリネン(1910年〜1961年)
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四角い中庭を挟んで四方に飛び出したBOXをピロティーで支えています。(2017.11.26)
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正面から見る 足元の下は美術館展示室です。
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中庭 ピロティーからカラトラバの建物が見える(2017.11.27)
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ピロティーを支える柱 かなりアクロバティック 4つのブロックが繋がってやっと支えられる構造になっている。
エーロ・サーリネンの建物はアメリカの近代建築として大胆で、シンプルに納まっていて、私はとても好感が持てる建物が多いです。(2017.11.28)
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室内 ワッフルスラブになっています。(2017.11.29)
シカゴに帰ってその他の建物を紹介します。
まずはアメリカの大手設計事務所SOMが設計したシアーズタワー(現在はウィリスタワー)
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シアーズタワー(1973年)(2017.11.30)
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シアーズタワーからの風景(2017.12.1)
シカゴもニューヨーク程ではありませんが高層の摩天楼が多くあります。
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シカゴの摩天楼
そんな摩天楼や近代建築を誇るシカゴを知るには運河をクルーズして建築を見る、
シカゴ建築クルーズ があります。(2017.12.2)
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シカゴ建築クルーズ船(2017.12.3)
クルーズでは建物の設計建築家、年代 特徴など エピソードを交えて案内しながらツアーします。
また他にも建築を観光にしたツアーが各種ありますので
こちらをご覧ください。
クルーズを楽しんでみましょう
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モダニズム建築の特徴が良く纏まっているビル(2017.12.4)
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工事中の橋 跳ね橋がいくつかある(2017.12.5)
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マリーナシティーを設計したバートランド・ゴールドバークの集合住宅(2017.12.6)
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ミシガン湖からシカゴ市街を見た風景(2017.12.7)
シカゴで最近活躍している女性建築家ジーン・ギャングの建てたマンションが市街地にありました。
ジーン・ギャング(1964年〜)
日経アーキテクチュアによる彼女の記事 (2017.12.8)
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アクアタワー(2009年) (オレンジ Millennium Station 駅)(2017.12.9)
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集合住宅コンドミニアム バルコニーの出入りで建物に表情を出しています。(2017.12.10)
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手すりがエレベーションに影響しない様少セットバックして取り付けられている。(2017.12.11)
シカゴの中心にミレニアム広場があります。
そのミレミアム広場の一角にイタリアの建築家 レンゾ・ピアノが設計した
シカゴ美術館新館があります。(Adams駅)
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シカゴ美術館新館 (2009年)(2017.12.12)
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レンゾ・ピアノ(1937年〜)(2017.12.13)
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大きな屋根に見えるのは実はルーバーで 建物の上を覆う日傘の様なものです。(2017.12.14)
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ルーバー屋根を支える柱は細い鉄パイプ(2017.12.15)
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柱脚はこんなに絞ってあって固定されていないように見えます。(2017.12.16)
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右側の棟にはルーバー屋根はかかっていません、写真左の低くなっている部分がエントランスになります。(2017.12.17)
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エントランスホール(2017.12.18)
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ホール
レンゾ・ピアノは多くの美術館を設計していて今回の旅行ではキンベル美術館の新館とナッシャー彫刻センターそしてシカゴ美術館新館と観てきました。
このシカゴ美術館は一番規模が大きいのですが、手慣れて造られた様な印象が残りました。
とわ言ってもピアノらしい納まりと空間はさすがと思わせますが、ナッシャー彫刻センターを観た後ですから、思い込みの伝わり方が違います。
(2017.12.19)
シカゴ美術館本館はこの新館の裏側にあって(新館側が裏かもしれない)とても大きな美術館です。
シカゴ美術館本館
ゴッホ、スラー、モネ、セザンヌ、モジリアニ、など近代の作品も充実しています。また浮世絵など日本の作品も多く
ニューヨークのメトロポリタン美術館同様1日かかっても観つくせないほど多くの作品が収容されています。 さすがシカゴ!(2017.12.20)
ミレニアム広場の北側にはアメリカの建築家 フランク・O・ゲーリーの設計した、屋外劇場のジェイプリッカーパビリオンがあります。
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フランク・O・ゲーリー(1929年〜)(2017.12.21)
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ジェイプリッカーパビリオンへのアプローチ(2017.12.22)
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ジェイプリッカーパビリオン遠景 パイプのアーチで客席側も一体化したい気持ちは分かりますが・・・(2017.12.23)
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いかめしい兜の様な舞台(2017.12.24)
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横より見た所 ゲーリーらしい (2017.12.25)
そして後ろから見ると
やっぱり張りぼて! ゲーリーらしいと言うのか? 今までになかった建築の世界、ゲーリーの建築芸術 と 評価するのでしょうが
美しくはないと思います。
これは、マルセル・デュシャンの便器の作品や多くの現代芸術にも共通する部分ですが、芸術は考え方の新しさではなく、
心や精神に言葉でない表現で訴えてくるもので、多くの人が圧倒的に「すごい」と一瞬して思う作品が本当の芸術と私は思います。
(2017.12.26)
ミレニアム広場にはこのジェイプリッカーパビリオンの近くにインド出身でイギリスで活躍するの美術家アニッシュ・カーブアが創った
ビーン クラウドゲートがあります。
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アニッシュ・カーブア((1954年〜)
この作品は廻りの公園の風景を写し込んだとても綺麗な現代芸術作品だと私は思います。(2017.12.27)
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ビーン (2017.12.28)
今年はこのビーンで最後にします。近づいてみましょう。
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(2017.12.29)
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(2017.12.30)
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(2017.12.31)
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