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建築  雑コラム 24

Architecture         The s   Column    

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トルコ イスタンブール

今回の旅のもう一つの目的は、アジアとヨーロッパの接点の都市イスタンブール(コンスタンティノーブル)と、

15世紀の建築家ミマール・スィナンのジャーミィ(モスク)を見たくて尋ねました。(2015.3.25)

イスタンブールは地中海・エーゲ海と黒海を結ぶマルマラ海とボスボラス海峡の右岸がアジア側で、左岸がヨーロッパ側になる両岸にまたがった地域で

人口1410万人の大都市です。


(2015.3.26)

330年にローマ帝国の都市コンスタンティノーブルとしてローマ帝国の首都から始まり、ビザンティン、ラテン帝国、オスマン帝国の間1300年以上

帝国の首都として君臨した場所でもあります。

ですから、ローマ時代の遺跡、キリスト教時代の遺跡、イスラム時代の遺跡と重なり合って存在する地域なのです。


新・旧市街に2/3の人口、アジア側に1/3の人口が住んでいます。(2015.3.27)

またこの地はシルクロードの終着地として日本とも歴史的に繋がった場所なのです。

黒海に繋がるボスボラス海峡は巾が800m〜3700mで長さやく30kmの海峡で海の交通の要所でとても多くの船が行き交う海峡です。

                          
                          ボスボラス海峡 アジアとヨーロッパを繋ぐボスボラス大橋(2015.3.28)

東洋と西洋がまじりあって、また人が多く煩雑でエネルギッシュ、どことなくインドのデリーとよく似た感じがあります。

        
広場の風景 とにかく人が多い                           新市街と言われるが古い街並みの街の朝(2015.3.29)

イスタンブールの朝は夜明けとともに始まるコーランが街中に響き渡りホテルの部屋でも5時半に起こされる、

現地の人はもうこの時間に起きてお祈りをしているのだろうか?

最初に紹介した様にイスタンブールはコンスタンティノーブルと呼ばれたローマ時代、キリスト教のビザンチン時代、イスラム教のオスマン帝国と

時代を幾層も塗り重ねて作られて都市で、後で紹介しますアヤ・ソフィヤの様に、教会をモスクに改装し塗り込められた壁をはがして下地から

キリスト画が出て現在は博物館となっている建物もある。(2015.3.30)

歴史をさかのぼってローマ時代の遺跡から紹介します。

まずローマと言えば水道橋、ここにもありました。

          
          ローマ時代のヴァレンス水道橋(2015.3.31)(トラムAksaray駅)

コンスタンティヌス大帝から建設が始まりヴァレンス帝の時代AD378年に完成されました。

この水道の先端に作られたのが地下宮殿で一種の貯水空間です。


地下宮殿(2015.4.1)(トラムSultanahmet駅)

ローマ人の技術レベルの高さにはいつも感心します。

競技場もローマ人が愛した空間です。U字型の大競技場があったピッポドローム、現在はブルーモスクの西にある広場となっていますが、

かってのオベリスクと黄銅製の柱で「蛇の柱」と呼ばれている物が残ります。

                
ピポッドローム広場 (トラムSultanahmet駅)                                  蛇の柱(2015.4.2)


                
    ローマ人がエジプトから持ってきてローマの都市のいたる所に建てたオベリスクがここにも2本残っている。(2015.4.3)

コンスタンティヌス1世(272年〜337年)はローマを再統一しその首都をコンスタティノーブルとした。

それを記念して建てた塔がチェンベルリタッシュで、当初は57mもあったが、現在は老朽化して外部から鉄板で補強された34mの塔になっている。

                
                ローマの首都をコンスタンティノーブルとした記念のチェンベルリタシュの塔(2015.4.4)(トラムCemberlias駅)

イスラム教のまだない4世紀のこの地はイタリアのローマの様な街であったと思われる。

巨大化したローマは東西に分裂して統治される様になりコンスタンティノーブルは東ローマ帝国(またの名をビザンツ帝国)の首都として

オスマン帝国に征服される1453年まで続く。(2015.4.5)

ビザンツ時代のキリスト教教会の多くはミナーレ(四隅の塔)を付け加えられ、壁の装飾を漆喰で塗り隠してイスラムのモスクにされていました。

もっとも有名な物は後で出てきます、アヤソフィアです。

アヤソフィアよりは規模は小さいのですが、モザイクタイルの壁画は11世紀の東ローマ、ビザンツ時代の傑作と思わせるのが世界遺産にもなっています

カーリエ博物館です。(教会からモスクになって復元されたものは博物館として公開されている)

      
世界遺産 カーリエ博物館 (トラム Edirmekop駅)                       全景(2015.4.6)

モザイクタイルの壁画やドームを近くで見る事が出来1000年前のビザンツ時代を十分感じる事が出来ます。

                
                ドーム天井の壁画(2015.4.7)


     
モザイク壁画                              モザイクドーム画(2015.4.8)

モスクのドーム屋根はローマからのキリスト教会ドームから引き継がれたものであるとおもわれる。

カーリエ博物館の近くには東ローマ時代の城壁、テオドジウスの城壁が残っている。

           
           テオドジウスの城壁(2015.4.9)

さて、イスタンブールと言いますと有名な世界遺産のアヤソフィアです。

西暦325年にコンスタンティヌス帝によって建てられたが、幾たびか焼失し、現在の建物は537年に技師アンテミオスとイシオドスによって31mの

ドームが創られた。

           
           アヤソフィア博物館 (トラムSultanahmet駅)(2014.4.10)

1453年オスマントルコに陥落後メフメット2世がジャーミィ(モスク)に改装した。

1931年アメリカの調査隊によって漆喰で塗り込められたモザイクタイル画を発見された。

現在は博物館としてまた世界遺産として公開されている。

        
漆喰が剥がされモザイクタイルが表れたドーム (2015.4.11)         

31mのドームはX方向にそれぞれ2本づつのバットレス, Y方向に半円ドームで水平力を逃がしている、

ドームを支えているのは4本の大きな柱で、

柱にはイスラムのカリグラフィーの円板にアッラーやムハンマドなどの4人の名が書かれている。

イスラムとキリスト教の共存する不思議な空間です。(2015.4.12)


          
          聖母マリアとキリストの モザイクタイル画(2015.4.13)



キリストと弟子のモザイクタイル画(2015.4.14)

4本のミナーレ(搭)は建てられた時代がそれぞれで1本づつ形が違う。

        
太めのミナーレ                                   細めのミナーレ(2015.4.15)

ビザンチン時代の建物を後二つご紹介します。

アヤソフィアの隣、トプカプ宮殿に入ってすぐ左にイスタンブール最古のアヤ・イリニ教会がある、


アヤ・イリニ教会(2015.4.16)

ドームの屋根はイスラム式に改装されています、内部は仕上げをはぎ取られた状態ですが、教会の基本のバシリカ式がはっきりと残っています。

                                    
                                    バシリカ式のしっかりした空間構成が残っている(2015.4.17)

次は6世紀にユスティニアヌス帝によって建てられた聖セシウス&聖バッカス教会をイスラムのジャーミィ(モスク)にした、

キュチュック・アヤ・ソフィア・ジャーミィです。(教会をジャーミィに換えたものはアヤがついたものが多い)


キュチュック・アヤソフィア・ジャーミィ(2015.4.18)

柱のオーダーとロマネスクの空間が残っています。

               
               コリント式のオーダーの柱(2015.4.19)

東ローマ帝国の首都コンスタンチノーブルも1453年にオスマントルコに征服されイスタンブールと名前をかえオスマントルコの首都となる。

オスマントルコの王宮がトプカプ宮殿で広大な敷地に行政庁、教育機関、王の居室や、ハレムなどがありオスマン朝の権威の大きさを感じる事が出来る。(2015.4.20)

また、ボスボラ海峡のみえる小高い広い敷地に各用途を持った建物が点在するように建てられ、その集合として宮殿がある。ヨーロッパの宮殿の様に

一つの大きな宮殿の建物に代表される形式ではなく、点在する建物の集合は、オスマントルコがシルクロードの放牧民族の末裔で高原に点在する

テント群の構成が残っているのかも知れない。


トプカプ宮殿 城壁入口、帝王の門(2015.4.21)


                                   
                                   テントを連想させる屋根(2015.4.22)

この形の屋根は、原広司、伊東豊雄、長谷川逸子などがトップライトとして良く使っていました。


伊東豊雄 アルミの家 

トプカプ宮殿は多分煙突ではないかと思います。(2015.4.23)


                         
                         幸福の門(2015.4.24)

幸福の門と呼ばれていますが、奥に謁見の間がある建物の玄関で王の日ごろの仕事場で、多くの高官や小姓に囲まれてそれぞれの部屋も連なっている。

また、イエニチェリと言う将来高官となる人材の教育機関もこの宮殿にあった。

王宮の1/3が、王の個人的な空間となる、ハレムと家族の間、スルタンの私室となり、ほとんどの壁はイズニックタイルが貼りつくされて細部まで緻密な

施工は関心を通り越して、つい「いい仕事してますね!」と感銘を受けました。


ハレム入口 (2015.4.25)

            
イズニックタイルの部屋、中央は暖炉                           ドームの部屋 ドーム内もタイル張り(2015.4.26)

ハレムの建物はなぜか庇を持つ建物が多く、その庇の軒裏もこれでもかと思えるほど手間が掛けられている。


庇のある建物(2015.4.27)


            
            タイル張りの外壁と 軒裏の詳細

イスラムの装飾は空白を作らないですべて埋め尽くす物が多く、空白恐怖症の文化で日本の美術の対極の様に思われた。(2015.4.28)


さてもう一つの今回の旅の目的、15世紀の建築家ミマール・スィナン(シナン)について書きます。

私が最初にスィナンを知ったのはテレビでスィナンのモスクを紹介する旅番組でした。それまでは名前も知りませんでしたが、見るに内にドームの大きさ

プロポーションの良さなどに関心を持ちました。

そして、夢枕獏の小説「シナン」を読んでますます興味を持ちました。

                                                   
                                                   夢枕獏 「シナン」(2015.4.29)


スィナン(シナン)の生い立ちから、アヤソフィアのドームを超えるドームへの追及などかかれています。

そして最終的にスィナンが辿り着いた、セリミエ・ジャーミィ(モスク)(イスタンブールから北100Kmにある)を是非見てみたいと思いました。(2015.4.30)


                 
                 ミマール・スィナン(1489年〜1588年)(2015.5.1)

スィナンは100歳まで生き、イエニチェリとして軍の橋などの造営から始まり、81ものジャーミィ(モスク)をはじめ学校、宮殿、浴場など信じれない数の

建築を残している。そして現在のトルコの国民にも愛されている存在で、日本の千利休の様な存在であったように思われます。(2015.5.2)

まず最初の観た建物は、ジェフェルアー神学校でアヤ・ソフィアのすぐ隣の位置にありますが入口が狭く少し下り坂になっています。

中庭はカフェになっていて、工芸品などを作って売る店などがありました。


ジェフェルアー神学校中庭カフェ(2015.5.3)

                                       
                                       先のとがった、イスラム型アーチ(2015.5.4)

コンクリート打ち放しを見ている様なさっぱりした砂岩ポイ外壁、構造はレンガ造のようだ。

中庭を囲って回廊があって、回廊に面して小部屋が並ぶ。


レンガ造のクロスボールト ザラッとした味がある(2015.5.5)

この中庭廻りの空間は割と低く抑えてあって、スケールが良くスィナンのセンスの良さを十分感じる事が出来る空間です。

現在は神学校ではなく、ギャラリーになっていますが、回廊廻りの小部屋が生徒の個室で、正面の少し大きなドームのある建物が教室の様です。

                  
      正面のドームのある教室? 柱の細さ、パラペットの納まり、ドームのディテールに時代を感じさせないセンスを感じる。(2015.5.6)


次は内部がなかなか見る事が出来ず、3度尋ねた1571年に建てられた、ソクルル・メフメットパジャ・ジャーミィです、

スィナンの創るジャーミィは高低差のある敷地を上手く利用したものが多く、

このジャーミィも一階低い門から階段を上がると回廊に囲まれた中庭に出ます。

            
一層下の何気ない入口から入って                         階段を上ると見えてくるジャーミィ(2015.5.7)

見せ方に演出性がある。

                   
                 ジャーミィの中庭にでる(ミナーレは一本しかない)(2015.5.8)

 ソクルル・メフメットパジャ・ジャーミィは小ぶりのジャーミィだが均整のとれたプロポーションで気持ちの良い空間です。

回廊の反対側の部屋は住み込みの学校となっているようでした。

 
学校として使われている反対側(2015.5.9)

                                                       イスラム式アーチに嵌め込まれた木製の窓、ディテールも納まりも、材質もとても良い (2015.5.10)


                   
                 白い部分の多いすっきりしたドームを細身の8本の柱で支えている

秀作なジャーミィでスィナンのジャーミィの原型が全てある様に感じました。(2015.5.11)

次は、前出しましたローマ時代のヴァレンス水道橋の近くにあってミマール・スィナンの初期のジェフザーバディシュ・ジャーミーです。


回廊の中庭に入るイスラムアーチ、ミマール・スィナンのアーチは途中に鉄でアーチの広がりを止めるテンションが入れてある。(2015.5.12)


          
          アーチを貫けると締まりのある中庭空間に入る(2015.5.13)


                                            
                                  中庭の真ん中の建物は体を清める水場となっていて、手足顔を洗っている。(2015.5.14)



内部は赤を基調とし、ブルーのライン、下地の白の三色でまとめられている(2015.5.15)


                     
                     シンプルで明るいモダンな感じのするジャーミーの内部(2015.5.16)

次は、ミマール・スィナンが仕えた、オスマン帝国最盛期の君主スゥレイマン大帝のジャーミーで霊廟だけではなく周りに学校、神学校、病院、

救貧院(貧しい人に施す場所)、隊商宿などが組み込まれた複合建築で、一つの街を形づくっている。

ミマール・スィナンのジャーミーは全て街に繋がる複合建築の要素があるのが、他のジャーミーと違っているように思われた。

ル・コルビュジェがマルセイユをはじめヨーロッパに何棟か建てた、街をイメージした複合建築ユニティーに似ている概念を感じました。


神学校(現在は店舗が入っている) (2015.5.17)

こんな街並みから階段を少し登ると突然ジャーミーが全景を表す。

              
              スゥレイマニエ・ジャーミー(1557年)(2015.5.18)

前出の二つのジャーミーと比べるとはるかに大きなジャーミーで、このスゥレイマニエ・ジャーミーのドームの直径は26.5mでブルーモスクの27.5mに次ぐ

大きさです。

外壁はグレーぽい大理石、屋根は鉛で、唯一正面の木製の扉がマホガニー色と、ドームの屋根のてっぺんの飾りの金色のみに色が付いている。

ミナーレは4本で、伽藍とドーム、ミナーレのバランスも良く、どことなく品を感じる。

                                              
                                              お浄めの洗い場が、回廊の外にある。(2015.5.19)


             
             回廊のアーチもスリムでリズミカルな感じがする。(2015.5.20)

ここの中庭は他のジャーミーの中庭と違って大衆が入る中庭ではないように思われます。


建物の大きさ、中庭の広を感じてもらえますか?本当に大きな建物なのです。(2015.5.21)


                                 
                                 回廊の一部を切り取ってもプロポーションの良さが良く分かります。(2015.5.22)



ドームへの入り口(2015.5.23)


               
           ドーム内部 赤と金色で重厚感のあるドーム、窓の明かりが夜空の満天の星の様に輝いている。(2015.5.24)


満天の星の輝きには、窓の表と裏に丸い穴のパネルが二枚入れてあって,その光のずれが微妙にちらついて、星のちらつきに近づいている様に工夫されている。(2015.5.25)

            
          回廊の外向かいにある隊商宿(現在はレストランとして使われている)(2015.5.26)

霊廟にはスゥレイマン大帝の家族の棺の隣にミナール・スィナンの棺が置かれている事から、どれほど大事にされた偉大な建築家であったか推し量る事が出来る。

                 
                 柵で囲われた棺が王家の家族の棺、その隣がミナール・スィナンの棺

神谷武雄氏が「ミナール・スィナンとスレイマニエとセリミエ」についてまとめた良い文章があります。

神谷武雄氏の発刊中止となった「イスラームの建築」を是非ご覧ください。(2015.5.27)


ガラダ橋の近くにエジプシャンバザールがあってその延長の商店街の2階にあるジャーミーがリュステム・パジャ・ジャーミー(1561)で

入口がとても分かりにくい

       
商店街からミナールが覗けて見える。             中央のおじさんの頭の上がジャーミーへの入り口で階段を上ると回廊に出る。(2015.5.28)

                   
                 回廊(2015.5.29)

         
  リュステム・パジャ・ジャーミー のドーム 主ドームのみの構成なので光を多く入れたいのか窓のピッチが細かく多いように思える。(2015.5.30)


さて最後のジャーミーはミマール・スィナンの最高傑作で今回の旅のメインの目的でもあります、イスタンブールから北へ100km行ったエディルネにある

世界遺産 セリミエ・ジャーミー です。 アヤソフィアの31mのドームを上回る31.5mのドームだそうです。

エディルネまでの行き方をご紹介します。(2015.5.31)

郊外へ行くバス停の巨大な集積地をオトガル、Otogar と言います。トラムM1のOtogar駅を出ますとバスターミナル オトガルには何十と言うバス会社が

各地に行くバスの乗り場があります、エディルネへはNilfer,とMetroの2社がEDIRNE行きのバスを出していました。

   
オトガル                                     METROのバス (METRO社の方がバスがきれいで大きい)(2015.6.1)

私は9:30発のノンストップNilfer,EDIRNE行に乗りました。約2時間半でエディルネのオトガルまで着きます。(一時間に1本)30TL
(METRO社は毎時00分発)

   
エディルネのオトガル                                エディルネ市内までのバス(2015.6.2)

エディルネのオトガルからは市内行きのバスが出ていますのでそれに乗ってバスの運転手にセリミエ・ジャーミーの写真を見せれば降りるバス停を教えてくれます。

バス停からはミナールが見えますので世界遺産セリミエ・ジャーミーに辿り着きます。

このジャーミーも商店街が一階にあってその上にジャーミーと神学校(現在は博物館)の複合建築になっています。

                   
                   セリミエ・ジャーミー(1575) (2015.6.3)


     
1階の商店街から入口がある。                           山のように大きな建物が現れる(2015.6.4)


              
             建物中央の様々なイスラムアーチの重なり(2015.6.5)


           
           上部ドーム屋根、外からはいかめしいが、内からは満天の木洩れ日の様な光のドームと対比が面白い。(2015.6.6)


 
中庭回廊への入口(2015.6.7)


                          
                          意外にシンプルな中庭回廊(2015.6.8)


正面(2015.6.9)


                                  
                                  ドーム入口(2015.6.10)


              
              満天の木洩れ日の様な(または満天の星)ドーム内部(2015.6.11)


       
       ドーム天井のタイル装飾 スィナンのドームはすっきり感がどこもある(2015.6.12)

ドームを8本の柱とバットレスで支えている。

                            
                            お昼のお祈り 一階前方に男性が座ってお祈りして(2015.6.13)

女性は一階後ろ、または後ろ2階でお祈りをする。

イスラム教ではどうも男女の差別があるようだ?

お祈りは神父が前の方でコーランを歌い上げる。 コーランが終わると一礼してあっさりと解散になる。


2階からのドーム(2015.6.14)


           
           2階の女性のお祈りの場  神父の見えない後ろに座っている。(2015.6.15)

セリミエ・ジャーミーのドームの隣には神学校があります、現在は博物館として当時の神学校の様子を展示しています。


神学校中庭を囲って個室群があり正面には教室の大きな部屋がある。(2015.6.16)


                                        
                                        ミナール・スィナンのポスター(2015.6.17)



神学校の教室の様子を再現した展示(2015.6.18)


                                   
                                   二人で一室の個室を再現した展示(2015.6.19)

ミナール・スィナンの建築をこれで終わり、スィナン以外の建築家のジャーミーを二つご紹介します。

まずは通称ブルーモスクと呼ばれています、スルタンアフメット・ジャーミー(1616年)です。

          
          スルタンアフメット・ジャーミー(2015.6.20)

スルタンアフメット・ジャーミーはミナール・スィナンの弟子メフメット・アーの設計で建設された、アヤソフィアの隣に建っている。


中庭回廊 少し高めのプロポーション(2015.6.21)


                                   
                                 6本のミナーレで回廊の高いプロポーションに比べドームがずんぐりとしてみえる。(2015.6.22)




ドーム内部4本の柱と45°のバットレスに支えられている。(2015.6.23)

ドームの直径は27.5mで副ドームが4方向に配置されている、スィナンに比べ副ドームが大きいので、主ドームが大きく見えないような気がしました。

次のジャーミーはガラタ橋の近くにあるイエニ・ジャーミーです。

           
           イエニ・ジャーミー(1598年)(2015.6.24)

イエニ・ジャーミーはダウード・アーのよって設計された2本のミナーレを持つジャーミーです。

      
中庭回廊                                       内部(2015.6.25)

幾つかのイスラム教のジャーミー(モスク)を観て来ましたけれど、

その原型はキリスト教のアヤ・ソフィアのドームと共通する所に興味を持ちます。
(ミナール、スィナンのアヤ・ソフィアに対する憧れも影響しているのだろうが)

イスラム教徒と、キリスト教の神は同じで預言者がマホメット(ムハンマド)か、イエス・キリストかの違いとも聞いた事があります。
(イスラム教では最後の預言者がマホメットで、イエスも25人の預言者の一人として名前が載っている)

非常に仲が悪そうですが兄弟の宗教だと感じる事が出来ました。(ユダヤ教も同じ兄弟と言われています)

父なる神は現在のIS(イスラム国)をはじめ、中東やアフリカでの争いに、どんな気持ちで思い悩んでいるのでしょう?(2015.6.26)

建築以外の観光地を巡ってみます。まずボスボラス海峡から金角湾への入り口にある橋が、ガラタ橋で旧市街と新市街とつないでいます。

         
         ガラタ橋 とても沢山の人がいます。(2015.6.27)

旧市街と新市街はヨーロッパ大陸側ボスボラス海峡の対岸はアジア大陸となります。

ボスボラス海峡を観光船でクルーズすると良く分かります。ボスボラス海峡は地中海、エーゲ海、マルマラ海、ボスボラス海峡となって、

ボスボラ海峡を抜けると黒海となります。

                           
                          ボスボラス海峡クルーズ船(2015.6.28)



ボスボラス大橋 右がアジア大陸(2015.6.29)


                            
                            ボスボラス海峡入口のアジア側の小島にある乙女の塔(2015.6.30)

ガラタ橋の対岸新市街の丘の上に建つ塔が、ガラタ塔です。


ガラタ塔(2015.7.1)


                                    
                                    ガラタ塔 (2015.7.2)

ガラタ塔展望台からはボスボラス海峡や金角湾などイスタンブールの街が良く見えます。

          
  ガラダ塔から見たトプカプ宮殿(中央)にてトルコ・イスタンブールを終わります。

アテネ・イスタンブールに行ってちょうど一年経ちます、ギリシャ、アテネでは国家破綻の危機の報道がされています、旅行者はカードの使用が出来ずに

苦労している様で一年前で良かったと思っています。

前ページにこの事に関して少し書いた部分を以下に再度添付します。



最近ギリシャの経済危機がマスコミで報道されます、EUにとって大きな問題でもあって、最悪ギリシャがEU離脱となる可能性もあります。

そもそもギリシャの経済危機の元凶は公務員の人口が多く25%以上を占めていて、税金の大半が公務員の給料に費やされています。

中でも警察官の数が多いと聞いていましたが、アテネの街中でも4,5人の白バイの警察官が街中で雑談している風景をよく見ました。

ギリシャが公務員改革を本気でするか?、緊縮財政を嫌っていますが、

それに代わる経済政策をとれるかにかかってきていると思います。(2015年現在ではEUの要求を国民投票で受入れるか、拒否するか)

EUにとってはギリシャのみでなくスペイン、イタリアと財政破綻寸前の国が控えていて大きな曲がり角に来ている事はいがめません。

財政破綻では我が国日本もギリシャ以上で負けてはいません、(日本は世界で一番債務の多い国です、外国からの債務が少ないので、

ギリシャの様に債務国として海外では問題とされませんが、日本がデフォルトとなった場合は日本国民の貯蓄、年金は無くなってしまうでしょう)

また公務員天国と言われ、サラリーマンの平均年収が450万であるのに国家公務員の平均年収は660万、地方公務員で多い所では730万となっています。 (天下り上級公務員は1500万、国会議員は2000万)

また、天下り制度で関連企業へ多くの税金が費やされています。

ギリシャを笑えない状況は日本にも深刻にあるのです。一方、同じく公務員の多い北欧の国では公務員の給料、年金は一般国民の平均以下に

コントロールされているそうです。(日本ではサラリーマンの平均年収が450万なのでそれ以下に660万から引き下げた状態、ここまで落とせば国家財政も、地方財政も黒字化するでしょう)(もうひとつ、天下り企業へのざる流出を止めれば)(高すぎる日本の公務員の給料海外との比較)

日本も北欧並みの成熟社会に変わっていけるといいのですが! (北欧では選挙投票率は80%以上、高い税金も高いとは思っていなく、その使い道を国民一人一人がチェックしているそうです)

現状では日本はアメリカ社会を目指している様で格差社会、マネーゲームの国になっていくのでしょう。

それがいつまで続けれるかが、私は心配ですが!(2015.7.3)

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